12
「気を取り直して。さあ、さっさと恋人同士の証明をするのです」
本当にこの作戦を成功させる気があるのかと疑ってしまう程に、由紀は憂晴達を急かしてくる。たった二日では綿密に作戦を練ることが難しいのも確かなのだが。
現在、憂晴達は庭にいる。
由紀が睨みをきかせる中、両親が残していったバーベキュー用の椅子に座っていた。
庭は月の地表のような惨状になっていて大層不審がられたが、強引に家庭の事情ということにした。
守永由紀も兎を飼っている。穴掘り癖についても熟知しているからだ。
ただ、兎が掘ったと言うにはあまりにも説得力に欠けた。
これならいっそのこと家の中に招き入れるのも有りだが、憂晴が一人暮らしであることは知られているはず。
室内だと色んな意味で警戒されてしまう。
「えっと、由紀ちゃん? って、何か言ってて変な感じだけど。私と移戯君は正真正銘恋人同士だよ? ね」
「う、うん」
「本当に付き合ってるのです?」
「も、勿論っ」
ズイッと一歩前に踏み出した由紀に、つい体を強張らせる守永由紀。
大事なのはここからだ。
少しずつハードルを上げていって、守永由紀を追い込んでいく。
全ては由紀の手腕に掛かっている。
掛かっているのに。
「だったらチューするのです」
「「いきなり!?」」
「さ、流石に妹さんの前でなんて……ね、ねぇ?」
「なら由紀は家の中から見てるのです。チューしたら認めるのです」
そう言い残すと、由紀はリビングへの窓を開けて部屋に入ってしまった。
カーテンまで引いているので、あれでは中から庭の様子は見られない。
と思ったが、由紀は床に這いつくばってしっかりとこちらを見ていた。
「「……」」
沈黙が痛かった。
由紀が投下した爆弾はおいそれと触れて良いものではない。
下手をすれば作戦が破綻するだけでなく、二人の間に蟠りを残すことになる。
そうなると嫌われることも好かれることも難しくなり、由紀は元の姿に戻れなくなってしまう。
(俺はそれでも良いけど……くそ、元の姿に戻りたいって言ったのは由紀だろうに。こんなのどうしろって言うんだ。いきなりチューしろとか言われて、守永さんがしてくれるわけがない。いやそもそも、俺だってそんな唐突にできないぞ)
恋人同士の振りのハードルを、徐々に上げていく。
これはムード作りとしての側面もあったのだ。
相当なラブラブカップルでもなければ、出会い頭にキスなんてしない。
ましてや、憂晴と守永由紀は恋人同士ですらない。
演技だとしても手順が必要だ。
「……ごめん。由――妹が無理言って」
「あ、あはは。想定してなかったわけじゃないけど、まさかいきなり来るとは……」
「想定してたの!?」
「違う違う! ほっぺね」
「ああ……何だ」
しかし頬にキスというのはそこまで高いハードルじゃないように思える。
バラエティ番組のご褒美や罰ゲームなどでも見られるし、王様ゲームでも受け入れられる類いの命令だ。
ようは空気を読んだ上で、それでも我慢できるかどうかである。
「移戯君、その程度かって顔してるね」
「そ、そんなことは。……ただ、ほっぺにキスは、別に恋人同士じゃなくても罰ゲームとかの許容範囲かなと」
「……一度も、したことない女の子でも?」
「!」
憂晴はとんでもないことを失念していた。
彼女の言う通りだ。
恋愛経験豊富な人がするのと、恋愛経験ゼロの人がするのとでは全く違うではないか。
憂晴がこんなに緊張しているのだって、一番の理由は経験が少ないことに他ならない。
「妹さんが言ってるのは、当然口と口でするキスのことだよね」
「……うん」
「だよね……」
神妙そうに俯く守永由紀。
家族とのキスや人工呼吸であれば、ファーストキスとしてカウントなどしないだろう。
だが例え演技でも、同級生とのキスはカウントしない訳にはいかない。
日本人は、キスを挨拶と言える程フランクではないのだ。
これ以上粘ったところで無駄。
