友人が土産と称して勇者(候補)を持って来訪した件とその顛末について
『~の顛末について』第三弾お届けします(^-^ゞ
内容は前作に比べて混迷ぎみです。
一作、二作目を読んで頂いた上で、今作に挑んで頂くことをお薦めしますヽ(´o`;
***
先日、何気無く幼馴染を連れて友人の家を訪問した折。
いつになく顔色の悪い彼女に困惑した事を覚えている。
理由を尋ねても明確な答えが返ってこなかった為、いつもの通り彼女の兄が絡んでいるのだろうと何となく当りを付けた。
しかし、正確な理由は今も分からない。
エイム家に関わるものは、総じて解決しようのないもやもやとした何かに悩まされる。
それがここ数年にわたって彼女リズ・スカラティーヌ・エイムの友人としてあの家に関わって来たエルーカ・ココットの感想である。
まずは初めから整理して語ろう。
エイム家がこの村にやって来たのは、十数年前まで遡る。
正確な所は村の『村歴・ポプラ編』を呼んでもらえれば分かると思う。
その名の通り、この村の名はポプラ村だ。
ファンシーな名前ながら、その周辺はそれに似合わずに結構物騒である。
何せ、大河を挟んだ向かい側が魔境。
目の前に広がる大自然というより、殺伐。
春の月は特に、魔物が川を挟んで遠吠えをする頻度も増える。
繁殖期なのだろうか………?
正確な所は当魔物たちに聞くほかないが、勿論そんな事をしてたら喰われる。
喰われるのは御免なので、生涯知らなくても構わないというのが村の総意だ。
ともあれ、その遠吠えで夜間の睡眠を妨害されている点はささやかな悩みの一つ。
出来ればもう少しボリュームを抑えて頂けたら、と川の向こう岸に提言した事はあるが以前よりも大きな遠吠えで返事が返って来たので断念した。
そんな平和なポプラ村。
毎月発行されている『ポプラ広報』では、ほぼ毎月その一面を『村の長老百人が語る長寿の秘訣』に割いている平穏さ。
そもそも考えてみる。長老百人は多すぎだろと思う。
だがしかし、実際いるのだから仕方ない。
因みに裏面は『青野菜の上手な育て方』、『魔獣に学ぶ緑地化』、『あの人は今』の三本が不動のテーマとなってポプラ広報を支えている。
………いつの間にか意図せずポプラ広報の宣伝みたいになった。
そろそろこのテーマは切り上げたいところだ。
しかし一つだけ、このポプラ広報で過去に数回だけ『村の長老百人が語る長寿の秘訣』の一面を脅かした存在がいた事を付け加えておきたい。
それが、嘗て公国の次代の勇者と目されていた騎士として名を馳せる一方、一人の少女に忘れ得ぬトラウマを植え付けたエイム家の長兄。
ヴィー・エルドール・エイムである。
彼が五歳、十三歳の折に起こした『血まみれ遍歴』は今も村の語り草となっている。
あの時にはポプラ広報が、一面血で染まった。
長老たちの寿命はあれを目にしたことで、数年分縮まった事と思われる。
昔から様々な意味合いを持って注目され続けていたエイム家。
村内で血と聞くと、真っ先に浮かぶエイム家。
その家族構成はその長兄を含め、全員で五人と一羽である。
先々代の、伝説の勇者と呼ばれた一家の当主グレイア・ルクールド・エイム。
伝説の勇者と共に世界の平和を導いた先々代の聖女シレネ・ハトレーヌ・エイム。
その二人から満を持して生まれた男児、世界の希望の象徴と報じられた長子が彼。
皆さんご存じ、ヴィー・エルドール・エイム。
兄ほどの期待感は薄れていたものの、やはり注目を伴って生まれおちた次男ラース・エルミタージュ・エイム。
こちらはエイム家の良心と称される程の、エイム家の苦労役。
公国の五指に数えられる上級魔術師であると同時に、西地区の守護者の異名を持つ。
実際、彼の日々の苦労を陰ながら見てきた身としては同情を禁じ得ない。
兄が洩れなく引き起こす血塗れの惨状の後始末に奔走し、浄化魔法を使用していた際には結果として広域に渡って光り輝いた地面。
