今ある力1
「前から一度おぬしとは話しておきたかったんじゃ。まあ、楽にするとええ」
そういって、スロースはベッドに深く腰掛けた。
……魔王の前で楽にしろと言われてもな。
とはいえ、今の彼女はそこらにいる少女と変わらない。魔王が持つ特徴的な肌の色や、翼や尻尾といったものはなくなっている。
柔らかそうな足をぷらぷらと揺らしている。手にはどこかで調達してきたのか、アイスが握られている。
……フィールのところにでも行ってきたのかもしれない。領主の屋敷には冷蔵室があったはずだ。
のんびりと足を揺らしていたスロースだったが、不意に俺の背後に移動した。
そうして、肩をとんと叩いてくる。
「ここで食ったりはせぬ。おぬしたちとこの街の人間たちは気に入ったからの」
「……もともと、魔王たちは人間をエネルギーにしてたんだろ?」
「ああそうじゃな。なんじゃ、それを警戒しておるのかの?」
「まあな。これでも街を守る立場なものでな」
「何もせぬよ。なんなら、魔王たちがこの街を破壊すると言ったら共に街を守るくらいには戦うつもりじゃ」
「……リンゴールをか?」
「その他、おいしいものたちじゃな」
だろうな。
スロースは宙に浮いたまま、俺の背中を軽く押してくる。
ベッドに腰かけると、スロースも満足したように座った。
「……話がしたいと言っていたけど、何の話だ?」
「うーむ。別に特にこれといって決めていたわけじゃないんじゃよ。本当に、のんびり何かしらの話ができればそれでいいんじゃ」
……まあ、お互いにしらないことが多い。俺としても、聞きたいことは色々ある。例えば、魔王たちのことや、魔素や聖素による力についてとかだな。
人間が持つ力、魔族が持つ力……それらをすこしまとめておきたい部分があった。
スロースは空間に穴をあけ、そこからリンゴールを取り出した。
「……おまえ、それはなんだ?」
「人間が持つ収納のスキルを真似てみたんじゃが、どうじゃ? うまくいったかの?」
「……まあ、うまくはいっていると思うが」
そんな風に空間に穴をあけるように使う奴は初めてみた。そこからスロースはアイスなども取り出していく。
……そういえば、ポーションポーチの中身とかもそうだが、凍っているものは凍ったまま、冷えたものは冷えたままと品質を保つことができるんだったな。
スロースがアイスを一つこちらに渡してきてくれて、俺はとりあえず受け取った。
「ふむ、うまいのぉ。果物の味がしみ込んでおる」
「こっち来てから色々食べ歩いているみたいだが、魔界の食べ物が恋しくなるとかはないのか?」
やはり地方によっては、その地方独特の味付けといったものがある。
騎士学園に通っていたとき、遠方より来ていた子なんかは、故郷の味が恋しくなることもあったそうだ。
今のところ、スロースにはまったくそんな感じはしない。
「あるわけないじゃろ。魔界の食べ物を今取り出してやるからの……ほれ」
「今取り出すって……いくつか用意してたのか」
「いや、魔界に干渉して今回収してきたんじゃ」
「……凄いな」
「褒められると照れるのじゃ」
褒めたというよりは引いたといったほうが正しい。
彼女が渡してきたのは、リンゴール……と思われるものだ。
だが、やせ細ってしまっていて、どこが食べられるのか分からない。
これが食べ物かどうかも怪しいくらいだ。
「おぬしなんじゃ、やはり食べたくないのかえ? まあ、無理もないのぉ」
「……いや、これはリンゴールでいいのか?」
「ああ、そうじゃよ。魔界はこんなもんばかりじゃ。栄養は同じじゃが、まるでこの世界の偽物のようなものしかできないんじゃよ。味は、食べてみればわかるが何の味もしないんじゃ。栄養は同じじゃがな」
俺が一口かぶりつく。……確かに、口に入ったのにすっと溶けてなくなった。何の味もしないが、腹は僅かに満たされた感覚はある。
「それが魔界の食べ物じゃ。わしは特に食に関してうるさくてのぉ、こんなものじゃ満足できぬから、いずれは人間界に行こうと思っておったんじゃ」
「それが、今になったってことか……まあ、迷惑かけないなら、このまま人間界で食事を食べ続けるってのも悪くはないんじゃないか?」
「ほぉ……魔王が人間界で暮らすことに、嫌な感情はないのか?」
「……何か抱く必要はあるのか?」
……俺にはよくわからない。魔物たちだって、意思疎通がとれるのならいくらでも大歓迎だ。