何より、守永由紀に申し訳ない。
そう思った憂晴は無理はしなくて良いと伝えようとしたが、メールの着信がそれを邪魔した。
透心からだ。
「っと、ごめん」
「ううん」
手早く確認すると、
(『多少強引でも良いから早くしちゃって。どうぞ?』……何だこれ。メールはトランシーバーじゃないぞ。というか、やっぱり何処かで見てるのか)
「無茶言いやがって……」
メールの内容があまりにも突飛だったので、つい言葉に出してしまった。
それを、敏感に察知した者がいた。
「そのメール……トコちゃんからでしょ」
「うぇ!?」
「貸して!!」
兎のような体勢で憂晴の携帯を凝視していた守永由紀は、下半身をバネにして勢いよく飛びかかってきた。
そのまま椅子ごと倒れ込む二人。
憂晴は女の子特有の柔らかさで気が気ではなかったが、しっかりと握っていたはずの携帯は守永由紀の手に渡ってしまった。
「……」
表示されているのは最新の受信メールのみ。
だがちょっと弄れば他のメールも閲覧できる。
それだけは避けなければ。
体を張ってでも阻止しなければ。
「やっぱり……トコちゃん、何処かで見てる」
「そ、そうみたいだね。あの、守永さん? そろそろ返してくれると助かるんだけど」
「あ! わ、私つい……ごめんね」
守永由紀は素直に携帯を返してくれた。
とりあえず一安心だ。
「でも、急にどうしたの? 守永さんにしては強引というか、凄い剣幕だったけど」
「ちょっとね。突然だけど移戯君。トコちゃんの秘密、知りたくない?」
「へ?」
本当に突然すぎる上、何の脈絡もない質問だったが、秘密という甘美な言葉に惹かれてしまった。
特に憂晴は、透心に沢山秘密を握られているので是非とも知りたかった。
「知りたいかな」
「じゃあ教えてあげる。トコちゃんにはね……ずっと前から好きな人がいるの」
「へぇ……って、それ俺が聞いていい話? 女の子同士の秘密って奴なんじゃ」
「良いの。そうしないと出て来てくれないだろうから」
「……?」
この状況を何処かで見守っている透心を、表舞台に引っ張り上げる。
強引にキスをさせようとした友達に言いたいことがあるのか、はたまた他に何か目的があるのか。
いずれにせよ、好きな人を暴露するというのはやり過ぎな気がする。
透心が憂晴に送ってきたメールも、友達とは思えない内容だった。
(もしかしてこの二人……喧嘩してるのか?)
心の内を抉るような攻撃は、殴り合いの喧嘩よりもある意味バイオレンスに思える。
「今から、トコちゃんの好きな人を発表します!」
「ちょ!?」
流石の憂晴も止めようとしたが、大きく深呼吸して体を揺らしている守永由紀からは相当な覚悟が見て取れた。気軽に止めることなどできない。
憂晴が圧倒されている内に、守永由紀の唇は動いた。
「トコちゃんの好きな人は」
「やめて!!」
聞こえた。
その声は紛れもなく与一透心のものだった。
しかし、その姿が何処にも見当たらない。
守永由紀の声に反して透心の声は相当な大音量で、しかも足下から発せられていた。極めて至近距離にいる可能性が高い。
(……由紀が掘った穴の中か? なんて所に隠れてるんだよ)
一番深い穴となると、由紀が人間に化けた直後に一晩かけて掘ったものがある。位置的には守永由紀が立っている真後ろだ。
「トコちゃん! いるなら出て来て。じゃないと本当に言っちゃうよ!」
「いや! もし言ったら、舌噛み切って死んでやるから!!」
何とも古風な自殺の仕方を言って牽制する透心。
その声は、やはり守永由紀の背後にある穴の中から聞こえてくる。
「ならそのままで良いから答えて。どうして移戯君にあんなメール送ったの?」
「そ、それは……妹さんを信じさせるために一番手っ取り早い方法を」
「トコちゃん、電話で言ったよね。本当に嫌なことは絶対にしなくても良いって」
「っ」
透心が押し黙る。
友達として最低限の配慮はされていた。
ならこの展開は何だ?
