7.菜花学園文化祭侵入ミッション
俺こと瀧沢悠斗は学校からの帰り道に2つ年上の男に会った。そして俺にも関係する話をしてくれるようだ。と、いうか勝手に話し出した。
「そうだな昨日の話だ。特にやることもなくて暇だったから本屋に行ったんだよ。名前は菱形書店だったか。それで適当に店内を廻ってるととても可愛い女子高生がいたんだ」
「可愛いですか……」
「そうだ可愛い女子高生だ」
この話に関して可愛いは重要なことなのか。やけに強調してくる。
「秘密の1つや2つくらい知ろうと思って能力を使っ―――」
「何ですかその悪趣味!」
「もちろん誰にも口外するつもりはない」
「そういう問題じゃないですけど……まぁ続けてください」
「俺の能力『データベース』で女子高生、名前は国林凜紗という名前だが、ビビるようなことがわかったんだ」
神妙な表情を浮かべる藤堂さん。いつもこんな感じだから俺のほうは別段変わりないけど、彼から醸し出ている雰囲気は――。
「その国林は俗にいう百合だったんだ」
百合というのは女の子同士でイチャイチャする眉唾物のことだろうか。それとも百合の花言葉を連想させているのか。
ちなみに花言葉は『純粋』とかだが。
「それ関係あるんですか!?」
「まぁ、聞け。続きのほうが重要なんだよ」
相変わらず喋り口調はすごく神妙だけど、信用ならないなこれは。
「その国林は菜花女学院という名門女子高に通っているわけだが……」
さっきの百合話と繋がってるということはそういうことか。女の子通しが互いを好きになっても仕方ないと言うんだな。
「昼休みに取り巻きの女子の飲み物に睡眠薬をいれて、寝ている間にあんなことやこんなことをしているらしい……」
「ですよね……」
「分身の能力で3人同時にあれこれしてるんだ」
「それで続きは何ですか、って能力? 何の能力って言いました!?」
彼はあろうことか一番重要であった超能力についてを雑に説明していた。不意討ちに驚く。
「分身の能力者ですか……まぁ、中川さんとの兼ね合いですよね」
超能力者を発見したとして、暴走するような人格は放っておくわけにもいかないので超能力を消さなければならない。正確には超能力を持っていると理解している記憶を消去するということらしい。
それができる能力者は1人、中川瑠璃しかいないので彼女の兼ね合いということ。
しかし話はそういうことではなかった。早とちりしていた。この話を聞いて、確かに重要なのはこっちだと思うことになる。
「国林のデータベースを見ていると超能力という欄があった。そこに暗雲奈雲という人物が出てきた」
「暗雲奈雲、誰ですか?」
偽名みたいな名前だ。男か女かもわからない。
「そいつは超能力協会でリストアップされている超能力者犯罪人だ。」
「超能力者犯罪人……そんなリストがあったんですか」
意味は読んで字の如く。しかし、初めて聞いた言葉。
夏休みにも植物の能力者と合成生物体の能力者と闘ったが、文字通りの意味ならこの2人も当てはまる。天城高校虐殺事件もそういう部類になる。
「正確には超能力者犯罪人容疑。ここ最近この荒山市で行方不明者が多数報告されている。行方不明者の情報を統合してみたところ菜花女学院に暗雲奈雲が転校してきた時期と一致した」
「話の腰を折って悪いんですが、そこまでわかってるなら何故動かないんですか?その暗雲奈雲は証拠を残すような人物なんですか?」
藤堂さんは1つ頷いた。
「動けない理由は証拠がないからだ。言ってしまえば超能力協会はあえて見逃していたというべきか」
「見逃していた?」
超能力協会について南先輩から聞いたときに信用し過ぎるなという言葉を頂いたがそういうことなのか。
「見逃していたというよりも仕方なくって感じだ。証拠なんてサイコメトリーすれば出るけど簡単に使っていい状況じゃないんだよ」
「サイコメトリーってことは楓ですか……何故ダメなんですか?」
「ただの倫理的問題だ」
「倫理的問題……」
倫理的問題と言われてもいまいちピントこない。道徳的とも言い換えられるけど、どっちもどっちだ。
「超能力者犯罪人、行方不明者、記憶を見る能力。神代はどんな記憶を見ると思う?」
「……殺人を直接見るってこと、ですか…」
「そういうことだ。だからこの件を神代は知らない、知らされてない。これは秋月さんの感慨でもあるけど」