「おぬしは、他とは少しずれておるのぉ。かつての人間たちは魔族たちの容姿を嫌っていたんじゃがな」
「……そうか。今は昔ほどひどくはないんじゃないか?」
「どうじゃろうな。別の街で見かけたが、やはり亜人を嫌う人間は一定数おったぞ。……あとは、その差別の対象がホムンクルスに移ったというところか」
「確かに、言われれば……そうかもな」
「おぬしは、魔王のわしでも受け入れてくれるといったな?」
「……ああ」
俺がそういうと、スロースはにこりと微笑み、気づけば俺は彼女に抱きかかえられていた。
「うむうむ、おぬしのような人間が出てきてくれてて嬉しい限りじゃっ!」
子どものような容姿の彼女に抱きしめられ、頭を撫でられているのはなんともおかしな状況である。
それにしても、力が強い。こんな見た目でも魔王というのは間違いないようだ。全力を出せば、逃げられるかもしれないがお互いに無傷ではすまないだろう。体のどこかを痛めてしまうだろう。
「なんじゃおぬし。もう少し喜びはしないのかえ?」
「……まあ、別にな」
「……そういえば、マリウスともやけに仲良かったのぉ。周りに女性を侍らせているわりには、そういう話を聞かないのも――」
「その言い方は誤解されるからやめてくれないか」
「まさか、おぬし、マリウスとそういう仲なのかえ!?」
「魔界の食材と同じで、脳がしぼんでるんじゃないのか」
「何をいうか、失礼な! かつて、人間の世界には男性同士の恋愛を描いた勇者がおったそうじゃ」
「それは勇者じゃなくて変態じゃないのか」
「変態とは、今貴様は全人類の半分ほどを敵に回したからの! 謝罪せい!」
「……いや、とにかく。俺は普通に女が好きだ。誤解するな」
「そうなのかえ? 胸の大きな女性じゃったか?」
「……なんでしってるんだ」
「ふふん、魔王に不可能はないんじゃよ。ほら、こんな感じかの?」
彼女はさっと姿を変えてみせた。先ほどよりもいくらか大人っぽくなり、その体には大きな胸が、ぎゅっと体を抱きしめてきて俺は顔が熱くなる。
さっきからのこれは奇襲だ。俺は反射的に彼女から距離をあけて構える。
「い、いきなりびっくりするだろ。こっちは女性との関わりが少ないんだぞ……っ」
「はっはっはっ、面白いのぉ、おぬしは」
そういって、彼女は元の姿に戻る。
……まったく話が進んでいなかったな。
とりあえず、魔界の食べ物がまずい、ということだけは実体験とともに分かっただけだ。
「……スロースのその変身って魔力を消費しているんだよな?」
「そうじゃな。魔素と魔力を組み合わせることで、ある程度の魔法を使用できるという感じじゃな」
「威力はスキルとそう変わらないよな?」
「そうじゃろうな。要はおぬしたちが聖素を消費して、スキルを使用しているのと同じじゃからな」
「……なるほど。おまえたちは、それを魔法と呼んでいるんだよな」
「ああ、そうじゃな。簡単にいうと、おぬしたち人間はスキルを正しく使用できていないというのが正しいかの? まあ、じゃからこそ、発動が早く、安定して使用できるという利点もあるのかもしれぬが……まず、わしらが使う魔法は魔素と魔力を組み合わせたものじゃ。それは理解できたかの?」
「……ああ」
「次に、おぬしたちが使用するスキルは、聖素のみを使用しておるんじゃ。じゃから、おぬしたち人間は魔族よりも能力が低い、と思うことが多いらしいんじゃな」
「……ということは、魔力と聖素を合わせれば、魔族並みのスキルを使える……というわけか?」
「そうじゃろうな。自覚があるかはわからぬが、おぬしのように人間の中で強い、といわれる者は、無意識のうちにそれらを組み合わせてスキルをより強化しておるはずじゃ」
「そう、だったのか」
少し合点が行った。確かに、強い人というのはスキル自体の能力が高い気がする。
「まあ、生まれ持っての聖素や魔力の量といった才能に関わる部分はあるじゃろうがな」
そうスロースはまとめ、アイスがついていた棒を揺らしてこちらに向けてくる。
「そして――恐らく世界で数少ない、聖素、魔素、魔力……これら三つを使いこなしている人物がおるのじゃ」
「もしかして、俺、なのか?」
「いや違うぞい」
「……そ、そうか」
「冗談じゃよ。おぬしじゃよ」
からかうように笑ってくるスロース。
……まったくめ。いま自意識過剰だったかと少し恥ずかしかったんだからな。