3.「憑いて」くる
「あ――――くっそ、何でこんなに見つからないんだよ!」
「……マジにお前、標的にされてるのかもな」
「だから物件が見つからないって言うんですか?ユーレイって不動産屋に干渉でも出来るんですかね―」
「落ち着け。こう言う時は冷静にならないとかえってヤバい方向へ誘導されるぞ」
「先輩も分けわかんねーよ。ヤバいって何がヤバいのか分かんねーし…」
「ヤバいってのは部屋で十分経験しただろうが。あの部屋帰って生活する気があるのか?」
「出来るわけないでしょう!! 皿は飛ぶしテレビは倒れるし---」
何だかイライラして仕方ない。
この暑さもあるが、不動産屋の対応もいらいらさせる。
職場の近くが良いが、ちょっと遠くても構わないし、駅までだって俺なんか走ればいいだけだ。
女性じゃ一人歩きの時間は短い方が良いんだろうけど、俺はそんなこと気にもしない。
確かに出せる金額に制限はあるが、非常識な程の低い予算を提示した訳ではない。
なのに、ちらっと条件を見ただけで「うちでは無理ですね」「他をあたってください」。
この調子で七件だ。
酷過ぎる。
「まぁ、7月って言う中途半端な時期でもあるんだろうが、それにしてもこれは無いな」
先輩はたばこを吸いながら8件目へ移動中だ。
「このままだと、見つからない可能性の方が高いな… どうする?」
「どうするって---」
あの部屋に帰って、寝られるのか?
これから夜が来る。
あの部屋で---
「すみません先輩。泊めて下さい」
ここが車の中じゃなかったら土下座したかもしれない。
しかし、明日職場に着て行く服も何も持っていないので、とにかく一度、まだ日のあるうちに取りに帰ることにした。
夕暮れが始まってからでは遅いそうだ。
この辺は俺には分からない。
夕暮れからは、この世のものでない奴らが湧きだすと言うのだ。
こればかりは見えない俺には分からない感覚かもしれない。
ここは素直に「見える」人の言うことを聞いておいた方が身のためだろう。
「しばらく旅行に行くくらいの気分で必要な物は持ち出しておけよ」
と言う先輩の助言に従って、着替えを多めに持って、洗面道具などの日常品、最近一番使っているポケット参考書PT用、それに俺の大事な大事なコルトパイソン。P90の方はデカイので泣く泣く諦めた。いやまた取りにくればいいんだ。二度と帰れない訳じゃない。
スポーツバック二つ分の荷物を持って、下に駐車してある車で待っている先輩の所に行こうとアパートを出ようとした。
その時。
「ネズミのおにーちゃん!!」
103号室の大地君… だったかな?
「おにーちゃん、ホクトにーちゃんがいないんだ!!」
「え?---いないって?」
「いつもいるのに。ホクトにーちゃん、ぼくといてくれるのに!」
「今日は、いないの? 朝から?」
「ううん、朝はいたよ。おにーちゃんたちがおまいりしてくれたの、見てた。でも今はどこにもいない---!」
そう言われても、俺には最初から見えない。
「ホクトにーちゃんを助けて!きっと何かあったんだ」
「大地君… 」
「どうしたんだい大きな声を出して---- 神崎君?旅行かい?」
「うぇっ?!」
今日の一連の怪現象のせいでびびっていた俺は、いきなり声を掛けられて、変な声が出る位びっくりした。
「き、木下さん----」
ヤマトの爪が俺の肩にたてられる。
大地君は木下さんを見ると家に逃げ帰って行った。
声をかけられた瞬間、跳び上がるほどびっくりして。
「大きな旅行カバンを持っているから、何処に行くのかと思ってね」
「あ、あの、----職場で、夏季休暇、が取れて… 実家にちょっと」
「ああ良いね。親孝行しておいで」
ヤマトの警戒する声がする。
やっぱりこの人がヤバいのか?
ヤバいってなんだよ。普通にいい人にしか見えないよ。
「おい、---準備できたんなら行くぞ」
「あ、あ…はい… 」
「お友達かい?」
「あ、いえ …あ、そうですね。友達、です」
何でおれはこんなに挙動不審なんだ?
足が震える。
「おい!」
びくっ
先輩が車から降りて、俺の肩をつかんでいる。
------何だ?
震えが収まった。
何でおれはあんなに怖かったんだ?