それが超能力犯罪人と言われる暗雲奈雲を捕らえられない理由。藤堂さんは秋月さんが止めているとも付け足して言った。
「その国林の記録で足取りが掴めたわけですね。それで研究所に行く途中ってわけですか」
「そういうことだ。少し長く喋りすぎたな、俺はもう行く」
藤堂さんは脇をすり抜けて研究所への道を歩き始めた。話は終わったみたいなノリだが俺との関係をまだ説明してもらってないんだけど。
「ということで俺との関係は?」
「……言ってなかったか」
意外と抜けてるなこの人。けれど表情は崩れてないのでわざととも言えなくもないと、言える可能性も考えられる。
「国林は暗雲奈雲が瀧沢悠斗、と言ってるのを聞いたと記録されていた」
「俺のことをその超能力犯罪者が……」
思い当たる節はないけども、天城高校虐殺事件、その後の対吉元(合成生物体)戦も割と大きい騒ぎになっていたので、そこの雑踏に紛れてたのかもしれない。
「それについては暗雲奈雲に直接俺の能力を使わないとわからないけどな」
「…………」
俺のことを知る機会なんていくらでもあるだろうし、超能力犯罪人とは言え超能力者についての俺を知っているわけじゃないかもしれないし。希望的観測に過ぎないけど。
と言うことで俺も藤堂さんと一緒に荒山研究所地下へ向かった。千客万来という割に人数は少ないけどメンバーが揃い始める。
俺に馴染み深い仮眠室とは反対側に位置する会議室のような広いスペースにて。
藤堂さんと共にここに来ると秋月さんが怪訝に話をかけてきた。
「君は瀧沢悠斗君……何故ここに?」
「途中で藤堂さんと会って俺に関係あるとかないとか言ったので」
「どういうことだ藤堂?」
「全員揃ったら説明しますよ、って来ましたね」
扉には女子二人、中川さんと楓。俺達より2分ほど遅れて現れた。
小声で尋ねる。
「藤堂さん、楓は来ないんじゃないんですか?」
「そんなことは言ってない。事件現場をサイコメトリーさせなければいいんだよ」
妙に近すぎた俺達の距離を中川さんが薄目で見てくる。何を考えてるのかわからない。そのにやけてる表情も何を意図しているんだ?
「一応全員揃ったな。では始めてくれ藤堂」
「はい」
リーダー格(実際そうだけど)の秋月さんがそう宣言し、話し合いという作戦会議が始まった。
藤堂さんが話したことはさっき俺が聞いたことほとんど同じだった。何が違うかというと百合のくだりだ。俺にもそれなしで説明してくれたらよかったのに。
「――というわけです」
人物像しか見えなかった謎の能力者が、菜花女学院に通う生徒、暗雲奈雲ということの判明。
腕を組んで唸る秋月さん。
「なるほど暗雲奈雲か……やれやれ面倒なことになったな」
「そんなヤバい人なんですか暗雲奈雲って」
「それはそうだが今は別件もあるんだよ」
「……なるほど」
事件は人を待ってくれないようだ。なればどうするのか。
満を持してという感じで藤堂さんが口を開く。
「俺の予定では菜花女学院に『明日』侵入する予定です。通常は学院生徒しか入れませんが『明日』は文化祭なので誰でも容易学院に入れます」
文化祭なら一般人にも紛れることもできる。合法的に学園中を調べ尽くせるというわけか。
「秋月さんはその別件を片付けて、こちらを俺達でっていうのはどうでしょう」
「……しかしな」
夏休みの時にあんなことを言っていた。
『高校生には厳しいものがある』と、殺人鬼に挑むことのできる精神力が高校生である俺達にあるかという心配。
それによる今後への精神的影響を考えるとさらに、と。
「情報を探すだけです。直接会おうなんて考えていません。居場所を確認するというのが目的です」
「……そうだな。わかった、発見次第こちらから増員を要請しよう」
「どうも」
藤堂さんは軽く頭を下げる。年上にはちゃんと礼儀を重んじるいい人だ。
増員を要請ということは超能力協会に他のメンバーがいるということなのか。いやよく考えればメンバーのほとんどが高校生というのもおかしい。
高校生のほうが能力を手に入れやすいと言うけど、秋月さんは能力者だし大人も使えるはずなのだ。
まぁ、藤堂さん達だけで危険人物に会わなくていいからいいんだけど。あれ? もしかして俺も行くことになってんのか?
