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繋がる糸の先  作者: 橘。
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【おまけ】久我晃平の回顧録 前編

 

 最初からサークルなんて入る気は無かった。元々集団行動は得意ではないし、授業が終わればバイトに時間を費やせばいい。そんな俺の気を変えたのはたった一枚の写真。



 大学に入学して1週間。先生の都合で突然その日最後の授業が休講になり、俺は時間を持て余していた。入学早々始めたバイトの時間まで後2時間。何をして時間を潰そうか。

 まだ慣れていない校内をブラブラ歩く。するとある校舎の1階ホール、ソファがある休憩所に写真が飾られている事に気が付いた。ふらりと立ち寄ってみれば写真サークルの文字と共に額に入った写真が壁にかけられている。海や花々、笑う子供達、虹のかかった空とビルの建つ街。どこにでもあるそれらの風景が鮮やかなカラーや落ち着いたモノクロ写真となって切り取られている。特に感想もなくそれらを順に眺めていた時、ある一点で足が止まった。

 決して撮影技術が高いわけではない。ポラロイドカメラで撮られたそれは他の写真よりも鮮明ではないし、色が綺麗なわけでもない。写っているのは目の前を通り過ぎる人々と端に移った2人の男女。それだけだ。けれど目を惹く。何故なのだろう。


「いい写真でしょ?」


 同じ男とは思えない穏やかな声。それが自分に向けられた言葉だと初めは分からなかった。横を向けば自分よりも背の低い男性が同じ写真を見ている。レンズの薄い眼鏡の奥にある目は優しく細められていた。俺ももう一度ポラロイド写真に目を戻す。

 フレームの端に映った男女は互いを見て笑っている。とても幸せそうだ、と思った。腕を組んでもいない、手を繋いでもいない。けれどきっとこの2人は恋人同士だと分かる。付き合いの長さまでは分からないが2人の視線がそれを物語っていた。同じ道をいく人々は周囲に無関心に歩いている。だからこそこの2人の存在が浮き上がっている。あたりまえの日常に溢れている光景だけれどほんのり心が優しくなる、そんな写真だった。


「写真に興味があるの?」


 眼鏡の男性がそう言った。だが、俺は首を横に振る。


「撮るのに興味は無いです」

「そう。これね、実は今年の新入生が撮ったんだ」


 そう言って彼はポラロイドカメラを手にした。どうやらここは展示だけではなく、無償でポラロイドカメラを貸し出ししているらしい。確かにサークルに興味を持たせるなら有効な手だ。それに見事つられた新入生がこの写真を撮って行ったのだと言う。多分、この人は新入生の勧誘をしている先輩なのだろう。


「入ったんですか?」

「うん。入部してくれたよ」

「へぇ」


 写真に興味は無い。サークルにも特別入る気は無かった。けれど、この写真を撮った人間に興味が湧いた。


「撮らなくてもいいんですか?」


 すると先輩はちょっと驚いた顔をした後に、最初に声をかけたのと同じ笑顔で頷いた。


「うん。ウチはそんなに真面目なサークルじゃないし。見るだけでも、写真に興味があるなら歓迎するよ」


 入部した決め手はあの写真と、そしてこの先輩、大野部長の押し付けがましくない話し方だったと思う。よもやこの人の存在に悩まされることになるとは知らずに。






 よくしゃべり、よく笑う。それは相手の年齢も性別も関係なく。人の懐にするりと入りこむくせに、一歩引いて他人事のように周囲を見ていることもある。それが俺から見た小柴こしば真奈まなの印象だ。

 写真サークルに入部した後、初めて顔を合わせたあの写真を撮った人物小柴が女だった事に驚いた。写真の色や綺麗にフレームに収める事など考えずに無造作に撮られたあの写真のイメージから、俺は無意識の内に小柴は男だと思っていたのだ。

