4.俺の守護獣
俺たちはまず近所の神社に行った。
そこの手水舎で手を洗い、口をすすぐ。そして参拝が終わるころ朝日がさしてきた。
帰りに手水舎の水をペットボトルに分けてもらい。その中にコルトパイソン用のBB弾を浸しておく。
こんなことして役に立つのかは分からない。
でも他に思いつく方法は無かった。
現在午前5時を過ぎた所だ。
他人の家を訪ねる時間ではない。
しかし、既に事態は常識の範囲をはるかに超えてしまっている。
行くしかない。
俺は神社の水に浸したBB弾をコルトパイソンに充填して、腹の前、ジーンズの中に突っ込んだ。この状態ならすぐに取り出せる。
先輩はコンビニでハカタの塩をありったけ買っていた。
もう、駐車違反とか言ってる場合じゃないので、先輩の車はアパートの前に止めてもらう。
いざという時、逃げやすいからだ。
アパートは、一晩空けただけだと言うのに、何だか見ていられない程怖かった。
「お―― スンごい事になってるぜ。101を中心に真っ黒い、昨日窓の外にいた奴みたいなモノがうじゃうじゃいる」
「----どうするんですか?」
「そりゃまず101の木下に会うしかねーだろ」
「…ですね。行きましょうか」
俺が覚悟を決めた時だった。
二階から201号室に住んでいる三好の婆ちゃんが、ほうきとちり取りを持って出てきた。
朝早くから、毎日掃除をしてるんだ。
「アレは?」
「201に住んでる三好さんです。ここに一番長くいるんじゃなかったかな?」
「調度いい」
先輩はそう言ってお婆さん---三好さんの所へ行った。
俺もあわててついて行く。
実家でばーちゃんっ子だった俺は、三好さんがごみを出しに行く時に、大きなゴミを持って動けなくなりそうだった所を手をかした事があった。
それ以来、顔を見れば挨拶くらいはしている。
「すみません、三好さん」
俺が話しかけると、先輩は少し驚いているようだった。
「おや、神崎君。今日は早いんだね」
そう言ってにこにこ笑ってくれる。
---ここで和んじゃいけない。
「実はちょっと面倒なことになっちゃって… 三好さん101の人の事知ってますか?」
三好の婆ちゃんはちょっと顔を沈ませた。
「ああ、木下さんだね。…気の毒な人だよ」
「気の毒とは?」
交渉役、交代。こう言うことは先輩の方がうまい。
「ああ、俺はこいつの先輩で同業者です。違う病院ですが理学療法士やってます。-----それで、木下さんと言う人は、どういう人なんですか?」
「--------昔は、奥さんと息子さんの三人で、普通に暮らしていたよ。だけど気がついたら離婚したとかで奥さんはいなくなっててね。息子さんの世話を男手ひとつで頑張っていると思っていたんだ」
「では今は息子さんと二人暮らし?」
「それがねぇ。この何年かさっぱり息子さんを見ないんだよ。まだ遠くの大学に行くとかの年じゃなかったんだけどねぇ。もしかしたら奥さんの方に親権を取られたのかと思って、聞くに聞けなかったんだよ。可哀そうにねぇ」
「ありがとうございます。---今日の掃除はこいつがしますので、お婆さんは部屋でゆっくりして下さい」
そう言われて、俺は三好さんからほうきとちり取りを借りる。
「はい、俺いつも三好さんに甘えっぱなしですし。ほうきとかは部屋の前に置いておくのでゆっくりして下さい!」
三好のばーちゃんは少し困ったような顔をしたが、俺の顔が真剣だったので、それに押されたように----譲ってくれた。こう言う所が本当の人生の先輩と言うのだろうか。事情も説明してないのに俺の言うことを聞いてくれる。----信じて、くれる。
三好のばーちゃんは、振り返りながら自室へ帰って行った。
「先輩、真上の部屋なんですけど大丈夫ですか?」
「多分あれには標的がある。関係ない人には関係ないだろう」
三好のばーちゃんが大丈夫なら、それで良いか----。
気を取り直して、さあ行くぞ、と思った時。
「ネズミのおにーちゃん!!」
またお前か!!!
