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Scene1 石の森

 ヨニの住む村からほど近いところに、石の森はある。

 すり鉢状に陥没した岩場の底にいくつもの巨大な「石の木」が林立する光景は、ヨニのお気に入りだ。


 大の大人なら足を取られて歩くのも一苦労になる「腐った土」も、まだ12になったばかりの少女の軽い体重を捕えるほどに強欲ではない。

 腐った土の沼に飛び石のように浮き出ている石の木の破片を、ヨニは慣れた様子で器用に飛び渡ってゆく。

 やがて石の木の周囲に根のように張り出した比較的丈夫な地面にたどり着くと、いくつかの木を物色するようにのんびりと歩く。


 石の「根」や腐った土の沼のそこここに金属質の残骸が散乱しているが、長い歳月のうちに風雨にさらされたそれらに目ぼしいものが残っていないのは、幾度止められても森に潜り込んでいるヨニにとっては既に常識であり、時折巨大な残骸を見かけて目を丸くすることはあっても、いちいち覗き込んだりすることはなかった。


 幾度か腐った土をわたり、傾いだり砕けたりしている石の木の中でも比較的元の形を保った一本に当たりをつける。

 いくつもうがたれた穴の一つに首を突っ込み、内側の様子を確認。

 どうやら内部の空洞もまだ完全に崩れていないようだと判断すると、そのままするりと潜り込んでゆく。



 石の木の内部はその直方体の幹を縦横に割るようにいくつもの小部屋に分かれている。

 樹皮の割れ目やうがたれた穴から差し込む日の光以外に明かりもないそこは薄暗く静かで、かつてはこの一層だけでヨニの村に数倍する人たちが暮らしていたなどという昔話は到底信じられなかった。


 石の森には普通の木々はほとんど生えていない。それがおとぎ話にあるような「呪い」の結果なのか、他に理由があるのかヨニにはわからないが、命をはぐくむ緑のない石の森には、狩りの獲物になるような動物すら棲みつかない。

 食料も、水場すら探すのに一苦労するようなこんな不便な場所に住まざるを得ないほど、昔の人たちは困窮していたのだろうか?


 埒もない考えは墓場のように静まり返る空間に溶けて、ヨニは探索を再開する。


 石の木の中には確かにかつてたくさんの人が住んでいたと思しき形跡はあって、そうした残骸の中から面白そうなものや何かに使えそうな物をあさっては、村に持ち帰るのが彼女の習慣だった。

 半ばは趣味、いや、大半は持ち帰ってみれば使い道のないガラクタの類なのだが、時には磨いたり洗ったりすれば村の工房で作られる味気ない器具にはない優美さや鮮やかな色合いを保つ器物などもあり、ちょっとした小遣い稼ぎの種になっていたりもする。


 そろそろ嫁入りに向けて家事や作法や様々なことを学ばねばならないはずのヨニが、こうして好き勝手な探検に出かけることを半ば黙認されているのも、掘り出し物を見つけてくる天性のカンが評価されているという所以が大きい。


 ヨニは知らなかったが、彼女の村はかつてこの石の森からかつての文物を発掘するために立ち上げられた村だった。

 「村からほど近いところに石の森がある」のではなく、「石の森にほど近いところに村ができた」のだ。

 しかし、それもはるか昔のこと。

 めぼしいものを浚いつくされたかつての都市はすっかり交易拠点として旨みを失い、今やヨニのような好奇心旺盛な子供が時折金目の物を持ち帰る程度。

 長老をはじめとする村の大人たちでさえ、そんな村の由来は遠い記憶の彼方に追いやられていた。


 

 かつては廊下だった細い通路を歩くヨニの耳が、通り過ぎかけた部屋の奥から漏れるかすかなささやきを捉えた。

 墓穴のような静けさの中ですら、壁の向こうの風の音にもまぎれるほどのか細い声。

 普通ならまったく気づかなくともおかしくはないその声を聞きつけたのは、彼女の天性のカンの良さか、沈黙と暗闇に本能的な恐怖を抱いた彼女が我知らず神経をとがらせていたからか。

 

