夢幻
僕は夢を見た。
とても、とても不思議な夢だった。
◆
ピピピピ!ピピピピ!ピピピピ!
目覚まし時計の音が鳴り響く。
僕は布団から手を出して、目覚ましを止めた。
―八時―
「・・・う~ん・・・ええっ!?」
今の時間に気づき、跳ね起きる。急いで着替えて、階段を下りた。
「長門~。遅刻するわよ~」
リビングから母の声が聞こえる。
慌しくドアを開け、リビングに入る。
いつもはソファーに寝転んでいる妹も、もう学校に行ってしまったのかもういない。
テーブルの上に、僕の分の朝ごはんが用意されていた。
「も~、昨日も遅くまで起きていたんでしょう?早く食べなさい」
母の声が、今度はキッチンから聞こえる。
言われるまでもなく、すでに僕は朝ごはんを食べ終わっていた。
そのまま玄関を飛び出た。
門を出て、腕時計で時間を確認する。
(あと二十分)
家から学校までは、走って二十分かかる。
ぎりぎりだ。
僕は全力疾走を覚悟して、実行した。
途中、空き地にさしかかる。
いつも通る、通学路にある空き地だ。
しかし、今日はどこかが違う気がした。
一瞬。
一瞬だけ積まれたタイヤに座る少女が見えた。
白い肌。背中まで伸ばした亜麻色の髪。
一度止まって、振り返る。
「・・・あれ?」
そこには、誰も居なかった。
不思議に思ったが、そのときはあまり気にならなかった。
もう一度腕時計で時間を確認する。
「やばい!あと十分!」
学校を目指し、再び走り出した。
学校に着いたのは、八時三十五分。すでにHRは始まっていて、五分も遅れてしまっていた。
僕は音を立てないように戸を開け、自分の席を目指す。
「どうした瑠璃鳥。遅刻をして何もなしか?」
「ギクッ!」
担任の前垣が本から目を離さないまま声をかけてきた。
「今時口頭でギクッなんていうのはバ●キンマンかド●ンちゃんくらいしか居ないぞ?」
「・・・ええと・・・遅れてすみません」
「いいから座れ。HRが進まんのだ」
そう言われて、自分の席に付く。
周りからくくすくす小さな笑い声がするが、我慢した。
(そういえばあの娘、なんだったんだろ)
一瞬だけ見た女の子の事を思い出す。
彼女が着ていたのは、僕の知らない制服だった。
「な~にしけた面してんだ?」
一人の少年が長門の顔を覗き込んできた。
「なんだ、涼夜か。あれ?HRは?」
「お前大丈夫か?そんなの、とっくの昔に終わっちまってるよ」
そう言われて、周りを見渡した。
涼夜の言ったとおりHRは終わったらしく、他の生徒はすでに一時間目の準備をしていた。
「・・・あ~・・・あれだよ。ちょっと考え事してたんだ。一時間目って何だっけ」
「お前が考え事ねぇ・・・まあいいや。たしか次は英語。早くしないと素藤がきちまうぞ?」
そう言って、涼夜は自分の席に戻っていった。
今日は、時間がたつのがとても早く感じた。
いつもは一日千秋に感じる数学でさえ、あっという間だった気がする。
「長門~。一緒に帰ろうぜ~」
涼夜が後ろから肩を組んできた。
「あ・・・悪い。今日ちょっと急ぐんだ」
「ほう、例の考え事と関係が?」
「まあ、ちょっとね。んじゃ」
「おう、また明日」
「ん、また明日」
涼夜に手を振り、早足で教室を出て行った。
靴を履き替え、軽く走る。
向かうのは、通学路にある空き地。
朝見かけた少女が気になったからだ。
おのずと、走るスピードがだんだん速くなっていった。
と言うか最終的には全力疾走だった。
「はぁ・・・はぁ・・・はぁ・・・いた」
朝のように、積まれたタイヤの上に少女が座っていた。
白い肌、背中まで伸ばした亜麻色の長い髪。そして見たことのない制服。
彼女は、足をぶらぶらさせて空を見上げていた。
「何を見てるの?」
僕は、彼女に声をかけてみた。
彼女は驚いたように目を開いて、こちらを向いた。何かを言おうとしたようだったが、その言葉は彼女の口からは出てこなかった。
「・・・別に」
それだけ言って、また上を向いてしまった。
「ふ~ん。じゃあ、何をしてたの?」
「・・・捜し物」
彼女はこちらを向かないまま答えた。
「何捜してんの?」
「・・・さぁ」
「さぁって・・・」
「だって、忘れちゃったんだもん」
「忘れちゃったって・・・。それ、大切なもの?」
「・・・たぶん」
「それ捜すの、手伝おうか?」
「いい」
「そんなこと言わずに、ね?」