「あのな、にーちゃん今から大事な用が…」
「ホクトにーちゃんが、ホクトにーちゃんが--- まっくろいヤツに食べられちゃった!!ネズミのおにーちゃん、ホクトにーちゃんをーーー!!」
「…たべられ、た?」
「ボウズ、---大地。その真っ黒い奴はいつもいるのか?」
「ううん、いつもは101のおじさんの所にいるだけだったのに…」
「お前、こいつのネズミ?が見えるのか?」
「うん。白くて、ながっぽそくて、目が黒いの。ちょっと背中にシマがあるみたい」
大当たりだ。ヤマトはパスバレーフェレットのマークドホワイト。背中に一本縞が入っている。そしてブラックアイだった。
「そうか。----今から家に帰って、兄ちゃんの仏壇にお参りしていろ。いいな」
「おまいりしたら、ホクトにーちゃん帰ってくるかな?」
「-----多分、な」
「大地!!」
先輩が大地君と話していたら、奥さんが出てきた。
こんな時間に外に行ったら心配するよな。
-----?
なんかすごくやつれてる?目が赤い。
寝てないのか?
「奥さん、何かあったんですすか?」
奥さんは明らかに動揺した。
「え、あの。この子が--- 聞きましたか?」
「ホクト君が食べられたって…」
「ええ、そんなことを言うものですから---ちょっと動揺してしまって…」
「分かります。子供の言うこととはいえ動揺しますよね」
ここはジンセイのセンパイの出番だろう。
俺はあたりを見回す。
やっぱり、見ていると「怖い」と思う。
でも原因は分からない。
「今からちょっと、----その、ちょっとバタバタするかもしれないので部屋にいてください。良いですか?」
「あなた---あなたは、もしかして北斗が見えてたんですか?」
それには先輩は答えなかった。
「部屋に、いてください」
「待って、待って下さい。北斗のこと、北斗に関係のある事なんじゃないんですか?!」
「いや、こいつの部屋の事ですよ」
「でも----」
「部屋に帰って、北斗君の仏壇にお線香を上げてお参りして下さい」
そう言って、奥さんの背を押すと、奥さんは振り返り振り返りしながら部屋へ帰った。
「何度も邪魔が入るな―――― 行くぞ」
「はい」
もう覚悟はできた。
101の呼び鈴を押す。
中から音がする。
寝ていた訳ではなさそうだ。
ポケットの中の塩をまず両手に握る。
「はいはい、こんな時間に―――― おや、神崎君」
「木下さん----」
もう、俺にまで見える。
黒い、異質なモノ。
部屋中にあふれている。
「木下さん。-----コレは何ですか?」
「見えるのかい?神崎君」
「さすがにここまで濃ければ」
「そうかい。最初は笑って話しかけてくれたから見えない人かと思ったよ」
「それで、これは何なんですか。-----昨日俺の所に来たのは何故ですか!?」
木下さんは少し笑ったようだった。
「だって君、逃げようとしたでしょ」
にこやかに、世間話をするように続ける。
「それに、そんなに見える友達まで連れて----- 私の邪魔をするつもりかな?」
「何をしようとしているのか次第だな。それとこいつに手を出す気なら邪魔はさせてもらう」
先輩。こんな時に無駄にカッコつけるのはやめてください。
「何って、神崎君にちょっと協力してもらおうと思っていただけだよ。やっぱり同じくらいの年の子が良いと思ってね」
「------? 何の、話を----?」
「何って、宙の話しに決まっているじゃないか。私の息子だよ。神崎君と同じ年のね」
「息子さんは、最近見ないって----」
「ああ、ちょっと病気なんだ。-----ちゃんと身体はあるのに、意識がない---たましいが、入っていないんだ」
たましい――――!!!!
それをを聞いた先輩が、土足のままリビングに突っ込んで奥の洋室の扉をあける。
そこには----- ミイラ化した、死体があった。
「これか-------」
「私の息子だよ。今ちょっとたましいが入っていないだけなんだ。だから、同じ年で、名前も似ている君の魂を貰おうと思ってね」
にっこり笑って、怖えこと言うな――――!!!
「確か君は、空人君だったよね」
「じょ、冗談----」
「冗談でこんな物まで用意はしないよ」
そう言って木下さんが出したのは、包丁だった。
まだ新しそうな---良く切れそうな。
「逃げろ神埼!!」
「はいっ!!」
情けないと言うなら言ってくれ。
この時俺には逃げると言う選択肢しか思い浮かばなかった。
「逃げられないよ」
木下さんが笑う。
その言葉の通り、俺の前には黒いモノが立ちふさがる。塩を投げる---ダメだ。
一度は散るけど、すぐ戻る。
振り返ると木下さんが包丁を構えて近づいて来る。
でもその奥---- ミイラが、動い、た----?!
