竜族の里8
最強でなければならない。ルードは小さく息を吐き、それから槍を肩に載せた。
「つまらない、な。これが里長か。……竜化はどうした?」
「……っ」
「そうか、できないのか。確か、そんな話を聞いたような――まあ、いい。あんたが武闘大会で強者と戦っているんだったか? それで、そいつに勝った俺は賞品で何がもらえるんだ? 金か、女か? それとも、この里でもくれるのか?」
「……」
「まあ、里をもらっても仕方ないか。そうだな、こ、こ――ごほん。この女でも、いただくかな」
ルードは口元をひくひくと引くつかせながら、シデアの腕を掴んだ。
シデアは、目を見開いてから、いやいやと首を振る。
「シデア! くそ、人間! その汚い手を離せ!」
「泥だらけのおまえの手のほうがよっぽど汚いんじゃないか」
シデアが慌てた様子で両手で口元を隠した。
それが、ニュートには怯えているように見え、立ち上がる。
「……竜化、がみたいなら、見せてやるよ!」
ニュートが声を荒らげ、同時に地面を蹴った。彼の体から濃い魔素があふれる。同時、ルードも片手を向ける。
ニュートの体内で魔素があふれ、ニュートは目を見開きながらもその力に身をゆだねた。
人の姿などそこにはなかった。完全な二足の竜と化したニュートは大きく吠えると同時、黒く光る目をルードへと向けた。
「グアアア!」
ニュートがルードへと襲いかかる。ルードはシデアを突き飛ばしながらニュートの振り下ろした腕を大盾で受け止めた。
ルードの体が沈んだ。しかし、それだけだった。ルードは思い切りそれを押し返してみせた。
「なんのために、力を振るうつもりだおまえは」
ニュートの動きが一瞬止まる。それは、彼の言葉が奥底で眠りについていたニュートの心に届いたからだった。――何のために? そんなもの、決まっている。どんな敵さえも葬りさるために。
「……ガアア!」
「世界で最強になるためなのか!? 他者を退けるためか?」
「ガアア!」
「にゅ、ニュート、様! 私です、シデアですっ! ニュート様は、みんなを守るために戦っているのではありませんか! 昔、言っていたじゃないですか! いつか、父のような立派な里長になるってっ!」
シデアの声が響き、ニュートは頭を押さえていた。彼女の声に力を求める心と、力を使う理由についての葛藤が生まれた。
どちらも正しい理由であり、ゆえに彼の中では二つの感情が生まれていた。ぶつかりあう心が、そのまま体へと現れていた。
暴れるように腕や尻尾を振りぬくニュートだったが、その視線はルードに注がれていた。ルードにのみ注目し、ひたすらにルードを壊すために攻撃を繰り出す。
しかし、ルードはそのすべてを大盾で正面から受け止めてみせた。
「里長として、里を守るために強くなると……ニュート様は話していたではありませんかっ! ニュート様!」
シデアがニュートへと駆けだす。ルードが片手を伸ばし、そのシデアを止めようとした。
とん、とシデアがニュートの手を掴んだ。その瞬間、ニュートは唇を噛んだ。
「……シデア」
「ニュート様っ、お気づきになられましたか!」
シデアに返事をして、ニュートは深く頷いた。
彼は竜の姿のままシデアを見ていた。彼女の嬉しそうに笑う姿に、ニュートは唇を噛んだ。
一人で戦うしかないと思っていたニュートは、その考え自体が間違っていたことに気づいた。
ニュートは父の姿を見ていた。父は確かに戦闘面では隣に並ぶ人はいなかった。だが、そんな彼も里を守るときは決して一人ではなかった。
彼一人ではできることの限界があった。父はよく言っていた。『一人ができることには限界がある。だから、周りを頼ることも忘れるな』と。
その大切な言葉を忘れ、ニュートは一人で戦わなければいけないと考えてしまっていた。
父をうしない、不安定だったこともあるだろう。周りで、ニュートを疑問視する声があがっていたことも、そんな考えに固執させてしまった一要因だっただろう。
ニュートは涙を浮かべるシデアの頭を軽くなでる。
ニュートは体内で安定化した魔素を意識し、己の竜化をといた。
それから、もう一度竜化を発動する。今度は自我を保ったままの竜化に成功してみせた。
その様子に、里の者たちが驚き、歓声をあげる。すっかり、ルードのことなど蚊帳の外であった。
そのときだった。
「あっ、黒竜様だ!」
一人が声をあげた。
洞窟の入り口から姿を見せたのは、姿を小さくした黒竜だった。外に出たところで、黒竜は体をおおきく戻し、ニュートへと視線を向ける。
『ニュートよ。竜化の試練突破、おめでとう』
「……試練。ルードが、まさか……」
『ああ。彼にはすまないと思ったが、試練を代行してもらった。……我のような竜ではあのようにお前を挑発することは難しいだろうからな。多少演技が棒読みだったとは思うがな』
「……うるさいぞ」
ルードが不満そうに口をゆがめた。黒竜の言葉に、未だ状況が飲み込めていない人たちがいたが、ニュートはすべてを察していた。
