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初めてのデート場所に、歩いて十分の商店街を指定されたときは「ないわー」と呆れてしまった憂晴だが、結果的に透心の選択は間違っていなかった。
守永由紀は同じ小学校で、住んでいる場所もそこまで離れていない。
しかし同じ区でもこの辺りの地理には疎いらしく、何処へ行ってもとても楽しげにしていた。
特にペットショップはお気に召したようで、兎コーナーで相当テンションが上がっていた。
由紀のテンションが尻上がりだったのは言うまでもない。
稲瀬菜々子には、違う女を連れているということでやんわりと軽蔑されてしまったが。
時刻は午後三時半。
二人は『フォンデュ』というパン屋で大人気のクリームチーズパンを購入し、遅めの昼食を取るべく小さな公園のベンチに腰を下ろしていた。
「あ、美味し~」
「でしょ。このクリームチーズパン、小さい頃から食べてるんだけど変わらない美味しさなんだ。テレビの取材とかも来ててさ」
「妹さんは食べなくて良いの?」
「あー……」
由紀は隣のベンチでダラダラとはしたなく涎を垂らしていて、その視線は一斤を半分ずつにしたクリームチーズパンに注がれている。
勿論こんな時間に食べ物は与えられないし、炭水化物の消化が苦手な兎にパンを食べさせるのは御法度だ。
チーズにしても、乳製品で兎が食べるのはヨーグルトくらいである。
「気にせず食べるのです。飛びかかってしまいそうなのです」
「こいつ、ダイエット中でさ」
「全然必要そうに見えないけど……」
「見えないとこが大変なことになってるんだって! 内臓脂肪とか、太ももとか、脇腹とか、二の腕のタプタプとか」
「ウササササッ!!」
「ぎゃあ! あ、ああ、あっ」
目にも留まらぬ速さで繰り出されるウサパンチのラッシュ。
憂晴の内臓に直接ダメージを与え、太ももに青あざを作り、脇腹を抉り、二の腕に拳の痕を付ける。
ああ痛い。
「フゥゥゥ――――…………」
「うぅ……暴力反対……」
「わ、私ちょっとお化粧直ししてくるねっ」
「!?」
修羅場になることを察したのか、無情にも守永由紀はそそくさと退散してしまった。
「……、?」
フルボッコにされると覚悟していたが、由紀は二人きりになった途端、守永由紀が座っていた場所に陣取った。
「ようやく邪魔者がいなくなったのです」
「?」
「ご主人、先程のメールは何だったのです?」
「透心からだよ。由紀がちゃんと留守番してるかって心配してくれて」
「それは変なのです。さっきから、ミアと一緒に自動販売機の裏でこっちを見てるのです」
「え!?」
公園の入り口前に設置されている二台の自動販売機。
ここからでは裏側しか見えないが、隠れるには充分のスペースがある。
「本当に?」
「由紀の耳は誤魔化せないのです」
「そう言われると、確かにあんなメールが来るのは不自然だな。俺が下着を見ようとしたりキスしたりできるかを見張ってるのか?」
由紀が元の姿に戻らなくても良くなった今となっては、守永由紀に嫌われる行動を取る必要はなくなったので、残念ながら透心の期待には応えられそうにないが。
「今日、ご主人はどうだったのです?」
「どうって?」
「デートなのです。由紀の目には、とても楽しそうに見えたのです」
「そりゃまあ、女の子とデートなんて生まれて初めてだからな」
本来なら、今日のデートはとても陰鬱なものになるはずだった。
デート中、ずっと一か八かの行動を取るタイミングを計っていなければならなかった。
そういった胸のつかえが取れたお陰で、存分にデートを満喫することができたのだ。
「……由紀がいなければ、もっと……」
「ん?」
「な、なんでもないのです。それよりも、ご主人はあの女の下着を見なくて良いのです?」
「突然何を。理由がなければ無理に見ようとは思わないって」
見たいか見たくないかと聞かれれば憂晴も口ごもらざるを得ないが、恥ずかしい思いをさせてまで見たいわけではない。断じて。
「ならご主人の本当の気持ちを確かめてやるのです」