別に何があった訳でもないのに---
「大丈夫かい?何だか顔色が悪そうだね」
「ああ、こいつちょっと今風邪引いてるんで。じゃ」
そう言って先輩が俺の腕を掴んで車の方に誘導する。
俺は黙ってついて行くだけだ。
「一人暮らしの時は体調が悪いと心細いよね。何ならうちに来ても良いからね」
「あ、ありがとうございます---」
それだけ言った後、助手席に押し込まれ車は出発した。
「ふ――――――っ」
「今のが木下だな」
「そうです。---何か見えました?」
「見えたなんてもんじゃない-----俺には真っ黒いモノに囲まれてて顔も判別がつかない位だったぞ。いったい何をやったらあんなになるんだ」
「…俺には、普通のいい人に見えたんです---- でもヤマトが」
「お前のイタチは優秀だな」
「何度も言いますがフェレットです」
「イタチには違いないだろう」
そんなくだらない話が、今の俺にはありがたかった。
何だったんだアレは。
「先輩。大地君が―― 北斗君がいなくなったって」
「----この状況だ。素直に成仏したとは考えにくいだろうな――― あいつが絡んでいるのか? そもそもあいつは何なんだ」
「普通の会社員ってことしか---」
「一人暮らしか?」
「さぁ。聞いたことは無いですけど。誰だったかな?同居人がいるって聞いたような気がします」
「アレと一緒に暮らせる人間がいるとも思えないが」
「そんなに酷かったんですか?」
「だから酷いなんてもんじゃないって」
「今まで俺、普通に世間話とかして、平気だったのに--- 何だか今日はすごく怖かった。足が震えました。何か、変化があったんでしょうか?」
「前を知らないから何ともな。しかしお前もイタチの声が聞こえたりする程度の霊感はある訳だから、あのヤバい奴に普通に近寄るとも思えないんだが」
「-----じゃ、先輩の見た真っ黒は今日から----?」
「何にしろ、あのアパートのヤバい原因は木下で間違いないだろうな。もうお前あそこ近寄るな。引っ越し先が見つかったら業者に全部、荷物運んでもらえ」
「----それが良いのかもしれませんね----」
何だか疲れた。
妙な一日だった。
明日から月曜なのにどうするんだよ。
俺も先輩も明日は仕事だ。不動産屋なんてまわってる暇は無い。
どうしよう。
先輩の所に一週間はさすがに申し訳ない。
もう外も暗くなってきたので、先輩と適当なラーメン屋に入って晩飯を食って寝る。
疲れた。
先輩の家も、俺の所と似たり寄ったりのぼろアパートだ。
俺はシャワーと借りて、リビングにタオルケットとクッションで横になった。
どこでも寝られるのは俺の特技だ。
疲れ切っていた俺はクッションに頭を乗せた2秒後には夢の中だった。
「おい!」
何だよ。眠いんだよ。
「おい!!!」
眠いんだって言ってんだろ!
「起きんかボケ!!!」
「痛っ!!」
枕にしていたクッションを取られて、フローリングに頭をぶつけた。
何するんだ、俺の安眠を!!
「アレを見ろ!」
いつの間にか先輩がリビングの方にいて、玄関につながるドアの方を指さす。
このアパートは廊下とリビングの間に扉があり、一部がすりガラスが入っている。
そのすりガラスの向こうに----
手だ。----手が見えた。
誰かがガラスに手を置いているんだ。
まるで扉を開けようとするように。
「な、何ですかアレは!!」
「どうやら、憑いてきたらしいな。-----これじゃ引っ越ししても同じだ」
「つ、憑いてきたって---」
「文字通りだ。お前に憑いてるんだろう。イタチは?」
「思いっきり俺の腕を引っ掻いてます」
「じゃ、ヤバい系で間違いないな」
俺、ヤマトがこんなに引っ掻いてるのに寝てたのか?
嘘だろ? 寝つきはいいけど、俺寝起きも良いはずなのに!
「こっちには入ってこれないんでしょうか?」
「分からん。一応お前のイタチに遠慮しているのかもしれん」
「遠慮って…」
まぁつまり、ヤマトがいるから、 こいつが俺を守ってるから?
