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深夜二時過ぎ。
憂晴の部屋では、カタカタ……カタカタ……という、キーボードを一心不乱に叩いているような音が響いていた。
目を覚ました憂晴は、こんな時間に甘えるのは珍しいなと思いつつも、入学式のことを考えて再び眠ろうとした。
が、次の瞬間。
痛烈な破壊音と共に、何かが憂晴の顔の上に落ちてきた。
「な、何だ?」
寝ぼけ眼で枕元にあるものを拾う。
カーテンを開けて月明かりに照らしてみると、それは由紀用のケージに使っている蓋の一部だった。
「脱走か!?」
慌てて照明を点けてケージを確かめる。
予想通り、そこに由紀の姿はなかった。
更に憂晴が驚かされたのは、ケージが無残に破壊されていたことだ。
まるで『中からこじ開けられた』かのようにあちこちひん曲がっていて、屋根を固定していた脱走防止用の洗濯ばさみまで破壊されている。
(脱走……なのか?)
小動物を飼ったことがある人であれば、誰しも一度は経験しているであろうケージからの脱走。
特にハムスターやリス、鼠と言った、いわゆる齧歯目に分類される動物は、前歯を器用に使って簡単に脱走してしまう。
兎は齧歯目ではなくウサギ目に分類されているが、飼い始めた当初は屋根が吹き抜けだったこともあって、餌箱などを足場にしてはしょっちゅう脱走されていた。
しかしそれは、あくまで過去の話。
脱走防止用の屋根を取り付けてからは、一度も脱走を許していない。
それだけに疑問だった。
(こんなこと、由紀にできるとは……)
例え人間であっても、固定されたケージを中から破壊するのはそれなりの力がいる。
ただでさえ小型のネザーランドドワーフである由紀には不可能な荒技だ。
「そ、そうだ。それよりも由紀は何処行った!?」
不可解ではあるものの、実際にケージは破壊されていて由紀の姿は見当たらないのだ。
きっと部屋の何処かにいる。
部屋の扉は閉まっているし――
「って開いてるじゃねーか!!」
信じられないことに、人間が普通に通れるくらいの隙間分、部屋の扉が開いていた。
小さい頃から扉の開け閉めだけはきっちりこなしていた憂晴が。
度々脱走されて尚更警戒するようになっていた憂晴が。
扉を閉め忘れるなんてことは考えられない。
かといって、ドアノブは兎がジャンプして届く距離ではない。
仮に由紀が、火事場の馬鹿力とばかりにノミのような跳躍力を見せたとしても、下げてから引く必要のあるドアノブでは手も足も出ないはず。
こうなると、外からの侵入者の可能性を考える方が自然に思えた。
(由紀を外に出したことはない。せいぜい部屋の中を散歩させるくらいだ。だとしたら、たまたま侵入していた泥棒が俺の部屋で由紀を見つけて、そのあまりの可愛さに暴走。思わずケージを破壊して連れ去った……!?)
推測というより暴論に近いが、由紀がケージの中から自力で脱走して、あまつさえドアノブを器用に動かして部屋を出たと考えるよりは遙かにあり得る話だ。
「由紀!!」
憂晴はいても立ってもいられず部屋を飛び出した。
飼っている動物達に優劣などつけられないし、つけるつもりもない。
それでも、憂晴にとって由紀は初めて飼った動物だ。
思い入れも愛着も特別と言っていい。
「由紀! 由紀! 由紀!!」
兎は猫や犬のように頻繁に鳴く動物ではない。
それが分かっていても叫ばずにはいられなかった。
踏んづけてしまわないよう、足下に注意しながら廊下を走り抜けて玄関を確認するも、こちらの扉は隙間など全く無い。
となると、やはり泥棒ではなく脱走だ。
憂晴は目を懲らしながらもう一度廊下を戻る。
餌が置いてあるお納戸、隠れる場所が多いリビング、落ちたら上れないであろう掘り炬燵がある和室、食べ物の匂いが残っている台所、水のある風呂場……最終的には洗濯機と冷蔵庫を動かしてまで探したが、由紀は見つからなかった。
家の中を探し終えた頃にはすっかり日が昇っていたが、家族が一人失踪したのだ。
もはや時間など関係ない。
(有り得ないことが起こったんだ。だったら……外に出た可能性もある!)
リビングの窓はカーテンに加えて鍵も閉まっているし、シャッターまで完璧だ。流石にここから出るには少年漫画的な力が必要になる。
ならば、と思った憂晴は再び玄関に向かった。
そこで気付いた。
扉はやはり閉まっているが、『鍵が開いている』ことに。
「……っ!!」
考えることをやめた憂晴は、思い切り玄関の扉を開け放ち、屋外の捜索へと向かった。
庭から聞こえていた奇妙な音に気付かぬまま。