襲来1
キグラスは魔剣を握りしめ、何度も何度も振りぬいていた。
汗が宙を舞い、彼は必死に剣を振りぬいていく。
しかし、キグラスの表情は冴えない。その不満が剣の一振りに現れ、彼の太刀筋はさらに乱れていった。
キグラスは大きく息を吐き、魔剣を放り捨てるように地面に投げた。
「くそ……遠いな、ちくしょう」
からんからんとむなしく音が響き、キグラスもそのままその場にしゃがんだ。
彼は地面に転がっていた魔剣を見ていた。魔剣がさっさと拾えとばかりに何度か魔力によるきらめきを見せたが、キグラスはそれを無視していた。
キグラスは頭をかきむしり、地面を殴りつける。そうして、削られた外皮に唇を尖らしていた。
彼が荒れていた理由は簡単だ。
かつて会得した剣に、追い付けなかったからだ。何度も動かしてきた体は、勇者になってからまるで鍛えていなかった。それでも、スキルを使えばどんな敵でも一撃で倒せるほどの力を持っていた。そのせいもあって、訓練をまったくしてこなかったのだ。
キグラスはその昔、ロクにスキルを持たない落ちこぼれだった。
だが、それでも必死に剣を振り続けた。気づけば彼は、そこらの冒険者にも負けないほどの力を手に入れていた。
経験が増え、高難度の依頼だって達成できるようになっていた。その頃には、いくつかのスキルが後天的に発現していて、さらに上のレベルにまであがっていた。
冒険者として名をあげていった彼は、やがて勇者の立場を下賜された。
――そのあたりから、キグラスの人生は崩れていった。
勇者というだけで、人が集まってきた。勇者の名前を使えば、女も男もよりどりみどりだ。男はもちろん、パーティーメンバーの話である。
今までそれほど裕福とはいえなかった生活をしていたキグラスは、勇者になってから一気にタガが外れ、豪遊するようになった。
そのときだった。聖女ニンをパーティーメンバーに誘ったのだ。
ニンはルードを誘い、さらにギルドからリリアとリリィが派遣され、五人による迷宮攻略が始まった。
いくつかの迷宮を攻略していったが、まったく鍛錬をつまないキグラスが段々と衰えていったのは目に見えて明らかだった。
だが、そんなとき。彼はライフバーストというスキルに目覚めた。己の外皮を消費することで、強力な攻撃と身体強化を行うことができるこのスキルによって、彼は再び冒険者として最強に近い立場を得た。
ただ、キグラスは己のスキルの効果を知るすべは持たなかった。スキル自体は使えたが、彼はスキルの効果を知らなかったのだが、それを周りに伝えることはしなかった。
自分に都合の良い効果を伝えていて、またそれを検証することもしなかった。検証する暇があるなら、酒をくれというのが彼の当時の意見だった。
パーティーメンバーが特に文句を言わなかったのも、彼のスキルが強力だったからだ。
そんなライフバーストの効果を理解したのは、ルードをパーティーから追放してすぐだった。
己の外皮を消費するスキルと理解し、今までどうして消費してこなかったのかと考え、ルードのスキルが関係していることを理解した。
昔からルードは外皮を人よりも多く削られることを気にしていたこと。
キグラスが、己のスキルの効果をでっちあげていたことが重なった結果が、ルードの追放に繋がったのだ。
そんなキグラスは今、一から鍛えなおすために剣を振っていた。なかなかうまくはいっていなかったが。
鍛錬が難航しているのは、かつての自分に遠く及ばないことに、キグラスが腹を立てているからだった。
〇
「ありがとうございます……っ」
「オレたち冒険者ってのは、命を金にしてんだよ。適正の依頼料が払えねえのに、依頼なんか出すんじゃねぇよ」
「も、申し訳ありませんでした」
「二度とすんじゃねぇぞ!」
キグラスは依頼者である農家の男性に言葉をぶつけ、立ち去る。
怯えた顔で依頼者たちは何度も何度も頭を下げ続けていた。
現在、キグラスは勇者の権利を返上し、冒険者として、旅をしている。
依頼を達成した彼は、戦い疲れた体をもみほぐし、そうして依頼内容を振り返っていた。どうギルドに答えるか、とそればかり考えていた。
今回受けた依頼は、キグラスが言う通り、依頼内容を偽り、報酬金を適正よりも落としたものだった。
