プロローグーcontracts and mercenaries Ⅰ
カフェと言うものは現在、社交場の中心になりつつある。まあ、一七世紀位からでも、コーヒーショップで政治を話すブルジョワや貴族はいたし、だからそこまで驚く事でもないのかもしれない。だが今となっては、カフェは金持ちだけの娯楽で無くなった。
カフェでは、人間は従来のように雑談や商談等を行うが、それ以外にもそこでただ待ち合わせをする。新聞を読む、なんとなく疲れたから入って涼む、最近になってきてからはインターネット接続が来るからそこで仕事をする、等と多彩な事をやる。そして貴賤、男女や年齢関係なく人生には不可欠なものになりつつある。
そんな仏国にあるとある社交場の中心には二人の男が他の人間から離れて座って話している。一人は背が低いが清潔でルックスのいい青年、もう一人は下を向いたままの、古そうで汚い服を着ている男。
二人にウェイトレスが飲み物を届けに来た。清潔な方の男は彼女に軽く『ありがとう』と言い、もう一人の男、サクリフィーはただ黙ったままカフェオレを混ぜ始める。
「さて—本題に入りましょうか。とうとうあなたが自分たちから借りている金が七六万ユーロに膨れ上がっていまして、このままでは三ヶ月間後には九〇万を越すと思われます。全くあなたが現在、借金している額では大きな家が買えてしまう程の金銭ですよ」
「また、あなたが借りているお金の多くがコカインへと行っている事も自分たちは知っています……」
彼は黙ったままコーヒーをスプーンで混ぜる。そして、コーヒー、砂糖、ミルクが完全に均等に混ざるまで続けているのだが、もう材料はとっくに混ざっている。それは、彼の反対側で現実を突きつけている人間の言っている事実から逃避する為だ。現実から目をそむける彼をさりげなく見つめながら、テーブルの反対側にいる人間は話を続ける。
「あなたが傭兵ということは知っているので、あなたには安定した収入が無い事も承知しております。つまり、今のあなたにはこの多額の借金を返済する能力はありません。この事実はお分かりですよね?」
彼はコーヒを混ぜ続けながら、渋々首を縦に振る。この会話はまるで幼稚な子供が自分の親に説教されているような光景である。サクリフィーは彼の言っている事を聞かなくてはならない事は分かっているが、やはり聞くだけで気が重くなるような話は出来る限り避けたい。
「そしてもう一回確認しますが、あなたには、多分返済する気など全くないのでしょう」
サクリフィーはその事実を肯定する為に鼻を鳴らす。いかにも口で明確に肯定しないという、返事する手法の中でも幼稚なものである。
「勿論、今更ここからなんとか所持品を全て質屋に入れて、売りさばけ、と命令もしませんし、脅しもしません」
「ん?」
沈黙が数秒間続く。反対側に座っている人間は話を一旦停止し、自分のブラックコーヒーをすする。彼は反対側のテーブルの男が何をしたいのかが分からない。サクリフィーは物事が想定外の道を歩いてく事を嫌う人間である。彼は赤の長袖に茶色の長ズボンを着ている。スタイル的に彼に似合っており、その上服はズレていたりしない。きちんと整理されているような人間なのだが……このようなまともに見える人間の方が常軌を外れた行動を取らない、と彼は考えるのだ。しかし、このようなインテリだからこそ奇想天外な方法を思いつくのか。
「どうやって払わせるんだ……」
まさかこのまま家一個分程の金を返さなくていい等とは言わないだろう。
サクリフィーは殆ど聞こえないような声で質問を発する。ただ、それは反対側の人間にスルーされる。
「しかしこちらとしても、七六万ユーロが消えてしまったのは痛手ですねえ……全てをチャラにする訳にはいきません」
たりめえだろ、とサクリフィーは思う。
「ただあなたの少なき持ち物を質屋に入れても価値は殆どなさそうですし……」
彼はカフェ・オレを少しだけ飲む。そうしている間に、反対側の男もブラックコーヒーを一口飲む。彼は仏国では珍しく、砂糖もミルクも全く何もそこに混ぜず、その苦さだけを吟味する。そして、『あぁ〜』、とマッサージしてもらっている老人の感嘆のような声を出す。
「と言う訳で、あなたには二つの選択肢があります。まず一つ目は、今日からあなたの収入は自分たちの組織のものになるという方針です。その上、あなたは自分たちの為に色々と雑務を無償で働いてもらったりする事になります。あなたの収入は事実上、ゼロとなり、自分たちがあなたの生活費を提供します。つまり、あなたは経済的には自分たちに完全に支配される事になります」
