勝利の宴
フィルドザウルスが倒れてからも、自警団の人々はいまだ硬直したまま動かない。
戦闘が終わったという実感が湧かないようだ。
俺は剣と盾の構えをとき、未だこわばったままのフィールに近づいた。
「やったな」
「……あ、ああ。みな、これで終わりだ! 私たちの、勝利だ!」
フィールが拳をつきあげ、そう叫ぶ。
それは皆に伝染していく。
涙を、笑顔を浮かべる彼らの中で、シナニスだけは難しい顔で俺を睨んできた。
「……何がFランクだよ。おまえ、かなり強いじゃねぇか」
「そうでもない。仕留めたのはおまえたちだろ」
俺が攻撃に参加した回数は少ない。
皆へ注意がいかないように挑発を使っていた。
そのため、とてもじゃないが攻撃スキルを発動できるほどの余裕がなかった。
「クソっ。今回のフィルドザウルスは、おまえがいなけりゃあどうしようもなかったってんだよ……オレももっと強くならねぇとな」
「お前は強くなれる。まだ、十六くらいだろ? 俺は今二十だ。いいか、二十だ。あと四年もあれば、俺を超えることだって可能なはずだ」
まだ、おっさんじゃないからな?
「ったりめぇだ」
シナニスは少しだけ頬を緩め、仲間のもとに向かった。
背後から肩を掴まれる。振り返るとニンがいた。
「……あんた、今回どんだけ体力削られたの?」
ぶるりとくるような声だ。
そんな食らってないっての。
「……15000くらいだな」
ポーションは10個程度しか使用していない。
ニンの回復がなければ危なかった。
「そんなに!? あんたそれ、かなり死んじゃってるじゃない!」
「俺の体力は9999だって知ってるだろ。一人と半分くらいしか死んでいない」
「ていうか、どっちにしろ一人死んじゃってるじゃない! ……ああもう!」
ニンは俺の体をじっと見てくる。
所詮どれだけくらっても、すべて外皮が肩代わりだ。
キグラスと組んでいた時は、一度の攻略でもっとくらっていた。
……黙っておいた方がよさそうだ。
「どうしたのよ?」
「いや、なんでもない。解体の手伝いに行ってくる」
危ないところだった。
逃げるようにフィルドザウルスの死体へと向かうと、ひょこひょことルナがついてくる。
「どうした?」
落ち込んだ顔をしていたので、思わず訊ねる。
すると、彼女は小さな唇を震わせた。
「なんだか……その、魔物たちが……可哀そう? でした」
俺についてきたルナが、ぽつりとつぶやいた。
前に戦ったトラとは違い、フィルドザウルスたちの感情は手に取るようにわかってしまう。
それが、ルナの心に響いたのだろう。
「俺たちは、俺たちの身を守るために他者を殺す。フィルドザウルスだって同じだ。……町の外は、力がものをいう世界だ。俺たちは、そんな世界で生きているんだ」
「……それが、冒険者ですよね」
「ああ。殺すのに慣れろ、とは言わない。ただ、戦っているときは考えないほうがいい。考えたら、きっと動けなくなる」
「マスターもそうなのですか?」
「そうかもな。だから、考えない。俺は死ぬわけにはいかないからな」
人間からの視点で見れば正義だ。
けれど、魔物から見れば、俺たちは悪だ。
考えるだけ無駄な議論だ。
……無駄というか、考えてはいけないんだ。
笑顔を向けると、ルナはまだ元気のない顔ながらも、納得したようにうなずいた。
あらかた解体がすんだところで、フィールが手を鳴らした。
「町に戻ろう。皆心配しているだろうしな」
先に何名かが討伐報告で向かっている。
ただ、やはり自分の目で見るまでは安心できないだろう。
自警団の人には家族がいる。
俺だってそうだ。
俺も早く、マニシアの顔を見たい。
手分けして素材を担ぎ、俺たちは町へと向かう。
その途中だった。
ルナがある方角を見ていた。
「……どうしたんだ?」
「これ――」
ルナが指さした先には、一つの卵があった。
……フィルドザウルスのもの、かもしれない。
「破壊した方がよいのでしょうか」
ルナの瞳が揺れた。
「いや……持ち帰ってみるのも、ありかもしれないな」
王都では、魔物をペットとして飼うのも流行っている。
卵から育てれば、魔物でも人に懐くと聞く。
……ダメだったら、そのときは俺が責任をもって処理しよう。