「くっそ、何だよこいつ!」
俺の所に来ようとしていた先輩は、そのミイラ--- 違う。ミイラ自体が動いた訳じゃない。ミイラの形をした黒いモノの集合体が動いたんだ。
「そこまで集めるのには苦労したんだよ--- いろんな本を読んだりしてね」
改めて周囲を見ると陰陽師が使いそうな---と言っても本物の陰陽師を見た事がある訳じゃない。せいぜい映画とかの知識程度だ--- 紙に梵字の様な物を書いた物が張りつけられ、石だの塩だの呪いじみたモノがあちこちにある。20や30じゃない。それが雑然と----
その間にはアマ○ンの段ボール。
こいつ、適当に通販の本を読んでこんなことしやがったのかよ!!
「集めるって--- 人の魂を、幽霊を集めて立って言うのかよ!」
「ああそうだよ。でもまだ宙は目覚めない----やっぱり同じ年の子の魂が良いのかなぁ。君は最適だと思うんだ」
ミイラから出た黒い影が俺の方に来る。
俺は腹からコルトパイソンを抜いた。
これが効かなきゃ、もう手は無い。
パンっ
軽い音がして人型が崩れる-----効いた?!
「そのまま撃て!!」
先輩がそう言って木下さんを取り押さえようと近づく。
パンパンっ
崩れる-----でも消えない。
「ダメです先輩!消えません!-----戻る!!」
「無駄だよ。何人の魂が入っていると思っているんだい? 昨日ももう、男の子なら年は関係ないかと思って3~4歳の子の魂を入れてみたけど、やっぱり宙は目覚めなかった」
「当たり前だ!!お前の息子はもう死んだんだ!」
「死んだ?何を言ってるんだい? 前日までは普通に生活していたんだよ。起きてこない訳がないじゃないか」
「-----つまり、夜間の突然死だった訳か」
「だから死んだりしてないんだよ」
「いや、ちょっと待て。お前昨日3.4歳の子の魂を入れたって----」
「え…-----それって」
「北斗-----!!! 北斗なのね、北斗の魂をどうしたって言うの?!!あの子を返して----!!!」
「奥さん---」
後ろを向くと、玄関が開けっぱなしだった。
----これは先輩のミスだと思う。
「北斗をどうしたの?!返して、あの子を返して!!」
「奥さん、落ち着いて--- 大地君、入っちゃだめだ!!!」
「お兄ちゃん危ない!!」
大地君の声に振りかえると、先輩に羽交い絞めにされながらも、その先輩ごと引きずって包丁を振りかざす木下さん。
もう完全に狂ってる----
ミイラから出た黒いモノはまた形を取り始めた。
「くそ---っ」
「北斗を返して!!!」
木下さんを抑える先輩に、奥さんが手伝いに入る。
俺はその隙に包丁を取り上げようとするがなかなかうまくいかない。
「神崎、この部屋の怪しい術式をぶっ壊せ」
「はい!」
こう言うのは方位がどうとか、結構精密なはずだ。
片っぱしから破いて、蹴飛ばしておそらく何かの術式だったものを壊して行く。
「神崎後ろ!」
ミイラの人型だ。
コルトパイソンの残弾はもう少ない。
でも撃つしかない。
崩れかけるが、また戻ろうとしたその時。
一瞬、何かが光ったと思った。
ヤマトだった。
ヤマトが死んでから初めて、俺にも姿を見えた。
そのヤマトは人型の首筋に食い付いていた----
「ヤマト----」
人型が散っていく。
ヤマト、お前---
「神崎君!そこを避けるんだよ!!」
振り返ると、今度は三好の婆ちゃんだった。
いつも打ち水をしている水道から、ホースを伸ばして部屋の中に放水を始めた。
「婆ちゃん何してんの!?」
「神崎君の様子が気になってね----覚えておおき、悪いモノは水で流れる事があるんだ」
そう言って婆ちゃんは部屋中何もかもを水浸しにした。
俺ももちろん協力した。この部屋のキッチンから水を出してバケツに汲んでおっさんやミイラにもぶっかけた。
何と大地も風呂場に行って手桶に水を汲んでおっさんに掛けてる。
黒いモノは面白いように消えて行った。
気がつくと、おっさん---木下さんは力なく座り込んでいた。
「もう大丈夫そうだ」
先輩がそう言ってスマホを取り出す。
警察に電話するんだ。
「そうだヤマト!」
あの、黒いのに噛みついて---- それから?
