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『やほー。元気してた? アニコンお兄ちゃん』
「……元気だけど。そのアニコンってのやめないか? 分かりづらいし」
『え、どこが? 「アニマルコンプレックス」だよ』
「いや、俺は分かってるけどさ。アニメしか見ないとか、兄貴命とかに曲解されかねないだろ。頼むから俺のことは誰にも話さないでくれよ」
『やだな、話すわけないじゃん、恥ずかしいし』
「……、」
『じゃ、またねー』
ドタドタと階段を下りる忙しない音が聞こえたかと思うと、すぐに通話は切れてしまった。
丁度夕飯時なので親に呼ばれたのかもしれない。
部屋に戻った憂晴は、クローゼットの中を確認しながら妹のことを考える。
兄への敬意が足りないのはさておき、たった数秒の電話に救われていた。
明日からは、いよいよ高校生としての生活が始まる。
通常であれば友達ができるか、勉強に付いていけるか、彼女ができるかなどで悩むべき所を全く別の理由で悩んでいた憂晴は、本当に、とても心細かったのだ。
あんな妹でも女神に思えてしまうくらいに。
一人暮らし。
中学の卒業式までは、確かに四人で暮らしていた。
春休み中、唐突に父親の転勤が決まった。
それだけならまだ良かったのだが、引っ越し先では動物が飼えないと言われた。
要するに、家族の一員となっていた動物達を手放せということだ。
その結果どうなったのかは、今の憂晴の状況を見れば理解してもらえるだろう。
憂晴が何よりも許せなかったのは、両親の手際の良さだ。
唐突に決まった転勤なのに、何故動物達の『引取先』がああも簡単に見つかるのだ。
どう考えても、言いづらくて内緒で話を進めていたとしか思えなかった。
だから移戯憂晴は宣言した。
こいつ等を手放すくらいなら、一人でここに残ると。
元々この家は祖母のものだったので、誰かの手に渡ることもなく自然と憂晴が家主となった。
祖母が味方に付いてくれたのも大きかった。
残念ながら憂晴が飼っていた動物達のほとんどは、餌代の問題もあって手放さざるを得なかったが、残った三匹は今でも元気に暮らしている。
最初に兎を飼い始めたときに、「命の尊さを学べ」とかご高説たれていた両親がいなくなってせいせいしていた憂晴は、一人暮らしという響きにそれなりに魅力を感じていたのだが、蓋を開けてみれば家事に追われる毎日。
掃除、洗濯、アイロン掛け、食材の買い出し、炊事、食器洗い……彼の春休みは家事に慣れるための犠牲となった。
明日からは更に、早起きと学校という重労働が加わる。
不安は増すばかりだ。
そんな状況下で掛かってきた、妹からの電話。
本当に、救われていた。
「よし」
既に明日の準備は整っている。
制服がブレザーになったことでネクタイの結び方に悪戦苦闘したが、どうにか会得することができた。
「――と。そろそろこっちもご飯か」
昼食時に茹ですぎて余ったひやむぎを冷蔵庫から取り出し、サッと湯通ししてから野菜と一緒に炒めれば、適当塩焼きそばの完成だ。
なるべく野菜を入れるようにしているが、憂晴が優先すべきは自分の健康ではなく動物達の健康なので、食事にはあまり気を配っていない。
あまり噛まずに平らげ、フライパンと皿と箸を洗う。
調理と合わせても三十分と掛からない夕飯を済ませた憂晴は、すぐに冷蔵庫を開けて野菜を取り出し、適当な大きさに切り分けた。
続けてお納戸に入り、棚の中を漁り始める。
憂晴の夕飯が終わったら、次に用意するのは愛する家族のご飯だ。
この家には、現在三匹の動物がいる。
まずはネザーランドドワーフ。
品種はブルーで、頭頂部に付いている耳は他の兎に比べると小さい。
