D家の食卓
「「いただきマーメイド」」
吸血鬼父娘が住まう屋敷の食堂では、相も変わらず語尾にマーメイドを付ける挨拶が成され、合掌の音が響いていた。
先日あれほど不満を口にしていた娘が、当たり前のようにやっているあたり、一度染み付いた習慣は容易には抜けないらしい。
ただ、普段とは違い、一家団欒の象徴であるはずの、食卓の空気は重い。
中央の大皿には、特に調理されていないトマトが丸ごと盛られており、ドラクロワとラキュアの二人は、目の前の小皿に取り分けられたそれらを口に運び、人間で言うところの犬歯にあたる牙で、チューチューと啜っている。
本日、ここまでの時点で交わされた会話は無し。
人狼のカミーオと人虎のトラーオに、食事の準備が出来たと各々が呼ばれ、無言で席に着いたのである。
「なあ、今日のお嬢様、めちゃくちゃ機嫌悪くねえか?」
「ああ……旦那の目の周りに、パンダのような痣ができてやがる」
毎日トマトを啜るだけという、質素な食事にも関わらず、何故か女性給仕服にお盆を携えた姿で、食堂の壁際に待機させられている、カミーオ、トラーオの二人は、そのただならぬ様子に小声で囁き合う。
因みにトマトは屋敷の裏庭にある菜園にて、配下達が丹精込めて栽培しているものだ。
「もしや俺達が、あの人間の侵入を許してしまったせいか?
旦那は人間との戦いを楽しみにしているが、お嬢様は何考えてるか分からんところがあるからな……」
「しっ、滅多なことを言うなカミーオ! レオナルドの二の舞になりたいのか!?」
「あ、あぁ……済まない」
「……分かればいい……。
ところがあの後、俺は見たんだ。
旦那とあの人間が、仲良く馬車に乗り込むところをな。
御者を務めたピグミンが詳しく知っているだろうが、ヤツは直接その足で商品を卸しに行っただろうから、先のことはまだ聞いていないんだ」
「馬鹿な! 信じられん。あの旦那が人間とだと!?」
二人がそこまで話したところで、色素まで吸われ、灰色に萎びたトマトの皮が、ドラクロワの額に投げつけられる。
親父の額に張り付いた皮が、ズルズルと滑り落ちたところで、ラキュアは食卓にズタンと両手を着いたままの姿勢で、椅子から腰を上げる。
「ねえトラーオ、その話、詳しく聞かせてくれない? この親父、何も話さないのよ」
ドラクロワは何も話さないというより、愛娘が怒っている理由が分からずに、オロオロしていただけなのだが、名指しされたトラーオは堪ったものではない。
(なんて地獄耳だ……)
何がお嬢様の琴線に触れたかは分からないが、カミーオを諫めておきながら、自分が失言するという失態以前に、そもそもが、本人達がいる場で陰口を叩くこと自体が間違っていたのだと、トラーオは後悔の念に苛まれる。
ラキュアは俯いているので、その表情を窺い知ることは出来ないが、却ってそれが、トラーオの恐怖心を煽っていく。
「は、はいぃ! も、申し訳ございませんでしたぁ! 俺如きが立場も弁えずに余計な詮索など……。
な、何卒ご容赦を……!」
上擦った声で許しを請うトラーオの身体は、ガタガタと震えており、カミーオは、お盆を盾にして縮こまっている。
「……違う、そうじゃないの。
あたしは、“詳しく聞かせて欲しい”と言ったのよ?
それなのに、そんなに怖がられたら傷付くじゃない? 前から止めてって言っているのに……。
だから話しやすいように、近くに来て聞かせてよ。……ね?」
そう言い、トラーオに向けて微笑みかけるラキュアの目は……まるで笑っていなかった。
(お……終わった……)
トラーオは処刑台に赴くかのような重い足取りで、今までの人生?を振り返るのだったが、処刑執行人の元に辿り着いても、その時は一向に訪れない。
本当に話を聞きたいだけなのだろうか?
ただ、先程カミーオに話した以上の内容は、トラーオも知らないため、しどろもどろにその旨を伝えれば、残る疑問は真相を知る本人――ドラクロワから聞き出すしかない結論に突き当たる。
つまり親父に注目が集まるのは、自明の理であったのだ。
どろぼう猫を蔑むような目で、愛娘から睨まれた父親は、何が地雷か分からぬまま、ありのままを話すしかなくなってしまったのである。
ドラクロワにとってラキュアは、何者にも代え難い宝だが、だからと言って、父親の威厳も捨て難い。
愛娘に言われたことで落ち込んで、人間に慰められたことを暴露するなど、断腸の思いだった。
「ぷっ……だっせっ」
一区切り話し終えたところで、聞こえてきた嘲笑は、カミーオのものだろうか?
後で殺すと誓いながら、ドラクロワは話を続ける。
『ドメスティックマーメイド』の詳細については、特に話す必要性を感じなかったので割愛し、酒場でジェイムスと親交を深め、互いに師事する約束をしたことだけを、動機を含めて説明する。
流石に反抗期の娘を『わからせ』ようと企んだ下りは言えなかったが……。
娘に言われたことを真に受けて、人間に教えを請うなど、幻滅されてもおかしくないと思ったが、意外なことにその話をしていく過程で、仏頂面だったラキュアの表情が、明るいものへと変わっていく。
「え? ちょっと待って。
それって、定期的にジェイムスが遊びに来るってこと? コッチのためじゃなくて?」
そう言うと、ラキュアは左手の甲を右頬に当てる仕草をする。
「いや待てラキュアよ。我とあヤツがホモ関係なワケがなかろう?
それと、遊びではなく剣術の訓練をしに――なのだが?」
「だって、隣でジェイムスが寝てたってパパが言うもんだから、あたしはてっきり……」
「……確かにあヤツは我の隣で寝てたぞ? 酒場で酔い潰れてだがな」
「…………」
それを聞いたラキュアは嘆息した後、つかつかと対面の席にいるドラクロワの元まで向かうと――
「言い方ぁ!!」
ズビシィと痛烈なツッコミを、彼の後頭部へ入れるのであった。
後頭部を擦りながら、ドラクロワが「どうしたものか」と目を泳がせていると――
「……でも、ジェイムスが遊びに来るように取り計らうなんて、なかなかやるじゃん、パパ」
意外にも褒められた……。
だが、そんなにジェイムスと会えることが嬉しいのだろうか?
正直複雑だったが、喜んだ勢いでラキュアが抱き着いてきたので、一先ずは良しとする。
「だ……だから、遊びではなくて剣術の訓練をだな……」
突然の愛娘のデレ行動に、鼻の奥がツーンと痛くなるドラクロワだったが、照れ隠しになんとか言葉を絞り出す。
すると抱き締める力が、心なしか強くなり――
「……そんなのどっちだっていいの。いいえ、良くないけど、言いたいのはそんなことじゃなくて……。
あたしもパパの気持ちを考ないで、色々と言い過ぎちゃって、その……ごめんね?」
――などと、しおらしくラキュアが謝まってきたではないか……!?
「……我、泣いても良いだろうか?」
「…………それはキモいから止めて」
――俺達はいったい何を見せられているのだろう?――
カミーオとトラーオの二人は、この場から早く立ち去りたい気持ちでいっぱいだったが、その思いも虚しく、後にカミーオだけ『マーメイドクラッシャー』を喰らったことは、言うまでもないだろう……。
宙に吊り上げられたところで、ラキュアが止めてくれたので、カミーオは一命を取り留めたようです。




