マーメイドクラッシャー娘ver.
「見苦しいぞジェイムス!」
「あ……あぁ……」
ドラクロワの殺気に、蛇に睨まれた蛙のごとく萎縮するジェイムスであったが、このまま動かなければ殺されかねない。
幸いにも今は、ドラクロワが席の奥側で自分は手前側と、距離を取りやすい位置関係だ。
腕にしがみつくマーリンには悪いが、振りほどいて離れようと試みる。
――が、まるで万力で固定されたかのように体が動かない。女性とは思えない、とてつもない力だ。
「マ、マーリンちゃん、離してくれ!」
ジェイムスの必死の呼びかけに、彼女は応じない代わりに言葉で答える。
「はあ? マーリンって誰よ?」
「っ!?」
いつの間にか腕にしがみついていた人物が、別人にすり替わっているのはどういうことか? 頭が混乱する。
……虚ろな目でこちらを見上げていたのは…………ラキュアだ!?
「ねえジェイムス。あなた、あたしのこと好きだったんじゃないの?
それなのに、違う女に鼻の下伸ばしちゃって……いっぺん死んでみる?」
「ち、違うんだラキュアちゃん。 私は君のことが――」
「いいよ、聞きたくない。
ねえパパ……もうこんなやつ、殺しちゃってもいいからね?」
そうこうしているうちに、席から立ち上がったドラクロワがゆらりゆらりと、近付いてくる。
そして、死を誘う掌が、顔を掴まんと眼前に迫ってきて――
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
絶叫と共に、ようやく体が動いたジェイムスは、ガバっと勢い良く上半身を起き上がらせた。
「ハァ、ハァ……」
辺りを見回してみると、ドラクロワもラキュアも忽然と消え去っており、いつの間にか周囲の景色は自室のものへと変わっている。
「……なんて夢だ……」
顔を押さえ、荒くなった呼吸を落ち着けていると、徐々に先日の記憶が甦ってくる。
そう……あの後、『ドメスティックマーメイド』のマスターが、「お客様、当店自慢の“デモンストレーション”は如何でございまチュルか?」――と、調子を合わせ仲裁に入ってくれたため、事なきを得たのだった。
仲裁というよりかは説教だったが……。
ドラクロワ、ジェイムス、マーリンの三人は、バックヤードに連行されると正座させられ、暴力沙汰は出禁、従業員に手を出しても出禁、客に手を出したらクビ――と、各々で警告を受けたのだ。
シュンと小さくなって、大人しくし聞いているドラクロワが印象的だっが、意外と常識人なのか? あるいは、マスターの圧に恐怖を覚えたのかもしれない。
マスターはシルクハットにステッキ、上半身裸に貝殻のニプレス、下半身はブーツカットのレザーパンツ――といった奇妙な出で立ちで、語尾に「チュル」を付けるホモっ気のある変人なので、後者の可能性が高い。
「ドラちゃんは、いい男なのに悪い子でチュルね~」と、マスターが舌舐めずりしながら、ステッキで頬をペシペシ叩いても、目を泳がせて黙っているだけのドラクロワには驚きだったが、こちらを説教するときも、「手を出すのが私にであれば、熱烈に歓迎したんでチュルがね~」などと宣い、厭らしい目で見てきたのは、流石に勘弁して欲しかった……。
――まあ、兎にも角にも助かった。
暫くして三人は解放され、ジェイムスは、マーリンに気持ちが無いことをドラクロワに伝え、当初の予定通り、彼の機嫌をとることに注力したのだ。
マーリンがシクシク泣いていて心が痛んだが、致し方あるまい。マスターの言う通り、所詮自分は大勢いる客のうちの一人で、マーリンはスタッフのうちの一人――というだけの話で、実際、彼女との間には何もなかったのだから……。
流石にラキュアが気になっていることは時期尚早……というか、恐ろしくて言えなかったが、ドラクロワにも思うところがあったのか、そこには触れてこなかったのは助かった。
会話を続けていくうちに、何がどうなったのか、定期的にドラクロワの館に訪問して、剣術を指南することを約束してしまった。
ドラクロワと自分との実力差から考えて、必要があるとは思えなかったが、『呪いの魔剣士』を名乗っているのも関わらず、剣を使わない馬鹿――と、ラキュアに罵倒されたことが、ドラクロワには相当堪えていたらしく、真っ当な剣術を学んで彼女を見返してやりたいのだとか。
「その恥ずかしい二つ名を辞めれば良いだけなのでは?」――と、ジェイムスは思わずにはいられなかったが、刺激せずに黙っておくことにする。
強力な吸血鬼は高い身体能力が仇となり、戦闘技術が疎かになりがちなため、先んじて技術を習得すれば、娘にだって勝てるかもしれない――などと、ドラクロワが意味不明なことを言っていたので、よくよく聞いてみたところ、驚くべきことに素の能力はラキュアの方がドラクロワより上らしい。
ジェイムスの頭に、あの時のラキュアの言葉が反芻される。
「言っとくけど、あたし、パパより強いから」
あれは彼女が健気にも強がっているだけだとばかり思っていたし、あの可憐な少女がドラクロワより強いなど、とてもじゃないが信じられなかった。
だが、思い返してみれば、見事なアッパーカットで親父をノックアウトしていたのも事実だ。
ドラクロワの様子からも、冗談を言っているようには思えなかったし、それどころか、反抗期の娘を『わからせ』てやるなどと、息巻いてる始末だ。
――ということはだ……あのまま戦っていれば、彼女を手に掛けるどころか、返り討ちになっていたのは自分の方だったのだ……。
二重の意味でラキュアに守られていたという衝撃が、ジェイムスにのし掛かる。
なんて、情けないのだろう……。
もし彼女と交際できたとして、この先もずっと守られ続けるのだろうか?
