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現在、与一透心の部屋には、珍しくミア以外の来客が来ている。
透心の携帯を借りて、実の主人である移戯憂晴と通話中の由紀だ。
彼女は犬でいうところのお座りのポーズで固まったまま、先程からピクリとも動こうとしない。
余談だが、人間の姿のミアに続いて由紀を連れてきたことで、娘に沢山友達ができたと母親が大層喜んでいたりする。
「……」
通話が切れたのか、由紀は持っていた携帯を無言で透心に差し出した。
不思議に思った透心がさりげなく聞いてみる。
「憂晴、どうかしたの?」
「ご主人らしくなかったのです。変だったのです」
「ふ、ふーん。ウサギさんがいにゃくにゃって、寂しがってるとでも言いたいーのよ? でも憂晴様の所にはインコさんやカメさんもいるし、ウサギさんがいにゃくにゃってもにゃんてことは」
「ウサッ!!」
「にゃーん」
由紀のウサパンチをパシィ! とタイミング良く受け流すミア。
相変わらずの手の早さだが、憂晴のいない今暴れられるのは非常に困る。
歯止めがきかなくなって怪我でもさせたら、それこそ憂晴に顔向けできない。
「二人共、落ち着いて。今後ここで喧嘩したら憂晴の件もなし。分かった?」
「う、ウサ」
「ミアは中止ににゃっても良いーのよ~」
ミアは猫じゃらしのように右手をちらつかせて由紀を挑発する。
それを見て諦めたような顔を浮かべた透心が、霧吹きのようなものをミアめがけて噴射した。
「うにゃ!? にゃー! にゃにゃにゃにゃにゃにゃにゃ!!」
「良かった。この姿でも効くんだ」
「ミアは何をハッスルしてるのです?」
「またたびスプレー。ミアはこれでしばらく大丈夫だから、話を戻そうか。昨日のお復習いから、良い?」
「ウサ」
由紀の返事を聞いて、改めて透心は昨日立てた計画の概要を話し始めた。
「『憂晴の妹はもう家に帰らないといけないんだけど、兄の一人暮らしが心配だから帰りたくないと言っている。そこで私が、デートしてた子は恋人だから安心してと憂晴の妹に話した』……という作り話を、守永さんに話すんだったよね?」
「その通りなのです」
「『でも憂晴の妹は兄に恋人が居るなんて信じない。そこで私が、キスしてる瞬間を妹さんに見せることができれば恋人同士として信用してもらえるかもしれない、と守永さんに提案する』。確かにここまで言えば、守永さんの性格的に協力してくれる可能性は高い。でも、キスは難しいと思う」
「ウサ!?」
「恋人同士の演技をするだけならきっと手伝ってくれる。けど女優さんじゃないんだし、キスを演技と割り切ることはできない。普通の感覚なら、恋人以外の人とキスなんてしたくないもの」
「? 由紀は毎日ご主人としてたのです」
「「!?」」
由紀の衝撃発言に、またたびスプレーに酔っていたミアまでもが反応した。
「って、ああ……この姿になる前の話ね。びっくりした……」
「どっちにしろミアは悔しいーのよ―――――――!! ミアもチューしたいチューしたいチューしたいチューしたい!!」
ミアなら猫の姿になればいくらでもキスしてもらえるのだが、透心はそのことを口にしなかった。
「と、とにかく。恋人同士の振りだったら、例えば……手を繋ぐとか腕を組むとか抱き合うとか、キス以外のことでも表現できるでしょ。実際にデートしてるところをウサちゃんは見てるわけだし、その場に居た守永さんからすれば説得力としてはそれで充分じゃない?」
「その程度のことで由紀は納得しないのです」
「え?」
「この姿になってご主人がしてくれなくなったこと……それがチューなのです。チューを見ないと、恋人同士として認めるわけにはいかないのです」
「もしかしてウサちゃん……偶然見てしまったってシチュエーションじゃなくて、目の前でキスしてみろって言うつもり?」
「当たり前なのです」
飼い兎にジッと見つめられながらキスの演技をする憂晴のことを考えると、流石に少し同情してしまう。
守永由紀は守永由紀で、余計にキスのハードルが高くなってしまいそうだ。
「そうなると……やっぱり、守永さんがそこまでしてくれるかどうかが問題か」
守永由紀が恋人同士の振りをすることを了承してくれれば、後は目の前にいる由紀が延々信じないと言い続ければいい。
そうすれば自然と恋人同士っぽいことをする羽目になる。
だが透心としては、守永由紀のために『逃げ道』を作っておかなければこの案には賛成できなかった。
「ウサちゃん。ウサちゃんは、憂晴以外の人間とキスできる?」
「嫌なのです。噛みつくのです」
「守永さんもそれは同じ。好きでもない人とキスなんてしたくないし、できない」
「う、ウサ」
「でもママ。昨日の感じだと、それほど嫌われてるようには見えにゃかったーのよ?」
「分かってる。ウサちゃんが恋人同士の証明としてキスを求めるのは構わない。でも最終的に決めるのは守永さん本人だから、上手くいかなくても責めないであげて。そのための言葉も私から言わせてもらう」
「……分かったのです」
『自分がして嫌かどうか』が余程効いたのか、由紀は力強く頷いた。
どれだけ無茶を言っているかようやく自覚したらしい。
「それじゃ……今から電話するから、静かにしててね二人共」
「任せろなのです」
「にゃっにゃ~ん。ミアは保証できにゃいーのよ~」
手首をペロペロと舐めるミアを見て、透心は溜息を吐きつつまたたびスプレーを由紀に手渡した。
「ママ!?」
「ウサちゃん、ミアのことお願い」
「ウッサッサ……任せるのです」
プシュッ、プシュッと使い心地を確かめる由紀。
その度におかしくなるミアが見ていて面白いのか、笑い転げている。
「ママ、助けてにゃーのよ!?」
「自業自得」
助けを求めるミアの声は、扉が閉まっても尚聞こえていた。