依頼を受けた冒険者がもっと低ランクの者ならば、依頼達成することもなく、命を落としていた可能性もあった。
だからこそ、キグラスは怒鳴りつけた。とはいえ、彼も金がないという苦しみはわかる。金がなくても、必要な場面は出てきてしまう。
実際、キグラスが小さい頃に生活していた村でも似たような状況があった。そんなとき、一人の冒険者が村の脅威を退けた。その姿を見ていたキグラスは、冒険者に憧れ、いつか彼のようになりたいと思ったのだ。最近では、その時のことをよく思い出していた。
帰りの馬車でわずかに居眠りをしていたキグラスは、車輪が止まる音で目覚めた。
拠点にしていた町のギルドについたキグラスは、今回の依頼のありのままを話した。
そうしたうえで、今回は問題がなかったため、見逃すという結論を出す。今後、同じ依頼者からの依頼が来た場合は注意するように頼み、キグラスはその日の報酬を受け取ってギルドを出ていった。
「あら、キグラスさんっ! うち寄っていかないの?」
キグラスに気付いた客引きの女性が、キグラスの隣に並ぶ。
「わりぃな。勇者やめて、金ねーんだわ」
「え、そうなんですか?」
「まあな」
そういうと、女性は困ったような顔のあと、しばらく一緒にいたが去っていった。
キグラスは宿へと戻り、それから庭で剣を振り続ける。昔到達したあの剣筋を脳内に思い浮かべながら、何度も何度も。
汗をかき、それをタオルで拭いていたキグラスは、不意に吹いた強い風に目を細めた。
つむじ風のように巻きあがったそれに、顔を覆っていたキグラスは、眼前に現れた男に目を見張った。
「なんだてめぇは」
部分的なものを見逃せば、彼は人間とそう変わらない。だが、大きな黒い翼に、サソリの尾のような尻尾。
眼鏡をかけていた彼は、温和な笑みを浮かべていた。人の心へすっと入りこむようなそんな微笑に、キグラスは眉間を寄せていた。
「そんなに驚かないでください。僕はヴァレファール・グリード。まあ、みんなグリードと呼んでいますね」
「はん、それでグリード? 何のようだ? どうみても、人間じゃねぇよな? それに亜人って感じもしねぇな」
キグラスの言葉に、彼は目を見張り、それから口元を緩めた。
「どうやら、やはり僕の見込み通りの人みたいですね。素晴らしい才能をお持ちのようだ」
「はっ、皮肉かよ」
「皮肉? いえいえ、素直な気持ちですよ……ですが、どうやら力を扱いきれず、苦労している様子で。ですから、僕が協力したいと思ったんです」
「協力だぁ?」
「僕の元に、来てくれませんか?」
「先に言っておくぜ。金は持ってねぇんだわ。詐欺ろうとしたって、何も出てこないぜ」
「お金は必要ありませんよ。僕に力を貸してくれませんか、元勇者キグラス様」
「……力?」
「はい。この国を破壊するために、協力してほしいんです。そのためには、有能な人材がたくさんほしいんですよ」
彼の言葉にキグラスは額に手をやりながら、大きく笑う。
「この国を破壊、か。そいつはまたでっけえことを。そいつは楽しそうだが、悪ぃがオレにそんな力はねぇよ。てめぇ一人にも、そんな力はなさそうに見えるが」
「確かに、僕一人では難しいですよ。だから、国の協力を得ているんです」
「……国の?」
「ブルンケルス国。話くらいは聞きませんか?」
「……本気で言ってやがるのか?」
「はい。僕に協力をしてくれるのであれば、力を与えてあげますよ。冒険者のランクを一つ二つはすっ飛ばすほどの強力な魔素の力を、ですね」
キグラスは顎に手をやり、それから魔剣をちらと見る。
彼は一度魔剣を強く握りしめ、それからそれを地面に突き刺し、グリードへと一歩近づく。
「……はっ、話くらいは聞いてやるよ」
キグラスがグリードの手を握ると同時、彼らは空間へと飲み込まれ後には何も残らなかった。
それと同時に、魔剣が動き出し、ゆっくりと空中を移動していった。
〇
そして、ルードはそこではっと目を覚ました。
彼の隣には、一つの魔剣があった。添い寝した覚えはなかったが、なぜか隣で寝ている。
「……今のはおまえが見せたのか?」
魔剣は何も言わない。ただ、怪しく光を放つだけだった。
ルードは魔剣をしばらく見て、それから夢を思いだす。
「ヴァレファール・グリード。あれは、人間じゃない、よな」
あとで、マリウスに相談するか、と彼はつぶやいて二度寝した。