《その後の二人》1.平行線の攻防(2)
* * *
今、親の敵のように私を睨んでいった久我晃平は同じ写真サークルの同期。逆に言えばそれだけの関係。だから、私が久我に睨まれる理由は無い。絶対ない!!!
「なに今の。愛想悪い店員だね~」
そう言って沢渡がワイングラスに口をつける。うん、うまい!と言って共に頼んだおつまみに手を伸ばしたので、私も続けてグラスを口にした。
(……味が分からん)
くそっ。久我め。一体私にどんな呪いをかけやがった。さっきの久我が気になってちっともワインの味が楽しめないじゃないか。
「あれ、どこいくの?」
「ちょっとトイレ……」
気分転換も兼ねて席を立つ。結構店内が広いのでトイレはどこかとキョロキョロしながら探しているとぐいっと手を引かれた。
「へっ……」
そしてそのまま店内の隅へと連れて行かれる。そこは緑色の非常口のランプが光る、人気の無い階段への入口前。緑色のランプで不気味にライトアップされたのは、さっき顔を合わせたばかりの店員の姿。
「く、久我!!」
「……お前、あそこで何やってんだ?」
待て待て待て!!! 近い近いよ!!!
両手を壁につき腕の中に閉じ込めるように私を見下ろしている久我の表情は先程と同じく機嫌最悪と顔に書いてある。180以上はある身長にガタイの良い久我にすっぽりと覆われて凄まれているこの体制はどっからどう見てもカツアゲされているか弱い女子だ。おまけに久我の顔は今にも額同士がくっつきそうな程の距離にある。後ろに下がろうにも私の背中は既に壁にべったり。どこにも逃げ場が無い。
「な、何って、大学の子とご飯食べてるんじゃん」
「友達でもない男と5対5で?」
「……すいません。合コンです」
っていうか、何で私が謝らなきゃならないわけ!!
「って、久我今日バイトの日じゃないじゃん!!」
「シフト交換してくれって頼まれたんだよ。何、お前俺が店にいなかったら良いとでも思ってんのか?」
「うぅ……」
そうなのだ。このお店は久我のバイト先。だから幹事がこのお店で予約を取ると知った時、久我がいない日を指定していた。急遽シフト変更なんて不運過ぎる。
さっきも言った通り、久我は私の彼氏じゃない。けれど一応彼が居ない日を選んだのには訳がある。それは、
「んっ!! …んん……」
ぐいっと顎を掴まれ、上を向かされたかと思うと唇を塞がれた。私よりも薄い久我の唇が全てを覆うように被さってくる。怒っているせいなのか、軽く下唇を噛まれ、怯んだ隙に自分よりも分厚い舌が中に入り込んできた。舌の上をつっとなぞられ、途端に体が強張る。
「く……が…っ」
呼吸が出来なくて苦しい。ぎゅっと制服の白いシャツを掴むと、やっと久我は唇を離してくれた。
「俺あと30分で店上がりだから」
「へ?」
「お前らは席の予約あと50分だろ。はす向かいのコンビニで待ってるから出たら来い」
「……分かった」
濡れた私の唇をさっと親指で拭って久我がさっさと離れていく。あぁ、うん。あれは相当怒ってるな。だから見られたくなかったのに。
私はその場でハーッと深く息を吐いた。
久我にキスされるのはこれが初めてじゃない。最初は今年の夏前。「もう遠慮しないからな」という宣言(?)と共にキスされた。そこでようやく私は久我の好きな相手が自分だったことを理解した。それまでは久我にアプローチしていた後輩と両想いなんじゃないかと勘違いしていたのだ。
それからというもの“遠慮しない”という言葉通り、久我は何かと私と一緒に居るようになった。サークルは勿論、それ以外でも大学で見かければマメに声をかけてくる。それ所か隙があればキスされる。あいつ何気にキス魔だ。絶対そうだ。普段からあまり顔に表情出さないくせに、キスした後はにやりと悪い男の顔をするのだ。むっつりキス魔め。
けど、そのアプローチに私は何とも応えられず、ずるずると今に至っている。赤い糸が見えて、友人達の恋愛相談にのっている私だけれど、決して恋愛経験豊富では無い。それ所か今までまともに誰かと恋愛したことがないのだ。その理由は赤い糸が見えてしまうから。気になる人が出来てもその相手には他に気になっている人がいるとか、彼女が居るとか、自分には興味は無いとか……。そういうのが分かってしまうから、その瞬間気持ちが冷めてしまうのだ。
それが原因だ。そう思っていた。今までは。
けど、真っ直ぐに自分に向かって伸びている久我の赤い糸を見て、この人は本当に自分の事が好きなんだと分かっていても実際二の足を踏んでいる。久我をどう思っているのか、自分で自分の気持ちが分からず、このまま流されて良いのかと返事が出来ずにいる。
もう本当に、自分の経験値の無さが恨めしい……。
(私が男だったらヘタレの烙印を押されている所だな……)
そんな訳で、私を好きらしい久我に合コンに行く姿を見られたくなかったのだ。だっていくら私が合コン自体に興味が無いと言っても信じられないだろう。何せ普通の人には赤い糸なんて見えないのだから。