それを聞いて、彼女は顔をしかめた。
「・・・じゃあ、あの辺りを捜して」
そう言って、彼女は後ろにある草むらを指差す。
「オッケ」
僕は指差された草むらに入っていった。
「そういえば君、名前は?・・・あれ?」
振り返ると、彼女は居なくなっていた。
僕は、次の日も学校のあと、空き地へ行った。
そこにはやはり、彼女が居た。決まったように積まれたタイヤの上に座り、空を見上げていた。
「よっ」
彼女に声をかけた。
「はぁ・・・また来たの?」
彼女はため息をついてこちらを見る。
「なんか気になってさ。昨日聞きそびれたんだけど、君、名前は?」
「栗林・・・岬・・・。あんたは?」
「僕?僕は瑠璃鳥長戸。で、栗林さん。捜し物、手伝わせてくれる?」
「・・・岬でいい。他人行儀なのは嫌いなの」
それだけ言って、タイヤから降りて空き地を出て行こうとする。
「あれ?・・・あの・・・岬・・・さん?」
「何してるの?手伝ってくれるんでしょ?」
彼女のその言葉に、僕は一瞬だけほうけてしまった。
そんな僕を気にせず、彼女はきびすを返し、歩き出した。
「ちょ、ちょっと待ってよ!」
あわてて岬のあとを追いかける。
「どこを捜すの?」
「私が行った場所全部」
「それ、かなり大変じゃない?」
「あら、始める前から弱音を吐いてるの?」
「さ~張り切って捜しましょ~!」
僕は彼女の一歩前に出て、両手を振り上げて見せた。
彼女も少しだけ楽しそうに笑った。
「ふふ。心配しなくても、私はこの町から出たことないから」
「へぇ、そうなんだ。で、最初はどこ行くの?
彼女は少しだけ考える。
「そうねぇ・・・じゃあ…神原神社にしましょう」
「オッケ。ちょっと急ご。早くしないと暗くなっちゃうよ」
二人は、歩くスピードを上げて、目的地への道を急いだ。
「捜し物・・・何だったか思い出せた?」
僕は四つんばいになって草むらの中に潜り込み、顔を上げずにきく。
「・・・まだ」
「まったく?」
「うん。まったく」
「困ったなぁ」
岬のほうに目を向けると、彼女も同じように草むらに潜り込んでいた。
辺りはもう薄暗くなり始めている。
「今日はここまでにして、明日また捜そうよ」
「・・・そうね」
それだけ言って、彼女は立ち上がる。
「じゃあ、私は先に行くから」
後ろから、岬の声がした。
ざぁっと強い風は吹き、木々が揺れてざわざわと音をたてる。
「うん。じゃあまた明日・・・あれ?」
振り返ると、もうそこには誰も居なかった。
「・・・?」
「ただいま~」
僕が帰宅したときにはもう、辺りは真っ暗になっていた。
ダイニングからは母と妹の声がする。
「お帰り~。お兄ちゃん遅かったね」
少しだけあいた戸の隙間から妹の目高が顔を出す。
「うん。まあ、ちょっとね」
「へへ~彼女でしょ?」
「な!?ちち、違うよ!」
予想外の目高の言葉に、思わず声が裏返る。
「へっへっへ。まあ、そういうことにしてあげてもいいけど?」
目高は何かを確信したような口調だ。
「もうご飯できるから、はやく来てよね?じゃないとお兄ちゃんの分まであたしが食べちゃうから」
それだけ言って、目高は戸を閉めた。
「ふ~・・・まったく・・・」
とりあえず晩御飯抜きにされるのは辛いので、荷物を自分の部屋に置いてからダイニングに向かった。
今日の晩御飯はハンバーグだった。
なるほど・・・目高が手伝うわけだ。相変わらずお子・・・
そこまでで、僕の思考は目高の空手チョップにより強制終了された。
「・・・痛いじゃないか」
再びチョップが炸裂した。
「・・・ごめんなさい」
「分かればよろしい」
それだけ言って、目高は自分の席に付いた。ただ、気のせいだろうか?僕の頭をチョップしているときの目高が今まで見たことも無いほど楽しそうに笑っていたのは・・・。
「ほらほら、早く食べちゃって。お母さんPTAの役員会議があるから、留守番お願いね」
そう言って自分の分をさっさと食べてしまう。
僕と目高が半分食べたところで母は食べ終わり、「行ってきま~す」と言い残して出て行ってしまった。
「・・・・・・・・・」
しばしの沈黙。
二人とも話題が見つからず、淡々と、黙々と自らの夕食をいただいた。
「・・・で、今日遅かったのは何でだったの?」
目高が皿を洗いながら聞いてきた。
ってかまだ覚えてたのか。暇な奴め。
びしっ!
