襲来3
その現場に行くと、リリアとリリィが一人の少女と向かい合っていた。
……少女は確かに人間とはいえない容姿をしていた。
翼や尻尾、それに鋭い犬歯が見え隠れしてた。
こうしてみると、シャーリエに少し似ているような気もしないではなかった。
周囲には冒険者たちがいて、その中央でリリアが剣を膝につき、呼吸を乱していた。リリィもまた、リリアの背後で魔法を構えていたが、その呼吸は荒かった。
「はぁぁぁ!」
リリアが叫び、大地を蹴る。同時、彼女が剣を振りぬくが、少女はため息とともに尻尾で剣を受けとめた。
「邪魔じゃ」
そういった少女が片腕をあげる。リリアへと指を向けると、その先から光が放たれた。
魔法による一撃だ。リリアの腕にあたり、彼女は顔を顰めながら後退する。
そのリリアの体を魔力が包む。治癒魔法だ。外皮を回復したリリアが息を一気に吸ってから、両手に剣を持った。
尻尾を揺らしながら少女は、ちらとリリィを見る。
……まずいっ!
リリアがまっすぐに少女へと向かうと同時、俺は一団から抜け出して、リリィの前に立つ。
まっすぐに放たれた光に、大盾を合わせる。一撃をしっかりと受け切り、少女を睨む。
「ルードっ、やっときてくれましたか! お姉ちゃんがピンチですっ、助けてください!」
「……リリアが苦戦するなんて、あいつはまさか――」
「魔王、アモン・スロース……だっ!」
「マリウス! いきなり飛び出すなよ」
「……ああ、本当にな。部屋に刀を忘れてしまって、こっそり取りに戻っていたんだ」
「あほか」
「おかげで遅れたが……っ。ここからは、オレがやつをたたっきってやる!」
彼は息を乱しながら、スロースを睨みつけていた。
リリアが弾きとばされると同時、スロースがこちらへと近づいてきた。
「ねぇ、そこの大きな男」
「オレはマリウスだっ。覚えているだろう、スロース」
「……マリウス? ああ、序列最下位の魔王じゃな! それで何じゃ? というか、じゃ。わしが呼んだのはおぬしじゃなくてそっちの男なんじゃが」
彼女は俺へと指を突き付けてくる。先ほどの魔法が脳裏に浮かび、警戒を強める。
ニンに目配せをすると、彼女は弾かれて動けなくなっていたリリアを回収して、治療を開始している。
俺の背後では、今にも少女へと飛びかかりそうなリリィがいて、それを片手で必死に抑える。こいつ、姉のことになると接近戦も始めるからな……たいして動けないのに。
「そう。おぬしじゃ。わしは、ここにあるものを探しにきたんじゃよ」
「……あるもの?」
そういって彼女は腹に片手を当てる。
ぐーっという音が周囲に響いた。
「リンゴールを食わせてくれい」
彼女の言葉に俺は驚きながらも、急いで近くの者にリンゴールを買いに行かせた。
〇
リンゴールを受け取ったスロースはそれはもう満足そうな顔をしていた。
俺はそんな彼女を見張る。場所は冒険者通りにある中央広場のベンチだ。そこに腰かけたスロースは無邪気な子どもそのものの笑顔でリンゴールにかじりついていた。
……行動も含めて、まさにすべて子どものような存在だ。だが、こいつは魔王で、リリアを圧倒した力を持っている。放置はできない。
……だが。少なくとも、今は敵対していない。引きだせる情報があるのなら、聞くしかない。
マリウスやニンもこの場にいて、俺が視線をやる。ほら、マリウスおまえ一応知り合いなんだし、何か聞いてはくれないか? ニンも女同士だし……いやニンに任せるのも少し心配だ。
「スロース。リンゴールはうまいか?」
「おいしいのぉ」
「食べ物が好きって言っていたよな」
「ああ! 魔界にはロクなものがないんじゃよ。久しぶりじゃのぉ、こんなうまいもんは」