何故透心は、急に友達の気持ちを無視してあんなメールを送ってきた?
由紀は元の姿に戻ることを願っていたが、必ずしも今成し遂げなければならない訳ではない。
少なくとも透心にとっては、大切な友達との絆を天秤にかけてまですることじゃない。
「ここからは私の想像だけど。トコちゃん、自分の気持ちを吹っ切るために、移戯君の妹さんの事情を利用しようとしてない?」
「!!」
「……やっぱり」
「ち、違う。そもそも私、守永さんに好きな人の話なんて」
「してなくても分かるよ。あれだけ毎日話を聞かされてればね。未だに気持ちを伝えてないことも……分かるよ」
目を瞑って過去を思い出しながら、守永由紀は透心に語りかける。
一方、二人の会話を聞いていた憂晴はとてつもない場違い感に悩まされていた。
二人だけの秘密の会話を堂々と立ち聞きしているようなこの状況。
とても耐えられない。
「話を割って悪いんだけど。俺、席外した方が良くない?」
「移戯君が居ないと意味無いよ。妹さんにも、恋人同士だって証明しないといけないし」
「もはやそんな状況じゃないような……」
むしろまだ覚えていたことに驚きだった。
完全に憂晴そっちのけで二人の世界に入っているようにしか見えない。
守永由紀は、そんな憂晴の心境に気付くことなく透心との会話を続ける。
「トコちゃんがどんな恋愛をしようと、それはトコちゃんの自由。でもこうやって他を巻き込む形で吹っ切ろうとするのは間違ってる。……ねぇ、トコちゃん。どうしてトコちゃんは気持ちを伝えようとしないの?」
「……だって」
穴の中にいるせいで妙にくぐもっていた透心の声が、一際大きくなった。
「だって憂晴は、『ネコを飼ったことがない』んだもん!!」
「!?」
「ね、猫? それが、関係あるの?」
「……っ。私のゴールには、落とし穴が設置されてる。守永さんは、落とし穴が見えてるゴールまで走れって言うの?」
突然名前を出され、憂晴は心臓が飛び跳ねるように驚いていた。
だが本当の意味で驚いたのは、名前を出されたことではない。
『透心を女の子としてどう思っているか』と質問してきた、守永由紀の意図。
与一透心が言った、『憂晴がネコを飼ったことがない』という言葉の真意。
なし崩し的に生まれる、強烈な罪悪感。
小学校中学校と、憂晴がずっと恋愛相談をしてきたのは誰だった?
「猫の話はよく分かんないけど、トコちゃんの言ってる意味は分かった」
守永由紀は知ってか知らずか穴の方に振り向いて、
「トコちゃんはその落とし穴の底を見たの?」
「え?」
「落とし穴には底が無いかもしれない。でも……底が浅くて、また違う道が続いてるかもしれない。トコちゃんはそれを『確かめようともしてない』んだよ」
「そ、それは……っ。守永さんには関係ないでしょ!?」
「友達でも関係ないの?」
「関係、ないっ」
「なら、『恋敵』は?」
「え」
呆然としていた憂晴の方を向き、ゆっくりと近寄ってくる守永由紀。
その視線は真っ直ぐで、憂晴の視線と交錯している。
二人の間の距離はあっという間に縮まる。
手を伸ばせば、届く。
そのとき、憂晴が視線を泳がせた。
守永由紀の背後の穴から、透心がひょっこりと顔を出したからだ。
そして、その一瞬の隙を突かれ――
憂晴と守永由紀の唇は重なった。




