ドメスティックマーメイド
家族を悪し様に言われた彼は、案の定、怒りに肩を震わせ、ラキュアを睨みつけると――
「出鱈目を言うな! 父上と兄上がそんなことをするものか! もはや、このような問答は無意味!
押し通らせてもらう!」
そう言い放ち、大剣を構えて臨戦体勢を取る。
(ちょ、ちょっと待って! やっぱりダメ!
そんな目で見られたら、あたし耐えられ……
あれ? でもなんだか……ハァ、
ゾクゾクして、きたかも……)
一時あれだけ恐れていたはずの、彼から向けられる敵意の視線は、やはり胸が握り潰される程の圧迫感ではあったが、それが直前にまで感じていたときめきと綯い交ぜとなり、今のラキュアにとっては、吊り橋効果のような妙な高揚感へと昇華されていた。
だが、ここで正気を失うわけにはいかない。
今こそが、二人の今後を占う上での、重要な分水嶺なのだから。
足をプルプル震えさせながらも、手で「待った」をかけるように彼を制止し、次の言葉を紡ぐ。
「……しょうがないなぁ、疲れるからあまりやりたくなかったんだけれど、『復刻の呪文』で真実を見れば、あなたも信じると思う」
ラキュアの言葉にあった、『復刻の呪文』とは、過去の出来事を映像として再現する魔術なのだが、『遠見の術』や『短距離転移の術』とは、少々毛色が異なる。
無数にある世界の記憶に干渉し、普遍の法則を捻じ曲げるには、魔力、体力の消費が莫大なものとなり、詠唱も必要となってくるのだ。
因みに “しょうがない”というのは、半分本当で半分嘘。
如何に消耗しようとも、それをしなければ計画はご破算――彼を信じさせることができないからだ。
大気中の魔素を取り入れるための呼び水として、ラキュアは体内で魔力を練り上げつつ、詠唱を読み上げていく。
彼は手出しこそしないものの、その様子を訝し気に窺っている。
(クッ……だから……そんな目で見ないでってば!)
「ユーティ ミャーオー キムンコウ ホーリー ユジーン ヤマトリ アキューラ べべべーべ べーべべ
時の彼方に忘れ去られし森羅万象の記憶よ。
今一度、その一端を垣間見せたまえ。
『記録復元』」
なにやら、ローレシアの王子が復活しそうな詠唱が終わると、何もなかった空間に、ゆらゆらと陽炎が立ち昇るように、映像が投影されていく。
ラキュアの寝室に、あの二人が忍び込んだ時の映像だ。
「ヒュー、噂と違い美女ではなくとも美少女とは、なかなか乙なおもてなしじゃねえか!
若干詐欺だが寧ろ俺の好みど真ん中に炸裂っていうかぁ?
悪いが親父ぃ、これは俺が先に味見をせざるを得ないなぁ!」
「……うむ、それもまた良し」
「あ……あぁ……
い……嫌ぁ、来ないでぇ!」
「ハッ、ほざけ! すぐに忘れられない名にしてやるぜ。
このサードマンの名をなぁ!」
「やめてぇ! 嫌あぁ!!
や……やめ、やめて……ください、おねがい……します……
ぐす……うぅ」
――はて?
映像に対する会話の流れが、やや不自然なのは、どうしたことか?
台詞だけ聞くと、まるで野盗に襲われる令嬢といった風情ではないか。
真相は、彼の義憤や憐憫を誘うために、ラキュアが自身の台詞を改竄、追加して“か弱さ”とやらを、演出したためなのだが――
うむ……実に汚い。
大体が、お前のキャラちゃうやろ!