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「生徒会長挨拶、津上結愛さん」
「はい」
生徒会長はステージ脇から出てきて真ん中にて礼をしてマイクを構えた。そして軽く深呼吸する。
「今日は待ちに待った文化祭の当日です。悔いのないように盛り上がりましょう。生徒会からの出し物もあるので期待してくださいね」
その後に文化祭実行委員長やら校長やらが挨拶したが割愛させていただく。退屈であんまり聞いてられるものでもなかった。
体育館での挨拶が終わり教室に戻ってからは担任の中田先生、続いて学級委員の速水蓮華の軽い挨拶があった。
3日間ある文化祭で盛り上がってるけど、残念ながら俺は参加できそうにない。直ぐに明星高校を出ないといけないのだ。
誰にもばれないように、抜き足差し足忍び足って教室から離れる。なんとか喫茶らしいので俺は必要ないから大丈夫っと。
「どこ行こうとしてるの?」
「やっぱり気付くと思ったよ平野さん。どんだけ俺のこと見てるんだよ」
「は!? 何言ってんの!? あからさまに目立ってたじゃん! 準備も何もやってなかったのに当日もどっか行くなんてありえない! って、いない…」
ベタな方法で騙されてくれてありがとよ。人と会話するときは恥ずかしがらずに顔を見ましょう。
階段をかけ降りて校門へ向かう。既に入場待ちの人が集まっている中、楓と待ち合わせる。
現在時刻8時40分、開校されるのは9時。それは明星高校、菜花女学院両方だ。
ポケットに入れたスマホが揺れる。曰く、藤堂さんと中川さんの合流を知らせるものだった。あと数分で目的地に着くらしい。
「お待たせ悠斗」
「俺も今来た……ところ。行くか楓」
蓮華と休日にあったときにシミュレーションはできていたから完璧に答えられる。ついつい今北産業と言いそうになったのは置いておくとして。
南木駅、荒山駅、南下頭駅とある近隣の駅で確認するなら荒山から南下頭に向かって歩いている。
20分近く歩くので軽い雑談を少々。
「楓のクラスの出し物ってなにかな?」
「縁日風」
「店番とか割り振られなかったのか?」
「3日目にしてもらった」
「そ、そうなんだ」
今さらながら楓が年上ということで、タメ語で喋るのはおかしいと思いながら質問していたので違和感がありまくりになる。あまりにたどたどしくて自分でも変に思う。楓はもっと変だと思っているんだろうけど。
それと楓とちゃんと喋るのもかなり久し振りということもあり、話題がなかなか見つからない。超能力のことなんてまさにタブーだし。
口下手な俺は実践派なのか。
「楓……手繋いでいい」
「ん……」
今回は質問であって、質問ではない。楓が答える前に指と指を絡める。
特に意味はない。ただなんとなく繋ぎたいと思っただけ。
しばらく歩いていると決心するかのように強く握ってきた。
「ねぇ悠斗、無理しないでよ」
俯いているのでその表情は見えない。
何かと思ったけど心配事だった。いつの間に心配かけさせていたようだ。こういう男はダメだな、と。
「いつも気を失って倒れるし、無茶なことするし、とっても心配なの」
握る手の力はさらに強くなった。
俺は欲深なことに少しでもチャンスがあるなら突撃せずにはいられない。サイバーを手に入れてからはより一掃。
全員がハッピーエンドにとまでは言わないけど、楓だけはこの手で守りたい。それこそが俺の男の矜持ってやつだから。
それが結果的に無茶になるのかもしれない。
「心配かけさせてごめん。わかった、無茶はしないよ。ちゃんと頼るときは頼るよ」
「うん」
こう言ったものの心の底から約束することはできなかった。これが男の矜持かと訊かれたら、違うよと言う。
俺は本気の本気で楓のためになら死んでもいいと思ってるだけ。何があっても俺が矛にも盾にもなる。
明星高校を出て17分ほど歩くと菜花女学院が見えてくる。
感想としては(語彙がないけども)とにかく広いに限る。高さ10mほどにものぼる鉄製バリケード。先端は突起、細柱には有刺鉄線が引くほど巻かれている。よく見たら薔薇のデザインだった。
まず普通の人間には正面以外から侵入不可能な作り。
「ようやっと来たか神代、瀧沢」
「やっほー楓ちゃん瀧沢く~ん」
「どうもこんにちは藤堂さん、中川さん」
「ここが菜花女学院入口ですか……広すぎるだろ」
