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制服姿の与一透心が移戯家にやってきたのは、通話を切ってから丁度三十分が経った頃だった。
前髪パッツンは変わっていないが、以前会ったときよりも全体的に短く、耳が隠れる程度のミディアムボブになっている。
「久し振り」
「言われてみれば、こうして直接会うのは久し振りか」
「無理もない。憂晴は、私のことなんて気にも留めてないから」
「……何か卑屈になってないか?」
電話越しでは変わらない様子だったのに、透心はやたらと刺々しかった。
直接顔を見たせいで入学式をすっぽかした件が再燃したのだろうか。
かける言葉が見つからず、脱いだ靴を揃えている透心をひたすら凝視していると、
「にゃあ」
「! 馬鹿っ」
「ん? 今何か聞こえたような」
「き、気のせいじゃないの」
明らかに挙動がおかしいのだが、お陰で雰囲気が和らいだので深く突っ込もうとはしなかった。
更に場を和ませるべく次の一手を打つ。
「じー……」
「な、何?」
「透心、ちょっとグラマーになった?」
以前よりも胸元がふくよかになっていることを憂晴は見逃さなかった。
「っ。セクハラ」
「ごめんごめん。とりあえずリビングに行っててもらえるか? お茶入れるからさ」
玄関正面の扉を開け、入るように促す。
透心は特に勘ぐることもなくリビングに足を踏み入れた。
「……意外。一人になったのに、綺麗にしてるなんて」
「は、はは。当然だろ?」
ついさっきまで土塗れだったのは内緒だ。
掃除自体は春休みを通して日常的にこなすようにしていたため、雑に掃除機をかけるだけであっという間に清潔感溢れるリビングが帰ってきた。
目を懲らせば簡単に粗が見えてしまう張りぼての清潔感だが、透心は近眼なので気付かれることはあるまい。
透心がソファーに座ったのを確認して、憂晴は台所へと向かった。
いつも飲んでいる緑茶を入れ、賞味期限に余裕があるお茶菓子と一緒にお盆に乗せて運ぶ。
「お待たせ」
「お構いなく。早速だけど話して」
急かしてくる透心に逡巡しつつも、憂晴はソファーの反対に位置するカーペットの上に腰を下ろし、単刀直入に話を切り出した。
「結論から言うと、守永さんに告白することになっちゃって」
「! ――!? ……、……。そ、そう」
「何を悶えてるんだよ。パットが苦しいのか?」
「違うけど……それより、告白することに『なっちゃって』? そのニュアンスだと、告白したくないのにしないといけなくなったように聞こえる」
「ああ。正しくその通りなんだ」
「……守永さんは友達って、話したはずだけど」
透心の顔つきが凄味を増した。
怒っているのだ。
「分かってる。遊び感覚で告白して乙女心を弄ぶなって言いたいんだろ。俺だってそんなことはしたくないし、するつもりもない」
「じゃあ何のために」
「それを今から説明するけど、電話でも言った通り口頭では説得力に欠ける。だから直接その目で確かめて欲しい。……由紀、おいで」
廊下に向かってそう呼びかけると、出番を今か今かと待ち望んでいた由紀がリビングに姿を現した。
憂晴の携帯から流れる、有名なボクシング映画のBGMと共に。
「……!?」
「ウサ~サ~、ウサ~サ~。ウサ~サ~、ウサ~サ~」
シャドーボクシングをしながら歩いてくる由紀を見て、憂晴は大いに頭を抱えた。
実は憂晴が掃除をしている間、憂晴の携帯電話で暇潰しをしていた由紀は、着信メロディとして入っていた某テーマ曲を大層気に入っていた。
しかも驚くべきことに、聴いている間は大人しくなることが判明した。
これは良いとノリノリで貸してあげたのだが、当然ながらこんな使い方をしてくるのは想定外である。
「だ、誰?」
「頭を見てほしいんだ」
「……小さなウサ耳? そういう趣味?」
「そうじゃなくて、実際に触って確かめてみてくれ」
憂晴が言うと、透心は臨戦態勢の由紀に恐る恐る近付いた。
そして横からそっと由紀の小さなウサ耳に触れる。
「リアルなウサ耳」
「根元をよく見てくれ」
「? ……えっ!? 直接、繫がってる!?」
兎にとって大切な耳をペタペタと触られている由紀は、ただひたすらに震えていた。
