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ウサ晴らし!  作者: 襟端俊一
第一話 積もり積もって
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 棒となった足を引きずりながら、移戯憂晴は太陽に当てられて熱せられたコンクリートの地面を歩き続ける。

 一体どんな秘境を通ってきたのか、彼の体には至る所に生傷ができていた。汚れた白のパジャマに血が滲んで、赤い斑模様が点々と浮かび上がっている。

 正に満身創痍。

 そんな状態でようやく辿り着いたのは、庭付き一戸建ての我が家。

 憂晴は帰ってきたのだ。

 何の収穫も得られずに。


「くそ……っ」


 悪態をつくも、反応する者はいない。

 近所中を散々探し回ったが、結局由紀を見つけることは叶わなかった。

 時刻は既に正午を過ぎている。

 それが何を意味するのかを憂晴は理解していたが、大切な家族を見失ってしまったことでもはやどうでも良くなっていた。

 意気消沈して門を開けると、家の方から電話のコール音が聞こえてくる。


「何だよ、こんなときに」


 電話に出る気力も残っていなかった憂晴は、階段を一段ずつ踏みしめてゆっくりと歩を進めた。その足取りはおぼつかないが、元々歩くのも億劫になるくらい疲弊していたので丁度良い。

 玄関の扉を開いた途端、一際けたたましいコール音が憂晴の鼓膜を揺らしてきた。


「しつこいな……」


 残念ながら電話の前に立ってもコール音が鳴り止むことはなく、渋々受話器を取る。


「もしもし」

『あ――。生きてた』

「その声は……透心とこか」


 与一透心よいちとこ

 幼稚園、小学校と同じで、中学は別。

 高校からまた同じ学校に通うことが決まっている、いわゆる幼馴染みというやつだ。

 家が近所で昔から猫を飼っていた透心には、動物を飼う上で何かと世話になったりもしたが、直接電話してくるのは珍しかった。


「何か用か? 今忙しいんだけど」


 体はボロボロでも、憂晴はすぐにまた外出するつもりだった。

 今度は動きやすい格好に着替えて、携帯と財布を持ってもっと広範囲を捜索するのだ。


『正気? 入学式、もう終わった。登校もしないつもり?』

「学校行ってる場合じゃなくなったんだ。もういいか?」

『……明日は、来る?』

「行けたら行くよ」


 そう言って憂晴は受話器を置いた。

 あまり長電話していると、何の罪もない透心に八つ当たりをしてしまいかねない。

 脱衣所で一気にパジャマを脱ぎ捨てて、傷付いた体をシャワーで洗い流す。日焼けした後のような痛みが全身を襲うが、いちいち反応していては時間がもったいない。

 タオルで乱暴に体を拭いた際に若干傷口が開いてしまったのも気に留めず、動きやすいTシャツとデニムに着替える。

 念のため制服にしようとも思ったが、新調したばかりで傷物にする訳にもいかない。

 先程のようなことにならないよう留守電にし、いざ外へ。

 そう意気込んで玄関の扉を出た憂晴の目に、妙なものが飛び込んできた。


「土……か?」


 玄関前のタイルの上に、どういう訳か土が散乱していた。

 憂晴が庭の方に目を向けると、芝生の庭の所々に掘った跡があり、その分の土がこちらまで飛んできているようだ。


(まさか)


 ネザーランドドワーフの原種はヨーロッパアナウサギ。

 つまり本能的に穴を掘りたがる習性を持っている。

 外に脱走したのだとすれば、この光景は至極自然だった。

 それでも、である。


(明らかにウサギが掘った跡じゃないぞ、これ)


 一つ一つが小さなクレーターくらいあって、とてもじゃないが体長が二十㎝にも満たない由紀が掘ったとは思えない。

 それに、この土の撒き散らし方。

 人間が思いきり土をすくって、そのまま真後ろに放り投げたようだった。


(確かめるだけ、確かめるか)