ルナは人の頭ほどはあるだろう卵を抱え上げる。
ルナにとっても、何かを育てるのは良いと思った。
「持ち帰ってよいですか?」
「ああ。ルナが面倒を見るならな」
「ありがとうございます」
このままここに放置されるよりは、きっとそのほうがいい。
魔物として目覚められても、困るしな。
俺たちが町へと戻ると、フィルドザウルス討伐の功績をほめたたえられる。
人々の歓声が響く。「今夜は祭りだー」という声がどこかから聞こえてきた。
自警団本部へと戻り、フィールが状況を報告していく。
俺たち冒険者の役目はここまでだ。
報酬だけはもらって、建物を後にする。
「おい、ルード!」
シナニスに呼び止められた。
振り返ると、彼は拳をこちらへと向けてきた。
「次にあったときは負けねぇからな!」
「期待して待ってるよ」
シナニスはにぃっと笑った。
無垢な少年のような笑みに、俺の口元も緩んだ。
彼らが去っていったところで、俺たちも自宅へと戻る。
「兄さん、ご無事でしたか」
玄関をあけてすぐ、マニシアが近づいてきた。
安心した様子の彼女に笑顔を返す。
「当たり前だ」
「よかったです」
ほっとしたように息を吐いてから、彼女はリビングの椅子に座りなおした。
ニンたちがいたからか、少し冷たいマニシアだ。
いなかったら、抱きついてきてくれたかもしれない。残念だ。
「ルナ、卵は温めておくといい。フィルドザウルスの卵ならどんな環境でも孵化できると思うが」
「承知しました」
「余っている布団があるからそれを使うといい」
「はい、ありがとうございます」
俺はもらってきたフィルドザウルスの肉を冷倉庫に入れてくる。
今夜は宴が開かれる。
食事は簡単なものでいいだろう。
「それにしても、なんだか色々大変ね。フィルドザウルスに、迷宮の発見。あんたってもしかして疫病神なんじゃないの?」
「それなら、おまえだろ? お前が来てから色々起こっているんだよ」
「あたしはそんなことないわよ。今までの人生で運はよかったのよ」
それはアテにならないっての。
俺だって今までの人生はそれはもう幸せ続きだ。
だって、マニシアと兄妹でこの世で生きていられる。
それが、他のすべてを打ち消してくれるほどの幸せだ。
〇
夜になると、町はそれはもう大騒ぎだ。
火を囲み、飲んで食って歌って叫んで……人々は日々の疲れを忘れるように騒いでいる。
あれに混ざるほど陽気な性格ではない。
マニシアたちと一緒に隅の方で、時々食事をいただく。
「おいルード! そんな隅で何やってんだ!」
「魔物討伐の主役が、そんな場所にいるなんてダメだろ! ほらこっちこいよ!」
腕を掴んでくる町の男衆の手を払う。
「いやだよむさ苦しい。俺はマニシアたちと一緒にご飯食ってたいんだ」
「ちっくしょう! まあいい! 今回はありがとな!」
「おうよ! また今度、稽古の相手でもしてくれや!」
彼らは笑顔とともに別の人に声をかける。
……元気な奴らだな。
俺は再び地面に座り、テーブルにのっている食事へと手を伸ばす。
「いいわね、こういうの。祭りみたいで。あたし大好きよ」
ニンがそういって酒をあおる。
おまえは酒が飲みたいだけだろ。
もう何杯目かわからないくらい飲んでいて、見ているこっちが酔いそうだ。
ニンは酒に強く、まったく赤くない。
「楽しんでいるか、みんな」
フィールがやってきた。
基本装備の鎧と兜を外していて、美しい金髪が夜の闇に映える。
「おまえこそ、大丈夫だったか?」
「……正直、未だに実感が湧かないな。フィルドザウルスを倒したことのな」
「ばっちり倒してたぞ」
フィールにそう言うと、彼女は柔らかな笑みのあと、頭を下げた。
「……ありがとう。おまえのおかげで、なんとかできたよ」
「俺は何もしていない」
「してくれたさ。おまえが、私を誘導してくれた。第一、今回の作戦はおまえがいなければそもそも実現しなかった。……感謝する」
「それなら素直に受け取っておくよ」
彼女は俺たちの隣に腰かける。
天空へと昇るように燃え盛る火を見つめ、フィールは頬を緩めた。
「父さんも、そろそろ私に引き継がせたいのだと思う」
「まあ、あの人も髪が薄くなり始めているしな」