由紀が安易な暴力行為に走らないのは、憂晴がご褒美として提示した人参のお陰だ。
良い子にしているわけではなく、目先のご褒美のために我慢しているだけである。
「精巧なウサ耳カチューシャとかでもないぞ。本物のウサ耳だ」
「何が言いたいの?」
透心はウサ耳に伸ばしていた手を引いて、憂晴の方を向いた。
言いたいことは伝わっている筈。
後一押しといったところか。
「補足情報。昨日の深夜、由紀のケージが突然破壊された。俺は飛び起きたけど、由紀は何処にもいない。必死になって家の中と近所中を探し回った。入学式をすっぽかして」
「……」
「何の成果も上げられずに帰ってきたら、庭が掘り返されてることに気付いた。穴の中を調べたらこの子がいた。ウサ耳を生やした彼女の名前は由紀で、毛色も全く同じ。透心はこれをどう思う?」
「状況は……分かった。でも、それと告白するのと何の関係があるの?」
意外にも、透心は素直に受け入れてくれた。
些か物分かりが良すぎる気がしないでもないが、構わずに話を続ける。
「俺の愚痴を聞き続けてストレスが蓄積した結果、化けちゃったらしくてさ。どうにかして元の姿に戻してあげたいんだけど、そのためには蓄積したストレスを解消する必要があるみたいで」
「らしいとか、みたいとか。曖昧」
「由紀の言葉を信じてるだけで確証はないからな。で……そのストレスってのが厄介なんだ。俺と共有してるというか、俺の初恋のストレスがそのまま残ってるとでも言えばいいのか……とにかく、俺が初恋に決着を付けてかつてのストレスをなくすことができれば、由紀は元の姿に戻れるかもしれないんだ」
「ストレス……」
「な? こんなこと、電話で話しても信じなかったろ」
「そうでもなかったかも」
透心は少し考え込むような仕草を見せると、猫のストラップが付いた携帯電話を取りだした。
「今から守永さんに電話する。それで決着付けて」
「あ、そうか。電話で告白するってのも一つの手だよな」
面と向かって告白する方が勇気もいるし、女性受けも良さそうではあるが、世のシャイな男性達にはうってつけの告白方法だ。
少なくとも、悪戯の可能性がどうしても付きまとうメールや手紙よりは良い。
「というわけだ。由紀、もうじき元の姿に戻れるぞ」
「由紀は大人しくしているのです。人参のために、背に腹は代えられないのです」
「別に身動き一つ取るなって言ったんじゃないぞ」
相変わらずの卑しん坊っぷりを見せつけられて、憂晴は急に気恥ずかしくなった。
ペットの痴態を他人に知られるというのは、躾がなっていないことを露呈するようで、総じていたたまれない気分になる。
「心の準備は良い?」
タイミングを見計らって、透心が話に入ってきた。
「いつでも。というか、形だけの告白だし。そう緊張することもないだろ」
「上手くいったらどうするの?」
「んー……ま、付き合うしかないだろうな。そうなったら覚悟決めるさ。ちゃんと好きになるように努力するし、大切にする。お前の友達を傷付けるようなことはしないよ」
嘘でも何でも、告白してしまったら何かしらの答えが帰ってくる。
万が一、透心が危惧している事態になったとしてもそれは同じだ。
全てが終わった後に監督のカットのかけ声があるわけでもない。
覚悟は決まっている。
「……そう。じゃあ、かける」
透心は憂晴の言葉を聞いて少し俯くと、予め操作してあったのかワンタッチで電話をかけた。
しばらくの沈黙の後、透心が携帯に向けて話し始める。
「もしもし? ……うん。実は、どうしても守永さんと話したいって言ってる男の子がいて。うん、そう。守永さんも知ってる人。じゃあ、代わるね」
透心から差し出された携帯を、今度は憂晴が手に取る。
先程までは『由紀に強要されてする告白』という認識が強かったためさほど緊張していなかったが、いざ告白するとなると憂晴の心拍数は急激に上昇していた。
そっと携帯を耳に当てる。
「もしもし」
『もしもーし? だーれ?』
「えっと……覚えてないかもしれないけど、五年生のときに同じクラスだった移戯憂晴です」
『え、移戯君!? 嘘ぉ――――!?』
「う、嘘じゃないよ」
(あれ? こんなテンション高い子だっけ?)
