マーメイドに侵されたイカれた一家
どうロマンチックに二人の出会いを演出しようか?――などと、お気楽なことを考えながら、二人の会話に耳を傾けるラキュアであったが、すぐに、そんな悠長なことを、言っていられない状況であることに、思い至る。
“彼”にとって、これは家族の仇を討つために始めた戦いであり、自分はその“憎き仇”の娘なのだ。
ノコノコと出て行ったところで、良い印象を抱かれないことは、確定的に明らか。
だが、モタモタしていれば戦いが始まってしまい、『マーメイドクラッシャー』に顔面を挟まれた彼は、その人生に幕を下ろすことになるだろう。
(嫌……彼に敵意の眼差しを向けられるなんて、とてもじゃないけど耐えられない!
でもこのままじゃ、彼がパパに殺されちゃう!
どうしよう……あたし、どうすれば……)
ラキュアの下瞼に、じわりと涙が浮かぶ。
そんなジレンマに懊悩する中――
「さぁ、後悔しながら父と兄の後を追うが良い!
呪いの魔剣士たる我が至高の秘技、
『マーメイドクラッシャー』で焼かれてなぁ!!」
――と、芝居掛かったドラクロワの言葉が、まるで彼との死別を宣告しているように思えて、ラキュアは覚悟を決めて二人の間に割って入るかを逡巡するのだったが、直後に響いた雷鳴に、ビクッと体を硬直させて思考を中断させてしまう。
面識もない相手に、“死別”とは、少々鼻につきはするが、まあ、それはさておき――
ラキュアは「しまった!」と思うも、まだ戦いは始まっておらず、彼がおかしなことを言うのを耳にする。
「……聞こえたが聞こえなかった……
きっと雷のせいだ。もう一度言え」
聞こえたのに聞こえなかったとは、どういうことか?
雷が鳴ったのは、ドラクロワが喋った後だというのに。
よく分からないまま、彼らの口論という名の戦いが始まる……
「何を言っている? 挑戦を受けてやると言ったのだ。まさか今更になって怖じ気づいたとで――」
「違う! そうじゃない! そのダサい技名は何だと言っているんだ! 何がマーメイドだコラァ!」
「『マーメイドクラッシャー』のどこがダサいのだ! 我が徹夜で考えた技名を愚弄する気か!?」
――ああそうか。
“彼”の剣幕に驚きつつも、ラキュアは合点がいった気がした。
『マーメイドクラッシャー』などという、実際の暴力的な内容とはかけ離れた――かといって、メルヘンチックとも違う、おちょくった技名で、愛する家族を貶められた――と、彼が感じても不思議ではないだろう。
「くそっ、そんな馬鹿げた技で、父上と兄上は……」
……やはりそうだ。
うわずった声から、悔しさが滲み出ているのが分かる。
――ドラクロワにとっての“マーメイド”とは、娘の機嫌をとるための便利な単語――程度の認識だろうが、ラキュアにとっては、幼い頃より憧れてやまない、崇高なる存在だ。
それなのに、なにが『マーメイドクラッシャー』だろう?
そんな雑な扱いをされて、当の娘でさえ腹立たしいのに、挙げ句には、彼まで怒らせてしまっていることに、ラキュアはなんとも言えない複雑な気持ちになる。
「な、ならば、マーメイドバスターならどうだ!?」
彼の剣幕に思うところがあったのだろうか?
ドラクロワは、的外れも甚だしい改名案を、おずおずと口にするが――
「マーメイドから離れろやぁ!!」
という怒号と共に、破砕音が鳴り響く。
神経を逆撫でされた彼が、剣を床に叩きつけでもしたのだろうか?
(もうやめて! それ以上言わないで!! それ以上人魚姫を穢さないでよぉ!!!)
ヘナヘナとその場にへたり込み、頭を抱える愛娘の、そんな悲痛な胸の内も知らずに、ドラクロワは性懲りもなく反論に出る。
「そうはいかん! 我が家はマーメイドで溢れている。
出掛ける際の挨拶は『行ってきマーメイド』、帰宅時は『ただいマーメイド』、食前に『いただきマーメイド』で、食後は『ごちそうさマーメイド』だ!
