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1.人によっては羨ましい状況

1.人によっては羨ましい状況


「きりーつきをつけ礼」

「「「ありがとうございましたー」」」


 担任の先生は頷くとそのまま教室から出て行った。

 教室の雰囲気が急速に弛緩して賑やかになっていく。坊主頭や日に焼けた肌の学生達は部活の話をしながらにぎやかに教室から出ていき、ほかの生徒は数人で集まってその場で授業や夜にあるドラマの話をし始めた。

 一日の授業が全て終わった後の解放感は学生の特権だ。特に一学期が始まってまだ一月しか経っていないのなら特にだ。

 その中の一人である俺も例外ではない。

 ロッカーに教科書ノートを入れる。宿題の出た教科、明日テストなどがある教科のものはカバンの中に入れた。これをマメにしないと大量に自宅に持って帰ることになり面倒臭くなるのだ。

 これは親しい先輩に教えてもらったコツで、実践してみると登下校の重量が削減されて大変楽になった。


「おっとこれは持っていかないとな」


 ロッカーの中の教科書を数冊取るとその奥には一冊の本があった。

 これも先輩に教えてもらったことだ。先生達の急な荷物検査に対応するため方法で、ロッカーから全部出せと言われたときは諦めろとも教えてもらった。ロッカーを綺麗に使用しているかぎりはそのようなことは殆ど無いということも。

 取り出した本を丁寧にそれでも周囲に見えないようにサッとやたらと薄いカバンに入れるとそのまま教室外に出る。

 廊下には集まって会話をする者、部活の開始が近いのか小走りで行く者と雑然としていた。

 その間を通り目的の場所まで歩く。

残念ながら自分の教室から目的地まではそこそこ遠い。

校舎の端から端まで廊下を行きそこそこの段数のある渡り廊下の階段を上がる。

 まだ高校一年生の若さがあるから楽々といけるが、親しくなった化学の先生は渡り階段の向こうに化学の準備室があり毎日が地獄と言っていた。中年の体力にはきついらしい。

 渡り階段を上るとそこは別棟の校舎だ。

 本校舎が四階建てなのに別棟は五階建て、新しく建てられたから一階分増えたと入学したころは納得していたがその別棟の五階に頻繁に使用される図書室を置き、年に一、二回ぐらいしか授業で使用されない教室が複数あるのは納得出来なかった。ちなみに視聴覚室は別棟ではなく本校舎にある。なぜだ?

 そして目的地は別棟最上階の五階にあるのだ。エレベーターがあればと思うがたかだか県立の高校にはなかった。

 えっちらおっちらと階段を五階まで上る。

 若さがあってもなかなかにつらい階数だ。誰も見ていないのに恰好つけて休憩なしで上ったために息が上がる。

 階段すぐ横の部屋、今現在俺の目の前ある扉がその目的地なのだが、五階には正面から見て左から何に使用されているのかわからない教室、階段、トイレ、教室二つ分の図書室、音楽準備室、階段、音楽室と文系の学生に中々酷な配置だ。五階に学生重要拠点を配置した馬鹿は呪われろ。

 三回呪った後、ドアをノックする。木造のおんぼろ横開きの扉はコンコンではなく全体が揺れてガシャンガシャンと鳴った。誰か建付け直してくれないかな。


「は~い」


 室内から可愛らしい声がノックに答えてくれる。

 ガシャンガシャン。


「入ってい~よ~」


 ガシャンガシャン。


「…」


 ガシャンガシャンガシャンガシャンガシャンガシャン。

 ガラッ!

 ついピンポンダッシュならぬドアコンしているといきなり扉が全開で開いた。

 扉の向こうに立っていた人物は控え目に言っても美人、黒髪で長髪で大和撫子風で背が低くて超モテそう。そんな人が箒を持って仁王立ちしていた。


「うるさいっ!」


 ドスッ!


「ぐふっ」


 鳩尾に差し込まれる箒の柄。痛みとともに脚から力が抜けて膝をついた。いくら苛ついても暴力はいけません暴力は。


「ぐ、ナイスパンチ…」

 

 パンチでないのだがお約束だ。


「全く君は…何で普通に入ってこないの?」

「いやまあ、ネタが尽きない限りは、ああ引き摺るのは止めて下さい引き摺るのは~」

「はいはい部室に入りますよー」


 学ランの襟を部屋に引き摺られながら入っていく。

 入室した部屋は左右の壁の収納棚全てに大小様々な楽器が置いてあり、部屋の中央には古い木製の長机が二つ並べて設置されている。その上にはコピー用紙や筆記具、途中で放置されたボードゲーム、お菓子など雑然とあった。

