クーラス11
「……レクラー、僕は――」
「何、情けない顔してやがんだよ」
レクラーはキジャクを叱りつけながらも、走る。
結界がなくなったことで、あちこちから魔物が入ってきていた。
街のあちこちで戦闘が発生している。もちろん、騎士や冒険者たちもいたが、結界という制限がなくなった魔物たちによって、その被害は増えている。
「戦いに、被害が全く無いなんてことはねぇんだ。おまけに戦場がこの街になった以上、このくらいの被害は覚悟しておくしかねぇんだよ」
「……だとしても、だ。僕じゃなければ、もっと被害は抑えられていたんじゃないか?」
「人でそんなに変わりゃしねぇよ。これから、てめぇはこの街の結界を直すんだ。おまえにしか、できねぇことだ」
レクラーの言葉に、キジャクは不安そうな表情とともに頷いた。
結界装置が置かれている建物へすぐにたどり着く。そこでは多くの魔物と騎士が倒れていた。
「……なるほどな、原因はこいつらか。敵も、結界をどうにかするつもりで、中に押し入ってきていたみたいだな」
「……酷い」
「これが戦いなんだ。生きるか死ぬか、そんだけだ。死者を弔うには、この街を守り切るしかねぇ。行くぞ」
外壁が崩れ、金属音や雄たけびが響く。建物内で今も騎士と魔物が交戦しているのは、外にいた二人からでもわかった。
建物へと入ると、普段は美しい廊下が、今は人間と魔物の血が入り乱れた惨たらしい状況になっていた。
倒れていた騎士の一人に、レクラーが声をかける。
「結界装置のほうはどうなってる!?」
「ま、魔物が……! 強いウェアウルフに襲われたせいで!」
「……了解だ! キジャク、向かうぞ!」
レクラーは騎士にポーションを渡してすぐに立ち上がる。
唇をぎゅっと結び、キジャクがそれに頷く。二人が走りだすと、細身のウェアウルフが廊下からレクラーへと飛びかかる。
レクラーは半歩さがったあと、そのウェアウルフの胸倉をつかみ上げ、地面へと叩きつけた。
その背後から、騎士が現れ、ウェアウルフを背中から切り崩した。
「大丈夫ですか……っ。レクラーとキジャクじゃないか、どうした!?」
「結界装置に異常が出たみてぇでな。様子を見に来たんだよ」
「そ、そうかよかった……っ! 整備できる騎士が全員がやられてしまって、どうしようかと思っていたところだ。それに――早く戻り、ゴッズさんを助けないと、ぐっ……」
彼もまた外皮を失い、すでに満身創痍であった。
レクラーがそっと体を支えると、騎士はすまないと一言言ってから体を起こす。
「ゴッズがどうしたんだ?」
「今も、ウェアウルフのボスのような奴と戦っているんだ! 他の奴らとは格が違い――騎士のほとんどが奴にやられたっ」
「なんだって……まだそんな化け物みてぇな奴がいたのか。了解だっ。おまえは騎士たちの治療にあたれ! ゴッズのほうはオレたちでなんとかする!」
「わかった……っ。たのむぞ、二人とも!」
二人は走り出し、階段をかけあがり、装置のある階層へとたどりついた。
そこには何体かのウェアウルフがいて、騎士と交戦していた。
一パーティー程度でどうにかウェアウルフ一体を押さえている。そこにレクラーとキジャクも加わる。
「おい、装置はどうなっていやがる!」
「お、奥の部屋だっ!」
「了解。さっさと突破するぞ!」
レクラーが剣を構え、キジャクも魔法の準備を始める。ウェアウルフが咆哮のあと、床を蹴って跳躍する。
鋭い爪で切り裂くように腕を振り落とす。レクラーが剣ではじき、キジャクが魔法を放つ。
ウェアウルフが回避したそこへ、騎士たちが飛びかかる。ウェアウルフが転がってかわすが、そこへレクラーが飛びかかった。
一気に距離をつめ、ウェアウルフの胸を切り裂いた。静かになったウェアウルフを確認して、レクラーはすぐさま奥の部屋を見つめた。
「ゴッズが奥で戦ってるんだろ? 急ぐぞ!」
レクラーが叫び、騎士たちも立ちあがる。
奥の部屋の入口は傾いていた。その扉を蹴り破るようにレクラーが中へと入る。
そこにはゴッズとウェアウルフが向き合っていた。ゴッズは何とかといった様子で肩で呼吸をしていた。それだけ、ぎりぎりの戦闘を行っていたのだろう。
だが、そのウェアウルフはこれまでの速度を重視したような細身のものとは打って変わり、筋肉で膨れ上がっていた。
ルードたちが相手していたストームに非常に近い肉体を持っている。そのウェアウルフの瞳がぎろりとレクラーたちを睨みつけた。