チョップがとんできた。
「痛いじゃ―」
びしっ!
暴力反た―
ドスッ!
「ごふっ!!」
フライ返しが僕の鳩尾に炸裂した。
「……痛いのは嫌いなんだけど?」
「じゃあ素直になることね。これでも一応心配して聞いてあげてるんだから」
いや、微笑まれても・・・。ってか後半は全く説得力ないし。
「・・・はぁ。友達とゲームセンターに行ってたんだよ」
「嘘だね。あたしも今日棗ちゃんとゲーセン行ったけど、お兄ちゃん見かけなかったもん」
ちっ!
「知り合いと捜し物してたんだよ」
「知り合いって誰よ?お兄ちゃんの友達は大体知ってるんだから、いまさらそんな隠し立てするみたいにしなくていいじゃない」
目高はソファーに座って両手を広げる。その上足まで組んで、うわぁすっごく偉そう。
そして僕を目高の前へ座らせる。
「ほれほれ、言うてみ?おばちゃんが聞いたるで?」
いつからこいつは大阪のおばちゃんになったんだ?
「栗林岬っていう女の子だよ」
言わないと逃がしてもらえそうにないので、仕方なく答えた。
「ん~…。どっかで聞いたことあるような…」
目高が珍しく僕に考え事をする表情を見せた。
「ん?どうした?」
「・・・…。わかんない」
そういって、さっさと自分の部屋に行ってしまった。
「?」
ふと時計を見ると、すでに十一時をすぎたところだった。
「まずいな。数学の宿題が出てたんだった。間に合うかなぁ」
急いで宿題に取り掛かった。
計算ばっかりなので、思ったより早く方が着いた。
ベッドに寝転がり、さっきの目高の反応について考えてみる。
(・・・なんだったんだ?)
だが、残念ながら僕はシリアスな考え事は苦手なのであっという間に睡魔に負けてしまった。この間も実はいつの間にか寝てたから時間の経過が早く感じたのかな?今となってはどうでもいいけど。
「今日はどこを捜すの?」
いつもの空き地で、今日の行き先を尋ねた。
この数週間、僕は土日も含めて毎日岬の捜し物に付き合っている。
「そうねぇ・・・大体は見て回ったから、あと行ってないところといったら、瀬鷺川くらいね」
「じゃ、今日はそこだね」
そういって僕は瀬鷺川に歩き出した。
「え?あ、ちょ、ちょっと」
「ん?なに?」
僕は首だけで振り向く。
「・・・なんでもない。は、早く行きましょう!」
そう言って僕を追い越してさっさと行ってしまう。
何か言いたそうだったが、本人がいいならいいのかな?
「ちょ、待ってよ!」
僕はあっという間に角を曲がって見えなくなった岬を追いかけた。
「何怒ってんのさ?」
「別に怒ってない!」
「怒ってるだろ明らかに」
「・・・・・・・・・」
返事がない。ただの屍のようだ。って、いやいや。
最近、岬は僕にいろんな感情を見せてくれるようになった。表情としてはあまり変わらないが、態度が微妙に変わったり、口調が微妙に変わったり、どれも微妙な変化だけど、初めてあった時に比べると大分 その違いが分かるようになってきた。あの頃は本当に無表情にしか見えなかったもんなぁ。
「なにニヤけてるのよ。不気味ね」
そういう割にはなんだかご機嫌が戻ったように見えるのですが、気のせいでしょうか?