その輝きに、何か知らんが拝んでおけと村の長老たちはこぞって手を合わせていたが。
実情を知る私は、別の意味で手を合わせていた。
哀れ、弟君。
きっと今後もこの輝きは数年おきに見られる事だろう。
そんな予想を裏切ることなく、今年に至るまで地面の輝きを見る事計十七回。
流石に長老たちも見飽きただろうと思っていると、この予想は外れた。
彼らの記憶力が、想定の枠に収まるはずがない。
それを失念していた自分は、まだまだ青かったと言える。
そういう事情から、ポプラ村では数年おきもしくは数カ月おきの不定期で地面が浄化の光に包まれることがままある。
事情を知らぬものが見れば、それは規模が規模だけに、大々的な謎として扱われてきた。
旅人に事情を尋ねられるたび、曖昧に笑って誤魔化す話術はこの村に住む以上必須のスキルと言われるまでになった昨今。
いつであったか、成長と共に誤魔化し方のレベルも異なることに気付いた村人がいた。
それに託けて、誤魔化し上手ナンバーワンを決める為のイベントが行われるようになった。
ずばりイベント名は『君は何処まで誤魔化しきれる?!~年齢別対抗戦~』である。
最早この村がどこへ向かって進んでいるのか分からない。
因みにこれ、上位にランクインするとポプラ広報の永久保存版と共に青野菜の種一年分が商品として贈られる。
その結果、このイベントが行われる数日間の村内はいつにない緊張感に包まれる。
みんな青野菜が欲しいのだ。
ポプラ広報永久保存版はともかく、種を貰って困る事は無いのである。
その意図の下、この期間中は、村内全員がライバルになる。
だからこの期間に村を訪れた旅人たちは、酷く運が悪い。
彼らはほぼ例外なく、そのイベントに強制的に巻き込まれる事になるからだ。
突然の珍事に、目を回して連れてこられた先で突然出題者として指名を受ける恐怖。
そうして巻き込まれた旅人たちはこれまでで数十人に上る。
今年で十回を迎えた記念大会。
それは今までになく、白熱したものであったという事実を伝えておこう。
その背後に、やはり今年も巻き込まれることとなった悲運な旅人たちの苦悩があった事は言うまでも無い。
突然舞台に上げられた五人は、全員が困惑と訳の分からぬ緊張に晒されて涙目。
あのアドリブ的なシステムをいい加減に改変するようにと提言する真っ当な村人もいることはいる。
しかし、それは少数派。
改変に至る道のりは、未だ遠い。
因みに私は、第五回大会で優勝している。
それもこれも、エイム家に数年にわたって関わり続けた賜物だと思う。
青野菜の種を両手に抱えながら、幼馴染にさり気無くポプラ広報永久保存版を渡した私。
もの凄く複雑そうな顔で受け取られたそれは、今は幼馴染の家の居間にひっそりと立てかけられている筈だ。
……話を戻そう。浄化の光の件だ。
それに伴い、村のあちこちで見られるのが長老たちの謎の礼拝風景である。
何度か宗教化し掛けたそれも、その都度村の婦人会による弛まぬ努力が繰り広げられ回避され続けている現状。
これ以上、ポプラ村を不思議村と称されない為。
彼女たちは何度でも立ち上がってみせるのだ。
男手が周辺地域に比べても少ないポプラ村においては、女性たちの存在が大きい。
端的に言えば、女性が強い。
犯罪率の屈指の低さも、実際のところそのあたりに要因があるのではと思える程。
ポプラ広報の平穏を過去に脅かしたのが、唯一あの長兄に絞られてくる事からもそれは明らかだ。
さぁ、そろそろ彼女について語ろう。
弟君の浄化の光さえ霞ませるほどの、エイム家の唯一にして。
あの兄をその身一つで制裁可能。
この村の平穏を守り続けている陰の功労者。
白銀の翼に絶対的な守護を受ける少女。
ドアの購入率西地区不動のナンバーワンを誇る。
そんな私の親友と呼べる唯一の彼女。
エイム家の秘奥と称されるリズ・スカラティーヌ・エイムについて。
彼女との出会いは、例の『血まみれ遍歴』まで遡る。
エイム家長子ヴィー・エルドール・エイム十三歳の折。