 ここは音楽準備室兼文芸部部室兼演劇部部室というごった煮部屋。

 そして俺を引き摺って部屋に入れた女性は文芸部部長兼演劇部副部長兼美術部部員というこちらもごった煮になった人で面倒くさいので俺は部長さんとしか呼んでいない。

 そんな人に引き摺られたあとそのまま転がされた。

 う~む部長さんの小柄な体躯で男の俺を引っ張って転がす力はどこから出ているのだろうか…。

 お情けか縦回転ではなく横回転で転がされたのは温情と思いたい。

 すぐに長机にぶつかりぐふっとなり止まった。

 悶絶していると上から影が差す。


「おはようコータ」

「悶絶してる人を心配もせずに挨拶する先輩は鬼ですね。そして今は放課後です朝ではありませんよ」

「ん、午後はサボってここで寝てたからおはようで正解かな」


 平坦な声だが喜んでいると俺は知っている。


「はーい起きよう」


 ズルズルと脇に手を入れられて起き上がるようにうながされるが、あいにくと部長さんの様に力がないので上半身を起こすところで止まった。うんしょうんしょと一生懸命なところがいい。

 あ、速攻諦めた。


「起きれ」

「あ、はい」


 命令口調になった。少しイラッとしていると思われるのですぐに立つ。

 目の前に先輩が立っていた。

 

 肩口の細くてサラサラした黒髪…は寝ぐせがついていて、銀縁眼鏡をかけた細身の顔にはよだれの跡が、俺より低く部長さんより少し高い身長…その着ている制服はよれよれ肩からズレ落ちかけている。本当に先ほどまで寝てたようだ。

 これは指摘していいものだろうか…一秒考えて無言で長机の上にあったティッシュを数枚取りよだれ跡を拭く、後ろにまわりこれも机にあったブラシで寝ぐせを解いていく。あとは制服だが触れても大丈夫なとこだけ直していった。


「何ですか?」


 俺を転がした部長さんはすでに椅子に座ってニヤニヤとこちらを見ている。


「別に~」


 たまに部長さんにニヤニヤ見られるが何でなのかは教えてくれることはないので追及するのはすでに諦めている。

 先輩は撫でられる猫のように大人しくされていた。


「はい整いました」

「ん、ありがとう」 


 女性に感謝されるのは男としては凄く満足感がある。変態ではないよ。


「で何しに来たの?」


 小首を傾げて訪ねてくる先輩。


「うわ、マジで猫みたいに急に態度変わりますね」

「だってコータは文芸部でも演劇部でもないのに部室にやって来るのはおかしいよね」


 獲物を見つけたように先輩の目と口元がしなる。

 先輩の後ろでいいツマミができたなという顔の部長さんの顔には少しイラつくがここでうまい返しをしないと先輩はふてくされる。

 そうなれば今日は口を聞いてもらえず無視で、明日はポテチでも持ってこなければ機嫌は治らないだろう。それは学生の身分である俺の少ないお小遣いが減る。


「それは先輩にこれを見せたかったからですよ」


 しかし俺は対先輩用のブツを持って来ているのだ!

 それは教室から出る前にロッカーから取り出した本。

 それは大判コミックの漫画本であった。普通の単行本より大きくてサイズが合わずに本棚で斜めに入れられてしまったりする本で、こうちょっと友情努力勝利とは違う方向性がマニアックなのが多い部類が多くて本屋の奥の角にコーナーを作られる大判コミックである。

 先輩のメガネの奥で目が輝く。


「ええ昨日の休みに遠出して買ってきた表紙が良いと感じただけで内容が全く分からない謎の漫画。読みたくないですか?」

「読みたい!」


 先輩は本好きであり、その即答は正しく、俺も本好きなので嬉しいものだ。

 だが、からかわれた代償は払ってもらわなくては。


「でも俺には部室にいる権利はないようなので帰りまーす」


 本をカバンにしまうふりをする。


「待って」

「いーやでーすぅーて、どこ掴んでいるんですか!あ、そこはダメ!お婿さんにいけなくなっちゃう」

「潰されたくなくば本を置いていくがよい」

「横暴!買った本人の俺がまだ読んでないのに獲られるぅ」

「両方獲ろうかな」

「片方は絶対に獲っちゃだめぇー!」

「本当に君たちは仲がいいね」


 いやいや先輩を引き剥がしてください部長さん。ある意味俺の貞操の危機なんです。


「危うく美少女に生まれ変わるとこだった・・・」

 

 危機を脱出した俺は汗をぬぐう。


「自分で美少女とか言うのって気持ち悪いね」

「私もそう思う」


 女子二人が何か言っている。


「ところでどうして俺は椅子に縛り付けられているの?」


 現在進行で俺は部室にあるパイプ椅子に座らされてロープで下半身を縛り付けられていた。なんか友人と亀甲縛りを試した時のことを思い出すな。途中で男二人が汗だくで亀甲縛り状態でいることに気付いて絶望したんだ。


