フィールとマリウス
仲良し二人組には仕事に戻ってもらい、俺はマリウスと向き合っていた。
ルナたちとは別のベンチに座る。
マリウスは、フィールが切り分けてくれたケーキを口に運び、目を輝かせていた。
「人間の世界はなんと美味しいものばかりだな」
「そういえば、マリウスは別に食事は必要なかったよな?」
栄養補給は必要ないらしい。
それでも、彼はよく食べていたような気がする。
「食事は人間にとっては必要なものなのだろうが、何もそれだけではあるまい。おまえたちだって、菓子類を食べなくとも生きていけるが、人の多くは一生のうちに一度は食べるのだろう? そこに見出しているものは生きるためではなく、単純な喜びだろう?」
「まあ、そうだな」
要は好きなんだからそれらを食べるのは当然なんじゃないか、という話だな。
「それでルード。あの小さな魔物は、フィルドザウルスか?」
「ああ。おまえの迷宮の一階層から外に出てきたと思われるフィルドザウルスから生まれたんだ」
「ほぉ、外に出た魔物たちはそういうこともできるんだな。魔力で生み出した分身でも、外に出れば実体を持つか。面白いものだな」
面白いかどうかはともかく、不思議な感覚ではある。
マリウスのおかげで、俺は迷宮の仕組みを知ることができた。
魔物にはすべて本物がいて、迷宮内を徘徊するものはエネルギーで作り出した分身にすぎない。
それでも、外に出れば肉体を得て、生きることができる。
なんなら、子を作ることもできる。
迷宮はやはり、神が与えしものなのかもしれない。俺は別に熱心な信者ではないが、こうも見せられると本当なのだと思わせられた。
「それで、今度は外に何しに来たんだ?」
「何。少し面白いことを思いついてな」
ニヤリ、と口元を歪める。あまりいい気がしないな。
それでも「聞いて!」とばかりにこちらに顔を近づけてくる。
彼の額をぐいっと押し返し、仕方なく訊ねる。
「一体なんだ?」
「クランに入るという冒険者が多くなるだろう? その試験をする必要があると思ってな。ほら、実力を測る必要があるだろう? 盾しか使えないルードでは色々と困るときもあるだろう? そこでオレの出番というわけだ! ばっさばっさと切り伏せてやろう!」
「やめろ誰も入らなくなる。……試験、か」
えり好みできるほど人が来てくれるかどうかは分からない。
そもそも、だ。明らかな不審者以外は受け入れるつもりだった。
それを伝えようとしたのだが、その前にマリウスが手を握ってきた。真剣なまなざしだ。
「ルード、オレはおまえの力になりたいんだ」
「本音は?」
「戦いたいんだ」
「……おまえ、刀と剣以外は使えるのか?」
「ああ、それなりに武器の扱いには精通しているつもりだ」
「俺のクランは、恐らく初心者冒険者が多く来るはずだ。中には、まだ戦闘能力が限りなく少ない子もいるかもしれない」
数年もすれば冒険者はどこかしらのクランに所属するからな。
今町にいる冒険者も、だいたいクランに所属している。
やめてからすぐに別のクランには移動できないことになっている。
内部の情報を持っていかれるのを防ぐためだ。
「弱者をいたぶるのは好かんな」
「戦うほうに持っていくな。そういう子の指導をお願いしたい。シナニスのときのようにな」
「なるほど。それは任せてくれ。オレが師匠になり、いつか弟子がオレに挑戦する……そのとき弟子はこう言うんだ『なっ! し、師匠は迷宮の守護者だったのですか!』とな。……おおっ、これはなかなか燃えるな。よし、わかった。やってみせよう」
実はそこが結構困っていたところだった。
俺は剣を指導できるほど才能はないからな。
「……ありがとな。クランの役目は冒険者の指導もある。おまえが担当してくれるのなら心強い」
マリウスならば安心して任せられる。
「そこまで考えていてくれたんだな」
「ああ」
今な。
マリウスは俺のほうをがしっと抱きしめてくる。
体温がないものだから、夏には悪くないかもしれない。
「……それでマリウス。さっきの試験だが、特に今のところそういう予定はない」
