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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

キスが君を殺すから、私はヒロインにならない

作者:
掲載日:2026/02/20

「愛してる。どうか僕と結婚して欲しい」

「……嬉しい」


 端正な顔をしたリンクス・クタンダールが私に顔を寄せてくる。

 そのまま唇が合わさり、彼の体温が私の冷たい唇を溶かす。



 私たちは距離を明確に近づけるスキンシップを終え、彼は照れくさそうな顔を地面に逃した。


 いつも尊大で偉そうだと言われている人だから。

 きっと市井の人たちが絶対に見れない表情を私に咲かせていた。


 私にはあまりにも勿体無いくらい魅力的な人。

 だけど。


「リンクス様。私はあなたのこと、別に好きじゃないんです」


 リンクスはぽかんとした表情で私を見た。


「…………え、でもキミは、たったいま嬉しいって」

「ええ——」


 いまの私は、彼の瞳にどうやって映っているのだろうか。

 今もまだ、可憐な少女として愛を捧げるべき存在として。宝物だと感じているだろうか。


 それとも、もうすでに得体のしれない化け物へと変貌してしまっただろうか。


「——目的が達成できて、とても嬉しい」


 リンクスは徐々に顔色を青くし、ついで首の血管が怒張しはじめる。口元から赤い液体が漏れでて、呼吸するたびにゴボゴボと鳴り始めた。


「……いったい何を……」


 溺れるようにそれだけ言った彼に、私は伝える。


「ミーシュバルツ王直属親衛隊ゼロの騎士、アリスと申します。あなたを殺しに参りました」


 膝をつき、手をつき、そのまま顔を地面にぶつけるリンクスにはもう私の言葉が伝わるかはわからないが、何をしたかは冥土の土産に教えてあげる。


「別の世界から転生した際、スキルを授かりました。たったいまそれを行使したんです」


 転生なんてないと思ってた。

 チートスキルなんて夢だった。


 でも、もしそんなものを授かるとしたらきっと異世界で大活躍して、王子様と結ばれて幸せになるんじゃないかって。


 そんな夢物語。

 起こりえなかった私の幻想。


 目の前の男はもはや顔面は蒼白で、もう息絶える。


「私のキスは、『死』の味なので」


 ああ、なんというチートスキル。

 なんて私にぴったりなのだろう。


 好きでもない男と合わせた口を手首で拭って、私はドレスもカツラも脱ぎ捨てた。


 そのまま窓に向かって飛び出し、落下。

 下には仲間の騎士が待っており受け止めてくれる。


 リンクス様。

 あなたの愛した女はたったいまこの世から消えてなくなりました。


 あ、そういえばリンクス様もいなくなったんでしたっけ?


 ◆  ◆  ◆


 馬車に揺られて連れられる先はハーネクスクラリア城。

 二つの尖塔が大地を睥睨し、高く荘厳な城壁に囲まれる威圧的な城だ。


 その中の一室で膝をつき、彼に対して頭を下げる。


「ただいま戻りました」

「そんな、畏まらないでよ、アリス。顔を見せて」


 言われるがままに顔をあげる。

 あどけなさが残る美少年が、天蓋付きの姫様でも使うようなベッドに腰掛けていた。年齢は18歳ということだけど、華奢な彼はそれよりもずっと若く見えた。


 銀髪に赤み掛かった目はアルビノ由来かもしれない。日光に弱い彼はほとんど外出ができないそうだ。

 まるでドラキュラ、吸血鬼。

 まぁそれにしては、あまりに儚すぎるけれど。


 ミーシュバルツ・ハイオン・ククルード。

 先王が他界したことにより若く経験もないまま即位してしまった大国——アルハルツの未熟な王だ。


 アルハルツでは現在彼をトップに据え、裏で誰が実権を握るかの暗躍が始まっている。


『お飾り王』なんて影で蔑まれる彼は、国王であって国王じゃない。


「ああ、今日もアリスの顔を見ることができて幸せだな。帰ってこないんじゃないかとヒヤヒヤしたんだ」

「大丈夫ですよ。私は必ず戻ってきます」


 端正な彼の表情が笑顔でくしゃりと歪む。

 その人懐っこい笑みに、私は胸が痛くなる。


「……でも僕は、本当にアリスに行って欲しくないんだよ」

「そんなことを言っていたら未来のお妃様が悲しまれます」


「アリスがなりなよ」


 五歳も年下のあどけなさの残る王が言う。

 まるでそれが、なんでもないことのように。


「……冗談はよしてください。いまミーシュ様がどなたと結婚するかはこの国最大の関心事ですよ」

「政略結婚なんて嫌だな。……ま、それはともかくさ」


 ミーシュは再びこちらを向いてぱっと笑顔を咲かせた。


「すごいね、あっさり任務完了だ」

「あっさりだなんて」


「二週間は十分あっさりだよ。すごいね。クタンダール家は近頃あまりに軍事力を増強していたし、おそらく外国とも繋がっていた。その中心人物のリンクスを、こうもあっさりと」


