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既に冷めた恋の決着を付けるために、今では好きでもなんでもない女の子に告白する。
確かに決着と考えられなくもないが、これは物凄く自分勝手な決着だ。
「無茶だって。由紀がストレスを溜め込んだ俺の恋って言うと、多分だけど初恋だろ? もう五年近く前の話だ。そんな昔の気持ちなんてとっくに消え失せてるし」
「酷いのです! 女たらしなのです!!」
「お、女たらし?」
世間一般的には、小学生時代の恋愛を未だに引きずっている方がよっぽど痛いと思うのだが。
「大体、お前が本当に由紀なら、俺の恋がどうなったのかも全部知ってるだろ」
「知らないのです。動物に人間の言葉が分かるわけないのです」
「夢のないことをサラッと言うなよ!! 動物好きにその真実は酷すぎる!」
しかも動物から言われたとあっては反論しようがない。
「というか、言葉が分からないのにどうしてストレスが溜まる!?」
「言葉にしなくても伝わることは沢山あるのです。でもご主人の場合、大抵テンションで分かるのです。ドロドロしたダークな感情が伝わってくるのです」
「……なんかごめん」
見るからにローテンションな人が、何処にあるか分からないような異国の言葉で延々何かを喋りかけてきたとしたら。
それだけでも相当なストレスが溜まりそうだが、由紀はケージの中にいて逃げ場がなく、愚痴を聞かされることを強要されていたと言っても過言ではない。
自分がどれだけうざかったか、憂晴は改めて思い知った。
「分かった。とりあえず俺の初恋の顛末を教える。それでどうすれば良いのか教えてくれ」
「さっさとしやがれなのです」
「その乱暴な物言いも俺のせいだと思うと辛いな……。俺の初恋は、ほとんど何もせずに終わったんだ。元々そこまで交流があったわけじゃなかったけど、輪をかけて喋らなくなって、段々気持ちも冷めて……次の恋に移行した」
今更ながら、何の決着も付いていないことに情けなくなる。
初恋は実らないと言うが、憂晴の場合はそれ以前の問題だった。
「その女は何処にいるのです? 由紀でない方の由紀のことです」
「透心と同じ中学に行ったはずだから、直接聞けば詳しく分かると思うよ」
「トコ? 聞かない名前なのです」
「由紀も会ったことあるだろ。由紀を飼い始めるにあたって色々と教えて貰ったし。ほら、黒髪で前髪パッツンの、俺の幼馴染み」
透心の特徴を簡単に説明すると、由紀は目を細めて呟いた。
「ああ……ご主人を奪おうとする泥棒猫なのです。思い出したのです」
「? とにかく、由紀の名前の由来になった子のことは、透心に電話でもして聞けば良い」
「なら今すぐに電話するのです。居場所が分かったら告白しに行くのです」
「俺が告白するだけで由紀が元の姿に戻るのならそうするけど……」
由紀を元の姿に戻すために、由紀に蓄積されたストレスを発散する。
このストレスは由紀自身のものではなく、憂晴が過去に溜め込んでいたストレスが乗り移ったもの、と考えて良いだろう。
憂晴本人に自覚がない上、ストレスだけが由紀に残っているこの状態は、ある種呪いに近いかもしれない。
このややこしい事態を引き起こした根本的な原因は、初恋に悩んでいたかつての憂晴が、由紀に向かって愚痴続けることでストレスを発散していたことにある。
(俺が初恋に決着をつければ、初恋によって生じていたストレスは自然と消える。由紀のストレスも消えるわけだ。結果、由紀は元の姿に戻ることができる……か。一応、ファンタジーなりの理屈は通ってるんだよな)
勿論これらは、ストレスが無くなると元の姿に戻れるという前提があって初めて成立する話だが、そこは由紀を信じるしかない。
今考えるべきはストレスの発散方法だ。
恐らく、告白するだけでは足りない。
憂晴の初恋は、告白して満足してしまう類いの恋ではなかった。
重要なのは『告白して返事を貰うこと』だ。
