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「か、香織をよくも……なのです!!」
誇り高き化けネザーランドドワーフの由紀は、歯を剥き出しにして憎き化けスコティッシュフォールドを睨み付ける。
「仇は、仇は取るのです!! ウサアアアアアアアアア」
「責任転嫁もはにゃはだしいーのよ!」
「!?」
由紀の突貫はミアの跳躍によって華麗に躱された。
影を追って真上に手を伸ばすも、ミアはクルリと回転して由紀の背後に着地する。
「ちょこまかと!」
振り向き様にローリングウサソバットをお見舞いしようとした由紀だったが、ミアの口元から香織が消えていることに驚き動きを止めた。
「ひ、人でなしなのです! 呑み込みやがったのです!!」
「ちょっと落ち着くーのよ、ウサギさん。そもそもミア、人じゃにゃーのよ」
「香織が消化されるので――す?」
ウサ耳を抱えて恐ろしい想像をした由紀の肩に何かが留まった。
ルチノーのオカメインコ、香織だ。
「無事だったのです!?」
「全く……これがミアでにゃく普通の猫だったら、ウサギさんの想像通りににゃってたーのよ。そうにゃったら、憂晴様に怒られるのはウサギさんにゃーのよ?」
「……はっ。化け猫が喋ってるのです!!」
「気付くのが遅い気がするーのよ……。ミアはウサギさんと違って、憂晴様への愛が膨れあがるだけで化けられるーのよ!」
ミアは尻尾を立てて得意げだった。
それが本当なら、憂晴が傍にいて協力さえすれば、人間の姿になるのも元の姿に戻るのも自由自在ということだ。
ミアの飼い主は移戯憂晴ではなく与一透心。
条件としてはそれなりに厳しくはあるが、未だ元の姿に戻る方法を模索している段階の由紀と比べれば遙かに優れている。
「ふ、ふん。そんなの、ただ発情してるだけなのです。ご主人ははしたない雌は嫌いなのです」
「にゃっにゃ~ん。人間の雄はエッチにゃ雌が好きだってママが言ってたーのよ。こんにゃ乱暴者よりミアの方が良いに決まってるーのよ」
「ご主人は由紀のご主人なのです! 由紀の方が良いに決まってるのです!!」
「でもさっきは優しくミアを抱き締めてくれたーのよ。頭もにゃでてくれたーのよ。しかもウサギさんの目の前で! にゃーのよ」
「ゆ、由紀は毎日撫で撫でされてるのです! 頭も耳の間もお腹も背中も!!」
「そんにゃの一緒に暮らしてたら当たり前にゃーのよ。……そうだ、ウサギさんは化けて出てから、同じように可愛がってもらったーのよ?」
「う、ウサ……今は人間なのです。だから……」
人間の姿で可愛がって貰うのと、動物の姿で可愛がって貰うのとでは勝手がまるで違う。
由紀は体が人間になっただけで、ネザーランドドワーフであることに変わりはない。
だがそれは由紀の感覚であって、憂晴がいつも通りに可愛がってくれるとは限らないのだ。
現に由紀は、化ける前と後で憂晴の態度が違うことを確認済みである。
「甘えてみたーのよ?」
「ご、ご飯を食べさせて貰ったのです。でも、いつもみたいに見つめてくれなかったのです。そっぽを向かれたのです」
「……ウサギさん、そのときも今と同じ格好にゃーのよ?」
「なのです」
「にゃにゃにゃ……憂晴様は反応して? ミアとしては由々しき事態……でもそれでミアのことも意識してくれるようににゃれば……」
「何をブツブツと言っているのです?」
「にゃ、にゃんでもにゃーのよ!」
ミアは両前足で耳の後ろを毛繕いしつつ続けた。
「にゃ……化けた動物同士、一つアドバイスしてあげるーのよ。人間の姿ににゃれたんだから、人間の雌と同じように可愛がって貰わにゃいと損にゃーのよ」
ミアの言葉を聞いた由紀は、虚を突かれたとばかりに怯んだ。
かねてより懸念していた考えを再び思い出してしまったからだ。
「ご主人は……由紀のこの姿が嫌いなのです」
「そんなわけにゃーのよ!」
「本当なのです。その証拠に、由紀が元の姿に戻ることに協力的なのです」