 もし庭の何処かにいるのであれば、由紀が危ない。

 周辺には野良猫もいるし、カラスだっている。

 ずっと家で飼っていた動物が、突然自然に放り出されて生きていけるわけもない。

 庭に入って掘り起こされた痕跡を辿っていくと、リビングの窓の正面に巨大な穴を見つけた。

 穴は斜めに掘り進められていて人間が足を伸ばせそうなほどに深く、小さな洞窟と言って差し支えない。


「奥が見えないな……」


 目一杯頭を潜り込ませてみるも、全容が把握できない。

 これが何処ぞの密林であればどんな野生動物が潜んでいるか分かったものではないが、ここは都会のど真ん中だ。

 憂晴に警戒心はなかった。

 明かりが必要と判断した憂晴は、家の中から懐中電灯を持ってきて、再び上半身を穴の中に滑り込ませた。

 早速奥を懐中電灯で照らす。



 そこにあったのは、紛れもなく人間の足だった。



「ひっ、あ」


 更に言うなら、足の裏。

 靴も靴下も履いておらず、生々しい足の裏だけが見えている。

 真っ先に憂晴の頭に浮かんだのは、死体というワード。

 穴を掘り起こしたのも死体を埋めるためと考えれば納得がいく。

 わざわざ人様の庭で、こうも痕跡を残しまくって死体を埋めようとするのは謎だが、そもそも殺人なんてまともな精神状態で犯せる行為じゃない。


(け、警察に連絡しないと)


 連絡するにしてももう少し詳しく状況を説明できる方が良いと考えた憂晴は、震える手を押さえて更に奥を照らした。

 足から先が無かったらと思うと本気で怖かったが、幸いにして仏様の体は健在だった。

 体つきからして女性であることは間違いない。


(裸で土の中。どう考えても死体だよな)


 ただでさえ憔悴していた憂晴は、ここにきて更なる陰鬱な気分に陥っていた。

 今日は高校の入学式。

 本来であれば、今頃、可愛い家族達に見送られて学校で新たな友達を作っているはずだった。

 それが由紀の失踪に加え、殺人事件と遭遇なんていう、トラウマ必死の日になりつつある。

(厄日って本当にあるんだ……)

 盛大に溜息を吐いて、警察に連絡するために穴から這い出ようとする。

 そのときだった。



 死体が。

 唐突に、寝返りを打った。



「ぎゃああああああああああああああああああああ!!!!!!」


 素っ頓狂な悲鳴を上げて穴から脱出する憂晴。

 気持ち的には全力疾走でこの場から退散したいくらいだが、腰が抜けてどうにも立ち上がることができない。

 情けなくハイハイで逃げようとするも、背後に視線を感じて身動き一つ取れなくなってしまった。


(ぞ、ゾンビか? ゾンビなのか)


 大きな影が憂晴の体を包み込むように迫る。

 憂晴は仏様の顔を見ていなかったため、好奇心もあって振り向くのを押さえられなかった。

 そこに立っていたのは、可愛らしい裸の女の子だった。

 髪は黒に近い灰色でボサボサだが、ほどよくボブに収まっている。

 顔は小さく、童顔。

 小柄な体格に反して、スタイルは中々のものがあった。

 若々しくも瑞々しい肌の張りは、とても死の淵から蘇ったゾンビとは思えない。


(……死んでたわけじゃなくて、寝てただけ?)


