1.瀧沢悠斗の回想
ふと、確か高校1年生の50m走の平均タイムは7.5ぐらいだったと回想した。
単純に200m走るなら30秒、体力的面を考えるなら誤差プラスマイナス5秒としたら25秒から35秒で走りきれる。
あくまで理論上の話だが。
「(俺には無理だけど)」
理由はいくらでも考えられるが、一番は気候。他にも服装とか。
今日は7月20日、在籍している高校の一学期終業式の後。
場所は南木駅から一つ角を曲がっておよそ200m離れた国道沿い。
俺は今追われている。
必死こいて駅から逃げ回っている途中だった。
どんなやつにかと訊かれたら答えにくいが、『超能力者』と言うしかない。
信じられないようなことだが実際に起こっているのならそう信じるしかないだろう。
『超能力』の存在。
こんなことになった経緯はこの際どうでもいい。最優先はこの危機的状況からどのように脱することができるか、だ。
「(逆ギレで殺されるなんて冗談じゃない!)」
その超能力者は空中浮遊しながら道路の真ん中を突っ切って、地を揺らしながら進行している。
道路を剥がし、車を粉砕し、塀を吹き飛ばしながら近づいていた。
それが俺が逃げてきた距離100m近くに続いている。駅から逃げたため国道の真ん中でそれが起きてるのだ。破壊音の合間に悲鳴も混じっていた。
俺とアイツの問題は他のものを巻き込んで巨大化し続けている。轟音は体を恐怖で震わせる、悲鳴は罪悪感で震わせる。
快晴の空の真上に太陽があり、気温は35度を越えているが、走る体から汗は流れてるがまったく暑さは感じない。それくらいの緊張状態にあった。
このまま走り続けても俺は歩道を走らなければならないが、アイツは無条件に突っ切れるためじき追い付かれる。追い付かれないためには巻くしかないのだが。
「(もしかしたら今日が俺の命日になるのか……明日から夏休みだっていうのに……)」
覚悟を決め道を曲がる。そこから三番目の民家の庭に侵入して塀に背中を預け、ひたすらに助かることを祈る。
アイツがこの道をまっすぐ進んで行くことを祈る。
ついでに不法侵入がばれないことも祈る。
俺が生き残るためにはアイツが諦めるルートしか存在しない、それも先伸ばしにするだけのこの場凌ぎのルートだが。
死ぬのは怖い。痛みなんてもっと嫌だ。
破壊を垂れ流して、音はだんだん近付いてくる――。
遂に俺の曲がった角に到達したと共に轟音は止んだ。
「(まさか見つかったのか…?)」
疑心暗鬼に陥る。気が動転して咄嗟に逃げようと道路の逆側方向に走ったのと同時に民家が凹んだ。柱や土台、骨組みが見えない力に押し潰された。
同時に、俺の体も地面に叩き付けられた。周りの民家も同様に抉る勢いで地面に激突した。
俺レベルのアニメ好きとなるとこれだけで完全理解できる。これが超能力だと仮定したらアイツは『重力』を操る能力者と言える。仮定すればの話でしかないけど起こってることはどうしようもなく事実だ。
顔をなんとか横にできたのでアスファルトにめり込んで窒息することはなかったが、舌さえ地面に吸い寄せられるため声も出せない。出せるのはあああ、という嗚咽だけだった。
『死ね!』
怨嗟の言葉と共に激痛が走った。
「ぐがぁっ!」
視界の逆方向から横腹を蹴られる。アイツは既に俺の元に到着していた。
「(痛い、痛い。肺炎とかになるのか!? 怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い!)」
とてつもなく気持ち悪い。
吐血していることも。
血が喉を通る感触も。
血が口から出ているという衛生上の気持ち悪さも。
すべてがすべて気色悪い。生きていてこんな感情を抱くなんて思いもしなかった。
血液の苦さから海水の苦さを思い出した。
「(…確か塩化マグネシウムだっけか)」
痛みで気が動転している。頭を動かそうとしても動かない。
グジャッ、と。
「あがぁぁああああああああああ!!!」
激痛を携えて、左手の真ん中に穴があいた。中指の中手骨が砕けたのが見えた。
そして、その穴には赤く染まった小石が見える。停止しかけている頭でなんとかこの現象を理解した。
2cmほどの石をただ落としただけ
落としただけだが、超重力により弾丸のような威力になったのだ。
続いて右手、両膝裏にも同様の激痛が走る。叫びとともに気絶しては、痛みで覚醒してを繰り返した。叫ぶたびカラカラの喉を通る血液が吐き気を助長する。
「(痛覚がなくなった)」
アイツが何かバールのような細長いものを持ってることが影で見える。
『うおぉぉぉ!!!』
アイツの雄叫びと、金属が地面にめり込んだ音と、固い何かが砕けた音が聴こえた。
多分刺されたんだと思うけど全然わからなかった。
「(痛覚がないからわからないな。あれ……)」
ピントが合わない。
音も途切れ途切れに聞こえる。
「(これは……目瞑ったら確実に逝く……)」
視覚も、聴覚も維持することができなくなっていた。筋肉の駆動が着実と停止している。
終わりは突然現れた。
最後の光景には――赤黒くなってる左手ではなく、火花のような眩しい光だけが見えた。
それを最後に視界を失った。最後の感覚の耳も時を待たずして終焉を迎える。
最後に振り絞って出した言葉は後悔だった。心にもない、ただの反実仮想。
「……こんな……ことになるなら……告白、蹴らなければよかった……」
俺こと瀧沢悠斗は死んだ。