第一印象はただただデカイに限る。入口だけで俺達の通う明星高校の軽く3倍はあるのだ。流石に文句を言わずにはいられなかった。
「ここからある1人を探すってきつくないですか?」
「1人ではない。国林と暗雲の2人だ」
「この広さならどっちも同じですよ……」
「とりあえず2人組で探すか。戦闘力的に考えると……俺と神代、中川と瀧沢だな」
俺はこの人選に不平やら不満やらはなかったが意外なことに中川さんが反対した。どうせろくなこと考えてないなとそこはかとなく思う。
「ちょっと藤堂君ナンセンス過ぎだよ!」
「うっ! なんだ首を絞めるな!」
中川さんは藤堂さんを羽交い締めにして耳打ちしているようだ。流石に地獄耳ではないから聞こえなこったけども。
藤堂さんが驚いた反応して俺のことを見てきた。
「藤堂君が私と、瀧沢君と楓ちゃんってことになったわ」
「うっ……中川め……」
中川さんのことを恨めしそうに見ている藤堂さんを無理矢理引っ張ってそのまま消えていってしまった。
変な気を遣わせてしまったようだ。中川さんのことだから面白がってるだけかもしれないけど。
なんとなくお互い顔を見合わせて言う。
「じゃあ行くか」
「そうだね」
状況、任務が任務なだけに手を繋ぐなんて馬鹿なことはできない。それにさっき楓から警告されたばかりなので気まずいし。
本当に変に気を遣わないで欲しかったよ。
菜花女学院は有数のお嬢様学校で幼稚園から小学校、中学校、高等学校、大学まで完備している。こんなところがあるからラブコメ出てくるキャラみたいな男嫌いが生まれるんだよって感じ。
とにかくどんだけお金かかってるんだろうか。
幼稚園に入ったら16年を保証してくれるエスカレーター。ちなみに実際俺達はエスカレーターに乗っている。
「国林凛紗と暗雲奈雲はクラスも違けりゃ学年も違うから学校での接点はやっぱり少ないのかな」
「確かに表立ったところではそうかも。殺人犯が普通に授業受けてるかも怪しいし。だから向かってるでしょ?」
「向かってる?どこに?」
楓が指差した先にはとてつもなく大きくて、建造する場所を間違えたものたがあった。いったい何階あるんだよ。
「何だよこのマンション!」
「ここが菜花女学院の寮」
エンパイアステイトビルくらいの高さがありそうな高層マンションがそこにはあった。マンションというよりホテルと言ったほうがいいくらいだ。
「よく見たら公園とか自販機が普通にあるし」
町を複製したような自然な立地で寮、レストラン、道路があるんですけど。
「セグウェイを借りられるらしいよ」
「マジすか!」
とりあえず閑話休題。
「ここに国林凛紗の住まいがあるっていうけど何するんだ? 超能力についてメモでもしてんのか?それに」
俺じゃあるまいし流石に無いか。
「それにめっちゃセキュリティ厳しいぞ」
入口の前に警備員2名、監視カメラ4台、三重扉が目につく。カメラに気をつけつつ警備員をどうにかするのは無理がある。
「サイコメトリーをするために来たの」
「なるほど」
つまりは国林の動線を探るということだが、歩道をサイコメトリーするのは少々非効率ではある。
「さすがに人が多すぎるかな?」
地面をサイコメトリーすることで地面からの視点を得ることができる。しかし寮生全員が通る道から1人を見つけるのは至難の業。
結局見つけることはできなかった。
「元々2人に別れてから直接捜すつもりだったしね」
「希望的観測ってことか」
当初通り俺達は東側の校舎から回ることにした。
通常の俺達が知っている文化祭とは違いほとんどが展示や発表。お金が動くのはフリーマーケット、セグウェイレンタルくらいだった。余裕で万単位なのはもういいですわ。
もうすぐ10時ということで再集合の連絡が藤堂サイドからきた。割と煮詰まった、ではなく詰まったというか詰んできたので案配な時間だった。
集合場所の正面入口へ向かおうとしてるときにある建物が目についた。木々でカムフラージュされているが煉瓦造り建造物が覗いている。3号館の近く。
寮の前とは違い通行禁止の立て札もなく警備員もいない。
さらによく見ると道も舗装されていないし植物が無尽蔵に広がっている。どうやら管理されていないようだ。
「なんか怪しくない?」
「確かに殺人現場とか悪魔が脱走とかしそうな雰囲気だな」
