クーラス2
騎士の宿舎は冒険者街と市民街の境目あたりにある。俺の自宅からも程近い場所だ。
急いで向かい、ゼロッコさんと合流して、中へと入る。
部屋には教会関係者とギギ婆がいて、彼の治療をちょうど終えたところだった。
……酷い、怪我だ。彼の顔の半分は包帯で巻かれ、腕も折れてしまっているのか、同じように包帯で固定されている。
着ていたと思われる衣服は近くに丸まっていた。血がべっとりとつき、爪で切り裂かれたような跡が残っている。
上半身を何もまとっていない男性騎士の腹部には包帯が巻かれていたが、それも赤く染まってしまっていた。
……外皮を失い、なおもボロボロの状態となるまで戦い、ここにたどりついたのだろう。
「私は、クーラス配属の騎士、ベルガであります。今回、魔物の調査に協力してくれたのはとても感謝しております」
元々、騎士がやるはずだった調査だったが、騎士だけでは手がたりなかったため、クランに代行を頼んだそうだ。ただ騎士側も人員を出す必要があり、ゼロッコさんが俺に協力できないかと話し、俺が了承し、マリウスたちを派遣したのだ。
「……ベルガさん。俺はクランリーダーのルードだ。街は……あなたはどうしてそれほどの傷を負ったのですか?」
俺はここでの会話がそのままヒューたちに届くように、ミニヒューを近くの机においた。
「私も、正直いって半信半疑なのですが――突如、クーラスにある四つの門をふさぐように、魔物が召喚されました。……なすすべもなく、クーラスは魔物たちに包囲されてしまい、現在は結界装置の起動によって、何とか魔物たちの侵入を抑えているという状況です」
……彼の言葉に、俺たちは顔を見合わせるしかなかった。
突然の魔物の召喚……そんな話聞いたことがなかった。
だが、これでヒューが聞こえなくなった理由は、おおよそ予測できた。
……たぶん、魔物だから結界装置に阻まれてしまったのだろう。ということは、マリウスたちは街の中にいて、魔物が召喚された場面には出くわさなかったのだ……と思う。そうであってほしかった。きっと、無事だろう。
と俺の左手が柔らかく包み込まれた。そちらには、明るく微笑むニンがいた。
「ルード。大丈夫よ」
「……ああ、ありがとう」
ニンは俺の気持ちを察してくれたのだろう。
……リーダーとして、最悪を考える必要があるのかもしれないが、今だけはそれはしたくはなかった。
ゼロッコさんがベルガに問う。
「結界装置はどれほど持ちますか?」
「現状では、恐らくは明日の朝……日が出るまではもたないかと――」
……それじゃあ、それまでに魔物たちを撃退する方法を考えなければ、魔物たちによって街が蹂躙されてしまう、かもしれない。
もちろん、クーラスは流通の拠点である大きな街で、騎士や冒険者は多くいる。
だが。だからこそ、結界装置を起動したという状況に、顔を顰めずにはいられなかった。
……それだけの戦力を保有しているクーラスが、結界装置に頼らざるを得なかった。
そして、今もなお、結界装置を使い続ける必要があるというのはつまり……それだけ魔物が大量にいるというわけだろう。
「ベルガさん。このことを外部に連絡はしていますか?」
俺の言葉に、ベルガは首を振った。
「……魔物たちの魔法なのか、スキルなのかわかりませんが……念話スキルを持った騎士が連絡をできないんです。発動しようとすると、それに魔物が干渉してきて……そのまま体を乗っ取られて――」
彼の表情が険しくなる。……遠距離へと発動するスキルに干渉して、体を乗っ取る……? そんな芸当が可能なのか?
「時間も時間。外から訪れる予定だった人々のほとんどが、魔物たちの餌となってしまいました。……それでも、この状況を外に伝える必要がありました。……そうするには、人が足を使って伝えるしかありませんでした。私はその部隊の、最後の生き残りです……地下水路を使って外に出て、部隊長が身を呈して時間をかけてくれたからこそ――」
彼の目じりに涙が浮かぶ。彼が持っていたのは、ネックレスだ。それは、もしかしたらその部隊長のものなのかもしれない。わなわなと震えている彼の手を、ゼロッコさんがそっと触れた。
「そこで、私が見つけて保護、しました。現在、我々から伯爵様に連絡を行っていますが、返事まで考えても一日以上はかかってしまうでしょう」
「はい。今、セインとセインリアにはすぐに戻ってきてもらうように連絡をしました。セインに手紙を、セインリアで近くの街に呼びかければ、時間は短縮できるでしょう」
「ありがとうございます」
ゼロッコさんがすっと頭を下げてきた。
ヒューを通じて、街の状況はおおよそわかった。確かに結界が張られているおかげで、街の中はまだ安全だ。
だが、周囲には大量の魔物がいる。ヒューから伝わる景色から見るに、普段は見ないような魔物の姿も確認できた。
……正直いって、結界がなくなってしまえば、そのままクーラスの街が落ちる、だろう。
ベルガが一度せき込んだあと、口を動かした。
「敵の数はこちらで把握した限りではおおよそ、5000。何より、厄介なのはそれらを従えている魔物の存在です」
5000という魔物の数に、俺は驚く。
「……厄介な魔物とは?」
「――ストームウェアウルフ」
ベルガがそういって、俺は思わず目を見開いた。
……この世界には何体か、魔王や魔神が生み出したとされる魔物がいた。
例えば、海を荒らすクラーケン。空を支配する、デスワイバーンなど……。
