追憶と仮初のマーメイド
「何やら騒がしいと思って来てみれば……ちょっと聞き捨てならないわよね」
まず最初の発言はこれだ。
語尾になんでもかんでもマーメイドを付けるような、ボキャブラリーの乏しい親父と自分は違うのだと、アピールするところから始めなくてはいけない。
平行して、こちらが最初から好意全開だなんて“彼”に知られたら、死ぬ程恥ずかしいので、腰に手を当てた勝ち気なポーズで、「あくまで、聞き捨てならないだけなんだからね!」――といったスタンスを見せることも忘れない。
目を合わせると、顔が火照ってしまいそうなので、視線を向ける場所は、彼とドラクロワの中間あたりを意識する。
先程まで、敵意の目で見られたらどうの――などと、怯えていたのが嘘のような変わり身の早さであるが、本当は気になって仕方のないラキュアは、目の動きだけで彼の様子を、チラッ チラッ と観察する。
最初は驚いた様子で、こちらを窺っていた彼だが、その精悍な顔つきが、次第に弛緩したものに変わっていく様を確認したラキュアは、「イヤッッホォォォオオォオウ!! 勝利の女神様ありがとう!!! 愛してる♡」と、心の中でガッツポーズを決める。
「おお! 我が愛娘ラキュアよ。起こしてしまったか? それともパパを応援しに来てくれたのかな?」
(うるせー、てめぇは喋んな!)
分かってはいたが、その予想通り、猫なで声でご機嫌を窺ってくるドラクロワに、再び余計なことを言われては敵わないと、内心毒づきながら反論に出る。
「違うわよ! パパは勘違いしているようだし、そこのイケメンに誤解されるのも恥ずかしいから、釈明しに来ただけ。
言っとくけど、マーメイドの挨拶の下り、パパが勝手に言ってるだけだからね!」
前半は、然り気無く彼の容姿を褒めることで、好意をアピールすることと、男の自尊心を満たして好感度を上げることが狙いだが、後半は嘘である。
いや、半分本当だが、ドラクロワからしてみれば――
帰宅時に『ただいマーメイド』と言えば、『おかえりマーメイド』と、笑顔で迎えてくれて――
食前食後には、「パンッ」と小気味良い音で合掌し、『いただきマーメイド』『ごちそうさマーメイド』と笑い合う。
そんな心の安寧を齎してくれる愛娘の、突然の裏切りに、さぞ動揺したことだろう。
いったいなにがあったのか? と、真意を確かめたくなるのも、当然だと言える。
……実際のところ、ラキュアは決して朗らかな笑顔で対応したことはなく、寧ろ嫌々だったし、度々苦言を呈したりもしたのだが、ドラクロワの“娘大好きフィルター”を通しては、全てが好意的に変換されて映っていたのだ。
一方ラキュアは――
ウザイし人の話を聞かないけれど、いつでもあたしを一番に思ってくれるパパ……
嘘をついたことで、そんな父親と共有した、寒くも優しい時間が脳裏をかすめ、胸がチクリと痛んだが、同時に相反する感情が沸々と沸き起こってくるのを、押さえることができなかった。
(それなのに……よりにもよって……どうしてここに来て足を引っ張るのよ!)
「そんなことはないだろう? 昔からラキュアはマーメイドが大好きじゃない――」
(ほら、また余計なことを言いくさって!)
これ以上は喋らせまいと、馬鹿親父の口を塞ぐため、ラキュアは短距離転移の術を用い、ドラクロワの眼前に瞬間移動すると同時に、不意打ちのアッパーカットを決める。
「ぶべっ」
哀れにも、最後まで言い終えることもできずに、宙空を風車の如く一回転半回った勢いのまま、ドラクロワはうつ伏せに倒れ伏す。
「黙れマーメイド親父」
自分のことを棚に上げ、よく人のことをマーメイド呼ばわりできたものだが、ドラクロワにマーメイドを擦り付け、自分への疑いを逸らすためには、有効な手段……なのかもしれない。
あわよくば今の一撃で、意識を刈り取れれば良かったのだが、ドラクロワは頑丈だ。
この程度では大したダメージにならないことは分かっていたので、精神攻撃で黙らせることにする。
ラキュアは瞑目すると、これまでに言いたくても言えなかった――伝えたくても伝わらなかった――鬱屈した思いを吐き出すために、大きく息を吸いこんだ。
そしてカッと目を見開くと同時に、一気に解放する。
「ええ、たしかに小さい頃は、人魚姫の御伽噺が好きだった。 いいえ、今でも好きだけど、それとこれとは話が別なの……
子供が好きだと言ったものを、馬鹿の一つ覚えみたいに言い続けて、いつまでも関心が惹けるなんて思ったら大間違い。
いい加減萎えるから止めてって言ったはずなのに、パパったら技にまでマーメイドとか付けちゃって馬鹿じゃないの?
それに、呪いの魔剣士って何? 厨二病?
いいえ、小学生でもそんなダサい異名は思いつかないわよね?
そもそも、戦闘スタイルが素手格闘なのに魔剣士って何? 馬鹿なの?
あと、秘技とか言ってるけどパパの使う技、いつも同じじゃん。秘技じゃないじゃん。
それから、技に無駄が多すぎ。
あたし達は吸血鬼なんだから、相手に触れるだけで生命力を吸い取れるのに、わざわざ顔を掴む必要はないし、触れただけで勝負が決まるのに、燃やして強制転移とか無駄に効果を付けすぎ……やっぱり馬鹿なの?
あと最後に……パパの洗濯物、私のと一緒に洗ったら殺すから!」
……流石にこれ程までの暴言の波状攻撃を喰らえば、分厚く高い耐久力を誇っていた“娘大好きフィルター”といえども、ひとたまりもなく、ドラクロワの精神――そして愛娘の笑顔と共に、粉々に砕け散る。
話してる途中で再び、嬉しそうにドヤる、かつてのパパの笑顔が脳裏をちらつきはしたが、躊躇いなく振り払い、最後まで言い切ったことで、長年悩まされてきた肩凝りが、一気に解消したかのような爽快感を覚えたラキュアは、再び瞑目すると「きんもちいい~」と大きく伸びをする。
それにしても……“ミステリアスで思わせ振りな、大人の女性”として、これはどうなのだろうか?
状況がある意味ミステリアスではあるかもしれないが、端から見てこれは、“親に反抗する年頃の娘そのもの”にしか見えない気がする。
……まあ、薄々とやらかしてしまったことはラキュアも自覚していたらしく、とりあえず可愛く誤魔化しとけば大丈夫――と、唖然とする彼に向けてバチコン☆ と渾身のウィンクを決めることにしたようだ。
「……う……うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
今まで娘と過ごしてきた数十年――掛け替えのない愛しき日々が、全て仮初のものだったと知り、最愛の妻を失った時か、それ以上の深い悲しみに襲われたドラクロワは、頭を掻きむしりながらの絶叫を響かせた後、その場に突っ伏し、嗚咽を漏らすことしかできなかった。
そしてドラクロワを絶望の淵へと叩き落とした張本人はというと……
(ごめんねパパ♡)
――といった心の声とは裏腹に、ンベっ と舌を突き出していたのであった……。
今話の迷言。
①「人のことをマーメイド呼ばわり」
②「マーメイドを擦すり付ける」
他にもあるかもしれません。
ドラクロワの記憶通り、食前食後の合掌はラキュアもやっています。
ウチは食前だけマーメイドしています。
皆さんもやりましょう。
いや~、今話は書いてて胸が痛みましたね~。
割と本気で(笑)




