町の人たち、そして現れる聖女
空はわずかに明るみ始めていた。
ようやく、アバンシアが見えてきた。
相変わらず、王都と比べると迫力のない門。
しかし、どこか親しみやすさがあり、俺はこれが好きだった。
この町はいわゆる田舎だ。
特に目立ったものはない。
一応、少し離れた山に水の精霊ウンディーネが住んでいる湖がある。
そのおかげで、町を通る川の水は美しく、そのまま飲んでも問題ないといわれるくらいか。
まあ、その利点だってアバンシアではなく、山の麓にある町のほうが強い。そちらは、観光客でにぎわっているとか。
アバンシアは悪く言えば殺風景、良く言えば落ち着いている。
体を休めるにはここが一番だ。
そんな門には、町を守る自警団がいた。
全身鎧に身を包んだ人……恐らく、あいつだろう。
目が合うと、がしゃがしゃと揺らし、こちらにやってきた。
「久しぶり、ルード。今日が戻ってくる日だったか?」
重装備で身を固めたフィールは、兜の面を上にずらすと、美しい金髪が見えた。
予想通りだ。
この町で、そこまで装備を頑丈にしているのは彼女くらいだ。
「フィール、久しぶりだ。予定より、数日早まったな。中に入っても大丈夫か?」
「もちろんだ。……そちらの女性は?」
フィールと目が合うと、ルナは俺の後ろに隠れた。
「ホムンクルスだ。捨てられていて……妹の世話を任せるのにちょうどいいかと思ってたんでな」
フィールとは何かと交流が多い。
隠しておいてもそのうちばれるだろう。
「……ホムンクルス、か。都会ではやはり流行っているものなのだな。……それにしても、本物の人間のようだ」
じーっとフィールが上から下までルナを見る。
緊張した様子で、ルナが顔をこわばらせていた。
「もういいだろう。俺は一度家に戻る。おまえも、これから仕事だろう?」
「すまない、時間をとってしまったな。今度はどれくらい町にいるんだ?」
「今のところ、すぐに出発する予定はないな」
「そうか。また、自警団本部にも顔を出してくれると嬉しい。父上もきっと喜ぶだろう」
「了解だ」
それからフィールは、体を揺らし、
「時間ができたら……遊びにでも行かないか?」
「そうだな」
たまにはそういうのも悪くないだろう。
フィールは笑顔を浮かべてから、面を戻した。
ルナとともに町へと入っていく。
町には見知った顔が多い。
すれ違うたびに声をかけられる。中には俺が女を連れて戻ってきたことを冷かしてくるのもいる。
いやいや。
ルナの格好を見てみろ。仲良く帰ってきたっていう服装じゃないだろ。
町の人たちには適当な言葉で誤魔化しておく。
落ちついたところで、ルナに視線を向けた。
「悪いなルナ。この町の人たちはこういう人ばっかりなんだ」
「いえ、気にはしていませんよ。マスターは、凄い信頼されているのですね」
「ここにいる間は魔物狩りとかしているからな」
みんな親しい。
だから、妹を町に残して迷宮攻略ができる。
家に到着するまで随分と時間がかかってしまった。さっき近所のおばちゃんに捕まったのが原因だな。
苦笑しながら、ようやくたどりついた我が家にカギをさして中へと入る。
「まだ、妹が起きるには早い。静かに頼む」
「……承知しました」
ルナとともにそろりと入っていく。
そしてリビングに入ると、コップを片手にもっていた妹がいた。
「……お帰りなさい兄さん」
相変わらずの冷たい黒色の瞳で、こちらを睨むように一瞥してきた。
昔は、この視線が苦手だったが、最近ではぞくぞくと感じるようになってきた。
いけない、これでは変態ではないか。
俺の妹、マニシアは桶から水をすくい、こくこくと喉を鳴らす。
美しい黒髪は肩のあたりで切りそろえられている。
昔から運動していなかったからか、十七になった今でも体は子どものように貧相だった。
けれど、彼女の美しさはそれで損なわれることはない。
「ただいま。体の調子は大丈夫か?」
「ええ、問題ありません……そちらの女性はどなたですか?」
「彼女はホムンクルスのルナだ。……ここにくる途中に出会ってな。そのままというのも、あまりいい気分はしなかったからな。拾ってきた」
「そうですか。それでは」
それだけを言って、彼女はゆっくりと部屋へと戻っていく。
「仲……悪いのですか?」
「まあな」
ぱたんと扉が閉まり、俺は相変わらずの彼女にため息をついた。
いつからか、彼女はああした態度をとってくるようになってしまった。
「妹さん、怒っていました。私の、せいでしょうか?」
「そんなことはない。……とりあえず、ルナ。おまえに冒険者について教えていくが、俺はいつもこの町にいるわけじゃない。その間のマニシアの相手を頼んでもいいか?」
「はい、承知しました。ですが、どうすればよろしいでしょうか?」
「そう、だな。とりあえず、挨拶でもしてくるといい。女二人のほうが、弾む話もあるだろ」
「わかりました」
ルナは小さく頷き、マニシアが入っていった部屋へと向かう。
「二人とも体型が似ているから、服とか余っているならもらうといい。ダメならあとで買いに行こう」
「そんな。わざわざ買っていただく必要はありません。なんなら、裸でも私の活動に問題はありません」
「俺の評判が問題だ。服は着てくれ」
「承知しました」
ホムンクルスというのは少し感覚がおかしいのかもしれない。