経済的な支配。実際にこの手法で欧米、露と日は中国の清朝を支配した。清、そして後の支那の苦悩を、支配した側の仏国義務教育だけのサクリフィーは知らないが、そんな彼もやはりそんな自尊心の中核をナイフで突き刺すような処罰は避けたいと思うものだ。
「自分たちはあなたが残りの人生で七六万稼げる事かどうかは分かりませんが、こうすることにより、あなたは自分たちから更に金を借りる必要はなくなり、自分たちはあなたにどんどん金を取られる事はなくなります。この方法は自分たちにとっては非常に得なのですが、やはりあなたとしては納得がいきませんでしょう。また、あなたは好きに金を使えなくなるのですから、あなたが欲しい物、例えば例のコカイン等は……」
男は嫌みで、サクリフィーに向かってニヤッと笑う。ここまでむかつく満面の笑みはそうないだろう、と彼は考える。
「もう買えなくなります。あなたにとっては損ばかりですねえ」
完全に他人事であるかのように彼は気楽にウェイトレスをもう一度呼んで、もう飲み干してしまったコーヒーをもう一杯頼む。そして、溜め息をつき、会話を再開する。
「そこで、第二の提案です。この提案は、第一の提案よりはあなたにとって条件が好ましいでしょう」
男は自慢げに語り、ストローが入っていた紙を小さく丸めながら彼に向かって微笑む。
「まずこの七六万ユーロは帳消しにします」
カフェオレをちびちび飲んでいてあまり集中して聞いていなかった彼は、そこで刹那、静止した。そして男の方へと向く。反対側の男を見つめるサクリフィーの視線は、男が言っている事を疑う、ものである。又は絶対にこの後に最低な条件を呑まなくてはならない事になるのだろう、と想定する目つきで男をを見ている。
「その代わりに、あなたには自分たちの為にとある小さな仕事をして頂きます」
(来た。『とある小さな仕事』、というのは『とある無理難題』と解釈された方がいい。こうやってオレは誰もやりたくない、絶対に無理な事をやらされるんだろう。まさに、ミッション・インポッシブルのようなもんだろ)
それでも彼は一応最後までこの提案の条件を聞く事にする。
「……ど、どんな仕事だ?」
「大した仕事ではありませんよ。あなたのような人間が得意な仕事です」
(オレみたいな人間……暗殺?どこかの部隊への従軍?破壊工作?しかし、そんな一仕事だけの為にこの七六万ユーロの借金をチャラにしてくれんのか?)
サクリフィーは初めてこの会話について真剣に考え、逃避の為のいい訳を考えるのをやめる。そしてその沈思黙考の表情を男は面白げに見つめる。男は彼が考えるのを終えるまで紙で遊んで、ウェイトレスが二杯目のコーヒーを持って来るのを待っている。
「続けましょうか?」
そう言われたのはウェイトレスがまた来て、コーヒーをもう一度テーブルに置いてくれたときだ。余談だが、このときも背の低い男は『ありがとうな』と軽く言い放ち、ウィンクまで投げかける。こういうのは無視しなくてはならないのに、多分バイトのまだ若いウェイトレスは赤面する。
その微妙なやりとりが終わった辺りでサクリフィーは返事する。
「ああ」
その時やっと彼は話しの継続を促す。
「きっとあなたは考え過ぎですよ。自分たちが望んでいる事は……これですよ、これ」
男は彼の持っている鞄を取り出す。黒い革製の、片手で持つ、いわゆる業務用のものだ。そこから出て来たのは小さな封をしていない封筒。それは封をされていなく、男はフタを単に開ける。
その中には、写真が一枚ある。受験票と一緒に提出される写真票の写真程の大きさ。
「この女は……」
写真には、顔と肩の一部分しか写っていなかった。
その女性は大人ではなく、少女である。歳は、十代の前半から中盤位。写真票に貼られていてもおかしくない年頃である。写真は雄大な山をバックに、草原のなかで撮られていた。まず印象に残るのは彼女の髪。少し曲がっているが、基本的にまっすぐな金髪を持った少女である。その髪は肩まで伸びているかどうかの長さで、女子ならば短髪に分類されるものだ。その金色の髪は陽光を反射し、宝石のように輝く。そして、大きめの目。これはまるでカリブの海岸の水のような浅くて、何メートルも下にあっても底が見えるような、水のような色。それは透き通っ、清らかな淡い青。その色は興味深いものである。透き通って見えるような色なのに、何かを上手く隠蔽していそうな巧妙な色。口元は微笑んでいて、カメラに向かってピースもしている。しかし、目は笑っていたが、どこか悲しみを持っているようである。そう思うのはやはりこの色のせいか?また、彼女の左肩には手が置かれていたが、その手の持ち主は写真から切り取られている為、素性は不明である。