彼女は満足そうに手元のリンゴールに視線を向けていた。
「……少し、聞きたいことがあるんだがいいか?」
「何じゃ?」
「魔王について、だ」
どう、反応する? 不安を感じていた俺だったが、彼女は首を傾げた。
「何じゃ? 魔王ならそっちに聞けばよいのではなからんか? 一応、まだ魔王ではないのかえ?」
「……今までよくは覚えていなかったが、あのときのことは、忘れてないからな」
「力がなかったんだから、仕方ないんじゃよ。力あるものが、力なきものを従える。力なきものは、力あるものの奴隷じゃ」
「……今はもう戦える力を持っている。貴様たちを全員倒せるだけのな」
マリウスの声には強い怒りが込められていた。
スロースは面倒くさそうにリンゴールを触っていた。
……いまいち、俺も聞いていない話が多くありすぎて、二人の関係が分からない。
「そもそも。魔王としての仕事をこなさなかったのが原因ではなからんか?」
「魔王としての仕事、か。あんなものは、仕事じゃない」
「立派な仕事じゃよ。魔界で生活するには、人間のエネルギーが必要なんだから」
「……だとしても、だっ」
マリウスの表情が険しいものになっていく。
「……二人だけがわかる話をするのはやめてくれないか」
「マリウス、話してなかったのかえ?」
「……黙れ」
マリウスが苛立った様子で声をあげ、腰の刀に手を伸ばす。
スロースがくすくすと笑い、片手をマリウスに向ける。
「だから、人間と仲良くなれたんじゃな。人間から力を奪い取る側だったというのに」
「黙れっ!」
マリウスが刀を思いきり振りぬくと同時、スロースはそれを尻尾で受け止める。
「上級魔族に、下級魔族が勝てると思っているのかえ?」
「やってみるか……っ。ここで!」
スロースが尻尾を動かすと、マリウスが弾かれた。彼はすぐに体を起こし、スロースを睨みつけている。
その彼とスロースの間に入り、俺は二人を睨む。
「マリウス。今は、抑えてくれないか」
「……ああ、わかった」
マリウスは唇を噛んでから、鞘に刀を戻す。
……何か、彼を不安定にするものがあるんだろう。それは、あとで彼個人から聞くとしよう。
「魔王と魔王の間に割って入る人間なんて、初めて見たのぉ」
スロースが少しだけ驚いた様子でそういった。立ち上がった彼女は俺の腰ほどまでしかない。興味深そうに目を細め、尻尾を揺らしている。
「よっぽど、腕に自信があるんじゃな」
「そうでもないな。ただ、どうしても退けないときがあるってだけだ」
「ほぉ」
彼女は顎に手をやり、それからマリウスを見やる。
「まあ、別にいいかの。それで、何が聞きたいのじゃ?」
「……七罪魔王が、魔王を率いているということでいいのか?」
「それに近いんじゃないかの。わしたちの上には魔神ソロモンがいるけれど、今はおらぬな」
「……魔神はいないのか?」
「女神との戦いで封印されているとは聞いたことがあるのぉ」
「封印……ってことは、生きているってことか」
「そんなところじゃな。ただ、莫大なエネルギーが必要になるのじゃ。序列一位のプライドはその解放を目指しているようじゃが、七罪魔王全員の意思が一致しているわけではない」
「……そうか。おまえは?」
「食べもんじゃ」
「……は?」
「おいしいものが食べたいんじゃよ。だから、こっちの世界にきておるんじゃ。それ以外に理由はないのぉ」
彼女はふんと自慢げに胸を張る。
……少なくとも、こちら側に危害を加えるつもりはなさそう、だな。
「……そうか。それだけ聞ければいいよ。ただな、その見た目で移動するのはやめておいたほうがいいぞ」
「そうかの? やっぱり目立つかえ?」
「……ああ、かなりな」