「あ…------」
肩にいる感触がある。
俺に摺りついてる。
まるで、まるで別れを惜しむように------
「ヤマト----」
その感触は次第に薄くなって、そして消えて行った。
「ヤ、マト-----」
「お前を守ったんだ。本望だろう。-----きっとまたお前の側に生まれてくるさ」
俺はジンセイのセンパイの言葉に泣くしかなかった。
「北斗!----北斗!」
「にーちゃん!」
木下さんを押さえつけていた、奥さんは腕の中に光を抱いていた。
奥さんの手の中の光は、数回点滅を繰り返すと、ゆっくりゆっくり消えて行った。
「北斗------」
見ていられない。
俺もひどい泣き顔だが、この時の奥さんの顔は見ていられないと思った。
でも。
「北斗---- もう一度、生まれておいで。私の所に----」
奥さん------
「生まれておいで----- 待っているから」
その後は警察が来て、おっさんは逮捕され。ミイラは回収されて行った。
大家さんがお祓いとかしてくれたけど、もうあそこには何もいないのを俺たちは知っていた。
結局俺は引っ越しはせず、未だにこのアパートに住んでいる。
あの後、三好の婆ちゃんとゆっくり話す機会があった。
三好の婆ちゃんは。子供と孫をいっぺんに自動車事故で亡くしたそうだ。
-----婆ちゃんの所に遊びに来る時に。
「だから私にはもう、怖いモノなんて無いんだよ。早くお迎えが来て子供たちに会いたいと思うくらいさ」
「長生きしてよ。俺、婆ちゃんがいなかったら生きてなかったかもしれないし」
「-----ありがとうねぇ----」
そう言う婆ちゃんの顔は笑っていたけど、泣いてるようにも見えた。
ちなみに俺の隣の部屋は誰も借りていないと持っていたら、婆ちゃんが借りていたのだ。
子供たちの遺品を一度に処分することが出来ずに、事故の賠償金なんかで懐事情は悪くは無かったから、もう一部屋借りて、その中に思い出の品なんかを置いていると言うことだ。
時々人のいる気配がするとは思っていたが、婆ちゃんが定期的に掃除に入っているらしい。
それからも俺は元気にPTの仕事を続けた。
時々、ジンセイのセンパイとは飲みに行ったりしている。
今日も俺のアパートで待ち合わせて---と言うか、先輩の仕事が終わったら俺の所に寄ってくれる事になっていた。
俺の勤める急性期病院は相変わらず、リハビリには力を入れてくれない。でもそこは諦めないで言い続けるつもりだ。
呼び鈴が鳴って、俺も出る準備をして外へ行く。
先輩も相変わらずだ。
でももうこのアパートに変なモノは見えないと言う。
下に降りた時ちょうど、アパートの前にタクシーが止まった。
何だろう?と思っていると103号室の春日さん達だった。旦那さんと奥さんと大地君---そして奥さんが抱いているのは----
「ああ、良かった神崎君。落ち着いたら見せに行こうと思っていたのよ」
そう言って腕の中の赤ん坊を見せてくれた。
「…やっぱりお父さんに似てるんですね」
先輩がそう言う。
きっとあの子に似ているんだろう。あの時光になった子に。
「海斗、と名付けました」
「海斗君----」
同じ名にしなかったのは何故だろう。
そう思うけど、それは正しい事にも思えた。
「か、可愛いですね」
俺はそう言うのが精一杯だ。
泣きそう。
「本当に、ありがとう、二人とも」
そう言って奥さんは俺たちに頭を下げた。
「いやいや、礼を言うなら俺の方ですって。奥さん、すげー強かったし」
慌てた俺がそう言うと、奥さんは苦笑しているようだった。
うーん、確かにこれは女性に対する褒め言葉として適当ではなかったか。
でも奥さんは笑ってこう言った。
「母は強いんですよ」
「真理だな」
先輩まで。
「お前もいつまでもメソメソしてんじゃねーぞ」
「してませんよ」
きっとヤマトだって生まれ変わってくれる。
きっとおれの側に。
あいつは俺の守護獣だから。