『血の朝焼け』としてポプラ広報の一面を飾った二度目の惨劇に、奇しくも鉢合わせする事になった不運な少女の名前はエルーカ・ココット。
そう、私だ。
あの朝はやけに静かでいつも以上に朝早くに目が覚めてしまった為、ふと思い立って早朝の散歩に出掛けた私。
それが悲劇の幕開けとも知らず、鼻歌など歌っていた自分を引き戻せるならそうしたい。
こうして外へ出た私は、改めてその静けさに首を傾げていた。
この時点で家へ戻るという選択肢を、選んでさえいれば回避できた。
しかし、まだ幼かった自分は物珍しさを覚えてどんどん道なりに歩いていったのだ。
エイム家について、私が当時知っていた事と言えば。
伝説の人たち。
東の外れの家に住んでる。
時々魔獣を狩って来る男の子がいる。
精々がそんな所だった。
ココット家から東の外れまでは、子供の足ではそれなりの距離がある。
けれども何がそれほどに頑張らせたのか、結果辿りついたその家の前。
蔓草が絡み合って白壁の殆どを覆い尽くしたその家は、ポプラ村でも珍しいほどに鬱蒼とした緑の中にあった。
全体の輪郭は丸みを帯びた、不思議なデザイン。
水色がかったガラス窓とオークの艶々とした大きめのドア。
視線を上から下ろして来た所で、それと目が合ってしまったのは必然だった。
黒ずんだ革のコートと、射る様な眼差し。
その人の手は、真っ赤だった。
目が合っている間も、現在進行形でぼたぼたと滴り落ちているそれ。
血だ。
それを幼心に、本能的な何かで感知した私。
すぐさま身を翻して逃げられたなら、まだ良かったのかもしれない。
ただし、人は恐怖に弱い。
子供の緊張で強張った足は、いとも容易く傍に伸びていた木の根に躓いた。
転んだ。
そして、それを見て近づいてくる血塗れ。
パニックに陥った少女は、逃げる事よりも確実な方を選択した。
それすなわち、早朝の悲鳴である。
静けさも手伝い、それはそれは広域に至るまで響き渡ったその悲鳴。
あれを聞いて、飛び起きた村人たちは百を下らないだろう。
ばたん、ばたんと遠耳でも聞こえてくる村中のドアが開く音。
そしてそれは、目の前の家のドアも同じことだった。
それを見て、明らかな動揺を見せた革のコートの両手血まみれ不審人物。
その視線の先に立っていたのは、後光の射しこんできそうな美しい女性。
その後ろからひょっこりと顔を出したのは、眠たげに目を擦る精悍な男の人。
「ほら、御覧なさい。あなた? とうとうヴィーが人的被害を出したわよ」
「うーん……?! おや、そこにいるのはココット家の娘さんじゃないか。随分と怖がらせてしまったみたいだね。ヴィー、君が動くと被害が拡大するからその場で微動だにせず直立不動で謝りなさい」
怯えた少女の様子を見て取るや。
慣れた様子で指示を出した父親に、しかし早めの反抗期に入っていた長兄は従わない。
嫌だとその場で首を振る彼の頭上に、差した影。
きっと彼本人は直前まで気付かなかったそれを、思わず恐怖も忘れて見上げていたのはそれが自分とさして変わらない年齢の少女に見えたからだ。
「兄さま? 我儘はだめよ」
恐らく家の二階から、状況を見て飛び降りた少女。
ふわりと着地して、目標を足蹴にしたまま言い聞かせるその少女。
あまりに衝撃的な光景を前にして、その少女を凝視していた私。
それが今は昔、彼女と私の初対面であった。
「あなたは相変わらず駄目夫ね。………ああ、リズの今後が目に浮かぶよう」
「うん、そうだね。僕はあの子に全く敵わない………ふふ、あれでこそ僕の娘」
「………父親選びを間違えたかしら」
「シレネ? 小声でも聞こえているよ」
「いいのよ。聞こえると分かっていて言っているのだから」
「……うん、そんな奥さんも好きだけどね」
何だかその背後でどうしようもないやり取りが聞こえてきたのは、多分幻聴か何かだと思う。
兄を沈めた後に、そっと手を差し出して来たリズ。
当時から長兄など相手にならない位に強く、美しい少女だった。