 小柴はおかしな女だった。185cmの身長、無愛想な顔。初対面では誰もが気軽に声をかけられない俺に、なんの気遣いもなしによろしくと笑いかけてきた時は驚いた。

 大学になると急に化粧や服装が派手になる女子に比べ、小柴の生き方は実にシンプルだ。化粧っけの無い顔、実用的な服装。けれど彼女のぱっちりとした目も艶やかな黒髪も、そしてスタイルと姿勢の良さも魅力となり人目を惹く。小柴は決して地味ではない。いつの間にか彼女を目で追うようになったのはいつからだったのか。


(まただ……)


 小柴が俺の前で機嫌良さそうに微笑む。最近こんな事が多い。サークルの部室でよく顔を合わせる彼女は、挨拶をした後何故か俺の手を見る。凝視するわけではなくさり気なくちらりと目線を寄越すだけだが、それが毎回ともなると気になって仕方がない。だが、何を考えて俺の手を見るのか訊くことはしなかった。彼女が俺を気にかけている事が、俺にとっては嬉しいからだ。


 それなのに、何故こうなった。


「…………」


 俺の目の前には嬉しそうにオセロ盤を用意している女がいる。一つ下の後輩、川田美紀。頭の天辺からつま先までおしゃれに気を使ったいかにも今時の女子である彼女と二人きり。何故なら先程まで共に写真部の部室にいた小柴が先に出て行ったからだ。しかも満面の笑みを浮かべて。


(ムカつく)


 あの顔を見れば何を考えているかなんて聞かなくても分かる。俺の都合を無視して後輩を応援する小柴が憎たらしい。あいつはいつだってそうだ。無防備な笑顔と自由な言動と、そして無邪気なお節介で俺を振り回す。そして結局、最近自覚し始めた自分の恋心を言う勇気のない俺はそれに逆らう事が出来ないでいる。

 そう。俺は小柴真奈にどうしようもなく惹かれていた。きっかけはあの写真。そして恋愛感情へと引き上げたのは彼女の全て。顔も声も、その行動言動全て。それまでつまらないモノクロ写真のようだった風景が、彼女がいるだけで色鮮やかな世界に変わるのだ。

 因みに俺が彼女に告白出来ない理由は二つある。一つ目が目の前の女、川田。彼女は分かりやすく俺に好意を寄せている。それだけなら大した障害ではないが、彼女と仲の良い小柴がそれを応援しているのが問題なのだ。そしてもう一つが小柴真奈のとんでもない鈍さ。他人の機微には敏感なくせに、自分に寄せられる好意には驚くほど鈍い。俺の気持ちにも、同サークル内にいる他の男達の好意にも全く気付かず、平気でヘラヘラと笑っている。


(……やっぱりムカつく)


 昨日小柴とやった時とは違い驚く程面白くないオセロを眺めながら、俺は早くバイトの時間にならないかと願った。





 * * *


 絶不調とはこの事だと思う。理由は言わずもがな、小柴真奈だ。振り回されている自覚はあるが、今日ほどそれを自覚したことはない。

 最近、小柴が部室に来ない。互いのバイトまでの時間潰しに必ずと言って良い程彼女に会っていたのだが、ここ1週間程バイトの日になっても顔を見せないのだ。俺からすれば2人きりで過ごす事の出来る大切な時間。小柴にとってはただの暇つぶしでしかない事くらい分かっているが、此処まで避けられると腹が立つ。代わりに現れる川田を見るたび舌打ちしそうになるのを何とか我慢している程だ。

 そして今、俺は今までに無い程苛立っていた。


(あれは……、坂上さかがみ?)


 放課後。今日も小柴が現れなかったので、俺は部室を出てキャンパス内をブラついていた。すると校内のカフェに彼女の姿を見つけた。その隣にいるのは知った顔の男。俺と同じ学科の坂上さかがみ喜一きいちだ。坂上は周りに敵を作らない爽やかなイケメンで、女子にはかなり人気がある。まさか小柴もその1人なのだろうか。

 坂上と一緒にいる彼女は満面の笑み。何を話しているのだろう。坂上とどんな関係なのだろう。気になって仕方がないが、親しげなあの空気の中に割って入る勇気は無い。俺に会わなくても小柴が心底楽しそうに笑っている事がどうしようもなく腹立たしかった。俺は毎日小柴に会いたいと思っているのに。






