新しいロマンティック
ロマンティックはピンクだ。夕焼けの空、綺麗な花、お姫様のリップ。でもそれはさっき終わってしまった。電車に揺られながら窓の外の黒くて青い海を眺める僕は久しぶりにご機嫌だった。雪も降っていて、これは最高に新しいロマンティックだ。
絶賛売り出し中、売れっ子になりつつある二十三歳の僕。仕事は歌手。五年前に上京して三年前にメジャーデビューした。駅前の弾き語りから僕の歌うたいは始まった。
デビューしてからすぐに周りの大人が僕に目をつけた。僕が作った歌は大人達がつける編曲家で毎度ガラリと作風が変わるようだった。いつも新鮮なのに芯はぶれない天才シンガーソングライター、そんな肩書きをつけられて僕は売り出された。努力の結晶である歌詞はもちろんお客様に受けたし、大好きなバンドのキメのコード進行のメロディも口ずさみやすかったのかカラオケでたくさん歌ってもらえた。
でも僕は天才じゃない。散々練習したギターは編曲されたメロディでかき消されたし、努力して通るようにした歌声もメディアにはほとんど触れられなかった。それでも僕は「天才シンガーソングライター」だった。大人達もファンであるお客様もみんなが天才天才と呼んで僕の新曲に期待した。
今年歌がヒットしてから仕事が増えて忙しくなった。僕はライブのクオリティを下げないように努力したし、いつも通り上手くいったと思う。引きづられたのは創作力だった。所詮努力で這い上がった人間だ。作詞作曲は調子が良くて頭を捻らなければ出来なかった。「ロマンスはピンク色」も歌い出しはその時の恋人の言葉をすげ替えたものだったし。
とにかく今はこんなはずじゃなかった、という言葉に尽きる。ど田舎の港町から出てきた時はもっと輝く自分を夢見ていた。駅前で歌っていた時はここから上に行ってやるって毎晩考えていた。デビューが決まった時、僕の努力は報われたんだって嬉しくて涙が出た。僕のギターと歌声だけで人々の心を透かすような、鬱憤を晴らすような歌を届けたいってずっと思っていたのに。
ファンレターに目を通すのも、歌を作るのも、収録でバンドと歌うのもどんどん苦痛になった。いつもの努力も続かなくなってきて、多分僕は十キロくらい痩せたと思う。だけどレコード会社の大人達は僕を天才として売り出すのを辞めなかった。ヒット音楽の賞も取れるように動いてるって、社長がにやにやと自慢した。
年越しのライブに向かう途中、僕は昔弾き語りをしていた駅を横切った。そこではまた誰かが弾き語りをしていて、懐かしさと忌々しさがごっちゃになった不思議な気持ちになった。足早に通り過ぎようとしたその時、歌っている女の子の姿がちらりと見えた。
「最後の曲です」
まだ一時間ある。聞いていってみるか。
「自分で作りました。よろしくお願いします」
ぺこりと頭を下げると彼女はギターを構えた。ジャーン。Cマイナーで歌は始まった。叫ぶような訴えかけるような高い歌声。音は遠くまで聞こえるようで僕の後ろに次々と人が集まってくる。耳はもちろん脳にまで直接響いてくる。メロディラインも秀逸で、聞いていて胸が空くようだった。・・・なんと言っても歌詞!今の時代の大人になりきれない子供の複雑な辛い気持ちと、それでも前を向きたいという微かな希望を高らかに歌い上げた。天才だ。これが本物なんだ。
彼女が歌い終わってまたお辞儀をするまでの間、聞きいっていた人々は一言も発せなかった。静寂の後の割れんばかりの拍手。ふと振り返るといつの間にか人だかりは大きくなっていた。拍手はいつまでも鳴り止まなかった。
「・・・森川さんですよね?」
立ち尽くしてぼんやりしていた僕の周りには人々はもういなかった。
「ロマンスはピンク色、わたし好きです。正直まだそれしか知らないんですが」
えへへ、本物の歌手に聞いてもらっちゃった。白い歯を見せて笑う彼女に僕は笑顔を返せなかった。
「君が本物だよ、頑張ってね」
無理やりな笑顔で訳の分からない返事をして、僕は今度こそ駅前を足早に歩いていくはずだった。
僕はいつの間にか鈍行電車に乗っていた。とにかく遠くに行きたくて、現実から逃げ出したかった。彼女の歌を聞いてシンプルに絶望したのだ。
彼女の歌は全てが完璧だった。声、曲、歌詞、ギターの弾き方。確かにまだ輝く部分もあるだろうけど、それでも絶対完璧だった。絶対?・・・いや絶対僕とは違うんだ。僕と同じところは真剣なのに楽しそうに歌うところだ。いや、それも違う。僕も最初はそうだったのに。
電車の窓から太陽を飲み込むような海が見えて、僕は浜辺を歩きたくなった。スマートフォンでこの電車の止まる海の近い駅を調べた。あと一駅だ。すると僕に突然快活な気待ちが溢れてきた。ライブをすっぽかして海に行くなんて、ロマンティックかもしれない。そうだ、僕はこれからロマンティックを実行するのだ。
黒い砂を踏みしめて走った。冷たい波がさわさわと足を撫でていった。太陽が沈んでしまった海。波を大きく蹴るとばしゃんばしゃんと音がした。ずんずんと海の中へ向かう。服がどんどん濡れていくけどお構い無しだ。振り返る。砂浜に置いてきた靴も靴下も、メガネに水がかかってよく見えない。腰まで浸かりながら僕は、さっき聞いたばかりの彼女の歌のサビを大声で叫んでいた。
暗く、黒く青い、これが新しいロマンティックだ。