この時、村中のドアを一斉に開かせるという偉業を成し遂げたエルーカは消えないトラウマと未来の親友を同時に得ることになった。
因みにこの時に得たトラウマは、思わぬ形で幼馴染へと向けられることになる。
私の幼馴染、ミカエル・フリード。
彼は次代の勇者候補としてその名を上げられる一人だ。
彼とは幼い頃からの付き合いで、今も互いの家を行き来する事が絶えない。
私たち個人の、というよりかは家同士の仲が良いのだ。
それはそうと繰り返しにはなるが、彼は次代の勇者候補。当然のことながら、魔境周辺の魔獣の狩りも日常茶飯事である。
この流れで分かってもらえる筈だ。
そう、問題は狩りを終えて我が家に立ち寄る事のあるミカエルの体についているもの。
魔獣の血。
これに、動機息切れ眩暈を常時覚えるようになった自分。
初めてその症状を目にし、動転したミカエル。
私が切れ切れに、『その血をどうにかして……』と呟くと。
彼は走りまわった末に、我が家の池に着の身着のまま飛び込んで行ったのだった。
その後の気まずさといったら無い。
最終的に、折衷案として狩りを終えたミカエルが我が家を訪問する際はブーツから衣服にあたるまで庭の水道で洗い流してからという決まりごとが定着すること幾数年。
地味な弊害を被ることになった幼馴染も、今ではすっかり慣れた様子だ。
人はある程度の事なら、時間と共に慣れていくものなのだ。
なにはともあれ。
その時の遭遇をきっかけに、エルーカ・ココットはエイム家を訪れるようになる。
この折は登場していなかった弟君が、数年後にかのチロルさんを拾ってくるまでの間は上に述べた様なやり取りが頻繁に行われていた。
パワーバランスについても、あの頃から大きくは変わらない。
それまでの数年で、エルーカはこの家に纏わる幾つかの風聞がやはり風聞でしかなかった事を知る事になる。
伝説の勇者と呼ばれた、この家の当主の『伝説』について。
衝撃の事実を知らされた。
あの日を私は生涯忘れないだろう。
それは遭遇から数カ月が過ぎ、冬の月の初め。
思いがけず、エイム家全員とまったりとお茶をしていた最中。
緊張感の欠片もあったものでは無い、そんな状況下での暴露だった。
よほどポプラ広報へ投稿してみようかと思ったものの、きっと長老たちに一蹴されるだろうとほぼ明確な未来を予感したので労力を省いた経緯だ。
「僕らの伝説って、要するに気付かせてあげただけなんだよね……」
ふと思い立ったのは、折角当人を前にして聞いておかないというのも勿体ないという至極自然な興味によるところが大きかった。
とはいえ、相手は伝説級の人物。
恐る恐る『魔境での最終決戦』について尋ねてみたところ、トイ茶を啜っていた当主様こと先々代の勇者様は束の間沈黙した。
その沈黙から推察される可能性は主に三つ。
一、一般に語るには勇気のいる内容(機密的な観点から)。
一、子供である自分には刺激的すぎる内容(スプラッタ的な目線から)。
一、語り出しに敢えて時間を置く事で、演出を加えている(実は聞かれるのを心待ちにしていた?)。
しかし、どうやらそれらは一つとして掠ってもいなかったらしく。
当主様の様子は何処となく、気まずげにも見えた。
同時に助けを求めるように、泳いだ視線。
横目に、縋るように見ていた。
それはもう、ガン見である。
縋られている相手は、伝説の聖女様にしてエイム家の女主。
そう、この状況は夫が妻に協力を要請してみましたの図である。
そこは慈愛の象徴として、公都の『聖女像』のモチーフともなった本人。
それはもう、見事なタイミングで席を立った彼女はごく自然な様子でお湯を沸かしてくるわね、と私に微笑んだ。
違いますよ、聖女様? どう見てもあれは場を外してくれ的な視線では無かった。
わざとだ。間違いない。言い切れる。
あれはまさに、妻が夫を意図的に突き放してみましたの図である。
そう。
聖女の微笑みは、必ずしも求められる方へ向くとは限らない。