「……何するつもりだよ」
由紀は勢いよく立ち上がると、公園の入り口まで歩いて門番のように仁王立ちした。
程なくして戻ってきた守永由紀と兎の由紀が接触する。
公園と言っても声が届かないほど広いわけではないので、何か話していれば聞こえるはずなのだが、予想に反して二人は特に話すことなくこちらに近付いてきた。
守永由紀の真後ろに、ピッタリと由紀が張り付いている状態で。
「お待たせ~」
「お帰」
「ウサービス!!」
守永由紀を笑顔で出迎えたはずだった憂晴の目の前に、突然満開の桜が姿を現した。季節にもマッチしているし、このまま花見と洒落込みたいところだ。
などと冗談を行っている場合ではなかった。
「おにさん、感想をどうぞなのです」
「キャアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」
「わあああああああああああああああああああ!!」
咄嗟に捲り上げられたスカートを押さえる守永由紀。
その勢いでガッチリと由紀に掴まれていたスカートも何とか解放されて難を逃れた。
「み、みみみみ、見た!?」
「えぇー……」
まさかの質問だった。
由紀は、守永由紀のスカートを捲ったのではない。
スカートを捲り上げたまま、三秒ほど固まっていたのだ。
つまりその間ずっと丸見えである。
見えなかったというにはあまりにも説得力に欠けた。そんなことは本人が一番理解しているはずだが、
「お願い……見てないって言って……」
「見てません」
顔を真っ赤にして涙目で懇願されては従うしかなかった。
「おにさん。感想を言うのです」
「それ言ったらバッチリ見てたことになるだろ!! ……あ」
「……」
守永由紀は、プルプルと震えて俯いてしまった。その表情は窺えないが、次に発する言葉は鈍い憂晴でも容易に想像が付いた。
「わ、私帰るねっ」
終始目を開けぬまま、危ない足取りで守永由紀は逃げ帰ってしまった。憂晴はその後ろ姿をただ黙って見つめることしかできない。
明日から学校でどんな顔をして会えば良いのだ。
前方は教卓、右隣には気まずい雰囲気の女子となると、逃げ場は後方か左隣しかいないが、生憎名前すらうろ覚えだ。
「さあご主人。感想を言うのです」
「何故そこまで頑なに!? というかそもそも、何でこんなことしたんだ。元の姿に戻らなくても良いって言ったのは由紀だろ!」
「気分が変わったのです。ウサギは気まぐれなのです」
「気まぐれすぎだ……。ああ、もう……思い切り見ちゃったじゃん……」
自己嫌悪に陥り頭を抱える憂晴。
由紀の気分が変わったということは、やっぱり元の姿に戻りたくなったということ。
これが意味するのは、守永由紀にアプローチをかけて確かな『過程』と『結果』を作るという作戦の復活。
加えて、守永由紀の下着を見ただけでは、由紀が元の姿に戻ることはなかった。
つまり『過程』として足りないのだ。
守永由紀は、下着を見られたからといって嫌いになったりはしない寛容な女の子らしい。仮に逆の効果があったのだとしても、全く別の返事を新たに貰わなければならなくなるので、それはそれでこの先が大変になる。
「ご主人が気にすることではないのです。あれは由紀がやったことなのです。一晩あれば立ち直れるのです」
「どうせなら、これで思いっきり嫌ってくれたら良かったんだけど」
守永由紀がいい人であればあるほど、ふられるまでの『過程』のハードルは高くなっていく。
同時に、由紀が元の姿に戻る道も険しくなっていく。
何とも皮肉な話だ。
「それよりも、由紀は少し用事ができたのです。夜のご飯までには帰るのです」
「は? ウサギのお出かけなんて許せるわけ」
由紀が向かった先は自動販売機。
用事というのは隠れている二人に対してなのだろう。
由紀が近付いた瞬間、ガツンと派手な音が聞こえたので、透心達がいることはまず間違いない。
(一応、メールしておくか)
先程のメールに対しては、デート中と言うこともあって返信していなかったので丁度良い。
憂晴は軽快に指を動かして『由紀のこと、頼む』とだけ入力して送信した。




