市民代表
一着しか持っていないぴしっとしたシャツに袖を通し、ネクタイをぎゅっとしめる。
昔、貴族の家にいたときに一着だけ、もらったものだ。
迷宮の調査を終えてから、一か月ほどが経過していた。
季節は夏になり、川で遊ぶ子どもが増えてきた。
ギルドは仮設テントではあるが動き出し、冒険者の数も増え、様々な問題が浮上してきている。
特に多いのはガラの悪い冒険者たちによる喧嘩などだ。
そういった不満や問題をまとめるため、今日は町で会議が行われる。
……その場に、領主も参加する。
だから、なるべく綺麗な服をということで、俺はこいつを引っ張り出した。
「ほら兄さん。背筋伸ばしてください。ネクタイ、曲がってますよ」
俺のネクタイをきゅっと彼女はしめてくる。
息苦しいからあんまり好きじゃないんだよな。
「もう少し、着崩したらダメかな?」
「ダメです。こっちのほうがかっこいいですよ」
彼女がとんと俺の胸を叩いた。
褒められて素直に喜んでいると、ルナが部屋に入ってきた。
「私の格好はこれでいいですか?」
彼女はメイド服に袖を通している。マニシアのために昔買ったものだ。
さすがに、ルナの分まで、正装は用意できなかった。
だから、使用人……みたいな立場での参加にしてもらうというわけだ。
俺は、この町の市民代表として、参加する。
ただ、俺は別に頭は良くないし、思考速度だって人並みだ。
それを補うために、ルナにも参加してもらうというわけだ。
参加予定者は、自警団、教会、冒険者ギルド、そして俺たちとなっている。
昼食を食べたばかりで少し眠い。あくびを一つしてから、俺はルナとともに玄関をあける。
「それじゃあマニシア、行ってくる」
「はい、いってらっしゃい」
外に出てすぐ、自警団の巡回者と遭遇する。
「ルード、なんだその格好は、ぷっ!」
「よく似合ってるぜ、ぷっ!」
「おまえら、バカにすんなよ」
仲良し二人組の頭を抱えこみ、こめかみに拳を当てる。
まったく。
笑顔のままに、俺の腕を叩いてくる彼等を解放してやる。
「これから会議なんだろ? うちからはフィールが参加するからな」
「フィールか。父親じゃないんだな」
「まあな。いい加減、一人でやってほしいそうだ。今回のメンバーなら、そこまで緊張もしないだろうという考えもあるらしい」
「教会関係者は、ニンとシュゴールだしな。……ギルド関係者からもリリアが参加予定らしいしな」
フィールは自警団としてギルドとは何度も顔を合わせているし、ニンは言わずもがな。
フィールは領主とも小さい頃から会っているそうだ。親戚のおじさん、みたいなもんじゃないだろうか。
「まあそれでも、フィールはあがり症だからなぁ。何かあったら頼むぜ、ルード」
「わかってる。そのときは、まあ声くらいはかけるよ」
あんまり手助けばかりでもダメだろうけどさ。
彼らと別れ、自警団本部へと到着した俺は一つ呼吸をしてから、中へと入った。
会議室へと足を運ぶと、すでにニンたちとフィールの姿があった。
「お久しぶりです、ルードさん」
「久しぶり。シュゴール、最近休めてないって聞いていたが元気そうだな」
「空元気ですよ。ルードさんこそ、最近はよく自警団に顔を出しているじゃないですか。体、大丈夫ですか?」
「結構大変だ。こういうのは、あんまり慣れていないからな」
お互いに苦笑する。
シュゴールとニンは教会の制服に袖を通している。
白を基調とした十字の紋章が入ったものだ。
ニンはぐだーと机に突っ伏して、栗色の髪を指に絡めている。
相変わらず、公爵家の娘とは思えない奴だ。そんな彼女は俺のほうをみて、片手を口元にあてた。
「あんたってそういう服持っていたのね」
「まあな。一着だけだけど」
「意外と似合っているじゃない」
「からかうなよ」
ニンが笑顔のまま言ってくる。
俺が席に座ると、小刻みに揺れているのが右にいた。
フィールだ。緊張でかたかたと揺れている。……大丈夫かこいつ。
「フィール」
「私が報告すること……報告すること……」
「フィール、おい?」
「ひあっ? あ、ああルード。来ていたんだな。だ、大丈夫だぞ」
俺が来たことにも気づいていないのに大丈夫なわけないだろ。
「そんなに緊張しなくても、知っている顔ばかりじゃないか」
「しょ、しょうはいってもな。こういうのは、あまり得意じゃないんだ。……吐きそう」