因みに、怯えるオッサンを脅迫する場面はカットされていた……。
――映像の再生が終わり、少々盛られた真実を知った彼は、剣の切っ先を降ろし、項垂れる。
もうそこに、戦意は窺えなかった。
『復刻の呪文』による疲労に苛まれはしたが、あれほど復讐に燃えていた彼が消沈した姿は、「キャイ~ン」と、子犬が踏みつけられたかのような、胸の痛みをラキュアに覚えさせる。
そんな母性本能にも似た、庇護欲に抗いながら、ラキュアは彼の意思を確認する。
「その様子だと分かってくれたようだから、改めて聞くね? まだ復讐を続ける気?」
ラキュアの問いに、ジェイムスの胸に、かつての父と兄との思い出が去来する。
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「ハア、ハア……
父上、兄上、流石です。
悔しいですが私では、まだお二人の腕前には及ばないようです」
「うむ、だが良い剣筋だぞジェイムス。このまま精進するといい」
「まぁ、筋は良いとは言っても、ジェイムスちゃんの剣は素直すぎんだよなぁ。
搦め手も覚えていかないと、俺ちゃんの剣には届かないぜ? 股間の剣もなぁ」
「っ!? 股間は関係ないでしょうに!!
全く、剣術の話をしているというのに、兄上と来たら……
父上も何か言ってくださいよ」
「ハッハッハ、まぁ良いではないか。搦め手を覚えた方が良いのは本当だしな」
「だってよぉ、ジェイムスちゃん。ギャハハハ」
「グッ……」
――ジェイムスは度々二人に稽古をつけてもらっており、ただの一度も勝てたことはなかったが、感謝はしていたしその強さに憧れもしていた。
だが思い返してみれば、彼らとの記憶は稽古のことばかりで、騎士の務め以外の顔を知らなかった。
それがまさか、可憐な少女を手篭めにしようとするなどという、民を守るべき騎士に在るまじき蛮行に及んでいようとは、夢にも思わなかった。
恐らく今回が初犯ではないだろう。
犯人不明の婦女暴行事件が数年前から続いていると、騎士団詰所に報告が寄せられることが度々あったのだ。
ジェイムスの中で、二人との思い出が、ガラガラと音を立てて崩れ去っていく。
私は今まで何を見てきたのか?
私は何ということをしてしまったのか?
――尊敬していた男達が、とんだ下衆だったと見抜けなかったこと。
そんな下衆共に、己のの実力が劣っているという歯痒さ。
相手側の事情を知りもしないで、“仇討ち”などと、盗人猛々しくも攻め入ってしまったこと。
『復刻の呪文』とやらの映像で見た、二人が『マーメイドクラッシャー』で屠られる様から感じ取れた、ドラクロワの底知れぬ強さ。
そんな到底敵わない化物に、愚かしくも勝てる気でいたこと。
恐らくだが、そんな自分がマーメイドされぬよう身を案じて、懸命に命を救ってくれようとした少女。
身勝手にも、そんな彼女を手に掛けようと、暗い覚悟を決めたこと――
そういった数々の過ちを自覚したジェイムスの精神は、虚無感、罪悪感、自己嫌悪――といった、様々な負の感情に蝕まれていく。
真っ先に謝罪するべきなのに、茫然自失として言葉が出てこない。
「復讐を続ける気か?」といった彼女の問いに、ようやく絞り出した答えは、
「……いや、もういいんだ……」
――という投げやりなものだった。
今のジェイムスには、それが精一杯だった。
俯いているので、様子を窺い知ることはできないが、黙って見守ってくれていたであろう彼女は、その答えに対して、
「……そう……良かった! まあそんなに落ち込まないで?