「それはウサギさんのためを思ってこそにゃーのよ。せっかく喋れるようににゃったんだから、直接言葉で伝えないともったいにゃーのよ。可愛いポーズで悩殺! にゃーのよ」
「み、見本を! 見本を見せてほしいのです!」
「それにゃら、まずは化け猫っていう呼び方からにゃんとかしてもらいたいーのよ。ミアにも、ママから貰った大切にゃにゃ前があるーのよ」
「分かったのです。ミア」
ベッドの上で臨戦態勢だった由紀は、警戒を解いてミアの前で正座した。
先程までの怒りが嘘だったかのような変わりようである。
由紀の肩に留まっている香織も、寝室の扉前で首を引っ込めていた菜々子も、黙って事態を見守っている。
二匹には由紀とミアの会話内容は聞き取れないが、立場は全く同じ。
動物的感覚で耳を傾けていた。
「にゃ~……まずはこう、四つん這いににゃるーのよ」
いわゆる女豹のポーズをとるミアだが、如何せん姿が猫のままなのでいまいち様になっていない。
猫でこの仕草をすれば人間受けするのはまず間違いないだろうが、由紀が知りたいのは人間の姿での甘え方だ。
ミアの体を人間に見立て、見よう見まねで体勢を真似てみる。
「こ、こうなのです?」
「全然違うーのよ。もっとお尻をグイッと突き出すーのよ!」
言われた通りにするが、何故か突然ミアが青ざめた。
「シャツが……え、エロ……」
「?」
由紀がお尻を突き上げると、辛うじて下半身を隠していたTシャツが捲れ上がり、とてもギリギリなアングルとなった。
どちらかというと、これは甘えるというより誘惑するポーズだ。
「にゃああああああああああああ! やっぱり却下! これは反則にゃーのよ!!」
「反則? 何か問題があるのです?」
「これだとミアの分が悪――じゃにゃくて。台詞! 台詞の練習をした方が良いと思うーのよ! 憂晴様が思わず抱き締めたくにゃるようにゃ、キュンと来るやつにゃーのよ!」
「そ、それはとても興味深いのです。ミアは一度、うちのご主人をたぶらかしているので説得力があるのです」
「にゃっにゃっにゃっ。それほどでもにゃーのよっ」
憂晴のあの行動にそこまで深い意味はないのだが、由紀にとってはそれでも充分。由紀が『家族以外の動物を抱いた憂晴』を見るのは、あれが初めてだから。
人間の姿のミアは裸だった。
憂晴はその姿から目を背けずに、優しく抱き締めたのだ。
初めて人間の姿の由紀を見たときの反応とはえらい違いである。
ちなみに、出会い頭にウサパンチを食らわせたことは綺麗サッパリ忘れている。
「まずは基本中の基本からいってみるーのよ。ずばり、『猫にゃで声』!」
「ゆ、由紀が猫なで声……屈辱なのです」
「ウサなで声じゃブーブーににゃるーのよ」
「う、ウサ」
痛いところを突かれてぐうの音も出ない。
そうなのだ。
ウサギは基本的に鳴かないが、撫でられて気持ち良かったり、苛々してるときは感情表現の一つとして微妙な鳴き声を発する。
それがブーブーであり、キーキーなのだ。
憂晴との生活が始まって、ようやく撫でられることに慣れてきた頃。
由紀は喜びを伝えるためにブーブーと鳴いた。
それは初めて由紀が心を開いた記念すべき瞬間でもあったが、憂晴は「変な鳴き声だなぁ……」とバッサリだった。
勿論由紀に言葉の意味は分からなかったが、ニュアンスと表情で伝わっていた。
それ以降、由紀が鳴くことはなくなった。
「別にニャンニャンにゃけって言ってるわけじゃにゃーのよ? あくまで甘ったるい声で憂晴様の心を鷲掴みにするのが目的にゃーのよ」
「分かったのです」
「じゃあ……ゆ~せ~さまぁ~ん。はい。リピートアフタミーにゃーのよ」
「ゆ、ゆーせーさまー」
「んー……ウサギさんはご主人って呼ぶ方が合ってるーのよ。ごしゅじぃ~ん。はい」
「ご、ごひゅじぃ~ん」
「……、まあいっか適当で」
「今聞き捨てならない台詞を聞いた気がするのです」
「き、気にしちゃだめにゃーのよ」
その後、しばらくの間由紀の猫なで声レッスンは続いたのだった。