こいつがいなかったら、今頃---
「しかし、どうするかな…」
「どうもこうも、どうにかする方法があるんですか?」
「あったら悩んでない」
「ですよねー」
気の抜けた漫才をやっている間に、またヤマトが反対の腕を引っ掻きはじめた。
「----ヤマト?」
「どうした?」
「反対の手を引っ掻いてます」
「----どっちだ?」
「右です」
そう言った途端先輩は俺の右側にある窓のカーテンを開けた。
「-------------!!!!」
手、手がいっぱい。
しかも本体も見える。
何か黒い塊が、カッコだけ無理やり人間をまねたみたいな―――
「今何時だ?」
先輩が窓から目を離さない様にして言う。
俺はあわててスマホを見た。
「2時15分です」
「お約束な時間だな―― 丑三つ時って奴か」
「お約束な除霊方法ってないんですか?!」
「-----このレベルじゃ塩をまいた程度じゃどうしようもないだろうな。朝を持つか?」
「って、持てなかったら---」
「さあな。お仲間にされるかもしれん」
「先輩----!」
「お前のイタチに頑張ってもらえ!」
と先輩は、俺の前に日本酒と塩を山盛りにする。
「イタチが使うようなら使え。お前も中に入ろうとしたら塩をまくんだ」
「は、はい---」
頑張れヤマト。
先輩は「気休めだけどな」と言いながら窓枠の下やドアの前に塩を置いて行った。
ヤマトは俺を引っ掻くのはやめて「シャ―――――」っと言う威嚇音を出している。
頑張れヤマト。
お前しか頼れないなんて、なんて情けない飼い主だ。
ごめんなヤマト。ゴメン。でも頑張ってくれ。
「例え今日を乗り越えても、多分この感じじゃ明日も来るぞ---- 木下を何とかししない限り」
「な、何とかって----」
「今日、夜が明け次第奴の家に行く。中で何かやってるはずだ。中じゃなかったら、あのアパートであんな怪異が起きる説明がつかない。-----日が昇り次第行くそ」
「日が出たら、アレは消えるんでしょうか…?」
「確証はないが、御丁寧に丑三つ時に出てきたんだ。消えてくれると思うぞ。----いや、その前。空が明るくなり始めたら消えるだろう。この時期、日の出は5時前――多分4時40分とか50分とかその位だ。おそらく4時まで耐えれば何とか…」
「4時…」
今、3時を過ぎた。
後一時間位?
だんだんだんだん!!!
「-----?!」
手が、ドアを叩きはじめた。
ばんばんばんばん!!!
窓の方もだ。
まるで自分たちのタイムリミットを知っている様に---
でも、窓は叩いていても、窓が揺れたりと言うことはなさそうだ。
ヤマトが更に威嚇音を大きくする。
ああ、あんなにどんくさいなんて言ってごめん。
お前はほんとに、優しいいい奴だよ。
先輩も窓に向かって塩を投げつけている。
奴が怯む様子は無い。
俺は必死にヤマトの応援をするしかできなかっ―――?
「ああっ!」
「何だ!」
「俺、般若心境持ってる!!」
「なに!? だせ、すぐ出せ!!」
ばーちゃんは信心深い人だ。じいちゃんが死んだ後、毎日毎日仏壇に手を合わせ、俺にも般若心境を一緒に読ませ、墓参りも欠かさない人だった。
そんなばーちゃんが俺が一人暮らしをする時に「悪いものから守ってくれるから」と言って、いらないと言う婆不幸な俺に小さくした般若心境をお守りに入れて持たせてくれたのだ。財布に入れていつも持っているようにと----
俺は財布を引っ張り出し、中からお守りを出す。
組み紐を解いて、中に入った般若心境は--- 当たり前だがすっごく字が小さい。
「何だよお前これ、こんなの読めねえだろ!」
「や、多分俺これだけでも読める-----」
ばーちゃん。
ばーちゃん。
ゴメン、お経を上げるの嫌だとか言って。
ゴメン、面倒だとか言って朝起きなかったり。
お墓に行くのに水場が遠いから、ばーちゃん一人でお参りに行くの大変だって知ってたのに三回に一回はサボったりして。
「摩訶般若波羅蜜多心経、観自在菩薩行深般若波羅蜜多時照見五----」
目に見えて、奴らの動きが鈍くなる。
ばーちゃん。
「蘊皆空度一切苦厄舎利子色不異空空不、異色色即是空空即是色受想行識亦復如---」
そのまま何度繰り返し唱えただろう。
「おい。もういいぞ」
先輩から肩を叩かれた時には、空が白んで来ていた。
奴らはもういない。
「は――――――っ」
全身の力が抜ける。
でもわかってる。
これで終わりじゃない。
「さて。-----敵陣に乗り込むぞ」
先輩の声は、いつも通り少しふざけた声だった。
中盤、主人公にユートピアをさせたい欲求を抑えるのに苦労しました。…ホラ―なのに…
※「びっくりするほどユートピア」と言う除霊方法?についてはググってみてください。