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「ウッサッサ。これで邪魔者はいなくなったのです」
先程まで憂晴が立っていた位置に寝転がるミアを見て、不敵な笑みを浮かべる由紀。
百歩譲って、同じように憂晴に飼われているオカメインコの香織とヘルマンリクガメの菜々子は許せる。
それでも自分より優先されると嫌だし、嫉妬するし、ストレスも溜まる。
ならば。
ぽっと出の、余所の、唐突に化けて出ただけの猫は?
由紀の心に芽生えた嫉妬の炎が、どれだけ燃え盛っているかご理解頂けるだろうか。
「ゴロゴロゴロゴロ……」
喉を鳴らしながら、ミアは憂晴の残り香を満喫している。
由紀のウサパンチも、人間大になったミアには軽くいなされてしまった。
しかしこの姿であればどうにでもなる。
これが同じ獣同士の戦いであれば間違いなく由紀は不利。
というか、食べられてしまうくらいの力関係がある。
今が千載一遇のチャンスなのだ。
「ここで会ったが十分目……なのです」
ジリジリとミアとの距離を詰める。
ウサパンチの射程まで、およそ五十㎝弱。
後少し。
後少しで忌々しい余所の化け猫に天誅ならぬウサ誅を与えられる。
そう思うとつい顔が綻んでしまい、由紀の口元がヒクヒクと動いた。
それに反応したミアは身の危険を感じたのか、即座に台所の方へ逃げてしまった。
「ね、猫のくせに脱兎の如く……なのです!!」
お株を奪われた由紀がミアを猛追する。
台所に駆け込むと、あろうことかミアは洗い終えた食器の上に跨がってガシャンガシャンと嫌な音を立てていた。
横に並べてある皿は良いが、縦に並べてある皿は今にも落下しそうだ。
「ま、待つのです! お皿を割ったら人参が半分になってしまうのです! ここは落ち着いて話し合うので」
いつの間にか人参丸々一本貰えることになっているのは置いておいて、由紀の交渉空しく、皿は割れてしまった。
皿の破片が巻菱のようにフローリングの床に散乱する。
以前にも由紀は、リビングを散歩中に自力でソファーをよじ登り、窓の近くに置かれていたガラスの花瓶を割ってしまったことがある。
そのときも怒られたのだが、憂晴は怒るよりも先にガラスの破片で怪我をしないようにすぐさま掃除機をかけていた。
「ここは通行止めなのです……っ」
ミアも割れた破片が危険だと分かっているのか、破片が散らばった床を軽やかに飛び越えて廊下に出てしまった。
「キーキー!!」
化けて出てから初めて兎らしい怒りの鳴き声を発した由紀。
リビングから廊下に出てミアを追い詰めようとしたが、
「……、いないのです」
移戯家の廊下は、玄関から出て正面のリビングを初めに、和室、二階への階段、トイレ、お風呂場、寝室、お納戸、台所、憂晴の部屋とほぼ全ての部屋に繫がっている。
階段には動物が登らないようにするための大きな柵が設置してあり、他の部屋も全て扉が閉まっている。
はずだったのだが、寝室の扉が申し訳程度に開いていた。
「あの姿のまま……?」
部屋の中に入る場合、全てのドアノブは、下げてから押さなければ開くことはない。
それをミアは簡単にやってのけた。
猫であれば、軽くジャンプしてドアノブに体重を掛ければすんなりと開けることができる。
「忌々しい化け猫なのです」
すぐに突入しようとしたが、ミアはあることを思いついて踏みとどまった。そして、少しだけ開いている扉を閉める。
「ウッサッサ……これで出られないのです」
そう。外からは開けられても、中からはドアノブを下げてから『引く』必要がある。
ドアノブに引っ掛かりながら押すことはできても、引くことは不可能だ。
由紀が憂晴の部屋から出られたのも、人間の姿であればこそである。
「今の内に援軍を呼ぶのです」
そう言って由紀が向かったのは憂晴の部屋だ。
「お前達、出番なのです!」
菜々子がいるテラリウムと、香織のいるケージに向けて言う。
当然何の言葉も返ってこないが、由紀は問答無用とばかりに二匹を鷲掴みにして部屋から連れ出した。
寝室の扉前にスタンバイし、ミアが飛び出してこないように足を挟みつつ少しだけ扉を開ける。
「さあ行くのです! 化け猫を追い詰めるのです!!」
由紀に促されて、菜々子はノソノソと部屋に突入していった。
菜々子とは対照的な態度を取ったのが香織だ。
ピーピー鳴きながら頑なに拒んだが、由紀の手で強引に放り込まれてしまった。
寝室の中から香織の悲痛な声が響いてくる。
それが助けを呼ぶ声だとは知らずに、由紀は「壮絶な戦いが繰り広げられているのです……」などと見当違いなことを呟きながらひたすらに待ち続けた。
やがて寝室から一切の音が消え失せた。
「そろそろ由紀の出番なのです」
仲間がミアを追い詰めたと確信して、由紀自身も素早く寝室に入る。すると扉近くの床に、クリーム色の羽根が散乱しているのを見つけた。その中心には香織ではなく、菜々子が甲羅に首を引っ込めてビクついている。
そこで由紀は気付いてしまった。
喰う者と喰われる者の、確固たる上下関係に。
「しまったのです! 香織は猫が苦手だったのです!」
鳥は鳥でも、鷲や鷹、梟と言った大型の猛禽類であれば多少話は変わってくるが、オカメインコの香織は充分猫の獲物になり得る。
桜吹雪の舞った後のような鮮やかな香織の痕跡を見ていると、古くて置いていかれたダブルベッドの上からモフッと音がした。
ミアがマットレスの上に着地した音だ。
「化け猫! 香織を何処に――」
勢いよく睨み付けて、そして絶望した。
満足そうにふんぞり返っているミアの口には、しっかりと香織が咥えられていたから。
「う、ウサアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!」