いいや、そんなワケにはいかない。
ジェイムスは、ドラクロワの頼みを聞く代わりに、自分にも稽古をつけて欲しいと申し出るのであった。
彼女を守れるような強い男になると、心に誓い。
もちろん、ラキュアに会える口実ができるといった、下心もあったのだが……。
――かくしてここに、歪な師弟関係が爆誕することとなる!!
────────
──────
────
──
そこまで思い返したところで、ジェイムスは自分が何故、自宅のベッドで寝かされているのかまでは、思い出すことができないでいた。
あの後、深酒して記憶を失ってしまったのかもしれないが、誰かが、自宅まで連れてきてくれたのだろうか? まさかドラクロワが……?
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
時は少々遡り――
一向にジェイムスが部屋に現れないことに対してラキュアは、“仮”に彼が自分のことを好きになったとしても、今日の今日で進展するだなんて、少し気持ちが先走りしすぎたのでは?――と、ちょっぴり落ち込んでいた。
そしてそんな弱気な自分にツッコミを入れる。
(大体が“仮に”って何よ? もうジェイムスは、絶対あたしのこと好きになってるもん! 部屋に来ないのは、恥ずかしがってるだけだもん!!)
――などと思いつつ、やはり期待を捨てきれないので、大好きな人魚姫の童話を読んで、悶々とした気持ちを紛らわせることにする。
眠い眼を擦りながら人魚姫物語を読んでいるうちに、ある最悪の考えがラキュアの頭を過ぎった。
物語の結末――人魚姫が愛した男が、傷心の末に取った行動は、海に身を投げて自殺してしまうというものだ。結局、人魚姫の恋も実ることはない。
ラキュアはそんな人魚姫物語の儚さが好きだったのだが、それは所詮他人事だからだ。
物語の結末を、今の自分の状況に置き換えて考えてみると、途端に胸が苦しくなって涙が溢れ出てくる。
ジェイムスは家族の真実を知って、傷心していた。
もしかしたら、あの男のように死を選んでいる可能性だって充分に考えられるのだ。
それなのに、自分は何を浮かれて期待していたのだろう?
焦燥に駆られたラキュアは『遠見の術』を使用し、ジェイムスの居場所を探ってみるが、術の範囲外なことを確認すると、衝動のままにすぐさま屋敷を飛び出した。
(ジェイムス、お願いだから死なないで! 好きになってくれなくたっていいから)
止めどなく溢れてくる涙を拭いもせずに、月明りを背に街道までひた走る。
街道に到着して再び『遠見の術』を使用するが、やはり反応がない。
ジェイムスはいったいどこに行ってしまったのだろうか? 帝国方面か、王国方面か?
どちらに進むべきか判断がつかずに、途方に暮れていると、街道の先から人の気配を感じる。
この無駄に大きい魔力はドラクロワのものだ。
ラキュアは、ふらりふらりと千鳥足でこちらに向かってくる彼に詰め寄ると――
「パパ! ジェイムスは? ジェイムスを見なかった?」
――と捲し立てる。
この親父は酔っぱらっているのだろうか? 愛娘の必死の剣幕に対し、全く緊張感のない様子で、上機嫌にこう答えた。
「おお~我が愛娘ラキュアよ~。
あヤツなら先程まで~、我の隣で寝てたぞ~?」
「…………………………………………」
「……どうしたのだラキュアよ~? 聞こえなかったのか~? あヤツなら我の隣で――」
「おーまーえーかあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッッ!!!!」
闇夜を深紅に光る瞳の残光が奔り、黒衣の少女が『呪いの魔剣士(笑)』に踊りかかる!
少女は父親の顔面を掌で掴むと、その勢いのまま地面に叩き付け、掴んだ手を離さぬまま、地面を抉りながら疾走する。
大人が十人手を繋いで、ようやく囲える程の大木が近付いてくると、再び持ち上げた父親の後頭部を、それにめり込ませた。
哀れ、メキメキと悲鳴を上げながら、倒れ行く大木。
視界にチカチカと綺羅びやかな星が舞い散る中、ドラクロワはこう思った。
「我、何かした?」
ワケの分からぬまま『わからせ』られたのは、どうやら反抗期の娘ではなく、父親の方だったようだ……。
『ドメスティックマーメイド』で飲んでいるうちに、ジェイムスはドラクロワの隣で、酔い潰れて“寝て”しまったようです。
その後ドラクロワは、酩酊するジェイムスをおぶって、覚束ない彼の証言を頼りに、家まで送ってあげたというのに、この仕打ちです(笑)