(返事が出来ないでいるのに、誤解されたくないなんて自分勝手過ぎる……)
私はもう一度溜息をついて携帯を取り出した。久我が終わるまで待ってくれると言うから、一次会で帰るのは決定事項。とりあえず自分が此処に居る目的を果たす為にゆきりん達にメールを打つ。幹事の乾ちゃんには神田くんにそのまま突き進め!と。他3人には相良には本当に彼女がいないことを。
(席に戻ろう)
そうだ。美味しいワインが待っているのだ。ご機嫌斜めの久我をどうするかは、一先ず保留の方向で。
「じゃ、次何処に行く?」
幹事の2人がスマホで次のお店を探している。カラオケか、それともまた呑みに行くか。この辺りは飲食店が多い通りだから、多分近場に移動するのだろう。一次会で帰ることを伝える為にゆきりんを探すと、相良の隣で楽しそうに話をしていた。おぉ、美男美女であそこもお似合いだね。邪魔しちゃ悪いから他の子に声をかけよう。そう思ったら、別方向から名前を呼ばれた。
「真奈ちゃんも次行くっしょ?」
「へ? あぁ、ごめん。私ここで帰るよ」
「えぇ! 明日土曜なんだし良いじゃん!!」
大袈裟に悲壮な表情をしたのは沢渡だった。
「明日朝からバイトなんだ」
「えぇー、マジで。真奈ちゃん居ないとつまんないな」
「あぁ……。皆相良君に取られちゃったもんね」
「いや、そう言うことじゃなくてさ。ま、いいけど。じゃ、また今度呑みに行こうよ」
「うん、分かった。またね」
お決まりの社交辞令を交わして皆と別れる。店を出る前に全員で連絡先交換しているけど、当然私の場合は活用されない。また誘うみたいなこと言ってたけど、沢渡も同じだろう。そんな事より問題は……
(あぁ、アレか……)
夜でも煌々と光る白と青の看板が目立つコンビニ。緊張半分、諦め半分で外から店を覗くと雑誌を立ち読みしていた久我が私に気づいた。そのまま何も買わずに店を出てくる。
久我と待ち合わせって変なカンジ。どんな顔していいか分からないじゃないか。
「……お疲れ」
「おう」
そのまま2人並んで駅へ向かう。うーん。普段から表情豊かな方じゃないから、久我がまだ怒っているのかどうかは正直分からん。
「他の奴らはどうした?」
「次カラオケ行くって言ってたよ」
「ふーん」
「……お店」
「ん?」
「初めて行ったけど美味しかった」
「そうか」
「うん」
「あのワイン美味かったろ」
「うん。あれやばいね。ごくごく飲める」
「うちの店長が好きなんだ、あれ。次は鶏レバ料理と一緒に頼め。あれは合う」
「へぇ~。良い事聞いた! また行こ」
「俺が居ない日にか?」
うっ……。普通に会話してるからてっきりその話しはもういいのかと……。何だ。やっぱり気にしてるのか。
恐る恐る隣を見上げれば、そこにはムスッとした久我の顔。おおおおお怒っていらっしゃる!! これは何て答えるのがベスト? ちっとも思い浮かばないよ! 誰か三択とかにしてくれないかな!!
ダラダラと冷や汗流していたら、不意に手には温かい温もり。気づけば私の右手は久我の左手に包まれていた。はははは恥ずかしい!! 恥ずかしいけど……自分が悪い事も分かっているから離してくれとは言えない。
そんなこんなであわあわしている私の視界に入ったのはニヤリと笑う久我の顔。コイツ絶対性格悪い!!!
良いタイミングも言い訳も思いつかず、結局その日はずっと手を繋がれたまま駅まで連行されてしまった。
くやしい~~~!!
* * *
自宅に戻って風呂に入って、自室のベッドにごろりと転がる。明日の予定を確認しようと携帯を見ればメールが5件来ていた。内4件は今日の合コンに参加した女子達からだと容易に想像が付く。あとの1件は……
「…………」
あぁ、やだな。どうして直ぐに久我の顔が思い浮かぶんだろう。いや、今日会った人達の中で私にメールする人なんて他にいないからだ。きっとそうだ。
心の中であーだこーだと言い訳しながらメールを開く。案の定、4件は女子達からのお礼とお疲れ様のメール。
そして最後の1件は意外な相手からだった。
(あれ? 沢渡?)
宛先には沢渡淳也の名前。メールを開けば、“今日はお疲れ様”の文字が目に入る。
“真奈ちゃんだけカラオケ不参加でマジ残念。もし暇だったら来週末もご飯行こうよ。よろしく~”
「…………」
私をちゃん付けで呼んでいる事から考えても今日合コンで会った沢渡からのメールで間違いないだろう。しかも行くと返事をしていないのに“よろしく”とはどういう事だ。
(確かに来週の金曜は空いてるけど……。うーん)
今日初めて会った相手だけれど、沢渡の性格を考えるに誰でも気軽に誘う人なのだろう。合コン慣れしている奴は、その日会った女の子の更に友達を紹介してもらうとか、合コン開いてもらうとかしてるみたいだし。沢渡も次の合コンを開く為の布石を打っているのかもしれない。
とりあえず返事は明日することにして、私はそのまま寝る準備に入った。