楓が俺の台詞をものともせずに草むらを掻き分けていく。しかし人が出入りしないだけあって植物が隆盛を極めている。
「これを進むのは流石にキツいぞっ」
「確かにキツいかなぁ」
「行くなら藤堂さんに断っておこうぜ」
「そうだね」
楓がメッセージを送ったところで俺達は草道を進んでいった。
その間に蜂みたいなのに襲われて抱き付いたり、木の根に躓いて足を挫いたりした。ちなみに抱き付いたのは俺の方。
「ようやく着いたけど……ここって寮だよな」
「扉も結構腐ってるね……」
正面扉に到着すると菜花女学院学生寮という札がかけられていた。白いペンキで書かれた文字も今では朧気という他ない。
そして楓の発言通りとてつもなく古いが故にいたるところが腐っている。何が腐ったかわからないような異臭も漏れ出ている。
怪しさ激怒プンプン丸級のハザードレベル。
「普通に入りたくないな。それにここに目的の人物はいるのか?」
「もしかしたら暗雲奈雲のほうはいるかも。隠れて生活してると思うから」
だからってここまで環境の悪いところに住むのか。いや、異常者の思考なんて俺には理解できない。
それにあえて菜花女学院の廃寮を選んだとも考えられなくもない。
「行って確かめるしかないってわけだな」
中に入ってみると砂や埃が舞っていて顔や衣服につく。
まず目に付くのは片方の手すりが崩れた中央階段。そして鼻につくような不快な臭い。軽く吐き気を催すレベル。
俺達は1階からあらゆる部屋をくまなく調べたが何も見つけることはできなかった。ただしそれは目で見たものでしかない。
「めぼしいものは何もなかったな。ここには誰も生活してないように見えたけどな」
「でも、本命はここからだから」
「じゃあ楓、頼む」
「ふぅ……」
入口前の荒れたフローリングを楓は床に膝をつけ、そして指で触れた。右手の5本の指の先端だけ。
物体に触れることで、触れた物体から見た歴史を遡ることができる能力。楓の場合、理論上無限に過去を遡ることができる。
やろうと思えば、創世の瞬間まで見れるのが『上位サイコメトリー』なのだ。
マンションと同じように触れた物体からの視界なので限度や条件次第というのもある。
と、心で厳しめの評価を下したところで楓は立ち上がった。
「見つけたよ暗雲奈雲」
「何!? 早く藤堂さん達に連絡しようって……圏外!」
スマホの画面の一番上には4本並ぶ長方形の形すらない。いくら見ても78%としか表示されていない。完璧に圏外だった。
あんな森林ならあり得なくもないと、言えてしまうけど。
踵を返して入口に戻ろうとしたら左腕を掴まれた。
「近付いてきてるよ」
誰がとは訊かない。その腕を握る強さでわかってしまう。
「……迎撃か退却か」
「逃がしてくれるなら退却がいい…けど?!」
「――うっ、なんだこの感じ!?」
楓の懸念通り、俺達をここから逃がすつもりはないらしい。既に術中にはまってしまった。
「くっ、はぁ、はぁ……何これ……」
「大丈夫か楓!」
何かしらの能力により楓は壁に背中を預けなければ立ってられない状態になってしまった。全くもって大丈夫ではない。
俺は『能力無効の意思』で振り払っているから無害のはずだが、少なからずこの雰囲気にも呑まれて気分が悪い。
なれば俺がやるべきこと、一番は。
「行くぞ楓!」
楓を抱き抱えて入口まで走る。
最優先は楓の身を守ること、それは俺の命にかえてもだと決めている。
「いつっっっっっ!!!」
だがその覚悟もことごとく打ちのめされる。
頭が痛くて、不快過ぎて、その場に両膝をついてしまった。その痛みでの叫び。
2人分の重みと、膝の骨への直撃は思いの外痛かった。地味に涙目になっている。けれども今俺の思考にあるのはそんなことではない。
何故か――。
「何故能力を無効にできないんだ!」
さっきの時点で薄々気付いていたが、今この状況ではとてもじゃないが受け入れることはできない。何故こんなタイミングで。
こうなった以上2人で逃げることは叶わない。
ゆっくりと少しずつ扉へ向かって歩く。
「頑張って立ってくれ楓……」
時間が立つにつれ判断力が失われているようだ。意識してないと目を開けられない。
「楓俺が時間を稼ぐ間に皆に連絡してくれ」
そう告げて、楓の背中を無理矢理押してドアの向こう側へ突き飛ばした。
「……出てこいよ。殲滅してやる」
靴音がコツコツと近付いてくる。何もなかったはずの一階奥の廊下から来ているようだ。