 サークル活動があった日の翌日。俺はイライラした気持ちを抱えたまま部室へ向かっていた。今日も小柴は居ないかもしれないのに、それでも行ってしまうのはどこかで期待しているから。こんなに自分が女々しいとは知らなかった。やっぱり俺は振り回されているのだ。

 部室がある廊下まで来た時、俺の足が止まった。写真部の部室前に立っている女の後姿。艶やかな黒髪のショートボブに悔しいけれど心臓が跳ねる。小柴だ。ただ、彼女は眉間に皺を寄せてなにやら唸っていた。どうやら真剣に何か悩んでいるようで、俺が近づいても気付く様子が無い。


(何だ?)


 ぽんっと軽く肩を叩くと、大袈裟な程小柴がでかい声を上げる。 


「うわっ!」

「……声がでかい」

「あ、ごめん」


 へらりと小柴が気の抜けた笑みを向ける。それだけで俺の中のイライラが消えた。坂上に向けていたあの笑みとは雲泥の差だが、それを知られるのが嫌で俺は顔に力を入れて頬が緩むのを防ぐ。

 共に部室に入り、何もなかったかのようにいつも通りに2人で時間を潰す。だが俺の頭の中にあるのは坂上の事。自分の中だけで悶々と悩むのは俺らしくない。俺は出来るだけ表情に出さないよう努めながら口を開いた。


「お前、坂上と知り合いか?」

「坂上? って坂上喜一?」

「あぁ」

「うん。同中だったよ。あ、そっか。久我も国際経済だっけ?」

「あぁ」


 俺と坂上は国際経済学科。因みに小柴は心理学科。同中だとは初耳だが、俺が聞きたいのはそんなことではない。


「坂上と仲良いんだ?」

「いや。普通に話す程度だ」

「坂上から私の事聞いたんじゃないの?」


 フラッシュバックする楽しそうな二人の光景。口にするのは嫌だが仕方がない。


「……先週、木曜あいつといただろ」

「あぁ、木曜ね。いたよ。もしかしてカフェで見かけた?」

「あぁ……」


 すると何故か小柴は真剣な顔で俺を見つめてきた。初めて彼女と長い時間視線を合わせ、俺は居た堪れなくなって口を開く。


「……なんだ」

「久我ってさぁ。もしかして……」

「…………」


 なんだ? やはり彼氏でもないのに他の男といる事を気にするなんて分かり易過ぎただろうか。こんな形で彼女に気持ちを知られるのは本意ではないが、それならそれで仕方がない。覚悟決めた俺に小柴が口を開く。


「坂上と仲良くなりたいの?」

「はぁ?」


 我ながら間抜けな声が出たと思う。何をどうしたらそうなるんだか、小柴の思考回路は理解不能だ。


「なんだ。違うのか」

「何でそうなる」

「だって、やけに坂上のことばっかり聞くから」


 そこまで分かっていても俺の気持ちに気付かないのは、俺が完全に小柴の範疇外だからか?


「…………。ただの同級生か?」

「うん? 違うよ?」


 待て。それはどういう意味だ。

 嫌な予感が頭をよぎる。先を聞くのが怖い気もするが、ここまできたら聞かずにはいられない。


「…………。どう違う」

「坂上はねぇ、私の親友の彼氏なの」


 ふふん、と小柴が自慢げに鼻を鳴らす。男だったらその得意げな顔をぶん殴ってやりたい所だ。

 親友の(・・・)彼氏。小柴のダチの彼氏。あぁ、そうかよ。今までの俺が悩んできた時間を返せ、馬鹿小柴。


「……あ、そう」

「うわっ! なにその興味ねぇ〜、みたいな返事! そっちが聞いたくせに!」

「はいはい。悪かったよ」

「軽っ!!」


 完全に肩の力が抜けた俺は小柴とどうでもいい言葉の応酬を繰り広げる。色気も何もないやり取りだが、これがいつもの俺達。段々と機嫌も戻ってきて、俺は意外と現金だな、と自分の評価を改める。