ならば技名にマーメイドが付いても、なんら不自然ではないだろう!」
(ちょっ、ちょっと待っ――)
これはいけない……!
確かにラキュアは、語尾にマーメイドを付けるという、寒いオヤジギャグを苦々しく思いながらも、ドラクロワがあまりにもしつこいため、忖度して応じていたのだが――
そうしているうちに感覚が麻痺して、今では息を吸うように『いただきマーメイド』等の挨拶を、するようになってしまっていたのだ。
だが、心情や経緯がどうであれ、端から見れば、ドラクロワ同様その家族も、『マーメイド』に侵された、イカれた一家の一員――と映るに違いない。
(い……嫌!
彼に敵意の目で見られることよりも……
会えなくなることよりも……
パパと同列に思われることが一番嫌ぁ!!)
「知ったことかバカ野郎! 貴様の家庭事情に私を巻き込むな!」
(っ……もう無理!)
彼が叫ぶと同時に、ついに我慢が限界を迎えたラキュアは、勢いよく大扉を開け放つ。
半ば衝動的な行動であったが、「もうどうとでもなれ」――と、開き直ったことで、寧ろ冷静になれたのか、今すべきことが瞬時に頭を駆け巡っていく。
――まず優先すべきは釈明であり、そこの厨二親父と自分は違うと、ハッキリさせることが何より重要である。
そして次に、彼を殺させないと同時に、気を惹くこと。
――そう……彼に敵意を向けられる以前に、好きにさせてしまえば良いのだ。
確かに彼にとって自分は、“憎き仇”の娘かもしれないが、良くも悪くも、今この場はドラクロワによって“マーメイド”の空気に汚染されている、いわば『人魚領域』。
ならばその混乱に乗じて、彼に敵ではなく――寧ろ好……じゃなくて、好意がある印象を与えるよう上手く振る舞えば、ワンチャンあるかも知れない。
……いいや、きっと上手くいく。
この『人魚領域』の中で、その恩恵を最も受けるのは、敬虔に人魚姫を愛してきた自分であり、その自分にこそ、勝利の女神が微笑むことだろう。
なにこれ怖い。新手の宗教か何かだろうか!?
しかし、彼女のその逃避じみた高速思考は、走馬灯のように留まる所を知らなかった。
――大丈夫、あたしは可愛い――
ルビーのような魅惑の瞳に、ママ譲りの可憐な美貌は、人魚姫にだって、引けをとらないだろうし、毎日手入れを欠かさない、腰程までに伸ばした薄浅葱色の髪は、ツインテールに纏めて、お気に入りのゴシックドレスにバッチリ決まってる。
胸はまだ発展途上だけれど、スレンダーな方向性でスタイル抜群?なボディは、染み一つない透き通るような白い肌と相まって、穢し難い清楚な印象を与えるはず。
……というか、却ってそういうのが男の劣情を誘うんだもん。
そうだ、こんなにも魅力的なのだから、彼が靡かないはずがないし、ストレートに好意をぶつけるのは、なんだか悔しいし恥ずかしい……。
だから、ミステリアスで思わせ振りな、大人の女性を演出して、彼のハートを鷲掴みにしてしまえばいい。
きっと大丈夫、自分には勝利の女神がついているのだから。
そう方針を固め――
「何やら騒がしいと思って来てみれば……ちょっと聞き捨てならないわよね」
――と、大扉を開け放ってから、ラキュアが言葉を発するまでに要した時間は、僅か1秒だった……。
あ……ありのまま 今 起こった事を話すぜ!
さっきまで情緒のドン底で、頭を抱えている女がいると思ったら、いつのまにか、あり得ない程のポジティブ思考に変わっていたんだ……
な……何を言っているのか、分からねーと思うが、俺も何をされたのか分からなかった……
頭がどうにかなりそうだった……
調子が良いだとか二重人格だとか、そんなチャチなもんじゃあ断じてねえ。
もっと恐ろしいものの片鱗を、味わったぜ……。