『里の者たちよすまない。ルードとラーファン、それに門兵やシデアたちは我の演技に協力してくれたに過ぎない。彼らを恨まないでやってほしい』
「……演技、か。シデア、おまえも関わっていたのか?」
「え、えと……そのすみません」
「……いや、いいんだ。ありがとう」
「で、でも、昔から、それとこれからもあなたの傍にいたいという気持ちは、演技ではありませんから! あっ……」
ニュートは彼女の言葉に頬を染めながら、それは聞かなかったことにしてルードと門兵たちを見る。
門兵たちは申し訳なさそうに、ゲイザーはいまだぽかんと口を開いていた。ゲイザーだけは、特に演技などとは関係なく、勝手に飛び出して、勝手に敗北したのだ。
「黒竜様。申し訳ありません。オレが至らないばかりに」
『我のほうこそ、まだ若いおまえにすべてを任せきりにしてしまったことの負い目があるんだ。皆の者よ。これからも、この若き竜族にどうか、協力してやってほしい』
黒竜の言葉に、ようやく状況を理解し始めた里のものたちがほっとしたように息を吐いて、拍手をする。
「おい、ニュート! あんまり情けない姿を見せるってんなら、オレが変わりに里長になってやるからな!」
「竜化の試練突破おめでとさんっ! ま、これからもがんばれよ!」
全員が全員、歓迎しているというわけではもちろんない。
しかし、今のニュートを慕っている者たちからの声はいくつもあがった。今後はその数を増やしていかなければならないとニュートは深く胸に刻んだ。
「ルード」
ニュートは彼の名前を呼んだ。
こっそりと隅の方に移動していた彼とラーファンたちのもとに行き、ニュートは息を吐いた。
「ありがとう。それと、里の外の者に、嫌な役を押し付けてしまったこと。竜として暴走したこと……すまなかった」
「いや、俺は黒竜とそういう約束をしていたからな。気にしないでくれ」
ルードが笑みとともに、頷いた。
ニュートはそれから里へと振り返った。
「今日は軽い宴としよう。盛大に、皆で楽しもう」
ニュートの声に、祭り好きの竜族たちは目を輝かせた。
〇
宴によって里全体は盛り上がっていた。
ニュートは隅のほうでラーファンと一緒にいたルードのもとに向かった。
「ルード、楽しんでいるか?」
「……ああ、というかそんなに気にかけないでくれ。里の人たちにも、色々声をかけられて困っているんだから」
「そういうな。オレには大切な人なんだ。……本当にありがとう。おまえのおかげで、オレは竜化の力を制御できるようになった」
「それなら、黒竜に感謝するといい。色々考えて、あんな作戦を立てたんだからな」
「……そうだな。ただ、あれだな。少しやり方は強引だし、演技もちょっと引っ掛かる部分があった、な。今思えば」
「それを蒸し返すのはやめてくれないか?」
恥ずかしそうにルードは顔を俯かせていた。
ニュートはそんな彼の姿を見て、笑っていた。対峙していたときはただただ強大な敵としてしか見ていなかった。
「俺もクランリーダーをやっていてな。大変なのを知っていたから、協力したかったんだ。ただのお節介なんだから、そんなに気にしないでくれ」
ルードの隣にニュートは腰かけ、木製のジョッキをあおる。
すっと喉を冷えた酒がすぎ、目を細める。
「クランリーダーか……それも大変そうだな」
「規模はおまえほどじゃないよ。俺がこの里の長になっていたら、きっとまとめるなんてできていない」
「そうでもないだろうがな」
「ニュート様ー」
シデアが手を振りながら走っていた。それに気づいたルードがゆっくりと立ち上がる。
「それじゃあ、邪魔にならないように、俺たちはここで退散させてもらう」
「じゃ、邪魔とはなんだ」
「大切に、しろよ」
「ご、誤解をするな、誤解を……っ」
「それと……何かあったら、アバンシアという町に来るといい。俺のクランはそこにある。魔物の討伐だろうが、ただ遊びにきたいだけでもいい。なんでも、協力するからな」
「……ルード。ありがとう。何かあったら、言ってくれ。オレたちもおまえに力を貸そう」
「ニュート。シデアと頑張ってね」
「う、うるさいぞラーファン!」
一度笑みをかわしたところで、ルードとラーファンは去っていく。
シデアがニュートの前につくと、息を乱しながら首を傾げた。
「ニュート様。ルードさんとラーファンさんはどうされたんですか?」
「少し、な」
彼らの言葉そのままを伝えることはできなかった。
「そうだ。ニュート様。せっかくお二人仲良く過ごされていたのですから、邪魔してはいけませんからね」
「別に、そういうわけじゃないぞ」
そこでニュートはルードにそんな風にからかえばよかったのかと、思いいたる。しかしそれはもうすでに遅かった。
彼は一度酒を思い切りあおり、シデアに視線を向ける。
「シデア、これからも……オレの隣で、一緒に里を守っていてほしい」
「はい、もちろんです」
こくりと頷いた彼女に、ニュートは口をぎゅっと結んだ。