「……無理するなよ」
俺からはそれしか言えないな。
そうして、しばらく待っていると、リリアが姿を見せた。
彼女はいつも通りの私服だ。
眠たそうに目をこすっている。フィールの反対で、マイペースな奴だ。
彼女も席について、あとは大本命の領主を待つだけとなる。
フィールが、思い出したように目を開き、ぽつりとつぶやく。
「領主様は、町を見てからこちらに来る、そうだ」
「そうか……」
現状の町を目で見てみたいのだろう。
しばらく俺たちはそれぞれで時間を潰していると、外が騒がしくなる。
――来たか。
「領主様が来ました、みなさん準備をしてください!」
自警団の一人が叫びながら部屋へと入ってきた。
席を立ち、身なりを気にしながら、領主が来るのを待つ。
いったいどんな人なのだろうか。
俺の貴族のイメージはやはり固いものがある。
俺を拾ってくれた人はかなり朗らかな人だったが、領主として仕事をするときの顔は厳しいものだった。
……なるべく、接しやすい人ならいいな。
そんなことを思っていると、扉が開いた。
フィールの父親が、恭しく一礼をしてから道を譲る。
奥から現れたのは、三十代半ばと思えるような男だ。
非常に整った容姿で、その顔は子どものような無邪気な笑顔があった。
会議室をきょろきょろと見まわしては、さらに笑顔を濃くしていく。
そして、
「おっすっ! おまえたち、今日はよろしくな!」
驚くほどに気さくに声をかけてきた。
その隣には、冷めた表情をしている女性がいる。確か、妻と一緒に参加するといっていたな。
二人はまるで対照的だ。
俺が呆気にとられていると、他の人たちは慣れた様子で一礼をする。
俺も慌てて、頭をさげた。
「フィールちゃん久しぶり。最近元気してたか?」
「はい。トゥーリ伯爵も……そのお元気なようでなによりです」
「はっはっはっ、そう固くならなーい。オレくらいでやってくれればいいよ」
笑顔とともに彼は奥の席へと向かう。
と、彼の視線はニンで止まった。
「お、ニンちゃん……じゃなかった。ニン様ちゃんじゃんか! 舞踏会以来か?」
「はい。お久しぶりですわ」
「ニンちゃん、からかうのはやめろってな」
「……はいはい。けど、一応今回私は教会関係者としての参加ですから」
「うーん、了解。それでえーと、ギルド関係者の……そう、リリアちゃん! 可愛い子だって聞いてたから、期待してたんだよね。いで!?」
領主は突然悲鳴をあげ、しゃがんだ。
トゥーリ伯爵の隣にいた女性が、冷めた目で見下ろしていた。
「あまり、ふざけないでくれませんか?」
「わ、悪かったって。ほら、みんな緊張してるかもっていうオレなりの配慮なんだよ」
夫婦の仲はかなり良好なようだ。
「はあ……とにかく、さっさと話を始めましょう」
「その前に、最後にまだ一人、あーいや、二人いるだろ?」
そう言って、彼は真剣な表情で俺を見てきた。
……値踏みされているような気分だ。
おかしなところはなかったと思うが。
「おまえが、ルードか?」
「はい……」
「で、そっちの子は……奥さん? メイド服とはいい趣味してんね。オレも好きだぜ」
「違います。彼女は……うちの使用人みたいなものです」
「そかそか。ルード、話は色々聞いてるぜ。普段から自警団に協力してくれる冒険者だってな。それに、今回は迷宮調査もしてくれたみたいだしな。ありがとな!」
「いえ……俺は、自分のやりたいことをやったまでです」
マニシアのことを知りたくて、そのついでみたいなものだった。
感謝されるようなことをしたつもりはない。
「ルードも、かなり顔がこわばってるぜ。みんな、気楽にやろうぜ。この場では身分関係なく、意見を聞いていきたいんだしな。好き勝手なんでも言ってくれ! ……あっ、でもあんまり言われるとオレへこむからね。ほどほどにしてね」
思い切り目を閉じて、両手を合わせるトゥーリ伯爵。
「……はぁ。申し訳ありません。うちの主人はこういう馬鹿なんで。幼児だと思って接してあげてください」
「なっ、そこまで言わなくてもいいだろうが! とにかくだ、これからこの町を良くしていくために、必要なことがあったら何でも言ってくれ! できる範囲でだけど、協力するからな!」
……とりあえず、話しやすそうな領主でよかった。
会議開始に合わせ、俺たちは互いに一礼をする。
それから席に座り、本格的に打ち合わせが始まった。