守永由紀のイメージは勇気を振り絞って声を掛けた直後のまま固定されているので、こんな風に話すのは新鮮だった。
『わー! わー! 私、ずっと謝らないとって思ってたんだよ~』
「え? それはこっちの台詞だよ」
どうやら彼女もあの出来事は覚えているようだ。
無意識だったとはいえ、同級生相手、それも多感な小学生時代にセクハラ的発言をしてしまったのだ。
守永由紀のその後の対応は自然なものだった。
『ううん、あれは私が悪いの。うちの子が去勢したのって、移戯君が話しかけてくれたちょっと前だったんだけどね。私、凄く反対してて』
「……そうだったんだ」
兎の避妊、去勢手術が推奨される主な理由は、尿スプレー(マーキング)の防止やホルモンバランスの悪影響、生殖器疾患の予防などが上げられる。
雄は雌に比べて命に関わるような生殖器の疾患がないため、去勢しなければならないというケースは少ないのだ。
『すっごい暴れん坊さんでね。尿スプレーも酷くて。それでも、無理にする必要はないって知ってたから、去勢なんて可哀想だと思って』
「うん……分かるよ」
すっかり大人しくなってカーペットに寝転がっている由紀に視線を移す。
憂晴とて、生殖器の疾患の話を聞かなかったら避妊手術なんてさせてはいなかった。
『気性の荒さについては直るか分からないって言われてたのにね。それでも……去勢してからはすっごく大人しくなっちゃって。尿スプレーすることもなくなって、確かに飼いやすくはなったんだけど……やっぱり後悔はあって。移戯君に聞かれたとき、それを思い出して過剰に反応しちゃっただけなの』
憂晴はあのときのことを鮮明に思い出していた。
話のきっかけを作ろうとして由紀を飼い始めて、勇気を出して話しかけて。
もう一度話しかけることができていたら、きっと未来は変わっていた。
今話している会話の内容も、とっくに聞いていたかもしれない。
(そうなると、初恋が実らなかったのは単に俺の勇気が足りなかっただけか? いや勿論、告白が成功してたとは限らないけど)
守永由紀は、きっともう二度と移戯憂晴と話したくない。
そんな風に思われていると確信していたが、それがただの勘違いであれば色々と話は変わってくる。
そもそも、嫌われたと思ったからこそ憂晴の気持ちは他の子に移ったわけで。
『だから、移戯君は悪くないの。ね?』
「……うん」
『じゃあ、またね。久し振りに話せて良かった』
「ちょっと待った! こっちの話したいことがまだ終わってない!」
慌てて止めに入る。
これで通話が切れてしまったら、何のために透心を呼んだのか分からない。
『あれ、そのことについて謝りたいって話じゃなかったの?』
「それもあったけど、正直そっちはおまけ。本命は結構真面目な話」
『な、何? なんかドキドキしちゃうね』
憂晴は軽く深呼吸して、黙って見守っている由紀と透心に目で合図した。
「あ、あのときさ。俺がなんて話しかけたか覚えてる?」
『勿論。ウサギのお見合いのお誘いだったよね』
「そう。けどそれ、本当はただの口実で。本当は、守永さんと話したかっただけなんだ」
『えっ』
反応からして意図は伝わっただろうが、最後まで言葉を紡ぐ。
由紀を元の姿に戻すためにも、中途半端な告白をする訳にはいかない。
「俺、守永さんのことが好きだった。どうして好きになったのかはもう覚えてないけど、誰かを好きになったのはあれが初めてだった。は、初恋ってやつかな……ははは」
『そう、だったんだ』
「うん」
『……』
「……」
会話がピタリと止まってしまった。
(どうしよう。流石に、『ずっと好きだった』なんて大嘘は吐けない。嘘の証拠がうちだけで三匹もいるんだし。かといって、これで付き合って下さいなんて言うのもおかしいよな……)
『お、終わり?』
「うっ……いや、まだ、だけど」
昔は大好きだったけど、今は何とも思ってません。
付き合って下さい。
そんな訳の分からない台詞が、頭の中で延々と再生される。
この状況で確固たる返事を貰うにはどうすれば良いのか。
考えた末に憂晴から出て来た言葉は、とてもシンプルなものだった。
「過去の恋に、決着を付けたくて。あの頃の気持ちになって返事をくれないかな」
『……今じゃなくて?』
「うん。あのとき……俺がもう一度勇気を振り絞って、守永さんに告白してたらどうなってたかを知りたいんだ」
『うーん……そうね……』
「……」
『断ってたかな、多分』
「……! そ、か。そっか。……そっか」
不思議と憂晴の体には変化が現れていた。
渦巻いていた闇が晴れていくような、土砂降りの雨が突如として晴天になったような……そんな晴れやかな気持ちが生まれていた。
今まではあって当たり前で、それがあることに慣れてしまったため気付かなかった。
一つ、心のつかえが取れたのだ。
『決着、付いた?』
「……ああ。本当にありがとう。守永さんを好きになって良かったよ」
『そ、それじゃね! また明日!!』
守永由紀は慌てて通話を切ってきた。
また明日なんて言ってきた辺り、あっちはあっちで相当気が動転していたようだ。
憂晴にとって生まれて初めての告白劇は、こうして幕を閉じたのだった。