……生きていれば良いこともあるから……ね?」
――と、優しい口調で返してくれた。
(女神かよ……)
「だが良いことなんて、この先訪れるのだろうか?」――などと、後向きなことを考えていると、彼女の気配が近付いてきて、頬にしっとりした感触を覚える。
驚き顔を上げると、そこには頬をほんのり紅く染めて、モジモジとしながら微笑む彼女の姿があった。
ジェイムスは、自分の心臓がドキリと跳ね上がのを感じる。
「……ラキュア……私はラキュアよ? あなたの名前は?」
「……ジェイムス……だけど」
先程とは違った意味で頭が真っ白になったジェイムスは、彼女の問いに、またしてもそう答えるのが精一杯だった。
「ジェイムス……良い名前ね。
それじゃあ、あたしは寝直すけど、気を付けて帰ってね。 またね? ジェイムス」
そう言い残し、彼女は手をヒラヒラと振ると、弾むような足取りで大扉から去っていく。
ジェイムスは、ただその様子をボーっと眺めていることしかできないでいた……。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
(やった。やってやったわ! イャッハァァァァァァァァァ)
高鳴る鼓動と牙の疼きを誤魔化すために、ラキュアは胸と口を各々の手で押えながら、自室に向かっていた。
恥ずかしさが限界を迎え、大広間を後にしてしまったが、これで良かったのだと確信している。
あれ以上あの場にいたら、どうにかなってしまいそうだったし……。
それにしても、ジェイムスの頬に口付けをした時が、一番危なかった……。
目の前に迫った無防備な首筋に、牙を突き立てたい衝動を押さえつけるのが大変だったし、「先っちょくらいなら許されるのでは?
……いやいや、それは最後までやるヤツの常套句」――などといった、おバカな葛藤が凄まじかったのだ。
だが堪えた甲斐あって、先程の自分は、間違いなく魔性の女だった。ジェイムスは完全に堕ちたハズ……。
(もしかすると、早速今夜にでも部屋に訪れて……グヘヘ)
寝室に辿り着いたラキュアは、裁縫セットを取り出し、ベッドに腰掛ける。
そして、足をパタパタと上下させながら、自ら破いた王子抱き枕を繕い始めるのだった。
このまま眠れるわけがないし、ジェイムスが部屋を訪れるのを待つ時間潰しに、丁度良い。
(来るわよね? 絶対来るわよね?
……ジェイムスと、家族になれたら嬉しいな……)
ラキュアの頭の中は、幸せでいっぱいだった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
――一方その頃――
「いやいや、うちの腐れ親父共と比べれば旦那の方がよっぽどまともっすよ!」
「……そうなのか? ラキュアはああ言ってたが?」
「いやいや、一過性の反抗期、もしくは愛情の裏返しってやつですよ!」
「……そういうもの……なのか?……我の心は今にも張り裂けそうだというのに」
ラキュアの思惑通り、ジェイムスの心は、完全に彼女に傾いていたのだが――
ドラクロワの強さと、娘ラブっぷりを思い知ったジェイムスは、下手にラキュアに近付こうものなら、『マーメイドクラッシャー』の餌食になりかねないと、まずは父親から堕とそうとしていたのだ。
「まぁ、あれっすよ! こういうときは飲むに限ります。僕、良い店知ってるんで紹介しますね!」
そして、なぜだか口調が変わっていた……。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
――街道沿いに樹海を抜けた先にある、帝国辺境都市の歓楽街――
嵐もすっかり明けた現在の時刻は夜。
淡く発光するピンクのネオンで、屋号が書かれたそのイメージパブの名は、『ドメスティックマーメイド』という。
どことなく怪しい雰囲気を醸し出すその店に、ジェイムスとドラクロワの二人は訪れていた。
店内の中央には、店の半分以上もの面積を占めるガラス張りの水槽が据え置かれており、その中を、“人魚”のコスプレをした、“人間女性”達が優雅に泳いでいる。
水槽の全体像を俯瞰するとカウンターがある場所以外は、歯車のような形状になっており、その突起部分を挟むようにして、長机と椅子が設置されている。
客が入れば人魚達が各々の席に赴いて、“家族”のようにフレンドリーに給仕対応する――というのが、この店の趣向のようだ。
水槽のすぐ内側近くには、一段高い段差が設けられており、そこに人魚が座って、給仕しやすい仕組みとなっている。
因みに、指名はできるがお触りは禁止である。
ジェイムスがこの店をチョイスした思惑はこうだ。
ドラクロワはラキュアにボロクソに文句を言われて、自信を喪失している。
その内容に、ジェイムス自身も思うところがなかったワケではないが、それを諫めるのではなく、認めてやるのが、傷心のドラクロワを慰め、懐柔する一歩ではないかと――そう考えていたのだ。
そのためには、己もマーメイドに染まる必要があるため、この店はドラクロワとの親交を深めるには、ピッタリの店だったというワケだ。
まあ……染まるも何も、ジェイムスは元々この店の常連だったのだが……。
「クハハ……、なんとも趣深い店ではないか!
