第六話 確信犯の同情
結構間が空いた投稿になったなぁ
頭上にまで到達したブラッドムーンの輝く夜は、六つ存在する精霊王の中の四大精霊王達よりも格上であり、特別な力を持つ片割れで闇の精霊王の加護が降り注ぐ至福の時間。
未知数の謎が神秘のベールに包まれ、闇に連なるモノにとっても幸福感に寝かし付けられる魔性の夜とも謳われる。
未だにその謎は判明していないが、確かなのは普段よりも大気中に漂うマナが濃くなり、姿を見せられないまだ未成熟な精霊や自然から産まれ落ちた妖精が飛び交うと、魔力を可視化できる者なら大気の流れから、親愛する良き隣人の存在を感じ取れる。
…まぁ、魔力が視えない者にとっては、ただでさえ暗い夜が薄らと紅く色付いて魔力の暴発が増えやすくなるだけらしいのだが。
そんな事を考えつつも、森の街道から更に奥まった木陰の暗がりで私の腕を掴んで貰い、そのまま地面に崩れ落ちないように支えた女性の背中を優しく摩る。
「どうだい、少しはマシになったかな?」
「…まだ、むりかもぉ……」
「私も、ついつい夢中になって……魔力やスキルによる補助無しの人型生命体の中でも特に希少な痩せ形が、ここまで人並外れた動きで当人に振り回されて継続する様子を観察するなんて事例は初めてだったから…じゃなくてっ!その、すぐに止めないで…食い入るように観察してしまい…大変申し訳なかった」
動きの観察に集中する余り、心拍数が速まった事に気付いても止めず、呼吸が乱れて段々と軸がズレ始めた時も気付いたのに…利己的な知的好奇心と人体の神秘に対する探究心を優先して、結局私が満足するよりも前に…彼女の三半規管が耐え切れずに、倒れさせてしまった。
「ゔっ…ゲホッ、ゴホッ!!」
「今の貴女の身体には、随分と無理をさせたようだね…」
ついさっきまでは不意を突かれるも、彼女から感じ取れる敵意や害意が皆無だった為に、無抵抗のままされるがままでいた事も理由の一つだとはいえ…かなり俊敏な動きで私の胴体を掴み持ち上げた彼女の流れるような動きは、とても衝動的に感情へ身を任せ身体が動いていた…だなんて言葉では説明がつかない程に美しく力強くて、最初こそ線の細いその身体のどこにそんな筋力を隠し持っているのかと探った。
「…本当に、貴女だと…信じてもいいのか…?」
だが次第に…多少の体格差があるとしても私の足が浮く高さで持ち上げていて、両手が塞がっている状態だというのに、回転の中心軸を彼女の身体だとして、その地点で固定されたようにブレずに私を振り回し続ける彼女の下半身の捻り方に、僅かな既視感を抱いて…無意識にとは言え周囲の情報を極力遮断して、食い入るように観察していた。
「うゔぉえっ!!…ごめん…きこえ、なかっだ…」
「…すまない。ただの妄言だから気にしないでくれ」
今になって女神様と偶然出会うだなどと、有り得ない。
希望的観測を愚直に信じるだなんて…非現実的で虚しくなるだけだ。
「私達の崇める女神様だと名乗れる領域には遥かに及ばずとも…不便も多い人型を選んだ知的生命体の中では、謙遜無しに見ても素の規格外な能力値による瞬間最大火力なら、歴戦の猛者達と比べるまでもなく飛び抜けている。それに心身ともに疲弊した今の私では、貴女の全力を見る前に屠られるとも理解したからこそ従った命令が……コソコソと隠れて自尊心を守り、自然治癒力による回復を見守る形だけの介抱だとは……本気で誓っている決意に覚悟すら、斜に構えて気取った若気の至りのようで…居た堪れない気持ちだ」
私の小言すら耳に入らないのか、下を向いたまま必死に吐き出そうと嗚咽を漏らしているが……今の今まで、胃液すら吐き出せないで咳き込み苦しんでいるのに…私以外には隠し通そうとしている。
私には隠さない現状を、喜ぶべきなのか、嘆くべきなのかも…わからない。
「なんか…ごめんねぇ…」
「…いや、貴女が気にする必要はそこまでないさ」
少し前に、指名依頼の護衛で同席させられて観劇した、オペラを思い出した。
現在では大陸随一の統一帝国が、まだ名も無き小規模国家だった頃まで遡る程に遥か昔の歴史をなぞった凡庸な台本で…大陸を目指して海を渡って来た旅人の怪我や病気に侵された者達を治療して、その感謝の意を表した舞を披露されて特別な力を人類が与えられる奇跡を目にするという、統一帝国の国民にならば幅広く知られている伝説で…ありふれた内容ではあったのだろうが、登場人物の歌唱力や演技力は中々に力を入れて練習を重ねたのであろう出来栄えだった。
