4:正体
これからどうしようか。
河原さんと別れて、喫茶店『愛の枝』を出た俺はそんな事を考える。
すると、ちょうどそんな俺のケータイに、メールが届いたらしく、制服のポケットの中でマナーモードにしていたためかブブブッと三度鳴動する。
ポケットから取り出して、届いたメールを開くと。
『From:桜子
subject:夏休み
あんた夏休みにはこっち来るの?
来るんだったら早めに連絡しなさい。色々と準備があるからさ。
それと、ゴールデンウィークに来なかったから刹佳ちゃん寂しがってたわよ』
と遠く離れた、というわけでもないが割と遠くの、昔住んでいた町に住んでいる昔馴染みの、椎名桜子からメールが来ていた。ちなみに、現在はソイツの家に赴任中の母さんと、それについて行って一緒に住んでいる妹の雪花がお世話になっていたりする。
そんな少し俺たち家族を気遣ってくれた桜子にメールを返す。
『to:桜子
subject:Re:夏休み
了解。少し早めに連絡するようにすんわ』
短めではあるが、そう返信した。
つーか、それにしても、もう夏休みの話とはずいぶんと気の早い事だ。
思いながら、去年の夏休みに会いに行った時に半ば無理矢理一緒に撮らされたプリクラを数少ない画像の中から選択して見る。
迷惑そうな、やる気のなさそうな目に眼鏡を掛けた俺の隣に、何が楽しいのか無邪気に笑うパーマの掛かった茶髪の綺麗な女の子が映っている。
「はぁ、俺と撮るようなプリクラの、何がそんな楽しいんだかな」
ため息混じりに言って、俺は家路に着いた。
いや、着くはずだった。
そう、一つの事柄を思い出すまでは。
◆◆◆
マンション街のさらに奥に向けて歩くと、その先には玄河ヶ丘二番地、宗谷マンションが聳え立つ、小高い丘があった。
楽しい、という単語で思い出した。
そもそもの俺が話した物語のベースになった事件は、この宗谷マンションの女の人が大量に消えたという事件であり、俺はその事実に「好き」という気持ち、すなわち『愛情』を交えて犯人の像を物凄く気違いに仕立て上げていたのだが。
もしかしたら、それはあながち間違いではないのかもしれない。
簡単な話である、あの事件の犯人はマンションにいた女の人に恋をした。そして、恋をして、自分の物にしてしまいたくて、しかしあるきっかけで相手の女の人にお付き合いしている男性がいた事を知ってしまい、彼は「失恋」という感情から成り立つ「憎悪」という感情を持って、誘拐を実行した。いや、恋をしたのが、男とは限らないけども。
しかし、それは犯行の動機としては勝手ではあるが、理には叶っている。
そんな事を考えて、俺は宗谷マンションの管理人室の窓を叩いていた。
「はい。何でしょうかね?」
すると、管理人室の窓から初老の男性が顔を出す。
しかし、そこで俺は動きを止めてしまった。
そう言えば、俺には「彼」の名前がわからない。ウチの生徒という設定は俺が考えたものだし。
どうする?
そんな事を考えていると、背後から声が掛かった。
「桑原慶介さんの部屋を見せていただけないでしょうか? 警察です」
いつの間にか訪れていた、上代刑事が助け船を出してくれたのだ。
すると、「わかりました」とすぐに管理人はマスターキーを渡してくれる。
その鍵を受け取って、俺は上代刑事と共にエレベーターに乗り込む。
「八階の八〇三号室ですよ」
と俺に目的の階を教えてくれる上代刑事はさらに続ける。
「キミも、同じ事を考えたようですね」
自信満々にそう言う上代刑事であるが。
「そんな事言って、上代刑事は俺の後をついて来ただけな癖に」
「あ、バレてましたか」
そりゃ、あんなタイミング良すぎな登場など、今時ドラマでしかありえないからな。
そんな会話をする内に、エレベーターのドアは閉まり、上に向かって上がっていく。
「でも、何故ここだと?」
「俺のね。昼休みに友達に聞かせた程度の与太話なんですけどね。色々と動機に当てはまりそうな物があったんですよ。それで、もしかしたらってね」
それよりも、先ほどの桑原慶介とは誰なのだろうか。
「…桑原慶介はそもそも最初の事件の際に、参考人として名前が挙がっていました。しかし、本人も部屋には在宅ではなく、当時は管理人がマスターキーを紛失してしまっていましたし、それに警察は失踪してしまった女性を探す方を優先したのでしょう。それ以来、彼の部屋は誰も調べていません」
それもおかしな話ではあるかもしれない。いくらなんでも警察が手を抜きすぎている気がするのは気のせいであろうか?