「ゴッズさんを助けるぞ!」
騎士たちが叫び、剣を掲げウェアウルフへと飛びかかる。
ゴッズが慌てた様子で目を見開いていたが、騎士たちがそれを見ることはなかった。
「邪魔を、するなっ!」
ウェアウルフが咆哮をあげると同時、床を蹴る。騎士たちの外皮は一瞬のうちに削られ、続く攻撃で喉や腕を切り裂かれる。
絶命したもの、致命傷を負ったものたちが、床を転がり、うずくまる。
ウェアウルフは付着した血をなめとるように腕をあげる。その腕や足は建物を支える柱のように太い。
キジャクの顔色が真っ青になる。目の前に、自分ではどうしようもない相手がいるのだ。怯えるな、というほうが無理な話だろう。
彼らの奥では、多少傷の目立つ結界装置があった。そちらに視線を向けたキジャクの頭を、レクラーがつかむ。
「あの化け物は、オレたちでやる。おまえは、装置にだけ集中してろ」
「……わ、わかった」
レクラーはそういうと同時、地面を蹴った。キジャクへと注意がいかぬように、とにかく動く必要があった。
レクラーの剣をウェアウルフは片腕で受け止めた。
きんっという金属音が響く。ウェアウルフは腕を魔法で硬化させ、攻撃を受けとめたのだ。
瞬時にウェアウルフは体を捻ると、レクラーへと拳を振りぬいた。
レクラーは体を反転させて攻撃をかわした。だが、腕を振りぬいた際に生まれた風圧に、レクラーは顔を顰めていた。
直撃していればひとたまりもないだろう攻撃が、今の一瞬で生まれたのだ。
だが、その一瞬で、キジャクは装置へとたどり着いた。ウェアウルフも、それは覚悟していたのだろう。ちらと視線を一度だけ向けてから、腰を落とす。今はレクラーとゴッズの二人に集中するとばかりに。
レクラーとゴッズは一度だけ視線をかわす。
「おまえたちが、それなりの戦士であることは理解している。だが、我々もストーム様を守るために戦っている。悪いが、命を奪ってでも通させてもらうぞ」
ウェアウルフが拳を構える。
レクラーとゴッズは視線を一度かわした。
「ゴッズ、おまえが敵を引き付けてくれねぇか」
レクラーが冗談交じりの笑みを浮かべる。
「何か策でもあるのか?」
「いや……あれとやりあいたくなくてね」
「ふざけたことを抜かすなよ。オレだってやりたくはないんだ」
お互いにそれだけ言葉をかわしてから、床を蹴りつけた。
ウェアウルフの激しい攻撃をレクラーとゴッズが捌いていく。二人は個人で見れば、ウェアウルフよりも力は弱い。だからこそ、お互いに隙を埋めるように動いていく。
それによって、五分五分の戦いが展開されていく。
気を抜けば命を奪われるような戦いが背後で繰り返されている中で、キジャクは装置を操作し、結界装置の異常を探している。
本来、集中が難しいこの局面で、キジャクは結界装置を弄っていた。
彼は小さい頃から魔道具に触れてきていた。今、まさに、そのときのような無邪気さを抱えて、問題のある部分を修復していく。
「いた……っ!? だ、大丈夫ですか!?」
そんなときだった。ゴッズが弾き飛ばされ、キジャクへと当たった。
キジャクはゴッズの体を軽く揺するが、彼は目を閉じたまま動かない。キジャクは彼の呼吸や脈を調べ、死んでいないことにほっとしたのも束の間、顔をあげた。
ゴッズがやられた以上、戦っているのはレクラーだけだ。
「ゴッズ、キジャク!」
ウェアウルフの拳がレクラーの顔を捉えた。彼の外皮が吹き飛んだのが、激しい音によってわかった。
レクラーを一瞥したウェアウルフはまっすぐにキジャクへと向かう。
キジャクははっとして、よろよろと後退する。しかし、後退は背後の装置によって阻まれる。がたがたと彼の体は震えだした。
キジャクが逆立ちしても、ウェアウルフには勝てない。まぐれでの勝利などありえない。
「……なかなかの戦士たちだった。だが、この戦いは、オレたちの勝利だ」
ウェアウルフが叫び、足をあげる。
キジャクは必死に魔法を構築しようとした。しかし、恐怖に支配されたままの彼では、まともに魔法を準備することもできなかった。
ウェアウルフが足を振り下ろそうとしたとき、炎の柱がウェアウルフの体を吹き飛ばした。
「もう……何も失うわけにはいかねぇんだよっ!」
そんな叫び声が部屋全体に響いた後、レクラーの体が燃え盛っていた。彼が持つ剣も同様に、炎をまとっている。
レクラーが地面を蹴りつけ、ウェアウルフを切りつける。