しかしさっきの彼女は、そんな完成度の高いオペラの主演にも見劣りしない洗練された動きで、確か元々の身体能力や体幹が良かったとしたとしても…それこそ、身体に覚えさせるまで練習し続けなければ真似できない動きをして見せた。
「…これ以上考えても、得られるのは今ではないな」
思考を切り替えようとわざと声にしてみても、拭い切れない既視感と僅かな懐かしさに首を傾げて、暫定女神様を支えながら、明るい方へと歩き出した。
*****
腕の中で小さく震えながらも、作ったのであろう笑顔で馬鹿二名と魔獣二匹に心配され、誤魔化すように手を振る女性。
国教は定まってはいないものの…扱いとしては、異教徒の末裔が身を隠し崇めている、名も無き邪神にされた存在…その筈、なのだが。
「邪神だと貶められた、女神様の…現在の御姿……」
黒いドレスを纏い、カフェオレのような褐色肌だと判断できる輪郭の中に、赤く艶やかな唇以外を覆い隠す黒いベールと、黒レースの腕を隠す長い手袋をしていた。
「ゔぉっぷ…!リバース、しそうかもぉ…」
「…そんな細腕で私を振り回せばね?日頃から肉体を鍛えていないのなら、呉々も今後は無茶をしないといいよ」
「だってぇ…!」
彼女はその他にも大量に、装飾品を身に付けていたのだが…黒い宝石が付いた装飾品が触れ合いジャラジャラと鳴ると、音の響いたであろう範囲内の大気中に瘴気の発生を促すようにしていて、範囲内に含まれるマナを消失させようとしている。
「目を離してた隙に、トワちゃん達がヤバそうな雰囲気になってるの見ちゃったら…アタシが、どうにかしなきゃいけないから…」
だが幸いな事に、先程私が何気なく掛けていた【聖炎】と【退魔の聖域】の効果が合わさって、瘴気を相殺した上で魔物避けも果たしているようなので、実害となる問題は無い。
「気が付いたら、動いちゃってたんだもん」
…無いのだが……やはり視界に入るだけで心がザラつくので、その中でも特に濃度の高い穢れたマナを放出している首飾りだけでも外そうと思い、彼女の言葉も聞きながら、光に反射して不自然に輝く黒の禍々しい宝石に触れた、瞬間。
「ーーッ!」
かつてない程に強い魔力が身体へ流れ込んでくると、私の時だけが止まったように硬直して、声を出す事も呼吸をする事さえ出来なくなり……そんな私の状態を見計らったかのように、持ち主の激情が荒れ狂った濁流の如く、黒い宝石に触れた指先から、私の中へと入り込んでくる。
ドス黒い怨念に染まり切るまで降り積もり捻じ曲がってしまった、深紫の宝石に宿った想いと感情が…今まで堰き止めていたモノが耐え切れずに決壊してしまったように、唯一思考を巡らせて動いている脳内へと流れ込んだ。
「それに、命じられた仕事だって…アタシにとって都合の悪い運命ばっかり紡がされて……自分が破滅していった運命を辿っていくのも…虚しくて」
怨念が私の脳内へ時空を超えさせて視せたのは……白一色の無機質な空間に浮いたように存在する…焦げ茶で美しい木目が年季を感じさせる糸車と、黒い金属光沢のある真新しい機織り機。
「瞳の奥深くまで、崩壊する世界の末端だけでもいいから、焼き付けたかった」
脳内に移り視える光景の時が動き出すようにして、自称元女神の女性と瓜二つの容姿と格好で、寸分狂わず体型の比率までが同じに見えるのだが…纏う魔力の色や動きから、保有する魔力量は桁違いに多い女性が現れる。
「それが、アタシにでもできる事だから…」
何も感じさせないような無表情の中にある、感情の灯っていない瞳と視線が合った気がするが、その女性は気付いていない素振りのままで慣れたように機織り機を動かし始めーー視界に映る景色が、元に戻った。
「まあ〜、そんな訳で!仕方なかったんだ!」
「…すまなかった」
「へっ?……あ、やまっ、た…?!」
「自身に非が有るなら謝る。それが貴女の礼儀なんでしょう?」
「えぇっとぉ…そうだよ、ね…」
気が付けば身体の硬直も解けて、庇うように言葉を放っていた。
だが少なくとも、この悪趣味な首飾りやその類似品等は、彼女自らが望んで着けているのではないと察して…指摘される前にそっと、触れていた手を離した。
「でも…邪神になってるアタシに対して謝るなんて、トワちゃんって相当変わってるねぇ〜?」
ベールに隠れていても、彼女はきっと深紫の瞳を細めてニヤニヤと笑っているのだろうと、考えなくとも…簡単に想像がつく。