いや、そもそもの話、それはしょうがないのかもしれない。
警察はむやみやたらに失踪事件を大きくしたくなく、穏便に「失踪事件ならば失踪した人間を探そう」という結論に至ったのかもしれない。何故ならば、死体が出ていなかったからだ。
死体が出なければ、警察も本腰を入れて容疑者を探す事などしないだろう。
そして、結果的にそれは「ただの失踪事件」で終わってしまった。
しかし、それは果たしてどうなのだろうか。
そんなこんなを考えている内に、エレベーターは八階に到着し、俺たちは八〇三号室の前に立つ。
鍵を使う前に、一度ドアノブを回してから鍵が掛かっているのを確認し、俺は鍵をドアノブの鍵穴へと差し込む。
「もしも、危なくなる時があるかもしれません。これを持ってあなたはここで待っててください」
そう言って、鍵が刺さったドアノブの前で、俺に警棒を渡してくる上代刑事。
「私は逮捕術などを心得ていますし、もしもの時はもう一本あるので」
半ば押しつけるように俺にそれを渡し、上代刑事はさっさと中に入ってしまう。
確かに、これ以上は警察の方に任せるのが良いのかもしれない。
そう思って、俺は上代刑事の帰りを待った。
それから五分経って、やっと上代刑事は出てきた。
「ギンくん。お手柄ですね」
そう言いながら、行方不明になった十二人の子供たちと一緒に。
「室内に、行方不明になったここの十五人の女性の死体、および殺された女性と三組の子供の首も、どこで手に入れたのか、ホルモン漬けにされて出てきましたよ」
と、事務的な口調で、上代刑事は言った。
だから、腐臭も何もしない。どうやったのかは知らないが、人が二人ほど入る水槽の中に、十五人の女の死体はあったらしい。しかも、しっかりと血抜きをされた後にだそうだ。
そして、子供たちの話を聞くと、誰もが首を横に振る中、一人だけはっきりと答えてくれる女の子がいたのでその子に話を聞く事にした。
それが、河原由枝ちゃんだったのだけれど。
彼女の証言によると、俺たちが来る少し前に一度、部屋の主である桑原慶介が帰ってきたのだが、結局すぐに何処かへと行ってしまったらしい。
しかも、監禁生活中は、やたらと彼は、子供たちに話しかけてきていたらしいのだが、周囲にホルモン漬けにされた死体があるのだから、まともな返事など出来るわけもなく、いつも彼の独り事のような感じになっていたらしい。しかし、それでも彼は怯える子供を抱き上げるなど、一方的な「愛情表現」を繰り返したらしい。
故に、飯も三度全てを食べさせてもらい、昼は飯を作って置いて行ってくれるほど良い人を演じていたらしい。
しかし、とある時、そんな優しさに脱出する希望を見た三人組の男女がいたらしいのだが、彼らが「愛してるから助けて」という言葉を口にすると、桑原は六人を何処かへと連れて行き、それ以降六人は戻る事はなかったという。血抜きのされた首以外は。
また、最初は十二人の中の子供の「お姉ちゃん」がいたらしい。しかし、彼女も「この子たちの代わりに私を好きにしなさい」と言うと、首以外は消えてしまったのだそうだ。
最初はその「お姉ちゃん」が犠牲となり、次に六人の男女が犠牲になって、怖くなった他の子供たちは話す事をやめたらしい。
それは極限だった。昼間、桑原慶介が出て行ってからなんとか自分を拘束している足枷を外そうとしたらしいが無理であったという。それでも諦めきれず、窓から声を出そうとしたら、窓の鍵自体が接着剤で止められていたらしく開かなかった。地団太を踏んでみても、両手で足枷についている鉄製の重りを床に叩きつけてみても、下の部屋の人は異変に気付いてくれない。しかし、それも当たり前なのだろう、下の階の部屋に住んでいた女の人は子供たちが桑原の部屋に来る前に既に殺されていたのだから。
しかも、時間帯としては昼間。早くても既に出勤などによって隣人は部屋にさえいない。
そうして、子供たちの孤独な生活は続き、上代刑事によって救出されたというわけだった。
そんな地獄の時間を生き延びた少年少女が過ごした部屋。現場を荒らさない、という約束を上代刑事と交わして中に入ってみた。
確かに大型の魚なんかを入れる水槽のような物の中に、液体に浸された首なしの死体が十五、そして、首だけの死体が七つ。
無造作ともいえそうな形で沈めてあった。
リビングにあるのはそれだけ、他にはテレビとテーブルがあるだけだった。電話もなければ、本棚の一つもない。
キッチンには一応、冷蔵庫と電子レンジがあった。ポットもあったし、食料もあった。何かとここで過ごす事はしていたようだ。
そんなキッチンの端、隠すように壁際に置かれた写真立てがあった。
その中には一枚の写真が飾られている。何故キッチンにあるのか、どうして他に思い出のような物もないのに、これだけがあるのか。そんな事が全てどうでもよくなるような写真が一枚。
それは家族写真だった。何処にでもある、実に普通の家族写真。旅行先で撮った物かもしれない、背景には山が映っていた。
子供に寄り添うように笑顔を向ける父親。その父の横でピースして笑顔を向ける母親。
どちらにも見覚えがあった。
そして、父親の横に映っている人物にも、心当たりがあった。
いや、そもそもの大前提として、俺にこの事件の話を持ち出してきた。
「…愛生」
俺の女友達が…そこには映っていた。幸せそうな笑顔をこちらに向ける彼女は、男の恰好をしていた。