ウェアウルフが振り返りざまに、腕で受け止めたが、火炎をまとった剣がその体を焼く。
ウェアウルフは急ぐように水で火を消す。
レクラーの体は今もなお燃え盛っていて、彼の眉間には深いしわが刻まれていた。
「れ、レクラーその体は」
「はっ、隠してた必殺技だ。時間は稼いで、やるから……修理を始めろや」
キジャクはこくりと頷き、装置へと向かう。
レクラーは即座にウェアウルフへと切りかかる。ウェアウルフは驚いた目とともに、レクラーの攻撃を捌いていく。
しかし、火炎をまとった攻撃に、ウェアウルフは顔を顰めていた。
「貴様の力――それは、精霊術か」
「ああ、出来損ないのな!」
「おまえに、精霊術の適性はないのだろう? その体で力を使い続ければ、命を失うことになるぞ」
「……はっ、それでも。てめぇに勝てるってんなら構わねぇよ。もう、オレは、なにも失いたくはねぇんだよ」
レクラーは床を蹴りつけ、ウェアウルフへと剣を振る。力自体も強化されていて、その一撃によってウェアウルフがよろめく。
顔を顰めたウェアウルフは、攻撃ではなく回避へと移る。
レクラーの息が切れるのを待つように。だからといって、レクラーも精霊術を解除するわけにはいかなかった。一度解除したとして、次またすぐに発動できる代物でもない。
その隙をつかれれば、今のレクラー一人ではウェアウルフを倒すことはできない。
ゆえに、無駄とわかっていながらも、力を発動したまま攻撃を続けるしかない。
失うわけにはいかない。その言葉には強い決意がこもっていた。
レクラーの出身はブルンケルス国だ。
ブルンケルス国では、昔から軍事面での研究が進んでいて、精霊術もその一つだ。適性のないものでも使用できるように研究されたのが、この精霊術だ。
己の肉体と寿命を削ることで、精霊術を発動することができる。それは諸刃の剣だ。
たとえ死ぬことになったとしても、後悔はしたくなかったのだ。かつて、ためらい、後悔したからだ。
彼は大切だった家族を失った。息子が体内に持つスキルが貴重なものであり、研究に使うためと殺されたのだ。もちろん、反抗したレクラーだったが、個人の力で国に勝つことはできなかった。
生き延びてしまったレクラーは行くあても無くさまよい、この国にたどりつき、この街についた。
ボロボロだった彼はそこでキジャクに助けられた。当時、まだ十歳だった彼の無邪気さに救われたレクラーは、ここで彼を守りぬくことを決意した。
例え、己の命を犠牲にするような力だとしても、それで何かを守れるのなら――もう後悔はしないと。
燃えさかる決意とともに、レクラーは燃える剣を振りぬく。
だが、その一撃はあまりにも隙だらけだった。ウェアウルフがぴくりと反応し、すかさずレクラーの腹へと蹴りを放った。
意識が飛びかける。とっくにレクラーの外皮はなくなり、生身で受けた攻撃に、レクラーはよろよろと体を起こす。
「終わりだ、人間の戦士よ」
ウェアウルフが足を振り上げた瞬間、その体ががくんと傾いた。
「……まさかっ」
「こっちだ……っ!」
声を張り上げたのはキジャクだ。
彼の周囲にはいくつもの魔法陣が展開されていた。
次々に放たれた魔法がウェアウルフへと襲い掛かる。どれも大した威力ではなかったが、結界が作動した今、ウェアウルフにはそれなりの脅威となって襲い掛かる。
「僕の……仲間を殺させやしないっ!」
ウェアウルフが煩わしそうに魔法をかわしていく。そして、その顔が驚きに染まった。
ゆらりと起き上がったレクラーが剣を振り上げる。彼の体に僅かに残った火が、その剣へと移る。
そして、隙だらけだったウェアウルフの背中を切りつけた。
「……見事だ」
ウェアウルフはその場で倒れ、キジャクたちは警戒するように視線を向ける。
「やるじゃねぇか、キジャク」
息を乱しながら、レクラーはなんとかといった様子でキジャクに声をかける。
「レクラー! 大丈夫か!?」
倒れたレクラーの体を持ち上げ、キジャクはポーションを取り出して彼に渡す。少しでも治療できればそれでいいと。
目を閉じるレクラーにキジャクは無理やりに飲ませていく。
「レクラー! しっかりしろ!」
キジャクは両目に涙を浮かべていた。
そして、レクラーはよろよろと腕をあげて腹へと手をあてる。その腹から、ぐーっと大きな音が鳴った。
「悪ぃ、腹減った」
キジャクは唇をぎゅっと結び、ほっと息を吐いた。