 とっさに身をかがめて、すっかり腐り落ちた戸口の角からそっと室内を除く。

 家具の類はあらかた腐り落ちたのか、あるいはどこかに運び去られたのか、狭くうつろな空洞には誰かが隠れられるような場所はない。

 そもそも石の森を好んで訪れようという人間が稀なのだ、誰かがいるとはとても思えなかった。


 そろそろと忍び入る。誰もいないのだから警戒の必要もなさそうなものだが、かすかな音に身構えてしまった自分が恥ずかしくて、そのままの姿勢を崩すまいとことさらに気を配る。

 

 声の主は、部屋の片隅に作り付けられている金属質の台だった。

 正確には、その上に乗せられた小さな箱。そこから延びる細い紐の先についた石の発する音が、どうやら薄板で作られた空洞らしい金属の台を共鳴させ、かすかな声を大きく響かせているのだ。

 それはまた、そこまでしてもようやっと聞き取れるほどの小さな音ということでもある。



 ヨニが箱を取り上げると金属の台は振動をやめ、石からかすかに漏れ聞こえる音はさらに遠くなる。

 

 少女の手のひらに載るほどの小さな、少し黄ばんだ透明の箱の中に、金属質の光沢をもつ不思議な石と、用途もわからないいくつかの部品が収められている。

 その部品から伸びた細い線が箱の壁面の一つに固定された金属のさやを通して箱の外に伸びる紐とつながっている。

 紐の先は先程から音を漏らしている石。

 どうやら箱が出している音を聞き取るための装置がこの石らしいと察したヨニが石を耳に当てると、今までかすかにしか聞こえていなかったのが嘘のように、耳の中に声が伝わってくる。


 ――トちゃん、ヨシトミ アキラ トモコご夫妻の長女、トシコちゃん。誕生おめでとうございます……


 波の音を思わせるざざという音が時折邪魔し、音は全体にくぐもっていたけれど。

 それは、ヨニの姉のレキによく似た、大人の女性のやさしい声音で。


 ――今週生まれた子供たちは以上の通り。みなさまおめでとうございます……

 

 「今週生まれた」子供とその親の名を淡々と読み上げ、祝福の言葉を述べる、ただそれだけの音声が繰り返し流れていく。

 


 驚いて、一瞬取り落としかけたその箱を、ぎゅっと薄い胸元に抱きしめる。

 この小さな箱がなにか、とても大切なもののように感じて。

 箱を胸に押さえつけている手に、早鐘のような心臓の鼓動が伝わる。

 息が速く深くなって、胸が波打ち、手が震える。

 熱など発さないはずの手の中の箱が、握りしめた手からぬくもりを伝えてくる気がした。


 どこかの誰かが、どこかの誰かの誕生を祝福してくれている。

 そのことがわけもなくうれしかった。


 ヨニにしても、村の皆や両親が自分の誕生を祝わなかったとは思っていない。

 だがそれは、ヨニ個人や二人の愛の結晶というよりも、新たな労働力や、もっと言えば新たに子を産む者が生まれたことへの切迫した希求や喜びのほうが先に立ってはいなかったか。

 次第に結婚やひいては出産の準備を期待されるようになってきた姉の姿に思いをはせると、どうしてもその疑念がぬぐいきれない。

 いつか――いや、おそらくはそう遠くない未来に、自分もまたああして周りから結婚することを迫られるのかと、村の中の空気に言い知れぬ息苦しさを感じては、こうして通いなれた石の森に逃げ込む日々。

 村の我が家などよりもずっと狭く暗い暗がりの中で、誰にも見られないことに解放感を感じ、安心するのが常だった。


 

 繰り返し幾人かの名を呼んでは祝福を与えるその声は優しいながらも淡々として、強い感情を感じさせない。ただ、祝福の言葉だけが耳に心地よく響く。

 

 純粋な祝福。

 雑音にまじりながらも子供の名を読み上げるこの声は、ヨニが生まれたときもその名を呼んでくれたのだろうか?


 ――石の森のヨニさん。誕生おめでとうございます……


 そんな声が、あの日、この誰もいない狭い部屋にかすかに漏れていてくれたのだろうか?

 耳元でささやく声に耳朶をくすぐられながら、あったかどうかもわからないそんな光景を想像すると、ヨニは胸を締め付けられるような幸福に身を震わせた。



次話で一応出ますが、箱=鉱石ラジオです。

現実にはこんな長期間置かれていたら、さびて使えなくなっていると思います

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