写真を見ていて、彼は複雑な気分になった。
まず、彼としてはこんな嬉しそうな、透き通った青い目の十代前半の少女を殺すのは躊躇いがある。なぜなら、例え彼は殺人で飯を食っている人間であったのしても、彼の、教えられたのではなく、体に刻まれた本能的な道徳観が彼女のような人間を殺すのを躊躇させるからだ。
だが、その青い目は何かを隠しているかもしれない。純粋な少女と見せかけて、ものすごい危険人物なのかもしれない。一般人を装って、懐にナイフを隠し持つ暗殺者みたいだ。危険であると言う事に気が付いた時はもう遅い。そうならば己の保身の為、早く処理するべきだ。
この二つの考えがサクリフィーの内部で交錯している時に、男がまた喋り始める。
「説明すればしっかりと説明できるのですが……長い話になります。なので、簡略します。それでも結構長くなると思いますが」
サクリフィーは顔を向けて背の高い相手の男を見つめる。
「まず、自分が魔法使い、いわゆる魔術師である事は覚えていますね」
そうである。コカインから生産されたの多額の借金は膨大すぎて、闇金でさえ貸してくれない。借金できる相手を捜し続ける間に、自分を魔術師と名乗る、明らかに裏の社会に存在していそうなこの奇妙な男に会ったのだ。超自然的な事をサクリフィーは彼が行うのを見た事が無いので、これの真偽を未だに確かめられていないが、それはあまり関係のなかった事だ。実際、男が自分が魔術師である事を初対面のときを除いて言った事は無い。
「魔術師には、魔術師なりの社会があるのですよ」
「ほぅ……それが?」
「まあ、社会があるのだから、文化がありまして、だから当然我々の社会の本があって、学校があって、パン屋があって、会社があって、風俗もあり、政府もあり、軍もあり、そして巨大兵器もあるのですよ」
「巨大兵器ねぇ……」
「そして、その中の巨大なものの中でも、とてつもなく大きくて、国際的に使ってはいけないものもあるのですよ。いわゆる牽制の為に存在する武器ですね。あなたたちの社会で言えば、例えば……大陸間弾道ミサイル(ICBM)とか……」
「そして、こいつが大事それにどう関係する?」
「まあじっと聞いて下さい。まず、魔術社会の中では、最大にして最強の武器は、バラバラなのです」
「は?」
「だから、核ミサイルで例えれば、弾頭は国Aが所有し、ミサイルは国Bが所有し、サイロは国C、飛翔時のAIシステムは国D。ざっといえばこんな感じです」
「だったら欠けている三つをこの四国は造ればいいんじゃ?」
「まあ事はそう簡単でなく、現状では製造は不可能ですね。この武器の欠片は七つあり、現在これは大きな七国、というか組織が保有しています。勿論、製造が不可能なので、この七つの一つでも持っていれば強大な発言権を得られますし、武器を完成する為に、七組織と、そして持っていない五〇〇余の他組織で奪い合いが起きます」
コーヒーを少しだけ男は飲む。今回はゆっくり、一滴一滴を無駄にしないように飲んでいる。
「問題は、この欠片は弾頭のように、無機物としてあるのでなく、有機物、それも人間と言う有機物の中でも最も扱いにくいものに、魔術で植え付けてあるのですよ」
「だから七人の人間が武器の欠片を持っている、そしてこのガキはその一人という事か?」
「そうですね」
「そして、欠片を一個処分すれば武器の脅威は無くなるから、これを殺れ、っていう事か?それなら、一人になる時間帯の正確な位置を教えてくれ。たった一分でもいい。その一分でスナイパーを使うか、拉致して処理する。後出来たら、彼女の日常を大まかに説明してくれれば……」
プロならばこれ位の芸当はなんでもないものなのである。
考えとしては、彼女を尾行し、彼女の人生の全てを把握しておおよその行動パターンを考える。そして彼女が見晴らしの良い場所であまり動かないような状況や、一人になる状況を待つ。その時、すぐに自分は行動に出てやるべきことをやる。