「手を離したらハァハァ言いながら倒れたから部長に引き摺ってもらってパイプ椅子に縛り付けた」

「あ、掴んだ時にヌルっとした気分になったからティッシュ取って」

「字面が酷い。そして気分なら実際はヌルっとしませんよ部長さん!」

「ヌルっとしたからティッシュ頂戴」

「言い直した!」


 意識を失っていたわけではないから全部わかっているが、聞くまでがお約束だろう。


「さて武士の情けじゃ。本を私と一緒に読む権利をあげる」

「いつの間にか俺の本の所有権が先輩に移っているような気もしますが、この身はすでにすでに囚われの身どうにでもせい」

「何で二人ともおサムライ言葉になってるの」


 部長さんが純粋な顔で聞いてくる。

適当にやっていたものを真剣に疑問を持たれると恥ずかしい


「なんとなく?」

「ノリで?」


 先輩は小首を傾げながら俺は照れから目を泳がせる。クソッなんかわからんが負けた気分だ。

 おや?部長さんその手元にあるノートに何を書き込んでいるんですか?なんとなく、ノリの後に二人とも適当に生きていると書かないでください。


「早く出して」


 我慢できないのか先輩が俺の背後から耳元に声をかけてきた。

 その内容だと童貞君だったら興奮ものですよ。俺も童貞だった!


「最初に私に見せたいと言ったのは嘘なの?」


 ああ違います見せたい性癖なんて俺には・・・落ち着け先輩は本の事を言っているのであって決して性的な意味で言っていない。

 それに部長さんのノートに書き込む速度が速くなった。さすが文芸部部長、以前に読ませてもらったちょっとHな小説はなかなかの文才でした。お世話には・・・なっていませんよ?


「仕方ない。俺も我が身が可愛いので妥協しましょう。ロープが全く解けないのでカバンから取ってもらえます?」

「オッケー」


 カバンを漁りだす先輩。さりげなくロープを解いてほしいと伝えたがあっさり無視された。

 はいと渡される大判コミック。


 表紙はロボットの前で踊る少女だ。子供向けではない繊細な線に日本の美人画を思わせる。


 ふわりと背後から俺の肩に腕が回された。

 いい匂いが鼻腔をくすぐる。


「綺麗だね」


 先輩が呟いた。

 後ろにいるのは先輩だ。一緒に本を読むときはいつも俺が座り先輩が背に覆いかぶさるように身を寄せるのだ。たまに横に座っているときもあるが大体は後ろから抱きつかれて見ている。


 いや、俺も男の子なので最初はドキドキしましたよ。でもどうも先輩は俺の事を良くて弟、悪く言えばヌイグルミ扱いにしか思っていないようにスキンシップしているのだ。

 毎回の様に触れらると慣れもでてくる。少しはドキドキするが。

 

 一人で読む時よりもゆっくりとページをめくる。

 どちらかというと速読だったが、先輩と一緒に見ることでじっくりと読み込むことが出来て読解力が増えたような気がする。


「コータめくるの遅い」

「・・・」


 後ろから命令が出るのはご愛敬だ。


 30分ほどかけて読み終えた。


「ふう、今回買った単行本は満足できる内容でした」


 いい本を読んだ時には何とも言えない充足感がある。


「うん良かった。独特だけど綺麗な絵で続きが読みたくなる」


 おお先輩のお墨付きを貰った。先輩は偏屈なので漫画や小説の好みがなかなかに激しいのだ。前にギャグ漫画を持ってきたらローキックをお見舞いされた。


「特に巨大ロボットの戦闘シーンなんか最高でした」

「囚われのヒロインを攫った主人公がもう最高」

「は?」

「え?」


 俺と先輩の思っていた感想は違っていた。


「何を言っているんですか、主人公達が乗る機体が圧倒的な力の差で敵を倒すのが良いんじゃですか。わかってませんね先輩」

「コータこそ何を言ってるのかわからないよ。これは主人公が様々な葛藤を乗り越え一途に待つヒロインを攫っていくのがいいの。馬鹿なのコータ?ごめんアホだったもんね」


 二人で良かったページをめくり返すがお互いの主張はかわらない。


「どうやら先輩とは分かり合えない運命みたいですね」


 両腕を振り上げ構える。


「コータには繊細なストーリーというものが分かっていないみたいね」


 先輩は部室に置いてあった巨大ハリセンをを構えた。


 両者は互いの主張の為に対決する。ただし俺はパイプ椅子に縛り付けられたままだ!


「あ、待ってハンデありすぎ!後ろからの攻撃は卑怯じゃないですか!」

「ふっふっふっ自分の状態を確認しないまま戦おうとする愚か者が悪い」

「あ~資料が目の前にあるとはかどるわ~」

「幸せな顔でノートに書き込まないで助けてください部長さん!」


 これが俺のいつもの放課後の日常である。

 平成初期のたいした山もオチもないのんべんだらりな物語。

 あと忘れていた俺の名前はコータ。覚えなくていい。



 二日後。

「二巻と三巻買ってきたよ」

「行動力すげぇ」

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