「ようやく会えた……瀧沢悠斗!」
「俺の名前を知ってんのかよ」
出てきたのは普通としか言い様のない女子高生だった。ただ一点を除いて。この学園の制服を着た、ショートカットでボサボサ頭の女子高生、暗雲奈雲。
その一点とは服に返り血を浴びていること。
「まぁ、君のサイバーはその程度だよね」
「何?」
「でもやっと私の夢が叶いそうだよ、うひゃひゃひゃひゃひゃ」
暗雲奈雲が気味悪く笑うと、さっきよりも強い頭痛と不快感が襲ってきた。こいつの能力は人を気持ち悪くさせる能力だと思われる。
「うっ…………くっ、そ……」
暗雲奈雲の能力をこれ以上解析する余裕はなかった。『能力無効の意思』に集中していないと立っていることもできないくらい強力になっているのだ。
「ま、"劣化版"と言ってもサイバーってことか……じゃあこれで―――」
どこからかハンマーを取り出し、振り上げてくる。つまりは殴られてってことか。
暗雲奈雲は人を殺すことに何にも躊躇はなさそうだ。当たったら確実に即死するような威力で振り下ろす。
反射的に避けるがそのまま尻餅ついてしまう。
「はぁ、はぁはぁ……生態、装甲!」
「させるかよ!!!」
彼女の気迫のようなもので装甲が崩れさる、ように――見えた。そのまま横に薙倒れてしまい暗雲奈雲の足元しか見えなくなった。
「じゃあ暫く寝とけよぉ」
一瞬の刺激とともに意識が飛んでいく。
『能力無効の意思』には上限が存在する―――
異能による闘いにおいて俺は暗雲奈雲には勝てないようだ。援軍に期待するしかない。
目覚めとき何かがおかしいことに気付いた。
まず木造の壁が広がっている。光源、オレンジ色の小さな光が照らしている。
この空間に充満している臭いは不快なんてレベルではない。息をするのさえ躊躇われる悪臭と言えばいいのか。
血液の臭い、そして生理的にくる匂い、まるで人間の中身をぶちまけたような匂い。
最後に自分が置かれている状況。
腕を、足を動かそうとすると冷感が刺激される。金属で拘束されていた。電気椅子のようなものに首、両足、両手、腹部が固定されている。
奇想天外な体勢でそれらに気が付いた。
「この椅子天井に付いている……のか?」
頭を下に、足を上に、左右逆さまで椅子に拘束されている。さっきから頭に血が上って仕方ない。
すると遠くから近付くように暗雲奈雲の声が届いてきた。
「……ようやく起きた瀧沢悠斗」
「暗雲奈雲……なんのつもりだこれは?」
「うひゃひゃひゃひゃひゃ気に入ってもらえた? うひゃひゃ」
規制したくなるような奇声。そして俺を見る目は、人間を人間として見ていない。
と、いうわけではない。むしろ好奇心の眼差し、これをサイコパスと表現する以外の形容の言葉を俺は知らない。
「このっ!」
「だからさせるかよ!」
生態装甲を読まれ、発動前に全身に不快感が駆け巡る。殴りあいになるかと思って朝ごはんを控えてきたのはいいが、それでも口から胃酸やら唾液やらが溢れそうになる。
「うっぷ……うっ……ぐっ……」
「仕方ないなぁ戻してやるよ、ほら」
彼女は壁に取り付けられたレバーを上げた。同時に電気椅子は壁を伝って元の位置に戻り始める。
「――――――――――はぁ……」
思考も、心拍もまったく安定しない。心拍を落ち着かせようと呼吸すると、空気を吸い込むことになりますます気持ち悪くなる。だからといって他の思考をしてると『能力無効の意思』が途切れて気絶してしまう。
詰み――。
「何考えてんの?」
「…………」
できるだけ無心で――。
「生きてるよね?瞳が動いてないけど」
「…………」
できるだけ集中して――。
「生きてるなら腕切ってもいいよね」
「…………」
心を落ち着かせる――。
「じゃあチェーンソー準備してこないと! うひゃひゃひゃひゃひゃ」
「……うっ、はぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁ!!!???」
どんなに頑張っても安定することなんてできない。
このサイコパス女郎を怖がらない方法なんて今の俺には思い付きも、考え付きもしないのだから。
「大丈夫大丈夫。私、裁縫が得意だから、うひゃひゃ」
電源が入り、ドゥルドゥルいって動き始める。
「右手にしようか左手にしようかなぁ? どっちがいいか決めていいよぉ」