そんなこんなで大通りの交差点に到着。この交差点を渡れば目的地はすぐそこなのだが・・・・・・
急に、岬が立ち止まった。
「どうしたの?信号、青だよ?早く渡っちゃわないと」
僕の声は届いていないのか、反応がない。
彼女は何かをじっと見据えていた。その視線の先には・・・・・・花束。
「そういえばこの間ここで事故があったんだよね」
何気なく呟いた僕の言葉に岬は反応した。
「大型トラックが信号無視して突っ込んできたのよ」
「見てたの?」
「・・・・・・・・・」
岬は答えず、さっさと信号を渡ってしまう。
僕も後に続く。
(さっきのは失言だったかな)
岬のあとを追いながら自らの失態を反省する。
そうしてお互いに無言のまま目的地、瀬鷺川に到着した。
広い川だ。その両脇は埋め立てられ、コンクリートで歩道が作られている。
「瀬鷺川のどの辺り?」
「白鷺橋から瀬鷺大橋の間よ」
さらっと言ってくれるけど、それはかなりの広範囲だよ?
「一日じゃ無理だな。何日かに分けて捜そう。今日は瀬鷺大橋から翡翠橋まででどう?」
「妥当な考えね。そうしましょう」
そう言って岬は土手を降りていった。
僕もあとへ続く。
―十分経過―
辺りは夕焼け色に染まっていた。
僕と岬はというと、二人とも髪や服から水を滴らせていた。
なぜこうなったかというと、五分前に逆戻ることになる。
何があったか、それは単純にして明白。水の掛け合いになったからだ。
岬の不意打ちから始まり、それから今の間までずっと遊んでいたわけだ。
「や、やるわねぇ」
「そっちこそ」
青春ドラマの拳で語り合った少年二人。とはいかないものの、なんとなくそれに近いような気がする。
それはいいのだけれど・・・・・・
「明日もここを捜さないとだね・・・」
そう、捜索はまったくはかどっていないのだ。
「・・・・・・あんたがくだらない挑発に乗るから・・・」
「挑発した本人に言われたくない」
「ふふふ・・・でも、たまにはこういうのもいいんじゃない?」
岬が草むらに寝転がったまま笑う。
「ま、確かにね」
僕も、自然と笑みがこぼれた。
僕も岬も、しばらくそのままの姿勢で笑っていた。
「ただいま~」
辺りが薄暗くなった頃、ようやく帰宅した。
誰も居ないのか、家の中はどこも明りがついていない。
僕は部屋に荷物を置いてから、リビングに向かった。
リビングにある机の上に、一枚のメモ用紙がおいてあった。
―今日もPTAの役員会議があるので帰りが遅くなります。夕食は二人で何か作ってください。母より
「・・・了解」
誰に向けたわけでもないが、そう呟いた。
「お兄ちゃん・・・」
「うわぁっ!!・・・何だ目高か。帰ってるんだったら電気くらいつけなよ」
目高はパソコンを使っていたらしい。電気をつけていないのと、パソコンの画面の明りの当たり具合で、目高がかなり不気味に見える。
「お兄ちゃん。今日も栗林って人と一緒に探し物?」
「…?そうだけど、どうかした?」
なんか、目高のものすごく深刻そうな表情もこの雰囲気を作っている要素の一つなのか?