「そうかそうか。それはすまなかったのぉ。さて、それじゃあ……こんなかんじにしておこうかの」
ぽんと彼女は両手を合わせると、一瞬で姿を変化させた。
顔だちはそのままだが、肌は人間に近い色になり、翼や尻尾もなくなっている。服装も、町に溶け込む抑えたものだ。
「あんた、今の一瞬でそんな変身したのね……凄いわね」
ニンがぽろっと呟いた言葉に、スロースは嬉しそうに胸を張っている。
「おおそうじゃよ。上級魔族にはこのくらい簡単なものじゃよ」
「いちいちうるさい奴だな」
マリウスがむくれたように頬を膨らませ、腕を組んでいる。
「……それって他人にもつかえるの?」
「出来ぬことはないな。ただ、他者に使う場合はかなりの労力がかかるのぉ……」
「へぇ、変身は一時的なものなの?」
なぜかニンがとても興味深そうにスロースを見ていた。
そういえば、ヒューも色々と相談されたことがあったらしい、変身能力に関して。ヒューの場合は、他者の全身を覆うようにすれば姿を別のものに変化させることはできるらしい。一回り、大きくなってしまうし、もともとの体もあるため難しいところだが。
「そうじゃな。わしに使うのであれば長時間も可能じゃがな」
「そうなのね。じゃ、じゃあ……体の一部分だけを大きくするとかはできるの?」
「できないことはないの」
ニンが珍しく少女のように目を輝かせた。
……一体何の話をしているんだ?
「……ちょっと、試したいことがあるんだけど協力してくれない?」
「ほぉ、試したいことかの? それにしても、おぬしぐいぐい来るのぉ」
「それだけ真面目な相談なのよ。ケーキ食べさせてあげるから」
「ケーキじゃと?」
スロースがきらきらと目を輝かせている。
「ええ、リンゴールを使ったおいしいケーキよ。友達が得意なの。食べたいでしょ?」
……フィールか。魔王に料理を振舞うなんて聞いたら、たぶん吐くぞ。
それでも……さすが、ニンといったところか。
相手の懐に入るすべを心得ているというかなんというか。……うまく、魔王と親しくなることができれば、さらに情報を引き出せるかもしれない。
「た、食べたいのぉ! 食べさせてくれるのかえ!?」
「ええ、あたしの頼みも聞いてくれるならね。他にもおいしいものとか色々知っているし、知り合いにも相談してあげるわよ?」
「そうかのそうかの! なら、協力する!」
子どものように無邪気にスロースがはしゃいでいる。
……凄いな。ニンをちらと見ると、彼女もとても嬉しそうである。
ニンがスロースを連れて、住宅街へと向かった。恐らくフィールに会いに行くのだろう。ヒューを使って、ニンに「任せた」と伝えてからマリウスを見る。
彼はぷりぷりと怒っていた。
「マリウス、今回は……まだ敵対していない魔王だ。色々と思うことはあるかもしれないが、戦いはできれば避けたいんだ」
「……わかっているさ。町のこともあるしな。ああ、わかってる。わかっているが……うがぁ!」
彼はぐしゃぐしゃと髪をかき乱す。それから、大きく息を吐いた。
「そうだな。ああ、そうだ。すべての魔王を恨むのは、違う話だ。……ああ、スロースは生意気だが、直接的にオレが憎んでいるわけじゃない。今回は、見逃そう」
「……ありがとな」
そう伝えると、しかしマリウスはまだ表情が冴えなかった。
そんな彼に、俺は最後に一つだけ伝えた。
「話は、したいときで構わないからな。話したくなかったら言わなくてもいい。それでも、俺はおまえを信用しているからな」
「……ルード。ああ、わかった。すまないな」
マリウスは小さく頷き、僅かに笑みを浮かべた。
あとは、ニンがうまくいけばいいのだが……彼女を信じるしかないだろう。