ルナとマニシアは……まあうまくやるだろう。
マニシアは俺以外には優しいし、社交的だし、可愛いし、綺麗だからきっとうまくいくはずだ。
俺は、まだ挨拶していない人たちに顔を見せに行こうか。
薬屋と鍛冶屋だ。
まずは薬屋に向かう。
開店よりも早かったが、店主であるギギ婆は俺に気付くと玄関を開けてくれた。
皺をさらに深く刻むようにして、笑顔を作った。
「ルードちゃん。久しぶりだねぇ」
「……久しぶりです、ギギ婆」
町の薬師を務めているギギ婆だ。
もうかなりの高齢であるが、未だに背中はぴしっと伸びている。
俺もこんな老人になりたいものだ。
「今回の薬代かい?」
「はい。今回の分です」
マニシアは生まれつき体が弱い。
なんでも、体内で生み出される魔力が極端に低いそうだ。
そのため、魔法使いが時々陥る、魔力欠乏症と似たような状態が常時続いてしまう。
それを緩和するための薬をギギ婆に作ってもらっている。
ただ、結構珍しい薬草を使うため、高額だ。
……それでも、ギギ婆はほとんど儲けがないくらいの格安で、作ってくれている。
この人には足を向けて寝られない。
「了解だよ。この町には、どのくらい残っているんだい?」
「しばらくは」
「そうかい。マニシアちゃんもさみしがっていたから、ゆっくりしていきなよ。それと、またあとでうちの義娘がいるときにまたおいで」
「わかりました」
マニシアが寂しがっているか。
俺がいないほうが彼女も羽を伸ばせるのではないだろうか。
ただ、寂しがっている、か。
『お兄ちゃん、会いたいよぉ』、とか言ってくれているのだろうか。だったら、嬉しいな。
「次の予定が決まるまでは残ります。ポーションが必要になったらまた来ますね」
「ああ、じゃんじゃん使ってね。いや、使わないほうが本来はいいんかね、はは」
にこりと、愛嬌ある笑顔を浮かべたギギ婆に頭を下げ、隣の店に向かう。
鍛冶屋だ。この町で武器を買うならここしかない。
扉を押し開けると、店番の女性がカウンターにぺたーっと寝そべっている。
「いらっしゃいませー」
気だるそうな女性は、鍛冶師である店主の娘だ。
「久しぶりだな、ミレナ。店主のレイジルさんはいるか?」
「る、ルード!? なにもう戻ってくるんだったっけ!?」
ミレナは今更ながらに姿勢を正した。
……誰も客はいないんだ、気にしなくてもいいっての。
「ああ。ついさっきな」
「い、いるよ! ぱ――お、お父さん! ルードが戻ってきたよ!」
「おう、聞こえてるぜ! ちょっと待ってくれ、今行く!」
レイジルさんが鍛冶場の方から叫んだ。
彼が来るまでの間、並んでいる武器を眺める。
と、ミレナが髪を直しながらこちらに近づいてきた。
「今度はどのくらいいるの?」
「ここに来てからその質問は三度目だな」
「みんな、ルードに残っていてほしいんだよ。もちろん、わたしもね」
「そうか。……それはありがたいな。しばらくはいるつもりだ。向こうで組んでいたパーティーとの契約もなくなったからな」
「そうなんだ。それは……えーと良いような、わるいような?」
「俺からすれば新しいパーティーを見つける手間が増えたが……まあ、一度体を休められるしどっちもどっちだな」
「そっか! それなら今度どこかに遊びに行こ-よ!」
「暇があれば、な。そういえば、フィールにも誘われたんだ。そのときに一緒に行くか?」
「……はぁ」
……なぜため息をついているんだ。
ミレナが肩を落としてから、俺の腕をつかんできた。
「わたしはルードと二人で、二人で行きたいんだよ。ここ重要だよ。意味わかるかな?」
「……いや、別に」
二人きり、でか。
自意識過剰でなければ、俺と仲良くしたいということなのだろう。
ただ、俺は妹を治すまで、自分の都合は後回しにするつもりだ。
だから、俺は何も言えなかった。
困り果てていると、奥からレイジルが現れた。
レイジルは、俺とミレナを見て、笑みをこぼした。
「おうおう。相変わらず仲がよろしいようで。近いうちに孫の顔でも拝めるかねぇ」
「もう、お父さん。気が早いよ、ね、ルード」
「気が早いというか……」
そもそも、孫の顔を見るには俺とミレナが……その、そういう関係になる必要がある。
やっぱり、さっきのミレナの言葉はそういう意味なんだろう。
……考えないようにしよう。
「おまえは相変わらずみてぇだな。そんで、戻ってきた挨拶ってところか?」
「ああ……それと、剣を一本作ってくれませんか?」
「……そういえば、武器もってねぇな。おまえ、前は迷宮で拾った魔剣持ってたろ?」
「それが――」
俺は彼に事情を説明する。
レイジルははあ、とため息をついた。
「あの魔剣、なかなかいいやつだったな。あれに並ぶだけのもんを作ってほしい、ってことか」
「……いや、そこまでは言ってませんが」
「いや! 作ってやろうじゃねぇか! ちょうど、面白い剣の構想はあるんだ! あとでまた取りに来てくれ!」
「……了解です。それじゃあ、またしばらく町で世話になる。これからよろしくお願いします」
二人にそう言うと、彼らは笑みを返してくれた。
〇
それから二週間が過ぎた。
ようやく、ルナの紹介も終わり、町での活動を始めようと思った矢先だった。
「ルード! あたしの愚痴を聞いて!」
ニンが俺の家まで押しかけてきた。