「その人、本当に栗林岬さんなの?」
「何言ってるの?」
「この前名前を聞いて、聞き覚えがあるなって思ったから調べてみたの。そしたら・・・これ見て」
そう言って画面の正面から退く。
僕は不思議に思いながらも言われたとおり示された物を覗き込む。
それを見て、僕は目を疑った。
そこにはあの交差点で起きた事故のことが書かれていた。
―七月十日。瀬鷺大橋前交差点で大型トラックが下校中の女子高生、栗林岬さん(17)を撥ね、死亡させた。運転手は泥酔しており、飲酒・居眠り運転をしていたと見られている―
「・・・・・・な、何だよこれ。同姓同名じゃないか?」
じゃないと、おかしいじゃないか。僕はここ最近、毎日彼女に会っているのだから。もしこれが本当のことなら、彼女が嘘を付いているに違いない。だって―
そこまでで、僕の思考は完全に停止した。
画面に、事故にあった栗林岬の写真が出てきたからだ。
透き通るような白い肌で、背中まで伸ばした亜麻色の髪の少女。
僕が今日会ってきた岬にそっくり・・・いや、同一人物だ。
「・・・嘘・・・だろ・・・」
「あたしはお兄ちゃんの知ってる栗林さんに会ったことがないからわかんないけど、たぶんこれが真実よ。お兄ちゃん・・・お兄ちゃんの言う栗林岬さんはね・・・・・・もう・・・・・・死んでるの」
死んでいる。岬が・・・?だって、今日も一緒に話しをしたし、水の掛け合いもした。彼女は笑ったり、怒ったりもした。
でも、彼女はすでに死んでいる?じゃあ、今までのは一体なんだったんだ?
全部・・・嘘だったのか・・・?
「・・・一人にしてくれる?」
目高は黙って二階へ上がっていった。
部屋全体が静寂に包まれる。
急に寒くなった。怖くなった。常に誰かに見られているような気がして、恐ろしくなった。それでも、彼女の笑った顔が頭の隅から消えなかった。
「そんなはずはない・・・明日聞いてみよう。そうすればはっきりするはずだ。きっと何かの間違いさ。きっと・・・・・・」
その夜、僕はなかなか寝付けなかった。
どうしても彼女のことが不安だった。「大丈夫」と、自分に何度言い聞かせても、その不安を払拭することは出来なかった。
「大丈夫?昨日、眠れなかったんでしょ?」
玄関で靴を履く僕に、目高が心配そうに聞いてきた。
「大丈夫だよ」
そう言って笑ってみせる。
目高は、もう一度だけ僕の顔を見て「行ってきます」とだけ言って出て行った。
僕も重いおしりを持ち上げて、玄関を出た。
空は灰色一色。僕の重い気分に、さらに重石を上乗せしてくる。
ゆっくりと歩き出し、学校へ向かう。
空き地にさしかかる。
しかし、今日は岬の姿が見えない。
安心と、この後にある大仕事のことを考えて、とても複雑な気分になる。
未だに覚悟が決まらない。
当然だ。
つい昨日まで一緒に居た人が、実はすでに亡き人かもしれないという説得力のあるものを見せられ、直接本人に「君はもう死んでいるんじゃないか?」なんて、簡単に聞けるものじゃない。
そんなことを考えていたら、いつの間にか学校へ着いていた。
靴を履き替え、階段を上がり、教室に入る。
席に着くと、涼夜が話しかけてくるが、今は誰かと話しをする気分になれず、「ごめん」とだけ言って顔を伏せる。
授業中も、休憩時間も、岬と昨日のパソコンで見たものとが、僕の頭の中を支配していた。
途中何回か涼夜が話しかけてきたが、会話に割く脳の要領は残っておらず、寝たふりで押し通した。
覚悟が出来ないまま学校が終わり、いつもの集合場所が近づいて来る。
そこにはやはり、積まれたタイヤの上に座る岬の姿があった。
「さぁ昨日の続きをしましょう」
いつもどおりに、彼女は目的と定めた場所へ向かおうとする。
昨日僕があの事故の詳細を知ったことを、彼女は知らないから、当然なのかもしれない。
僕はいつものように付いて行く事は出来なかった。
岬は振り返り、僕をみて言った。
「どうしたの?いつもならあなたが私をエスコートしてくれるのに」
笑って、僕に手を伸ばしてくる。