これでサクリフィーはイラクやボスニアの戦場で暗殺すべき人間を消して来た。
もちろん、不確定要素のせいで、ことはこれ程思うようには進まないが、彼のように狙撃に慣れた彼にとってはこれでほぼ確実に成功する。
しかし—
「ハハハちょっと、ちょっと、話を勝手に進めないで下さいな」
男は朗らかに笑い、違うのだ、と表明する為に顔の前で右手を軽く振る。
「自分たちがあなたにやって頂きたい事は実は暗殺の正反対と言えば正反対でもある事です……」
ここで男は一息を入れる。
「あなたには、この写真の女性を二ヶ月間日間守って頂きます」
「え?殺さないのか?」
サクリフィーは唖然とする。
「まあ、一応自分はこの七組織の一人の者ですから。例え残りの六組織を道連れに出来るという特典付きでも、自らの手で強大な発言権を奪いたくはありません」
「なるほど……」
「守ると言うのは、要するに、彼女を自分以外の人間に連れ去られぬようにすればいいのです。後勿論彼女が死なない、そして殺されないようにと、それも見張って下さい。楽な仕事ですよね?なにせ、あなたはこういう事には慣れている筈ですから……」
「ああ—それで七六万は無かった事になる。それだけでいいのか?」
戦争を勃発するような要人暗殺や保護は幾度もやっている。それに、例え彼女が奪われても、結局奪ったのが残りの六大国の場合欠片が二つ、その他の場合一つ。七つを集めなければその武器は存在しないにも等しい。これの護衛は多分儀式的なものだろう。七つ集めるには、七つの大国を全て倒す必要がある。それを倒す事が出来た所で、それを敢行した国は最強である筈だから、そんな武器もあまりいらないだろう。他に、もう少し小規模だが十分に強力な兵器での牽制で行う外交の方が大きいに違いない。
「その通りですよ。後、これは常識だと思いますが、途中で彼女を見捨てる、彼女を自分や自分の手勢以外の人間に彼女の管理を任せる、彼女を自らの手で射殺しないと約束できますか?」
「なぜそのような当然な事を訊く?こんな儀式的な護衛でそんな事をすると思うか?」
一瞬サクリフィーの頭の中で不安が走る。
「まあ儀式的かどうかは別として、一応確かめる為ですよ」
「ああ、それだけか」
不安はすぐに消え去った。
「以上が、第二の提案です」
男は三つ目の煙草を灰皿で塗りつぶし、そして彼を見つめる。
「さあ、二つに一つです。どちらを選択し、どちらを捨てるかの権利は完全にあなたのものです。どうぞ。御選びください」
そう言うと、これまでじっくり考えるサクリフィーを見て、男は彼が答えを出すまでに相当の時間がかかるな、と思い背もたれに背中を倒す。しかし、サクリフィーは即答した。
「第二の方にする」
無論残りの人生を搾取されるよりは、多分襲撃はおろか、拉致もされない少女の護衛で借金チャラの方が魅力的に違いない。
「そうこなくては!彼女は今日、夕方の五時にあなたの家に届けられます。それでは」
ルックスのいい男は商談が成立したかのように、彼に握手を求める。彼は普通に応じ、軽く握手をする。
「カフェ・オレの代金は自分が払うので、お先へどうぞ」
そうすると、男はチェックが欲しいと声をかけようとするが#、そこで彼はもう一度確認する為にこう訊く。
「本当にそれだけでチャラになるのか?」
「初めて会った時に自分があなたに言った言葉を覚えていますか?『自分は魔術師、ホルス・デイモスです。そして最初に自分が申したい事は、魔術師は絶対に嘘をつかない、という事です。なぜなら、自分たちは嘘を嫌う者ですから』」
そう。彼は自分の事を魔術師と名乗った。そのような謎に満ちた人間から借金するサクリフィーは久しぶりに微笑んだ。なにせ、七六万ものの金を借りて、返さなくてよいのだから。謎に満ちた魔術師からでなければ、こんな都合の良い話は転がり込んでは来なかっただろう。
前書いた小説を改訂しようとしただけだったのですが、結局主要キャラの名前を除いて全てが変わってしまいました。
さて、名前も変えて全部もう一度最初からがんばるぞおおおおお!的な考え方で前向きにやって行きたいと思います。
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毎回日曜の18時に載る筈(システム上数分狂いがあるかも)です。さて、ここで言った事、どこまで続くのだろうか……