詩「テレビのあるときとないときのあいだ」
待ってる方がいるかわかりませんし、自分も更新する気はなかつたのですが、これはという詩ができたので載せました。
お待たせしました。
この詩はほぼ、自分のための詩ですが、自分もただの個人にすぎないなら、皆さんひとりひとりにも跳ね返るかもしれません。
詩「テレビのあるときとないときのあいだ」
帰るのが面倒な晩ごはんがあった
浮かせた箸とクイズ番組の相談と
ゆっくりと器を取る片手があった
日々は鑑賞者を生かし命は長く流れた
携帯電話もスマートフォンもなかった
ファミリーコンピュータがあり
消灯の時間にはお手製のコントローラーと
頭のなかのゲームストーリーがあった
キャラクターを描いた
万華鏡のように手に取るように話を変えた
往復の世界でも見えない防護壁に守られていた
誰と電話することのない
習い事と同級生で繋がる世界
やがて
テレビはいらなくなった
受信料がかかるから
部屋の間取りを占めるから
映画は手持ちの機械でなんとか足りるようになった
疲労感が残り捌け口を噤み
名を知らぬ世界を垣間見ることとなった
同い年で多様性に満ちたカラー
肩身の狭い思いはあると思いきや
生きてるだけでましましにきつくなることは
誰もだと気づいた
選択肢と資源の限りも然り
考えてみれば巣の上よりミミズをくれたから
ミミズを探して史跡、彫像、樹木、個人を
認識できるのだ
季節の移る早さは変わっただろうか
忙しさを大事にしているだろうか
あの頃のような
明日が守られているだろうか
あの頃がひとりでゆっくりいられたのは
まやかしだろうか
今日はひとまず
あの頃でなくても一日が蘇るまでのそのときを
規則正しく過ごしていたい