ただそうなると、必然的に何の好意も抱いていない女の子と恋人同士になる可能性が浮上する。
(門前払い食らったようなもんだったし、流石にそんなことにはならないだろうけど。飼ってたウサギが化けて出る現実を目の当たりにしてるからな……)
「何をもたついていやがるのです?」
「……もう入学式終わってるって言ってたし、電話はする。でもその前に、由紀の主人として言いたいことがある」
「?」
「言葉遣いが汚いのと、すぐに手が出る癖を直しなさい」
素直に従ってくれることを信じて、真っ直ぐに由紀を見つめる。
すると気まずそうに目を背けた由紀はボソッと一言、
「……ウサい……」
「由紀!? 今なんて言った!?」
「う、ウサいと言ったのです」
「それはまさか、『ウルサイ』と『ウザイ』が組み合わさったとんでもない暴言じゃないだろうな」
「ち、違うのです。ぴょんぴょん跳ねるくらいに心が躍っているという意味なのです」
「常に苛々してるって言ってなかったか……?」
「細かいことを気にするご主人は嫌いなのです」
一向に視線を合わせようとしない由紀に脱力し、憂晴は携帯電話を手に取った。
続けてメモリーを開き、与一透心の下へかける。
(ついでに由紀のことも相談してみるかな。……お?)
丁度三回コール音が鳴ったところで反応があった。
『はい』
「もしもし。今平気か? ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
『何?』
「小学校の頃、俺が最初に好きになった子のこと覚えてるか?」
『守永さんのこと?』
「そうそう。その子が今どうしてるか分かる?」
『……どうして?』
「えーっと」
ありのままを話しても、精神的な病院に行くよう勧められるだけ。
かといって、小学生時代の想い人に会いに行く理由など他に思いつかない。
「訳あって、過去の恋に決着を付けないといけなくなって……いや、意味不明なのは分かってる。その辺は聞き流してくれると助かるんだけど」
『直接聞けば? どうせすぐに』
「いや、何処に住んでるのかも分からないんだ」
『……守永さんは友達だから知ってるけど、簡単には教えられない。憂晴がよからぬことを企んでるかもしれないし』
「信用ないな……まあ当然と言えば当然か」
憂晴の恋心がとっくに冷めていることを透心は知っている。
それでも、かつて守永由紀という女の子に惚れていたのは紛れもない事実だ。そんな相手に、友人のプライベート情報を教えられるはずがない。
「ちょっと待ってて」
そう言って憂晴は携帯を手で覆って由紀の方を向いた。
「簡単には教えてくれそうもない」
「ならここに連れてくるのです。無理矢理吐かせるのです」
「……それも一つの手か」
透心は憂晴よりもいくらか頭が回る。
直接由紀の姿――主に耳を見れば、不可思議な事態に巻き込まれていることは理解してもらえるはずだ。
一人暮らしをすることになった憂晴の事情も知っているので、突然女の子と同棲するなんて勘違いも生まれないだろう。
「もしもし?」
『はい』
「事情を説明したいんだけど、口頭じゃ信じてもらえそうにない」
『分かった。憂晴の家に行く』
「サンキュ」
願ってもない申し出に礼を言い、通話を切る。
「来るってさ」
「どれくらいで来るのです?」
「近所だし、準備も含めて三十分もかからないんじゃないかな」
「ちっ……その程度じゃウォーミングアップにもならないのです」
シュシュッ、とワンツーウサパンチを虚空に繰り出す由紀。
それだけで気持ちいい風が発生して、サラサラな憂晴の髪をたなびかせた。
「ぼ、暴力は駄目だぞ」
「それは相手の態度次第なのです」
「態度が悪くても駄目!!」
すると由紀は肩をすくめてやれやれ、といった様子で言った。
「……ご主人でウサ晴らしするのも駄目、トコでウサ晴らしするのも駄目。一体由紀はどうすれば良いのです?」
「大人しくしてれば良いの!!」