我は今まで形ばかりで、真摯にマーメイドと向き合ってこなかったが、そのようなことでは、真にマーメイドを愛す我が愛娘に愛想を尽かされるのも当然というもの……。
つまり、ここでマーメイドについて学び直し、ラキュアの心を取り戻せというワケだな?
クハハ……ジェイムスよ、貴様なかなかにやるではないか! その心遣いに感謝するぞ? クハハハ」
席に着き給仕を待っている間、ドラクロワはそう言い、ジェイムスの肩をバシバシと叩いてくる。
まだ飲んでもいないのに、この親父は酔っ払っているのか? 無駄に機嫌が良い。
まあ、思った以上に好意的に捉えられたのは僥倖だったが、予想とは明後日の方向性に、ジェイムスは内心苦笑する。
「え、えぇ……まぁ、そんなところです。
ですが、言わずとも趣旨が分かってしまうとは、流石旦那ですよ」
とりあえず、適当にそう合わせておく。
――暫くして数名の給仕が訪れ、酒と料理が出揃ったので、ジェイムスが乾杯の音頭を取ろうとすると、この期に及んでドラクロワが「乾杯!」ではなく、「いただきマーメイド」と合掌する。
先程、自ら言ったことが、全く反映されていない気もするが、なぜだかマーメイド達に大ウケしている。
「アハハー、なんですかそれー? ドラクロワさん最高なんですけど!」
「ウフフ、いいですねその挨拶。今度から当店でも使わせてもらって構いませんか?」
「うむうむ、そうであろう人間の娘達よ? この挨拶の良さに気付くとは、貴様等なかなかに分かるではないか、クハハハ!」
(え……えぇ!?)
予想外に“いただきマーメイド”がウケたことにジェイムスが唖然としていると、一人?のマーメイドが水槽から乗り出してきて、ヒシッと腕にしがみついてくる。
「ちょ……ちょっと、マーリンちゃん!? この店、お触り禁止でしょう?」
慌ててそう抗議するも――
「こちらからなら良いんですよ。
それに……、最近ジェイムスさんが来てくれなかったから……私、寂しかったんですよ?」
マーリンと呼ばれたマーメイドは、そう言い、潤んだ瞳で上目遣いに見つめてくる。
「……マーリンちゃん……」
そんなラブな気配に、周りのマーメイド達から「キャー!」と、黄色い喝采が上がる中、親父の額には、ビキビキと血管が浮かび上がっていた。
「……ほう……ジェイムス貴様、なかなかのスケコマシ男のようだな?
もしや、ラキュアが気があるやもと気を揉んではみたが……まさかその気持ちを踏みにじられようとは……。
これは我が直々に指導してやらねばなるまいて!」
悪寒を覚えたジェイムスが、ギギギ……と首を回し、ドラクロワの方を確認してみると、バキバキと拳を鳴らし、ジト目の奥から凄まじい殺気を放っている。
「ひっ!? いや、違うんです旦那! これはこの店のデモンストレーションでして、僕は決してそのような……」
「ジェイムスさん酷いです! そんなサービス、ウチにはないですぅ」
「見苦しいぞジェイムス!」
「あ……あぁ……」
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かくして『ドメスティックマーメイド』の夜は更けていくのだが、一方ラキュアは、未だに眠れぬ夜を過ごしながらも、こう思っていた。
「解せぬ!」と……。
一先ずこれにて完結です。
読んでいただいた皆様、ありがとうございました!
続きは書くつもりではあるのですが、形にならない可能性もあるため、エタ防止にキリの良いところで完結表記にいたしました。
ジェイムスの明日はどっちだ?