妻に裏切られ、テーブルに崩れ落ちた当主様に同情の眼差しを送った私。
ごめんなさい。
聞いた私が悪かったんです。
余程そう言ってあげたくなるその姿に、途方も無い罪悪感を覚えた。
しかし、当主様そこから何とか自力で回復。
伝説の勇者の名は伊達では無い。
同じ状況で私なら、あと数刻は沈んでいただろう。
トイ茶を啜って、冷静を取り戻した当主様。
そして、とうとう口火は切られる。
思いがけない語り出しに、目を丸くした私がいた。
「………気付かせてあげただけ?」
「そうなんだ。実は、これはごく限られた人物の間でしか知られていない事実なんだけど。……私はあまり剣術が得意では無くてね、でも聖剣は何をトチ狂ってか私を選んだ。あの時は国外逃亡まで考えたものだけど、結局馬鹿馬鹿しくなってね。たかが一本の剣の為に人生を左右されるなんてまっぴらだと思ったんだよ」
ふふ、と口元を笑ませながらも目が少しも笑っていない辺り、相当当時の事は根が深いらしい。
「それからは、取り敢えず聖剣を背に担いで魔境へ向かったよ。あんまり時間を掛けたくなくて一直線。確か十日くらいで魔王城に着いたんだっけ………?」
……………十日。
………………魔境攻略に、たった数日。
やっぱりこの人、あの長兄の父親だと再認識した。
そして聞きたい。あなたはいったい誰に確認をとっているのかと。
因みに聖女様は未だにキッチンから戻らない。
「魔王城は、流石に結界が強固だったのもあってそれなりに苦労したよ。ここで一度だけ聖剣を使ったね。うん、流石によく切れた。でもね、あんまり光が眩しくて目立つものだからすぐに麻袋に仕舞い直したけどね。魔王城の中は入り組んでいたけれど、迷路攻略の虎の巻06を参照したら比較的スムーズに辿りつけたよ」
言いたい事があり過ぎて、逆に何も言えない私。
しかし無情にも、話はとうとうクライマックスへと至る。
「辿りついたら、テンプレートにも魔王本人が例の赤い玉座に座って黒いマント着て高笑いしてたんだ。だから、思わず本音が零れてしまってね。
『あなた、そんなことしてて恥ずかしくないんですか?』
いや、当時の自分は若かったんだ。だから、つい出来心で………。
あの時はパーティメンバー全員から氷点下の目を向けられてたなぁ、自分。正直あそこまで魔王が繊細だと思わなかったんだよ。あれは想定外だった。お陰でその後しばらくは、彼の再起に尽力する羽目になったけどね。まあ、その過程でさり気無く和平も結べたし、無血開城出来たんだから良いじゃないかと国に帰って説明したら、白い目で見られるし。
個人的には良いと思うんだけどね、平和的解決でしょう。そう当時の国王に言ったら西へ左遷されてね。………思うに、私は勇者っていう器じゃ無かった気もするよ」
………そうですね。
そして当主様、今も氷点下の眼差しを向けられている事に気付かない貴方をむしろ凄いと思いますね。
何事も無くトイ茶を啜る当主様を見ながら、この家にいる住人に普通の感覚を望んだ自分の浅さを改めて感じていた齢十一の少女がそこにいた。
あれから六年程が経った。
その日は、珍しく早い時間に帰宅していた幼馴染を連れてエイム家までの道を歩いた。
ミカエルは若干渋っていたものの、土産話のひとつも持たずして久方ぶりの来訪を躊躇った私の心情を伝えればようやく頷いてくれた。
それでも、足は正直だ。いつにないスローぺースにとうとう痺れを切らした私。
幼馴染を引き摺りつつ、そうして久しぶりに訪れたエイム家でいつにない光景に目を丸くすることになる。
それもその筈、あのチロルさんが風邪を引いていた。
古代竜が風邪……。
時折身を震わせてくしゃみをする度に、家屋全体が揺れていた。
流石に竜が風邪をひくと、その規模も通常の範囲に収まらない。
額に乗せられた布巾が、あっという間にその熱で気化していく場景。
それを見ながら、ふと私は思った。
そもそも古代竜の平熱って何度だ………?