「ふふ、結構気にしているんだ。直接は言うなよ。……今回ので、私一人ではまだまだ未熟者だと気づかされた。誰かの命令で剣を振ることには慣れていたが、自分で指示を出すのは随分と違うものだな」
その気持ちは、わかる。
俺もリーダーになったことは数えるほどではあるが、あの重圧感はすさまじい。
自分の決断がすべてを決める。
魔物との戦いなら、命を預かってる身だ。
決断を出すのは怖い。
それでも、やらないといけないときもある。
「はっきり言うが、俺だってそんな立場になったことは少ない。だから、俺が正しく導いたわけじゃない。俺は補助したかもしれないが、それが間違っていたかもしれない。最後に決断をしたのは、おまえなんだ。……だから、今回の戦いはおまえのものだ」
フィールは口をわずかに動かしたあと、ぎゅっと結んだ。
そんな話をしていると、酒臭いニンが顔を近づけてきた。
多少酔っぱらってきたのか、俺とフィールの間に入って肩を回してくる。
「もう、あんたたち! 全部うまくいってそれでいいじゃない! せっかくの宴で反省会なんてもったいないわ! ほら、フィールも飲みなさい!」
ぐいっとグラスをフィールの頬に押し当てる。
「あ、ああ……ありがとう」
「いやおい!」
待てニン、フィールに酒を飲ませるな!
ニンから酒を受け取ったフィールを、俺が慌てて止めに向かう。
しかし、悲しいかな。俺にそこまでのスピードはない。
こくこく、とフィールが飲んでいく。
そして、目が据わる。あっ、これもう手遅れだな。
俺はさっさとフィールから逃げようとしたのだが、
「るーどぉぉぉ! こわかったよぉぉぉ!」
突然泣きながら、俺のほうに抱きついてきた。
ニンはぽかんと口を開いている。
フィールは……酒に弱いんだ。
彼女の体が押し付けられる。残念ながら胸はない。
だから鎧をつけているときとそう変わらない。口に出せば殺されるだろう。貧乳といえば、ニンとマニシアも加わってくるかもしれない。
「そ、そうだな。怖かったな」
ぽんぽんと背中をなでる。
捕まってしまったのだから仕方ない。
「もぉ、いやだよぉ! わたしね、ああいう立場、本当に苦手なんだよぉっ!」
「知っている、よく言っているもんな」
「うん……だから、あのね。るーどももっと助けてよぉ……わたしひとりじゃ無理だからぁ……」
「わかってる。今日だって手助けはしただろ。これからもそうだ。自警団のみんなにはいつもお世話になってるからな」
「ほ、ほんと!? それなら結婚してくれるの!?」
「なぜそうなる」
「だ、だって……わたしのかわりに自警団のリーダーになってくれるんでしょ? 違うの?」
「……結婚はしない。リーダーにもならん」
「る、るーど……そんなぁ」
今にも泣きだしそうな彼女を見て、俺は唸りそうになる。
「……困っていたら手を貸すから。それでいいだろ」
「るーど! 大好き!」
フィールがぎゅっと抱きついてきた。
……フィールは酒が入ると別人になる。
痛いから、その鉄鎧を押し付けないでくれ。
あっ、今は防具つけてなかったな。
「……ニン、フィールに酒を飲ませちゃダメだ」
「あ、あんたたち……そういう仲なの?」
「違う。フィールは酒に弱いんだ。ただ、すぐに記憶が飛ぶから何も覚えちゃいないけどな。そして、フィール自身は酒に強いと思っている」
「……そう、なのね」
次の日にはけろっとしているからな。
どんなに酒を飲んでも、次の日にはぴんぴんしているから、強いっちゃ強いんだけどな……。
「フィール様はかなりしっかりしている方だったので、少し意外でした」
ルナは目を見開き、フィールをじっと見ている。
「誰だって色々あるもんだ。どれだけ気丈にふるまっても、心の中では色々葛藤しているもんなんだ」
「そういうもの、なのですね」
「……そう、ね」
ニンがつぶやいて、頷く。
夜空へと伸びていく煙を眺めながら、俺は膝の上で寝息を立てているフィールの背中をなでる。
「……羨ましい」
ぼそりと、そんなことを呟いたのはマニシア。
最近のおまえは、似たようなもんじゃないか。
なんなら今ここでお兄ちゃんの膝の上に来てもいいんだぞ?
目で訴えかけるが、マニシアはぷいっとそっぽを向いてしまった。