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幽人-トラワレビト-  作者: 清水智裕
一章:表現殺人
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5:邂逅

『…なによ~。いきなり電話なんて掛けてきちゃってさ。ふぁ…』

 電話口の向こうで、透き通るような桜子の声が眠そうにあくびを漏らす。

 辺りはすっかり暗くなってしまっていて、確かに眠くなってくるには良い頃合いかもしれないが、それにしても早い気がする。

 現在、俺は警察署の刑事課の一角にあるソファに座らされていた。その間、俺は考える事にも疲れ果ててしまい、どうしようもない状況に何もできなくて、桜子に泣きついていた。

『相談事? もしかして誰かにいじめられてるとか? だったら私がそっちに行っていじめてる奴をボコボコにしてあげましょうか?」

 昔から、癖なのか。桜子は人の話を最後まで聞かない部分がある。その癖は今でも健在らしい。いや、どうせ会ったのなんか今年のゴールデンウィークなんだけど。

 しかも、すぐに暴力に頼る所なんかもコイツらしい。

 それが、そんな日常が余りにも懐かしく感じてしまい、俺は自然に笑っていた。

『何がおかしいのよ? あたし、なんか変な事言った?』

 全然おかしくなんかない。むしろお前にとっては自然なんだろうな。でも、それは今の俺には、はるか遠くの昔に置いてきてしまったかのような日常だった。ほんとはまだ一日も経っていないんだけどな。

 日常が遠い。少し、友達が特殊な状況にあり、異常な行為をしていたと知っていただけで、日常がこれだけ遠く感じてしまう。

 遠いな…。遠すぎる。

 そう感じると、涙さえも出てきた。

 ショックが大きかったのかもしれない。

 愛生は、そもそも『桑原慶介』という名前を持っていて、性別も男として登録されていたらしい。

 これは、桑原慶介の部屋を出てすぐに学校に連絡して、担任に確認を取ってもらってわかった事だ。

 そもそもうちの学校に「桑原愛生」という女子生徒はいなかったそうだ。

 そして、事実として、愛生は高校に入ってすぐの「自己紹介」の時間。つまりはHRをサボっていたらしい。

 その後、担任は愛生に休み時間に自己紹介を済ませておくように言った。そうして「桑原愛生」という女子生徒は生まれた。

 本来ならば、愛生は男子として扱われなければならないが、授業の時に名簿に男子女子の表記はないので、教師も桑原は女である、と誤解をしていたようだ。

 その後、担任のみが知った事実であるが、愛生はそもそもは男として生を受けるはずだったらしい。いや、正確に言うのであれば、男として生を受けた。心だけは。

 つまり、性同一性障害だったらしいのだ。

 男の心を持って生まれた女子。それが桑原慶介という男性であり、桑原愛生という女性だった。

 ただそれだけの話じゃないのかもしれない。

 それでも、彼が、彼女が人殺しという道に走った事にはもう少し理由がありそうだが、これは考えてもしょうがない。俺が相談したかったのは。

「これからどうすればいいかな」

 ポロリ、と思ってた事のほんの一部分だけが口を吐いて出た。

『どうすればいいって、何についてなのかもわからないのに答えられるわけないでしょ!?』

 だろうな。それでも俺は今の状況を桜子に話さないと決めていた。

 こんな血生臭い話は、女の子にはきつすぎる。そんな変な意地を張っていた。

『それでもあえて言うなら。あんたがしたいようにすればいいんじゃない?』

 しかし、そんな俺の意地を汲み取ったのか。桜子はそう返してきた。

「俺のしたいように?」

『そうよ。何の事かわかんないけど、あんたがどうしたいかじゃないの?「汝の意志するところを行え。それが法の全てとならん」ってね。何でも好き放題やれってわけじゃなくて。自分がどうしたいのか、そして、その目的に向かって自分を律して、道を切り開いていきましょうって意味らしいわよ』

 誰の受け売りだよちくしょう。難しそうな言葉使いやがって。

 けど、「汝の意志するところを行え」か。

『どうすればいいかって誰かに聞いて、道を示してもらえれば楽なんだろうけどね。でも、それよりも、自分で切り開いた道には、誰かに示してもらった道よりも価値があると思わない?』

