2:出会い
帰り道、俺は愛生と河原さんと一緒に下校していた。
あれから河原さんが泣き止むのを待ってから帰る事となり、現在、俺たちは河原さんを送って俺の家とは少し離れた東町にやってきている。
俺たちの住むこの逸未市は東町と西町に一本の川を隔てて分かれている。
都市開発が進み、それなりに都会化している東町。
昔ながらの温泉宿や、住宅街が密集する西町。
その二つの町を繋ぐのは、川にかかる二本の大きな橋だけで、他には電車用の鉄橋があるだけである。
そして、今の俺たちは東町の一角、通称『マンション街』と呼ばれる場所に来ていた。
「それにしても、マンション街って初めて来たけど、迷い易いよねホント」
ぼやくように愛生が言う。だが、その気持ちもわからないでもない。
この『マンション街』は同じような形のマンションが多く立ち並び、どれがどのマンションなのかさえ初めて訪れた人間は理解できないという。
そして、ここは昨日、俺が脚色を加えて話した事件、「連続婦女失踪事件」の起こった宗谷マンションも割と近くにあるらしい。
「そうでもないよ。ウチの家ってマンションじゃなくて、喫茶店だからさ。三階建てで細々とやってるんだけど、一回が喫茶店で、二階三階が生活空間なんだ」
オープンテラスもあるんだよ、などと先ほどよりは明るく語る河原さん。どうやら愛生によって少しは元気が出てきたのかもしれない。
「でもさ、それでも迷ったりしない? ここら辺の道って結構入り組んでるしさ」
「まぁ、たまに道間違える事はあるけど、それでも不自由はしてないかな」
「へぇ…」
などと、そんな会話をしている内に、河原さんの自宅である喫茶店、『愛の枝』が見えてきた。
「『愛の枝』? なんかイメージ湧かねぇな」
確かに、マンションの間にポツリと隠れ家のように建っている三階建ての建物で、それなりに広い庭にはそれなりの数のテーブルが用意されていたのだが、それでも『愛の枝』という感じではない。いや、店の名前にぐちぐちと文句を言っても始まらないのだけれど。
「ああ、それは私のお父さんがね。自分の子供の名前の一文字を並べ変えたんだよ。私の名前で由愛の愛と妹の由枝の枝、そして弟の由乃の乃を平仮名にして店の名前にしたんだってさ」
あー、なるほど。
そうやって店の名前を見ると、父親の溢れんばかりの子供への愛がわからなくもない。
そんな事を思っていると、唐突にケータイが鳴る。
着信音から電話である事がわかり、ポケットからケータイを取り出してディスプレイを見るが、名前の表記はなく電話番号だけの表記であった。
誰だろうか、などと考えながら電話に出る。
「もしもし、どなたでしょうか?」
なるべく丁寧に、知らない人であったなら礼を欠かないように、言葉を選んで話す。
『もしも~し。私ですよぅ。覚えてませんか?』
すると、電話口の向こうからは微妙に聞きなれた声が聞こえてきた。
というか、俺がこの世で最も聞きたくないと言っても過言ではない、と言えるくらいに苦手な人間の声であった。
『上代です、上代百世ちゃんですよ。まぁ、仕事用のケータイから電話掛けてるのでわからなくても無理ないんですけどね』
上代百世、俺の父の部下にして、とある連続万引き事件の時に、俺を犯人扱いして、上司の息子を警察署の取調室で口説こう(自白を強要しよう)とした糸目のねーちゃん。
結局、頑なに自白を拒否した俺が、解放された後にその騒動の犯人を「復讐」という名の八つ当たり先としてボコボコにして通報し、一件落着となったからよかったが、一歩間違えれば誤認逮捕し、自分の上司を退職に追い込もうとした女刑事である。
というか、なんで俺のケータイの番号知ってんだ?と俺は思いながら答える。
「覚えてますよ。色々とお世話になったんでね」
『いや~、その節は色々と失礼しました~。それでですね。そんなことよりも今から聞き込みで出かけるんですが、会えないかななんて思いお電話した次第なんですが、どうですか~?』
のんびりしたと言えば気持ちよく聞こえるが、本心を見せない話し方をしている彼女の言葉に、思わず俺はため息が出そうになって堪える。
警察の人間ならば、今回の失踪事件について何かしら知っているかもしれない。
そんな事を考えながら、俺は返答を返す。
「実は俺も今聞きたい事があるんですよ。それで其方が俺の指定する場所に来てくれるというのなら、会う事については一向に構わないんですがね~」
『そうですかぁ? なら考えちゃいましょう。それじゃ、私はどこに行けばいいんですかぁ?』