取り敢えず、二枚目の布巾を絞っているリズへ問いかけてみた。
「リズ? チロルが風邪をひくのはこれが初めてか?」
「……そうね、これが二度目だったと思うけれど。今回は比較的軽いかな」
「………?」
「一度目は、まだ幼獣期だった頃だったの。あの時は、もう少しで家が全焼しかけたのを辛うじてラースが阻止してたわ。あの頃はまだラースも魔術師に生り立てだったから大変だったみたい。……あのあと数日は寝込んでいたもの」
懐かしそうにそう言って微笑むリズに、笑えない私。
こうした時折の発言の中に、埋められぬ感覚の差を感じ取ることは儘ある。
チロルから気化する熱を見上げながら、色々な物を噛み締めていた時だった。
耳慣れぬ声が、エイム家の二階から落ちてきたのは。
「あの、あなたがエルーカさんですか? はじめまして、僕はユーグと言います」
階上を見上げたエルーカは、そこに天使を見た。
いや、勿論例えである。後光など射していない。
ただ、その髪色と目の色を変えればまさに天上にあって違和感のない造形美。
そんな少年の存在に思わず絶句したエルーカにおそらく非は無い。
「………きみは、リズの知り合いか?」
「いえ、知り合いと言うか…あの。僕は事情があって今エイム家に居候させている身の上です」
………………居候?
…………ああ。そう言えばそんな噂もあったな、まさか事実とは。
一瞬思考が止まったものの、流石のエルーカ。
伊達に数年間エイム家に関わって来た訳ではない。
思考を切り替え、失礼のない範囲で目の前の少年を観察しながら改めて自己紹介に入る。
「申し訳ない。噂では聞いていたんだが、何しろ過去のエイム家に関する風聞の殆どがデマだったから、今回もそうだと思っていた。……君が件の新たな住人だね。はじめましてユーグ君。私はエルーカ・ココット。後ろにいるのは私の幼馴染で、ミカエル・フリードだ。以後宜しく頼むよ」
「ああ、やっぱりそうなんですね!! リズさんからエルーカさんについて前に話は聞いていたので、思わず声を掛けてしまいました」
そう言って笑う少年ことユーグ君。
何だこの可愛い生き物は。
思わず凝視してしまい、鋼の理性でなんとか欲求を抑え込む。
ああ、断じてぎゅっとしてみたいなんて思ってはいないさ。
光の加減で天使の輪が見えるその髪を撫で撫でしたいなんて片隅にも思っていないからな。
………うん、気の所為だ。
頑張れ、私。これを超えれば一段と強くなれるだろう。
だから君、これ以上そのエンジェル・スマイルを無闇に振りまかないで欲しい。
そんな内心の葛藤など、表面上には一欠けらも零さずに控え目な笑みを張りつけるエルーカである。
ようやくその思考が、通常運転まで戻った頃。
改めてリズに視線を向けると、何故か彼女がいつになく顔色を失っている様子に気付く。
そしてそれを問い掛けるよりも前に、そのユーグ君は私の背後に立つ幼馴染に何故かキラキラとした眼差しを向けていた。
その眼差しの意味は、程なく彼自身の発言によって判明する。
「あなたが、あの勇者候補のミカエルさんなんですね………!! うわぁ、実際にお会いできて光栄です。握手してもらっても良いですか?」
ああ、可愛過ぎる。何これ。もうやだ。
意図せず当の幼馴染を背後にしていた私は、その笑顔の前に敗北した。
そして肝心のミカエルはと言えば、元々子供好きなこともあり一瞬は戸惑っていたようだが、すぐに微笑みを浮かべて要望に応えていた。
一見して微笑ましい光景以外の何物でもないそれを横目に、もはや完全に顔色を失くして彫像のように佇んだリズの様子に気付いた私。
慌てて駆け寄ると、何やら涙目。
