婚約したその日に、君を愛することはできないと泣きながら言われました
公爵令息クロチッドと伯爵令嬢リンゼの婚約は、本日成立した。後は二人だけでと親族たちは既に席を外し、今公爵家の応接室の中にいるのは、ソファに座ったクロチッドとリンゼの二人だけだ。
「リンゼ、聞いて欲しいことがある」
泣き出す寸前のクロチッドは、向かい側に座るリンゼの返事を待たずに、言葉を続けた。
「俺は君を愛することはできない」
言うや否やクロチッドは号泣し出した。泣き過ぎて、早くも目がしょぼしょぼになっている。イケメンが台無しだ。
「はあ? クロ様、何言ってるんですか!?」
一方でリンゼは完全にキレていた。
クロチッドとリンゼは元々幼馴染同士だった。幼い頃からクロチッドはリンゼのことが大好きで、リンゼも満更ではなかった。その関係は二人が成長しても変わることなく続き、クロチッドが無理を言って、二人の婚約は本日結ばれた。
クロチッドは公爵家の一人息子であり、跡取りとなれるのは彼しかいなかった。クロチッドはリンゼ以外と結婚するぐらいなら、家出して海賊になると両親を脅した。クロチッドの両親は『泳げないのに何故海賊?』と思いつつ、そこまで言うならとクロチッドに婚約の許可を出した。婚約の許可が出て浮かれたクロチッドは、雨が降りしきる庭を駆け回り、翌日から三日間寝込んだ。
クロチッドとリンゼの婚約は、伯爵家側にはメリットがあるが、公爵家側にメリットは全くない。この婚約は紛れもなく、政略結婚ではなく恋愛結婚によるものだ。なのにクロチッドから、謎の君を愛せない発言である。
そんなわけで、リンゼはキレて当然だった。
リンゼにキレられたクロチッドは、一度身じろぎをした。クロチッドの目からは、ますます涙が溢れる。
「今も昔もクロ様は私のこと大好きでしょう!?」
リンゼがクロチッドに凄む。
クロチッドはイケメンであり、公爵家の嫡男とかなりの優良物件だ。なのでクロチッドは初対面の令嬢に会う時、自己紹介の二言目にはリンゼが好きなのだと必ず言う。クロチッド本人はリンゼが好きアピールをし、周囲の牽制に余念がないつもりだ。
だが言われた令嬢からしてみれば、『え、何このイケメンな変人は……』となる。変人と距離を取りたいと思うのは、普通の人間なら当然の心理だ。よってクロチッドは、ほとんどの令嬢達からあまり関わりたくないと思われている。経路は違うが、最終的なクロチッドの目的は達成できているので、もはやリンゼは苦笑いしか出てこない。
リンゼは国内の貴族たちの間で、あの変人を手懐けるとはと一目置かれる存在だ。だが以前リンゼが軽い気持ちでクロチッドに好きと言ったところ、浮かれたクロチッドは三階から飛び降り足首を捻挫した。残念ながらちっとも手懐けられていないのが実情だ。
「好きと愛するは別物だ」
クロチッドの反論は火に油を注いだ。
「そんなもの似たようなものでしょう!?」
リンゼはますますキレる。
「いいや! 似て非なるものだ! 好きは独りよがりでも構わないが、愛するは独りよがりのものであってはいけない。俺に君を愛する資格なんて無いのだ!」
クロチッドは意外とまともなことを言っていた。だがリンゼとて譲れない。
「では愛せないなら、なぜ私と婚約したのですか!?」
「リンゼが他の男と婚約してしまうだろう! それだけは絶対に阻止しなければならなかった。大好きなリンゼが他の男のものになるなど耐えられない」
「つまり私のことは好きでも、愛する程の価値は無いってことですか!?」
「違う! 俺のような猥雑な汚物が君を愛しては、天使のように清らかな君が穢れてしまうからだ……」
項垂れたクロチッドに、リンゼは優しく声をかける。
「公爵家の嫡男たるクロ様が、猥雑な汚物なわけないでしょう」
「いいや、俺は猥雑な汚物だ。今日の婚約が嬉し過ぎた俺は、昨日の夜に××××××を××××して、××した挙句に××××××××××××した」
クロチッドは力なく笑った。
「それは猥雑な汚物です」
リンゼは真顔で返し、聞かなければ良かったと本気で後悔した。
「分かったなら、俺に愛されることは諦めてくれ」
一瞬治まっていたリンゼの怒りに、再び火がついた。
「クロ様のことは好きだけれど、浮かれると奇行に走るところだけは、昔から大っ嫌いです!」
クロチッドは浮かれていなくても結構奇行が多いのだが、長年共に過ごしたリンゼはだいぶ毒されている。
「クロ様が何と言おうと、私はクロ様を愛します! だから、四の五の言わずに、私を愛してください!」
「俺にはできない!」
「何で急に逆立ちするんですか!? 私に愛するって言われて、今絶対浮かれてるでしょう!!」
「当然だ。嬉しいに決まっている!」
「こら、ブリッジしたまま逃げないでください! 愛さないのは許しません!」
カサカサと動くクロチッドは、奇行に拍車がかかっている。リンゼに愛してほしいと言われて、クロチッドは浮かれ放題だ。
ブリッジしたままで器用にドアを開けたクロチッドは、ブリッジしたままで屋敷の廊下を駆け抜けていく。リンゼは逃げるクロチッドを、なりふり構わず追いかけた。
そんなことをしていれば、当然二人の親族の目にも入るわけで。クロチッドの両親はクロチッドに付き合えるのはリンゼしかいないと、リンゼの存在に深く感謝し、リンゼの両親はこんな変人が好きなリンゼも大概だとだいぶ引いた。