 すると不意に小柴が言った。


「ねぇ、なんか悩んでるんだったら愚痴くらい聞くよ?」

「…………」


 こういうことは鋭いんだよな、こいつ。もういっその事開き直ってしまおうか。

 俺は素直に自分の頭の中を言葉にしていた。


「……何考えてんのか分かんねぇ」


 すると小柴は偉そうに腕を組んでうんうんと頷く。


「好きな人の事ほど分からないものだよねぇ」


 あまりに実感の篭った言葉に聞こえて、やっぱり小柴にも好きな奴がいるのか、それは大野部長のことなのか、と思った。こんな悩みを聞いている時点で相手が俺じゃない事は明らかで、その問いを口には出来なかったけれど。


「でもさぁ。まぁ、これは私の勘みたいなもんだけど、もしかしてちょっと諦め気味じゃない?」


 だからなんでそういう事だけ敏感なんだ、お前は。あぁ、もういっそのこと決定打をくれれば楽なのに。


「そいつは俺のことどうも思っちゃいない」

「どうして? そんなの分かんないじゃん。告白されてから意識することもあるよ」

「…………」

「……何?」


 俺が告白したら、大野部長じゃなくて俺を見るのか? そんな想いを込めて小柴を見る。けれど口に出さないそれが伝わるはずも無く、小柴は怪訝な顔をした。どうせ俺が睨んでるとかそんな風にしか捉えていないのだろう。目つきが悪くて悪かったな。


「……いや。お前は、まだ部長のことが好きなのか?」

「うん。好きだよ」

「でも彼女がいるだろ?」

「そりゃそうだけど。他に気になる人がいるわけじゃないし、今のところ一番は部長だもん」


 ……分かっててもやっぱりムカつく。叶わない恋だと自覚しているのに、どうしていつまでもお前は大野部長事が好きなんだ。どうして他を見ようとしない。


「部長の何がそんなにいいんだ?」

「うーん。顔も声も身長も性格も好き。私の理想の男性像ぴったりなんだよね」


 なら俺は完全に範疇外だな、と実感する。もうこんな会話どうでも良くなってきた。


「あ、そ」

「そういう久我は? その子のどこが好きなの?」

「…………」

「何よ。人に言わせて自分は言わない気?」


 告白しても無駄なら、きっと俺はこの先小柴にこの気持ちを告げることは無い。小柴の口から「ごめん」という言葉は絶対に聞きたくないからだ。なら、これくらいは言ってもいいか。


「……他人のことを、まるで自分の事みたいに喜べる所」


 親友や後輩の恋を心配し、自分の事のように喜び、笑う。見ず知らずの他人の絆を見つけ出して微笑む。あの写真のように。

 自分の事なんか二の次なお人好し。そんなお前が良いんだ。俺が欲しいのは川田じゃない。お前なんだ。


「へぇ〜。なんか分かる。知らない人でもさ、ニコニコ笑っているとこっちまで幸せな気持ちになるもんねぇ。


 当たり前だろ。お前の事なんだから。

 相変わらず鈍い小柴に俺は毒気を抜かれて表情が緩んだ。


「能天気」

「何よ! いいじゃない。幸せなことはいっぱいある方が!!」

「まぁ、な」


 あぁ。お前はそういう奴だよ。他人も幸せだから自分も幸せだと思える。何の徳があるんだと、偽善じゃないかと言われるかもしれないが、きっと小柴はそんな言葉を笑い飛ばすに違いない。

 互いにバイトの時間が近づき、俺は久しぶりに小柴と共に部室を出た。今日は快晴の良い天気で、ふと眩しげに小柴が空を仰ぐ。それにつられて見上げれば、平行に並んだ2本の飛行機雲が空に模様を描いていた。


「なんだか得した気分」


 ポツリと零したその一言が実に小柴らしくて、俺はやっぱりこいつが好きなんだと思った。諦めてしまおうか、そう思っていた気持ちが消えていく。開き直ってしまえばいい。小柴が大野部長しか見えていないと言うなら、どんな手を使ってでも俺を視界に入れてやる。

 何も知らない小柴の隣で俺は一人、決意を固めていた。

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