だが、それらはすべて勇者が封印したとされていた。そう、かつて最強といわれた勇者でも、討伐はできず、封印することしかできなかったとされる魔物たちだ。
……魔王の配下の一人。ストームウェアウルフ。俺もその魔物の名前くらいは、聞いたことがあった。
「ルードさん。クーラスの街の次に狙われるのは、おそらくここや近くの田舎町になるでしょう。……町を放棄し、逃走する準備を進めるべきではないでしょうか」
そういうゼロッコさんの拳はぐっと固く閉ざされていた。
……彼もクーラスをどうにかしたいという思いが、その拳から見て取れた。
……俺だってそうだ。クーラスの街には、大事な仲間たちがいる。このまま、黙って避難を始めたくは、なかった。
と、ベルガがゼロッコさんの腕をつかんだ。
「ぜ、ゼロッコ……さん。クーラスの街を救うことはできないのでしょうか! あそこには俺の友人や仲間がたくさんいて……それに――」
「ベルガ。これから先、おまえはもっと多くの決断をしていく必要があります。今回も、その一つです。悪いですが、この街の戦力だけでは、クーラスの街を奪還できるほどの力はありません」
現時点の、戦力だけでは、な。
悔しそうに歯噛みし、涙を浮かべるベルガ。
ゼロッコさんだって、どうにかしたいという気持ちはあるだろう。だが、現実は――難しい。
現時点での、戦力だけでは、だ。
「ゼロッコさん。クーラスの戦力はどのくらいになりますか」
「……騎士と冒険者を合わせても、3000あるかどうか、でしょう」
3000、か。
それなら、十分……どうにかできるのではないだろうか。
「それなら、状況をひっくり返すのも難しくはない……んじゃないですか? 結界を部分的に解除し、魔物の襲撃をそこからだけに絞り、魔物を結界内部におびき寄せ、戦闘を行っていきます。敵は周囲全体を囲むように魔物を配置しているから、一気に5000の魔物が襲ってくるわけじゃないです」
「なるほど……結界内部にまでおびき寄せられれば、魔物たちも弱体化するでしょう。ですが、どうやって中へと魔物を引きずり込むのですか?」
「セインリアを使います」
「……まさか。空中からの攻撃、ですか」
「はい。セインリアの魔法はもちろん、そこに魔法が得意なニンを筆頭に戦力を配置します。空中から魔法を雨のように降らせれば、敵をかく乱させることは可能ではないでしょうか」
俺の言葉にゼロッコさんは顎に手をやる。
「目的は、敵の殲滅……ではありませんね」
「……はい。目的は時間稼ぎです。一つは結界装置をより長く使用するため。もう一つは、万の兵士を造りだすためです」
「……ま、万……?」
「はい。ホムンクルスとファンティムに協力してもらいます。ホムンクルスたちは、他者のスキルのコピーができるとは、話していたでしょう?」
「……なるほど。それで、ファンティムくんが持つスキルを真似てもらい、偽者の軍を用意する、ということですか?」
ゼロッコさんがこくこくと頷いていく。その表情に、期待が混じり始めているのがわかった。
「はい。もちろん、これはあくまで陽動です。別の街から協力してもらい、本物の兵士を最低でも一つの門から攻められる程度には用意してもらう必要もありますが」
現在、この街にいる冒険者たちだって500もいないだろう。
魔物たちを使えば、500程度の戦力は用意できるだろうが、さすがに足りない。
「そちらは私にセインリアを貸してください。クーラスから北にある城塞都市があります。そこならば、戦力を用意することは難しくはないでしょう」
ゼロッコさんにそちらは任せよう。
セインリアの鳴き声が響き、ゼロッコさんがすぐに外へと出る。
窓から外を見ると、セインリアにゼロッコさんが乗ったのがわかった。
半日かからず、状況の説明自体はできるだろう。あとは、すぐに決断し、動いてくれるかどうかだ。
……ゼロッコさんなら大丈夫だ。年齢が理由で、こうした田舎町にいるが、もともとはかなりの腕の立つ騎士だったらしい。騎士たちの間では有名だからな。
「ニン。今の内容を、町の人たちにも伝えてきてくれ。ギルドとホムンクルスたちには、伝わってるから大丈夫だ」
「わかったわ。教会と自警団に話しておくわね」
ニンもすぐに建物を飛び出す。
ヒューたちにも同様の指示を出し、とにかく町の人たちに状況を伝える必要があった。
ホムンクルスたちも早速ファンティムを探して動き出してくれている。ファンティムには、ティメオたちから情報が伝わっているだろう。
……この作戦の要だ。重要な役割であるが、ファンティム一人で抱えこむ必要があるわけでもない。
とりあえず――あとは作戦を詰めていくしかない。
あくまで今俺が語ったのはすべて理想で、うまくいった場合の話だ。
……敵だっておそらくある程度の知能はある。
ストームウェアウルフがいる以上、空中からの攻撃だけで片付くというわけでもない。
何より。
この戦いで、確実に死者が出ることになるだろう。特に、戦場となるクーラスの街では――。
「ルードさん。クーラスに戻って、状況の説明を……してきますっ」
よろよろとベルガが立ち上がろうとしたので、その肩を掴む。何を無茶なことを言っているんだ。
俺は彼の目を覗きこみ、強く睨みつけながら言い放つ。
「今のおまえには、別の仕事を頼む。大事な、仕事だ」
「……なん、でしょうか?」
「地下水路の正確な地図を用意してくれ。俺が、少数を連れて中へと入り、クーラス内部に向かう」
「……お願い、します」
俺の言葉に、ベルガは強く頷いた。