5
機嫌を直して貰うために拗ねてしまった香織と三十分程遊んでから、憂晴はリビングに戻った。
あれ以降全く姿を見せない由紀が心配になった訳だが、すぐに思い直すことになる。
窓の外で、一心不乱に穴を掘っている由紀の姿を見たからだ。
「うちの庭がああああああああああああああ!?」
青々と生い茂っていた芝生の庭が、絨毯爆撃を受けた後のように滅茶苦茶にされていた。
既に取り返しの付かない事態になっているのに、由紀の穴掘り作業は終わる気配が全く無い。
流石に見ていられなくなり、全力で窓を開ける。
「何しとんじゃお前は!!」
「――はっ。何故由紀は庭にいるのです?」
「なん……だと……?」
ネザーランドドワーフが穴を掘りたがるのは本能的なもの。
つまりこれだけ庭を滅茶苦茶にしても、『悪気は全く無い』。
悪いことをした自覚がない以上、憂晴が叱りつけたところで由紀のストレスが溜まるだけだ。
「この感情は何処にぶつければいいんだ!!」
「そんなことより、由紀はご主人に話さなければならないことがあるのです」
そう言って、土まみれになった体のまま白のカーペットの上に登ってくる由紀。
「カーペットのダメージは計り知れないな……」
「何を見てるのです?」
「いや……って、お前傷だらけじゃないか」
土が付着していて分かりづらかったが、結構な出血量だ。
見ているだけで痛々しい。
兎の姿ならいざ知らず、人間の、それも女の子の手で芝生の庭を掘り返しまくったらこうなるのは必然だ。
もっと気を配るべきだった、と憂晴は深く後悔した。
「軟弱な手なのです」
「こっち来い!」
由紀の手首を掴んで洗面所に連れて行く。
「ほら、ちゃんと水で流して」
「痛っ」
「ごめんな。これからは、なるべく目を離さないようにするから」
「……はいなのです」
シュンと縮こまる由紀の姿は、抱っこして大人しくなったときとそっくりだった。
人間用の消毒液を使って良いのか不安だったので、タオルで優しく拭き取るだけにとどめ、包帯でグルグル巻きにする。
ついでに足に付いた土もシャワーで洗い流した。
(本音を言えば全身隅々まで洗い流したいけど、女の子の体であることに違いはない。服も含めて何とかしないとな)
「もう平気なのです。ありがとなのです」
「それで、話さないといけないことってのは?」
「長くなるので、椅子に座って話すのです。人参でも添えて」
「今さっき食べたばかりじゃないか。牧草ならまだ残ってるだろ?」
「ケチなのです」
牧草ならいくらでも食べて問題ないのだが、他のものを与えすぎると太ってしまう。
むくれる由紀を土まみれとなってしまったリビングに連れていき、ソファーに座らせる。
憂晴はもしものときのために、少し距離を置いて座った。
「はむはむ……まずは……はむはむ」
何だかんだで牧草は食べている辺り、不満があるわけではなさそうだ。
「由紀が化けて出て来た理由から話すのです」
「化けて?」
一般的に『化ける』というのは、動物が妖怪に変化することを言う。
化ける動物としてポピュラーなのは猫、狐、狸の三種だが、兎というのは初耳だった。
化け兎。
全くもってしっくりこない響きだ。
「本当に由紀は化けて出て来たのか?」
「知らないのです。ウサギの勘……略してウサ勘なのです」
「そんな缶詰みたいな略称の勘を根拠にされてもな……。まあ動物が人間に、なんてそれくらいしか思い当たらないけどさ。何がきっかけでそうなったんだろう」
「それはハッキリしているのです。ストレスの溜まりすぎが原因なのです」
「ストレス? はは、そんな馬鹿な」
由紀を飼い始めてから約五年。
憂晴は極力ストレスを感じさせないように育ててきた。
実際、由紀が病気を患ったことはないし、時々行く定期検診でも健康体であることを毎回褒められている。
「俺がいつ、どんなストレスを与えた!? 大切に大切に、愛情たっぷりに、我が子のように育ててきたのに! 毎日沢山話しかけて」
「それなのです!!」
「へ?」
人差し指を突き付けられて思わず口をつぐむ。
「毎日毎日ぐちぐちぐちぐちと……っ。由紀を含めたペット達は、ご主人の日々の愚痴を延々と聞かされてきたのです。それが溜まりに溜まって、ついに爆発したのです!!」
「……、」
「由紀は一番ストレスが溜まっていたので、真っ先に化けたのです。ウサ勘なのです」
「俺、そんなに愚痴ってたっけ?」
「自覚がないのです!?」
台詞と共に由紀の拳がソファーの手すりに直撃する。
瞬間、ドスン! という音と共に家全体が揺さぶられ、綺麗な拳の跡がぽっこりとソファーに空いた。
「頼むから家を壊さないでくれ! 反省するから!!」