 次第に冷静さを取り戻していく憂晴。

 訳の分からない状況も理解することができたが、同時に目の前の光景も見つめ直すことになった。

 ゾンビでないのなら、眼前にいる美少女は生きた人間だ。

 死体の裸に興奮する性癖はなくとも、生きた美少女の裸になら大抵の男子は反応してしまう。


「と、とりあえず服を着てくれ!」

 慌てて着ていたTシャツを脱いで差し出したが、


「ウサ!!」

「――うっ!!」


 憂晴の厚意は、無情にも『腹パン』という形で返された。

 総合格闘技なら確実に一旦は中断されるであろう、下腹部への強烈な一撃。

 この尋常でない激痛がいたいけな少女から貰ったものであることが未だ信じられないが、これは間違いなく現実だ。

 その証拠に、裸の美少女は地面に落ちたTシャツをいそいそと着始めた。


「ふぅ……全く、破廉恥なご主人なのです」

「い、いきなり何しやがる……」


 霞む視界の中でハッキリと頭上の少女を見据え、悶え苦しみながらも文句を言ったが、

「ウサ!!」

「痛ってぇ!!」


 今度は左の二の腕に重い一撃を入れられた。

 中学時代、ジャンケンで負けた人が二の腕を殴られるという、根性試しのような遊びが男子の間で流行っていたが、そのときよりも桁違いに痛い。

 一発で青あざができてしまいそうだ。


「こ、この野郎……っ」

「真下から覗こうとするとは……ご主人は思っていた以上の破廉恥野郎なのです。これはお灸を据える必要があるのです」

「待て。これ以上何を」


 肩をグルングルン回して意気込む少女に恐怖を覚えた憂晴は、どうにか立ち上がって脱兎の如く庭から逃げ出した。


(何なんだよあのバイオレンスっぷりは!! 思ってたより余裕あったし、事件に巻き込まれたって訳じゃなさそうだけど……どのみち素っ裸で人様の家の庭に穴を掘って眠りこけてたんだ。迷子にせよ露出狂にせよ家出娘にせよ、まずは警察に連絡だな)


 焦りつつも家に入り、玄関の鍵を閉めたところで憂晴はピタリと行動を停止した。

 ただ連絡するというのも難しいことに気付いたのだ。

 例えば、ありのままを話した場合。

「裸の女の子が庭に穴を掘って眠っていた。起きた途端暴力を奮われた」と説明するしかないわけだが、果たして警察は取り合ってくれるだろうか。


(証拠がないと話にならない……捕まえるか?)


 リビングのシャッターを開け、恐る恐るカーテンを開いて庭の様子を窺う。

 そこで、憂晴は見た。

 窓の縁に手を掛けて、とても悲しそうな瞳でこちらを見つめる一人の少女を。

 憂晴はこれと同じ光景を以前見ている。

 透心が飼っている猫が、家から閉め出されたときと同じ瞳だ。

 憂晴は何の関係もなかったが、見ているだけで胸が締め付けられた。

 あれほど罪悪感を誘発させる視線が、まさか人間にもあるとは。


「な、何だよ。そんな目で見るなよ」


 その赤黒い瞳は、カメラのフラッシュで光る由紀の瞳の色にそっくりで、憂晴の心は異常な程にかき乱されていた。


(……赤い瞳? 日本人……いや、人間が?)


 目が充血して赤くなることはあっても、生まれつき瞳が赤い人は中々いない。

 一応、カラーコンタクトを着ければ誰でも赤い瞳になり得るが、素っ裸で庭に穴を掘って眠っていた人間がカラーコンタクトだけ着けているのは不自然だ。


「お前……」


 ガラス越しに赤い瞳の少女を見つめる。

 憂晴が渡したTシャツ一枚のみを身に付けた彼女もまた、こちらをジッと見つめたまま視線を逸らそうとしない。

 何かを伝えるように。

 何かを訴えるように。


「ガラス一枚だぞ。これくらいぶち破って入ってこられるだろ……?」


 先程までの傍若無人な振る舞いを考えれば、こうやってただ見つめてくるだけなのは明らかにおかしい。

 お灸を据えると言っておいて、逃げた憂晴を追ってこなかったのも変だ。


「……由紀、なのか」


 堪えていた言葉を、絞り出すように紡ぐ。

 ガラス越しの少女に反応はない。

 代わりに、頭の上からピョコンと耳が立った。


 兎の耳としては小さめの、ネザーランドドワーフの耳が。


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