「…そうだな。ありがとう、桜子」

 今度、会った時には人生の師匠として仰いでやるよ。

『お礼を言われる事じゃないわよ。がんばんなさい』

 ああ、頑張るよ。

 通話が一方的に切れる。

 さぁ、吹っ切れるだけ吹っ切れたんだ。

 あとは、「汝の意志するところを行え」だ。

 気合を入れて、俺は立ち上がり、上代刑事に見つからないように書き置きをして、刑事課を出た。


    ◆◆◆


 用事を済ませて、家に帰ると警察が来ていた。

「ちっ、どこで嗅ぎつけてきやがったんだ。くそっ、身を隠すしか方法はねぇな」

 あそこには見られてはいけない物がたくさんある。

 とりあえず、僕はその場を離れる事にした。

 しかし、悪い事というのは重なる物で、警察官の一人に見つかってしまった。

「おい君。止まりなさい!」

 叫ぶ警察官を背に走り出す。

 悪いが、こっちは女子の体を持って生まれた事を呪って鍛えてきてんだ。

 筋肉など他人の倍はある自信がある。

 しかし、相手は大量に配備されている警察官。

 応援を呼ばれて、包囲網を築かれていく。

 僕はその間を縫うように住宅街を疾走し、最終的に振り切る事に成功した。

 そして、現在は街灯もない鉄橋の上、眼下に月の光を反射する川を見ながら、消費した体力を回復していた。

 そこに。

「よう。またこんな所でサボってんのか?」

 聞き覚えのありすぎる、友人の声が響いた。

 未だに制服を着ている、黒い癖毛の髪と眼鏡が特徴的な、平凡な普通の高校生である友人、水島銀次が振り向いた先には立っていた。

 そして、思い至る。

 考えてみればおかしな話だ。

 警察が何故僕の部屋を突き止められたのかも。

 警察が形成した包囲網を、鍛えていたとはいえ、女の子に突破されてしまったのかも。

 そして、こうしている今現在。僕が逃げたであろう道を追いかけてこない事も。

 おかしかった。まるで、ここに誘導しているかのように。まるで、ここで誰かと合わせようとしているかのように。その動きには意志を感じた。

「ああ、気付いたか? この捜査を仕切っている人のが親父でね。少し俺と話させてくれるように取り計らってもらったのさ」

 僕の顔を見て、思考を読み取ったかのように銀次は言う。

 その顔には、何か固い決意が見えた。

 こんな銀次は初めて見る。

「さぁて。決着をつけようぜ愛生。いや、桑原慶介」

 そして、銀次の口からその言葉を聞いた時、僕は全てを理解した。

 ああ、知ってしまったんだ。

 僕がやってきた事も、僕がどんな人間であるのかも。

 彼に河原由愛の妹と弟の調査を持ちかけた時に、わかっていた事かもしれないけれど。

 彼は知ってしまった。僕の秘密を。

 ならば、その先には。

「ああ、そうだな。決着をつけよう。銀次」

 決別しかない。

 心を決めて、僕は制服の内ポケットに隠しておいた、ナイフを引き抜いた。


    ◆◆◆


「ああ、そうだな。決着をつけよう。銀次」

 そう言って、愛生はナイフをブレザーの内ポケットからナイフを引き抜いた。

 俺も、ポケットに入れっぱなしで借りパクしてきた警棒を取り出し、中に収納されている鉄の棒を伸ばすために一度大きく振る。

 しかし、そこで、言葉が入る。

「昔、この町で一つのストーカー事件があった。その犠牲者の女は、いつも夫と喧嘩ばかりしていた。そして、大抵の場合はその子供が二人の喧嘩を止めていたんだ。夫は語る、「それが愛の形なのだ」と。でも、まだ小さい子供にはそれがわからなかった。自分の母が、ストーカーによって殺されるまでは」

 それは、警察署で上代刑事から聞かされた話だった。

 十三年前。俺がまだこの町に引っ越してくる前の事だったらしい。この町では一人のストーカーに殺された女性がいた。

 その女性は、確かに美しくて、職場でも美人で評判の女性だったらしい。結婚し、子供が生まれてもなお、その美しさは衰えなかったという。

 だが、同時に夫との仲は犬猿の仲とも言えるものだったらしい。いや、これは結婚前からそうだったらしく、お互いに言いたい事も言えない夫婦など、いずれ別れてしまうかもしれない。と本人たちは語ったらしい。だが、彼は語る。

「結果的に考えるならば、それが、僕の壊れてしまった理由の発端かもしれない」

 喧嘩する割には仲が良く、ラブラブの夫婦にやがて一人の子供が生まれ、確かに精神に障害を負ってはいたが、幸せな家庭を築き。そして、その子が五歳の時に事件は起こった。

 美しすぎるのも考えものかもしれない。

 妻は名も知らないストーカーに悩まされていたのだが、結局夫には打ち明けなかった事も原因にあるのかもしれない。

 今となっては結果論にしかならないが。彼女はその名も知らないストーカーによって、「僕の愛を受けて僕だけの物になってくれ」という理由の元、子供の見ている目の前で、路地裏に引き込まれ、子供を人質に取られた揚句、夫以外のモノに貫かれ、欲望の吐け口となって殺されてしまった。

 破綻した愛によって、殺されてしまった。

 そして、何よりも決定的なのは、行為の最中にストーカーが口走っていた言葉が、彼女の子供が壊れるのに決定的な打撃を与えたのだった。

「愛しています。愛しています。だから、僕の愛を受け止めて死んでください」

 そんな破綻した愛の言葉が、彼を壊した。

 それ以降、彼女の子供はこう思う事となる。

 人の愛の証明は「暴力による殺人である」と。

 それが、彼の(とら)われた理屈であり、今回の事件の動機であった。

 そして、彼が高校生になると同時に、女子の体を持って生まれた彼は、だんだんと生前の母にそっくりの顔立ちになっていった事で、父から独り暮らしを進められた。

 しかし、それは彼にとっては実に都合のいい展開となった。

 何故ならば、家で父の目を気にせずに殺人(あいじょうひょうげん)に走る事ができるのだから。

「まず、同じマンションに住んでた良いと思った女を誘拐して、一人ずつ(あい)してやったんだ」

 そうする事が、彼の愛情表現になってしまった。

 それが、そもそものこの事件の発端。

「仕方ないだろう? 僕が彼女たちを殺したのは、愛しているからなんだから」

 だから、これからもあいすだろう。

 彼はそう嘯く。

「違う。お前は間違えている」

 殺人を愛情表現と思ってしまった事がじゃない。

 ましてや女子の体で男子の心を持ってしまった事でも、小さい頃に母親を殺された事でもない。

 そんな事は仕方がない。そもそも、それはさまざまな偶然が重なって起きてしまった悲しい事件だ。けれども、その事件を理由として人の命を奪うのは間違っている。

 それはただ、逃げただけだ。

 どんな理屈に心を幽閉されてしまったとしても、どんな境遇が自分を取り巻こうとも。

 必死に、それらと闘いながら生きている奴だっている。

「一つ、昔話をしよう」

 同じような境遇を背負った者として、俺は。

 そんな間違えて、逃げただけの奴を野放しにしておくわけにはいかないんだ。

 心にそんな感情を抱きながら、俺は重々しい口を開いた。

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