「言葉でなく行動で示してほしいのです。そうでないと由紀は元の姿に戻れないのです」
「元の姿に戻れるのか!? それなら喜んで協力するぞ。全力でな!!」
「ウサ!!」
「ぶっ」
まさかのクッション投げを食らった。
「何でだよ! 協力するって言ったのに!」
「何故かむかついたのです」
理不尽に暴力を奮い続ける由紀を見て、憂晴は悲しい事実に気付いてしまった。
「もしかして、由紀がやたらとキレやすいのは俺のせいなのか?」
「その通りなのです。常に苛々してるのです。何かにぶつけずにはいられないのです」
「そんな調子で苛つかれたら、仮にストレスを発散できても家が崩壊する!」
「大丈夫なのです。ご主人に手が出てしまうのはただのウサ晴らしであって、ストレスは全く発散されないのです」
「意味無く暴力奮ってるってことじゃん!! 余計たち悪いわ!」
こうも暴力的だと由紀であることを疑ってしまう。
最近ではどれだけ抱っこしても暴れることもなくなって、とても良い子になっていたのに。
(待てよ……よく考えたらウサギの抱っこの仕方って)
憂晴がペットショップの店員に教えて貰った抱っこの仕方はこうだ。
まず頭を撫でて大人しくさせ、その隙に左手でお尻の上を掴む。
すかさず右手をお腹の下にいれ、脇の下に頭を挟む形で素早く抱き寄せる。こうすることで足が固定されて、兎は暴れられなくなるのだ。
憂晴はこの抱き方を覚えて得意げだったが、
(『暴れられなくして大人しくさせてた』だけで、由紀の意思とは関係なかったかも?)
憂晴の額に冷や汗が浮かぶ。
この考えが正しいのなら、由紀はずっと暴れん坊で、それを憂晴が知らず知らずの内に抑え付けていたということになる。
憂晴は考えることをやめて話を進めた。
「そ、それで? どうすれば元の姿に戻れるんだ?」
「この有り余ったストレスをなくせば戻れるのです。ウサ勘なのです」
「じゃあそのストレスはどうやったら無くなるんだよ。俺を殴っても無意味ってことは、何かしらの方法があるはずだ。ってかないと困る」
憂晴の問いに、由紀は眉間にしわを寄せて重々しく口を開いた。
「由紀のストレスになったご主人の愚痴は大小様々なのです。でも、その中に『元凶』があるのです。何だと思うのです?」
「え? う、うーん……そもそも、愚痴ってたこともあんまり覚えてないしな……」
「ヒントは、由紀達ペットの名前にあるのです」
「名前には触れないで!」
「由紀も、菜々子も、香織も。他の引き取られていった子達も。皆、『ご主人が好きになった女共の名前』なのです。つまり、由紀達の名前はご主人の恋愛遍」
「触れるなって言ったばっか!」
名前=移戯憂晴の恋愛遍歴。
由紀はそう言いたいのだろうが、厳密には違う。
憂晴は好きになることがあっても、まともに恋愛をした経験は皆無だ。
彼女ができたことはないし、告白してふられた経験すらない。
告白の前段階で憂晴の気持ちが冷めてしまうためだ。
ちなみにネーミングについても、好きで想い人の名前を付けるようになった訳ではない。
元々の目的が不純だったせいもあって、憂晴は由紀に名前を付けるのを忘れていたのだが、その状態のまま好きな人について延々語りかけた結果、由紀の方が名前を勘違いしてしまったのだ。
菜々子を飼い始めたときはちゃんとした名前を付けるつもりだったが、家族の間で兎の名前が由紀に定着していたこともあって、今更動物らしい名前を付けるのも違和感があった。
それ以来、移戯家では動物に人名を付けるのが当たり前になってしまい、どうせならとそのときの想い人の名を付け、現在に至る。
「恋の悩みを由紀達に話し続けたのがそもそもの『元凶』ってことか……」
「その通りなのです。更に言うなら、ご主人がそんなことを延々と続けたのは、恋にストレスを感じていたからなのです。そのストレスを根本的に無くす必要があるのです」
「やっぱり、ストレスの発散方法が重要……、ん? 由紀自身のストレスを発散するんじゃなくて、過去の俺のストレスを発散するのか?」
「由紀のストレスはご主人のストレスなのです。ご主人のストレスを発散すれば、自然と由紀のストレスも消えるのです。ウサ勘なのです」
「さっきからやたらとウサ勘が多いのが気になるけど……それで、具体的に何をすれば良いんだよ。過去の恋のストレスなんて対処しようがないぞ」
「心配ないのです。過去の恋に決着を付けるだけで良いのです。由紀なりに考えた結果、これが一番の近道なのです!!」
過去の恋とは、当然移戯憂晴の恋愛を指している。
そして、由紀と直接関係のある恋となると、その名の由来にもなった初恋に限られる。
「け、決着って。今更何をしろって?」
「告白するのです」
「……うえぇ!?」