「…やめてくれ」
私は、彼女をよく知っているから。
「およよっ?この後に及んで、トワちゃん一人だけが常識人だなんて、そんなのアタシは納得しないよぉ〜?」
無知であるが故に自分は許されるのだと、数え切れぬ程に利用したのだから。
「変わり者程度では…決して、許されない」
犯した過ちをどれだけ悔いても…もし、貴女が全てを許したとして…私はきっと、揺らいでしまうだろうけど。
全てが終わりを迎えていた…あの時の運命だけでも覆らない限り…永遠に、許されてはいけない。
「あれぇ…?もしかして…こういう話題は、地雷だった、かな…?」
「幾千幾億の歳月が過ぎ去っても…何もかも忘れられないままで。何度も楽になろうと逃げ出そうとしても……思い出すから、踏み止まれたんだ」
「う、うん…?」
今も昔も…貴女に全て背負わせているのに、のうのうと幸せに生きている生命は…最初から醜悪だった。
貴女が愛した世界は…もう此の世の何処にも、存在しないから。
「もう簡単には逃げ出さないし、しっかりと向き合って、今度こそ…絶対に約束を破らない」
狂わせた元凶を…全てを、絶対に許さないで欲しい。
でも、貴女は…あまりにも優し過ぎるから…
「…また私の、我儘を…叶えて欲しいと、ずっとずっと…願っていたんだ」
憎しみを抱く事も苦手なままで、他人を羨む考えすらも難しいなら。
「お願い、だからっ……全てを、忘れてくれッ…!」
「「ーーッ!!」」
理不尽な仕打ちをした存在の、全てに……二度と、興味も関心も持たないで…今度こそ、自分の幸せを優先して欲しい。
「え…?なにを、言ってるの…?」
「我儘で傲慢な願いだとはーー【魔法障壁】」
急激に膨れ上がった背後からの殺気に反応して、口が勝手にスキルを唱えていた。
「おみゃぇえッ!!」
「痴れ者がァ!!」
振り返り視界に捉えた殺気の発生源はーー
「…キミ達も、本当に学ばないな」
ーー何らかの攻撃魔法を連発している、猫っぽい魔獣の二匹。
「オマエ等がッ…!オマエ等なんかがァ!!」
「紛い物の分際でッ!!」
怒声の合間に聞こえる詠唱は、よく聞けば単体の標的にだけ発動する古代魔法のモノで、中には普通に魔法を覚えた魔道士の【魔法障壁】では弾く間も無く、一発でも当たれば致死状態にさせたまま生き存えさせる、呪術に片足を突っ込んだ禁忌指定の魔法まで混じっていた。
「そろそろ…いい加減にしてくれないか」
魔法を理解して扱うだけの知性がある賢い魔獣で説明が付くかすら怪しい、二匹の現段階で保有する魔力量は…殺気に気を引かれて直ぐには気付かなかったが、古代魔法を連発しても魔力切れになる気配がなく…寧ろ、今も増幅し続ける憎悪の感情に比例するかのように、保有できる魔力量の上限が更新されては補充されていく。
「ガァアアッ!!」
「グルァアアアッ!!」
私など取るに足らない存在だと無関心を貫いていた先程までとは打って変わり、嬲り苦しませようと凶暴化して荒れ狂う二匹を見ても、声も掛けず助けようともしないダークとベリィに助けを求めようと口を開こうとしたが……その必要は無かった。
「全く…キミ達も学んでいなかったか」
またもや向けられた殺意になりきれない敵意と、震える短剣の切先は…最初に向けられた時より迷いという不純物が混じっている為なのか、随分と生温くーー
「どうすれば…流れに乗り切れる…?」
「やっぱり、殺すしかっ…!」
ーー中途半端で何にも成り切れない姿が、疎ましい。
「確か…昼頃に消したキミ達の同郷の者達。彼の顔に見覚えは無かったが、冒険者協会公認の御者と示し合わせたように…御者よりも格上の護衛である私だけを狙って、襲い掛かって来た」
無差別的な殺傷が目的なら、簡素に組み上げられた馬車だからこそ、常に無防備な背中を晒していた御者を真っ先に仕留めてから私を狙っているだろうし、それ以前に港町で刃物を適当に扱っていれば、確実に兵士や冒険者に他の依頼の最中の護衛などに捕まりはすれども、目的をより早く達成できる筈だ。
「キミ達が狙いを付けたのは、今現在に至るまで私だけだった」
更に追求するなら、御者も頭数に入れれば十一名もの人数をたった一人で護衛しに来た時点で、簡単に言えば最初から一人で全ての危険からそれだけの子守が出来ると、王族の依頼に関しては国の管理下だった冒険者協会に認められて私が護衛任務を受けられているのだから、どれだけ考え無しで力量差が読めない馬鹿だろうとも、それらの条件を無視して私だけに殺意の矛先を向ける理由が、理解し得ない。