あくまでも俺のペースに乗っかりながら会話を進める上代刑事。そこに何の意味があるのかはわからないが、それでも「聞き込みに行く」時に俺に会いたいという事は、何かしら特殊な用事があるんだろう。
「それじゃあ、東町のマンション街の『愛の枝』っていう喫茶店でどうですか? デートにも打ってつけの名前ですし」
『デートですかぁ。ギンくんとプライベートでなら大喜びなんですけどねぇ。まぁ、わかりました。場所はわかるので、十五分ほどで着けると思いますから、先に待っててください』
言って電話を切る上代刑事。
何故『ギンくん』という昔の俺の渾名を知っているのかという感じではあるが、そこも含めて流石は警察官と言いたくなるような洞察力と推理力の高さだった。
俺の条件を飲んだ上で、『愛の枝』の場所の特殊さを加味し、俺がそこを指定したという事はすぐ近くにいるという事を予測した上でなければ、「先に待っててください」という言葉は出てこないだろう。
誤認逮捕を引き起こしかけたとはいえ、その件についても後から考えてみれば、「俺を取調室へ連れて行ってから解放すれば、俺が犯人に対して八つ当たりに行くと推理した上で、結果、警察が特定できなかった容疑者を現行犯として検挙できる」というシナリオが彼女の頭にはあったのかもしれない。いや、考えすぎであろうが。
しかし、それならば一度上司の息子という立場で会った事のある俺を「駒」として使ったのも頷ける。
まぁ、それも含めて、彼女の頭の中にしか真実はないのだろうけれど。あの事件に関する真実は俺が誤認逮捕されそうになって、その復讐をしようと考えている所に当の犯人に遭遇し、ボコボコにして気絶させてから通報した、というのが全てだ。
そんな事を考えながら、俺は愛生と河原さんと一緒に喫茶店『愛の枝』に入ったのだった。
◆◆◆
十五分後。
宣言した時間きっかりに彼女は来た。
長い黒髪をただ首元で束ねただけの簡単なヘアスタイルと糸目が特徴的なやや童顔の女刑事。
女物のスーツに身を包んだ彼女は、喫茶店『愛の枝』に入るなり、俺と河原さんの座っている席を見つけ出して、俺の隣に座ってきた。
愛生はその時には既に、用事が出来たとかで帰宅しており、河原さんも上代刑事を待っている俺に付き合った形での同伴となってしまったのであるが。
「おや? ガールフレンドですか。これはお邪魔でしたかねぇ~」
などと結果的に上代刑事にからかわれる事となったのである。
「いやいや、そんなんじゃないですから」
と俺が否定し、店員であり、河原さんのお母さんにコーヒーを頼んでいる上代刑事に話の本題に入るように促す。
「そうですね。とりあえずはギンくんのお話を伺いましょうか~」
私の話はそれからでもいいですしね、とか言いながら注文後すぐにお母さんが持ってきたコーヒーを美味しそうに口にする上代刑事。
「んじゃ、遠慮なくお聞きしますけど。上代刑事、『不審な所のなさすぎる失踪事件』に心当たりはありませんか?」
そこまでピクリとも動かなかった上代刑事の糸目が、『不審な所のなさすぎる失踪事件』という単語を聞いた瞬間に、ピクリと眉が動き、閉じられているようにしか見えなかった糸目がうっすらと開き、その下にあった黒い瞳が俺を射抜く。
刑事特有の射抜くような鋭い視線。いや、それはこの人だからなのかもしれない。少なくとも親父も同じような瞳をしているが、これほど鋭利ではない。
「それを、どこでお聞きになりましたか?」
言葉は丁寧であるが、目は口ほど丁寧な語り方をせず、真っ直ぐにに「何処で聞いたかを吐け」と語っていた。
「こっちの女子の弟さんと妹さんがそうゆう消え方をしたってだけですよ。「一切不審な点などなく二人とも失踪している」ってね」
河原さんを指して言う俺の言葉に、なるほど、と一言納得の言葉を口にした上代刑事。
カタリッとコーヒーカップをテーブルに置いて、彼女は言葉を口にした。
「良い機会ですね。私も同じような事を聞こうとしていましたから」
その口調に、先ほどまでのようなのんびりとした、本心を隠した話し方は見れない。
俺が苦手とし、半ば畏れてさえいる、刑事の口調で彼女は語る。
「良いでしょう。あなたと其方の関係者の方には今、この町でなにが起きているのかを知る必要がありそうですしね」
しいてはそれがこの事件の解決に繋がるかもしれませんし、と言って。彼女は区切るようにコーヒーを飲み干してお代わりを要求し、語り始めた。
この町で今、起きている。『連続失踪事件』についての概要を。