「なに? いいのか?」
「ああ。最低限、性格を見る面接くらいはするが、実力までは求めるつもりはないな」
「そうか……急いできて損したな」
「別に来るような内容でもなかっただろ」
「いやな。少しでも早くしないと他の人に仕事をとられるかもしれないと思ったんだ」
……変なところを心配する奴だな。
と、俺の肩で何かがはねた。
視線を向けると、ヒューマンスライムがいた。いつの間に……。
ぴしっと小さく敬礼のようなものをしている。
マリウスが俺の居場所を特定できなかったのだから、ずっといたわけじゃないのだろう。
ヒューマンスライムか。
これからクランメンバーと連絡を取り合うときに……使えないだろうか。
「マリウス、ヒューマンスライムを俺に貸してくれないか?」
「そうだな。……ヒューマンスライムもオレよりルードに懐いているようだしな。な、ヒューマンスライム」
俺の肩に乗るスライムがぴょんぴょんと跳ねるような動きをみせる。
「これは……喜んでいるのか?」
「ああもう、最高! という感じだな。またあとで、本体は届けに来よう」
一仕事終えたといった様子で手を打ち鳴らした彼はそれから、ちらとフィールとルナを見る。
「あちらの女性は?」
「フィールだ。さっき食べたケーキを作ったのはあいつだよ」
「そうかそうか。それじゃあ礼を伝えねばな。それになかなかの実力者のようだ」
「人見知りがちな子だから気をつけてくれよ」
話しかけたそうにうずうずしていたので、そう伝えたのだが、彼はすっと立ち上がる。
「美しき刃を持つ女性よ。オレと一つ、剣を交えてはくれないか?」
「な、なんだいきなり」
人見知りのフィールは、意図的にマリウスから距離をとっていたのだろう。
しかし、そんなことお構いなしに、彼は近づいていく。
ルナが彼女を守るように、一歩前に出る。
それを見たフィールが首をぶんぶんと振って、さらに一歩前に出た。
ルナを守るために、といったところだろうか。
フィールが少し成長した瞬間であった。
「私と戦いたいということでいいのか?」
すっと彼女の表情が引き締まっていく。
仕事モードへと切り替わって言った彼女は目を鋭く細めていた。
「フィール、無理に付き合わなくてもいいぞ。こいつはかなり強いからな」
守護者とそのまま伝えるわけにもいかず、言葉を濁していう。
フィールはえ? と驚いた様子でこちらを見てきて、ぶるりと身を震わせた。
基本気の弱い彼女だ。
すっかり怯んでしまったようで、足をすくませ、情けないくらいに頬を引きつらせていた。
「安心しろ。今の状態じゃあ、それほどの力は出せないさ」
すっかり戦う空気になってしまい、フィールはえ、え? と何度もこちらを見てきた。
助けを求めるような彼女は可愛らしく、もう少しだけ見ていたいと思えたが、そんなことを考えていたなどとあとでばれれば、しばらくはむくれる。
「マリウス。今日の予定は終わっただろ。あんまりからかわないでやってくれ」
「いや、オレはからかってなどいない。本気で戦ってみたいのだが……」
「だとしてもだ。今はフィールも忙しい。せっかくの休日なんだ、邪魔しないでやってくれ。あんまりわがまま言うのなら、さっきの師匠の話もなかったことにするぞ?」
「そ、それはずるいぞルード。……わかったわかった。美しき刃を持つ女性よ。また今度の機会にしよう」
「あ、ああ。そうだな、そうしよう」
「ほぉ、戦ってくれるのだな! では次の機会を楽しみにしていよう!」
そういって、マリウスは背中を向けた。
またあとで、ヒューマンスライムを届けに来るだろうが、そのときを楽しみにしていよう。
彼が去って行ったあとで、フィールが青ざめた顔で俺の腕をつかんできた。
「なんか雰囲気にのまれてうっかり答えてしまったぞ……ど、どうしよう」
「さすがにそこまでは面倒見れないからな」
フィールは目を見開き、がくりと肩を落とした。
マリウスのやつはかなりの戦いたがりだからな。
約束してしまった以上、またあとで来るかもしれないな。