いつもなら笑ってその手をとる。それどころか、いつもの僕ならむしろ自分から岬に手を伸ばしていた。だが、今日は彼女のその手さえとる気にはなれない。
いや、出来ない。
聞かなくてはならないことがある。覚悟は出来ていない。しかし、今聞かないともうそのタイミングを掴む事は二度と出来ないだろう。
僕は、意を決して第一声を放った。
「あの・・・あのさ」
「なに?」
純粋に聞き返される。
そこで僕の心はすでにみしみしと悲鳴を上げる。
「いや、あのさ・・・あの交差点の事故って知ってるよね」
「・・・・・・ええ」
「あそこで亡くなった人って、知ってるよね」
あえて疑問形にはしなかった。
「・・・・・・」
岬は黙って目をそらす。
「あそこで亡くなったのは―」
「やめて」
岬が僕の言葉をさえぎろうとするが、かまわず続けた。
一度でも止まってしまうと、もう二度と聞けないような気がしたから。
「亡くなったのは―」
「やめてっ!」
「栗林岬。顔も写真で見た。君と、岬とまったく同じ顔なんだ」
「・・・・・・」
彼女は耳を両手でふさいで、しゃがみこむ。
それを見ていると、心がひどく痛んだ。
それでも、止めるわけにはいかない。
「・・・岬・・・君はもう・・・死んでいるんじゃないのか?」
そこで彼女は目を見開き、ゆらゆらと立ち上がった。
「・・・私が・・・もう死んでる?」
まるで僕達の感情と繋がっているかのように、雨が降り始めた。
岬は、ゆらゆらと揺れる体を細い足で支えながら僕を見つめる。
その瞳には一切の光が消えうせ、虚ろな目となっていた。
「・・・私はもう死んでいるの?・・・でも、毎日を楽しいと感じたわよ?あなたと会話も出来たわよ?手を繋いだりもしたし、水遊びもしたわよ?・・・なのに・・・もう私は死んでいる?」
岬は、雨が頬をつたり、ないているようだった。いや、泣いていた。
「・・・岬」
「こないでっ!」
岬のその声に、僕は動けなくなる。
彼女はもうゆらゆらとはしていない。少しうつむき、体の横で両の手のひらを握り締めていた。
「・・・なんで・・・忘れられそうだったのに・・・なんで・・・」
「みさ―」
「来ないでって言ってるでしょ!」
正面から突風が吹きつけた。同時に小雨だった雨が土砂降りに変る。
思わず目を瞑り、両手で顔をかばう。
目を開けたときには、もう岬の姿はなかった。
「・・・岬?」
首を動かし、岬の姿を捜す。
しかし、岬の姿はどこにもなかった。
「岬ー!岬ー!」
彼女を呼びながら空き地を飛び出す。
どこにも岬の姿をとらえることは出来なかった。
僕は走り回った。岬を捜して、神原神社も交差点も、白鷺橋も、美鈴公園も、彼女と行った場所をすべて探し回った。
それでも、彼女を見つけることは出来なかった。
午後十時過ぎ、僕はようやく自宅に着いた。
母も目高も、ずぶ濡れで帰ってきた僕を見てものすごく驚いていた。
父にはこっぴどくしかられたが、そのすべてが僕には届いていなかった。
何もする気がおきない。ぬれた服を着替えることも、髪を拭く事もせず、ベッドに倒れこんだ。
泣いた。顔を枕に押し付け、大声を出して泣きじゃくった。
次の日も朝から土砂降りだった。
警報が出ているにもかかわらず、僕は家を飛び出した。
少し、寒気がする。少し走っただけで息が切れ、足がふらつく。風邪を引いたのかもしれない。それでも、今の僕の頭には岬のことしかなかった。
空き地、裏山、商店街、瀬鷺川彼女と行った所だけでなく、僕が知っている場所すべてを探し回った。
どこにもいない。一度、後姿が岬にそっくりな女性を見つけ「岬!」と走り寄るも、違うと分かって一気に脱力したりした。
なおも僕は走り続ける。
岬を捜し、走り続ける。
何度も転倒しながら、走り続ける。
学校の裏で、またこける。これでもう七回目だ。
しかし、今度は立ち上がれなかった。どんなに立ち上がろうともがいても、まったく力が入らない。
そのまま視界がだんだん暗くなっていく。
強烈な睡魔に襲われる。
岬を捜さないといけないのに。
心では体を必死に動こうとするのに、体かそれに伴わない。
なおも視界は暗くなっていく。だんだんと暗くなっていく。