顔も丸くて小さいため、とても子供っぽい外見をしている。
犬なんかは子供と大人で相当イメージが変わるが、ネザーランドドワーフの場合は大人になっても子供の頃とイメージが変わらない。
実際憂晴も、こいつ成長してるか? と不安になったくらいだ。
ご飯の時間になると、ケージの隙間から鼻を突き出してヒクヒクさせてくるのだが、これがまた何とも可愛らしいおねだりで、憂晴が一日の内、一番和む瞬間でもある。
次はオカメインコ。
飼い鳥としては最もポピュラーな種類で、大人でも体長は三十㎝程。
その名の如く顔に橙色の斑点を持ち、とても人懐っこい。
憂晴が飼っているルチノーという品種は、顔が黄色で体はクリーム色の体色をしている。
妹曰く、美味しそうとのこと。
ご飯はペレットオンリーだが、市販されているものの中にはやたらと脂肪分が多いものもあり、それなりに気を配る必要がある。
最後にヘルマンリクガメ。
リクガメと言うととんでもなく大きいイメージを持たれるかもしれないが、この種類は小型種で、最大でも四十㎝程度にしかならない。
テラリウム(陸上の生物をガラス容器などで飼育する技術)で飼育しているため見栄えも良く、置き場所に困らない。
最近では、一人暮らしになって目減りした家具類を補填するインテリアにもなりつつある。
ご飯は主に小松菜。他にもレタスやトマト、キュウリなど、結構なんでも食べる。
小松菜は憂晴の好物でもあるので、冷蔵庫のチルド室の半分は小松菜で埋まっている。
「んー……牧草もペレットも無くなりそうだな」
兎用の牧草には二種類あり、栄養価が高いものは成長期の兎に、繊維質が多く含まれているものは高齢の兎に、という風に分ける。
うちのネザーランドドワーフはそれなりにお年を召しているので、後者の牧草を選ぶようにしている。
「菜々子~。ご飯だぞ~」
動物達と共用している自分の部屋に入り、テラリウムのケージを上部から覗き込むと、ヘルマンリクガメの菜々子がゆっくりと首を伸ばした。
時間の流れが緩やかになったかのようなスローな動きが、何とも言えず可愛い。
二欠片ほど直接食べさせ、後はケージの中に置いておく。
今でこそ素直に食べてくれるが、初めの頃は環境の変化にストレスを感じていたのか何も口にしてくれず、相当焦った記憶がある。
「香織~。ご飯だぞ~」
身長百七十二㎝の憂晴の目線より、少しだけ下に置いてあるケージに向けて声を掛けると、すぐに止まり木から動き出して近寄ってきた。
どうもご飯の時間はきっちりと記憶しているらしく、寝ていても飛び起きてくる。
他にも憂晴が寝る時間になると甘えるのをピタリと止める、などの行動をよく見かける。
「由紀ー? ご飯だぞ~」
買うときに、できるだけ大きい方が良いと勧められて購入した巨大なケージ。
その内二匹目も飼うかもだし良いか、と軽はずみに購入したものの、兎は基本、一匹につき一ケージなんだそうで。
由紀には分不相応な広さだが、牧草入れがあるのにわざわざ引っ張り出してそこら中に撒き散らしたりもするので、それなりに広さを活用しているようだ。
掃除する身としては大変だが。
予想通りに鼻をヒクヒクさせておねだりする由紀。
そんな愛くるしさに、思わず憂晴はご飯を上げるのを躊躇ってしまう。
「そうだ。由紀、ちょっと聞いてくれよ。さっき妹から電話があったんだけどさ」
「……」
その後三十分ほど愚痴をこぼした後、牧草を少し足して少量のペレットを与えた。
途端に引っ張り出してケージ中に撒き散らし始める由紀。
これだけ見るとただ八つ当たりしているように見えるが、いつものことなので気にせず話しかける。
「由紀~。食べながらで良いから、もう少し俺の話を聞いておくれ~」
「……」