これは珍しい事もあると、思わずまじまじと見ていた私も大概だ。
そんな私たちを尻目に、ミカエルと件のユーグ君は既に打ち解けた様子を見せている。
あの幼馴染がこれほど早く打ち解けるとは、と内心苦笑する私。
ミカエルは幼い頃から、人見知りの気がある。
だからこそ、滅多なことでは打ち解けない。
まして、初対面の相手になど笑顔を見せる事すら稀なミカエルの表情筋をあそこまで動かして見せるとは……。
恐るべし、エンジェルスマイル………。
とはいえ、喜ばしい事なのだ。
結局のところ、リズが二人の情景を見て青ざめていた理由は今もって不明だ。
あまりのリズの顔色の悪さに、高熱を出しているとはいえチロルが珍しく威嚇行動を始めた為、それから程無くしてエイム家を出たからだ。
チロルが高熱状態で放射するドラゴンブレスなど、到底受け止められる人物はいない。
恐らくあの長兄でも無理なものを、あくまで勇者候補のミカエルにどうこうできる筈も無いのだ。
あれから数日後の今、改めて思い返しているのは。
今朝方、リズから手紙が届いたからである。
同じ村内で手紙の意味あるのか、と思うかもしれないが。
リズは基本的にあの家を出ない。
正確には出られない。
彼女の立場は、想像以上に複雑なものであるが故に。
だからこそ、私たちが友人になる過程でも手紙が使われていたといったら大抵の人は驚くかもしれない。
けれどもそれが、彼女なのだ。
私はそれを否定しようとは思わない。
まして不満など感じた事も無い。
会いたければ、私がエイム家を訪れれば良いだけなのだから。
謝罪の文面に、苦笑を零しつつエルーカはそんな友人の事を想う。
冒頭で述べたように、エイム家に関わっていく過程は同時に、一般的な感覚からすればもやもやしたり、これは無いと思う瞬間を避けては通れないと言うことでもある。
けれどもそれを畏れているだけでは、彼らと関わる資格は無いのだ。
確かに年中血塗れで、ドアが壊れる回数も半端無く、吊るされている人影を初めて見かけた時は息を呑んだものだ。
妙なイベントも派生して出来たし、私のトラウマの種である長兄もあの家の住人だ。
それでも、友人の家を訪ねる事に私は躊躇いを持たない。
幾度も交わした手紙の中で、私は彼女と彼女の家族たちについて知ってきた。
今までも突然訪ねては、その時々で彼らとお茶を囲んで来た。
そう、彼らはとても変だ。
同時に、彼らはとても優しい。
長兄も、あの朝あの時に踏み出したのは私を心配しての行動だった。
それが今は分かる。
だから私は、今後もリズの友人としてあの家を訪れ続けるだろう。
狩りから帰って来た幼馴染が庭でブーツを水洗する音を聞きながら。
今日もエルーカ・ココットは贈られた手紙を抱えてひっそりと微笑む。
*
ポプラ村には、ある一家が住んでいる。
その一家が巻き起こす騒動に、村人たちもまた翻弄されながらもその広い心根で感受する。
数年前から変わらぬその関係は、きっと今後も変わらず共存し続けることだろう。
魔境のすぐ横、公国との狭間で今日もポプラ村は平穏な日々を送っている。
※リズが青ざめていたのは、その状況に気付いていたからです。
魔王と次代の勇者(候補)が顔を合わせているという・・・
しかも兄と同様、自宅の居間がその場面という・・・
しかも握手まで交わしてどうするの君たちという・・・
様々が脳裏を巡っていたことと思われます。
エルーカは事情を察することは出来ないので、もやもやですね。
*
ここまで読んで頂いた方々へ、感謝を込めて。
第四弾、企画中です(*´ー`*)
また近日中にお届けすべく今後も精進いたします。
※7/8ご指摘頂き、誤字を訂正いたしました。