やがて、僕の視界は真っ暗になった
気がつくと僕は、布団の中にいた。
「気がついた?まったく、熱があるのにこの土砂降りで、しかも傘を差さずに出て行くってどういうつもり?」
母がお盆の上に湯気を立てるお茶を持って部屋には行ってきた。
なんで僕はここにいるんだろう。岬を捜していたはずなのに。
未だに体は動かない。それどころか、声もでない。声を発しようとすると、のどを激痛が襲った。
「前垣先生がね、倒れてるあんたを見つけてここまで運んできてくれたのよ?もう、お母さんびっくりしちゃった」
そういってお茶を机の上においていく。
「じゃ、お母さんはお夕飯の準備してくるから、寝ておきなさいね」
そういって部屋を出て行った。
母が階段を下りる音と雨が窓に当たる音だけが響く。
「まったく、本当に何を考えているの?」
いきなり聞き覚えのある声がした。
その人物を見ようとする。しかし体が動かないため、視界に収めることは出来ない。
しかし、顔なんて見なくても分かる。その人物は、僕が探し回っていた人物。栗林岬だ。
「この間は取り乱しちゃってごめんなさいね。自分で分かってたつもりなのだけど、人から言われるとまたちょっとあれなのよね。それに私が原因であなたがこんなになっちゃってるわけでしょう?本当にごめんなさいね。でも、もう大丈夫よ。今日一日使って、自分が死んだことを理解したわ。家に行ってみたり、学校に行ってみたり、あの交差点に行ってみたり・・・」
(謝らないで。僕が君を捜したくて捜したんだから。それに君はいま、ここにいてくれている。)
「ふふ・・・嬉しいことを思ってくれるじゃない。ありがとう。それと捜し物、見つかったわよ」
(本当?それはよかった。それで、その捜し物、何だったの?)
「・・・あなたよ」
(・・・?どういうこと?)
「私は生前、友達がいなかったのよ。必要ないと考えてしたしね」
(・・・続けてくれる?)
一度うなずいて彼女は続けた。
「それでも、心のどこかで話し相手が欲しかったのよ。だから死んでも成仏できず、ここにとどまってしまった。だけど、誰に話しかけてもまったく答えてくれず、それどころか私が見えてもいないようだった。やがて誰かに話しかけることにも疲れて、あの空き地で時間を過ごすようになって、自分の目的さえ忘れてしまって、その忘れてしまったものについて考えていたら・・・」
(僕に話しかけられた・・・というわけだ)
「そうよ。でも私は欲深いのね。あなたに話し相手以上の感情を注いでしまった」
(・・・?)
僕が理解できないでいると、彼女は優しく僕の瞼をとじさせた。
ひんやりとして気持ちがよかった。
「ありがとう」
そう言って彼女は静かに僕の額に唇を乗せた。
ピピピピ!ピピピピ!ピピピピ!
目覚まし時計の音が鳴り響く。
僕は、長い夢から目覚めた。
何かとても大切な夢だったような気がするのに、まったく思い出せない。
布団から手を出して、目覚ましを止める。
―八時―
「・・・う~ん・・・ええっ!?」
今の時間に気づき、跳ね起きる。急いで着替えて、階段を下りた。
「長門~。遅刻するわよ~」
リビングから母の声が聞こえる。
慌しくドアを開け、リビングに入る。
いつもはソファーに寝転んでいる妹も、もう学校に行ってしまったのかもういない。
テーブルの上に、僕の分の朝ごはんが用意されていた。
「も~、昨日も遅くまで起きていたんでしょう?早く食べなさい」
母の声が、今度はキッチンから聞こえる。
言われるまでもなく、すでに僕は朝ごはんを食べ終わっていた。
そのまま玄関を飛び出る。
門を出て、腕時計で時間を確認した。
(あと二十分)
家から学校までは、走って二十分かかる。
ぎりぎりだ。
僕は全力疾走を覚悟して、実行した。
途中、空き地にさしかかる。
思わずボクはそこで立ち止まってしまった。
そこに、一人の女の子がいたからだ。
そこが定位置だとでも言うように積み上げられたタイヤに座り、足をぶらぶらさせながら空を見上げる一人の女の子の姿が。
とても色白で、亜麻色の髪を背中まで伸ばした女の子が。
あの人が……いたからだ。