「異国出身の者達には、同郷の者以外で私のような幼い冒険者だけを殺せとでも言うような、奇妙で偏屈な刷り込み教育でもあるのかな?」
だが、たった一人を殺す為に、狭い乗合馬車の中で槍や大剣のような大振りな武器を構えたり、弓矢や銃のような飛び道具を、自陣営には当たらないように慎重且つ不慣れそうに立ち回っていた理由の方がより難解で、同郷の者同士でも全員が親しい間柄ではなかったであろう事は、意外にも腹黒いダークの独り言で把握している。
「まるでキミ達は…数え切れない程の生物の枠組みにいた、私だけの殺生を命じられている…死を恐れない生物兵器のように見えてしまうよ」
此処までの一連の流れ全てが演技だったのなら、彼等は幾らでも命を投げ捨てても死なない演者顔負けの心なき殺し屋だという、飛躍し過ぎた妄想の域にまで到達したのだから、流石にお手上げと言ってもいいだろう。
「キミ達も…命を尊ぶ心も無いまま、最期まで誰かの思惑通りに動き、自らの手でその首を絞める…愚か者だと自嘲する未来を迎えたいのかい?」
此方の発言に反応して目配せをする二人の気配から、自ら発した最悪な悪い冗談が、真実に近いと分かってしまうが…どうせ利己主義から生まれたであろう動機も、気に食わなかった態度への嫌がらせのような些細な切っ掛けすら、先程までに目の当たりにしていた……年相応の反応を見てしまった後では、何一つとして思い当たらない。
「あくまで私の経験談から飛び出た、戯言で終わりに……今からでも、変えられない現実…なのかな?」
ダークとベリィだけは救いたいと、自分は命を尊ぶ心を持っているかのように偉そうに説いて置きながら……その理屈で言うなら、今日だけで同じく尊き命を八つも散らしているのに…傲慢にも私は、強請っていた。
「こんな事が…避けようのない、必要不可欠な運命なのか?」
金とミッドナイトブルーの瞳が戸惑い揺れてーー声を掛けるには手遅れだったと、悟ってしまった。
「…すまないが、其方の事情が如何であれ…守ってあげたいと誓った…私には勿体無い尊き存在達を、ずっと…待たせているから」
確かに二人の心を動揺させた感情は、穢れた心が吐き出したようには見えない。
「とても私には理解し得ないが…苦しいのだろうね」
マトモな感情を擦り減らし過ぎた欠陥品でも、眼前の二人を苦しめているのは…私の向けている言葉なのだと理解できる。
「…私は、キミ達に特別を求めない。期待もしていないから…静かな終幕を贈らせて貰う」
燃費は悪いが悟られるよりはマシなので、本物の彼女の身体だけに無詠唱で薄い膜のような…本人しか違和感を感じないように【魔法障壁】を纏わせる。
「なにそれッ!!ウチにもダークにも価値は無いってワケッ?!」
うるさいな…そう思うと、久し振りに放とうとする膨大な魔力に惹き付けられて手伝おうと近寄ってきた風の精霊が、私の意思を汲み取って代行するように、怒号を上げたソレの周囲へ防音魔法を張って宙に浮かせる。
「終幕を贈る…っ?!もしかして、冒険者さんはッーー」
次に視線を向けた方は、どういう原理かは解らないが、トワとして生きる私の別の面を知っていたようだから黙っていればいいと思うと、今度は地の精霊がソレの足元の土を盛り上げて筒状の壁を作り、火の精霊と水の精霊が威力を抑えて相殺しながらソレの周囲の酸素を燃焼させたから、土壁の中では酸素を求めて過呼吸になって苦しんでいるのだろうと…理解する。
何の感慨もない訳ではないが…ただ、早く終わらせてあげようと思った。
「自称邪神の彼女に対し、全属性の魔力で練り上げた【堅牢】を被せ【永続化】」
先程から今までも騒いでいた二匹は、私の言葉の意味を理解したように離れようとするが、無詠唱の追尾式魔法の前では、愚鈍な獲物と大差無い。
「対象者は五名。その魂が重ねた罪と罰の清算を行うーー【神鳴り】」
俊敏な動きで予備動作から予知して避けようとしても、音すら置き去る光速の古代魔法からは、誰であろうと逃れられないーーそうだと、知っているのに。
「…まだ一名分、足りていないよ」
雷鳴が轟く暗雲が瞬時に晴れて、二つの命が光の粒子に変わり紅い月光に乱反射した幻想的な光景の中で、誰よりも穢れた魂の言葉を聞き届ける者はいなかった。
良ければまた読みに来てください!