 私は別の人物になりすまし、二週間ほどリンクスとの接触を試みた。

 リンクスは好色で、誰にでも色目と権力を振りかざす男だ。こちらが好意を見せればあっさりと釣れる、そんな安い男。彼にとっての本命を目指さなければ、の話だけれど。


「これでアルハルツが平和になるのであれば幸いです」

「ああ……もちろん、そうだね」


 またミーシュは不安そうな表情を浮かべ、うかがうように尋ねた。


「リンクスはずいぶん奔放だと聞いたけれど、何かされなかった?」

「いえ、特になにも」


 ミーシュは私の手を抱き寄せるようにして、息をついた。


「よかった」


 まるで愛おしいものを抱くように、私の手の甲をなでた。

 それは私の生きる希望となると同時に、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。


 ミーシュは私に愛を向けるが、自分はきっとそれに足る女じゃない。

 私が自らの意思でリンクスと恋仲になり、キスしたことなんてこの若い王様には知らせない。


「毎度思うよ。どうやって毒を飲ませているの?」


 私はそういうことにして、毎度この時間をやり過ごしている。

 本当はキスによって発動する異能だけれど、それは誰かにバラしてはいけないことだ。


「異世界出身者なので、いろいろなやり方があるんです」

「それは……とても心強いけど、どうか無理だけはしないでね」


 そう言ってミーシュは再び私の手を愛撫した。


 体格と比較して大きな手。

 十八だけれど、彼はまだこれから身長が伸びるのかもしれない。


 権力もなく、軽んじられ、外を自由に出歩くこともできない可哀想な王様。

 でも、私は思う。


 この人に、どうか幸せになって欲しいって。


 ◆  ◆  ◆


「ところでおまえは、どうしてミーシュ様に仕えているんだ?」


 私はランチに呼ばれていた。

 私がパスタを頼んだ一方で、対面の彼はいきなりケーキをフォークで切り分けている。


 そこにいる痩せた神経質そうな男はリッチ・クラビィ。

 私をランチに誘った相手である。歳は三十手前くらいで、幼いころからのミーシュのお目付け役らしい。


「どうしてって、私は転生してきたので、頼る先がないじゃないですか」

「いいや、おまえは敵地に平気で乗り込んで毒を盛ることができる胆力がある。行こうと思えばどこへでも行けるだろう。ミーシュ様は国王とはいえ、弱小で危険な陣営だ。命が惜しければ逃げるのが賢明だ」


「それは買い被りですよ。私はミーシュ様が推しですからね」

「おし……?」


 リッチには聞きなれない言葉だったのだろう。不思議そうに眉間にシワを寄せた。


「つまり、私はミーシュ様が王様であり続けるのが一番だって思ってるんです」

「すぐに淘汰される、なんの力もない王が?」


「はい!」


 はっきりとした回答が意外だったのだろう、リッチはさらに難しい顔になる。


「えへへ」


 思い返せば、私は前の世界でも一人ぼっちだった。

 大学を中退した私ができそうなことは夜職しか思いつかなくて、毎日を乗り切ることで精一杯だった。


 親元には帰れない。友達も離れてしまった。

 ある日の帰り道、寂しさで息ができなくなったと思ったら、そのまま意識を失っていた。


 目が覚めると、そこは暗い部屋だった。

 あたりを見渡すと、なんだか偉そうな石像や絵画がならんでいた。微かに差す光はキラキラと輝いており、それはステンドグラスを通しているからだと気がついた。


 うつ伏せで倒れていた私の顔の横に、小さなリスがやってきた。

 それはよく見たらリスじゃなくて、もっと目が大きくふわふわで、私の知らない生き物だった。


 リスは言った。


「ふふふ。いまどんな気持ち? いまどんな気持ちー??」


 どんな気持ち、と言われても。


「……なんだか何もわからない」

「新しい人生が始まったんだヨ? もっとワクワクしなきゃ!」


 ワクワクしろ、と言われても。

 私は手足をグーパーする。動くことが確認できたので体を起こす。


 血の気が引いて頭がクラクラするが、少し待つとすっきりしてくる。


「……あなた、しゃべれるの?」

「バカにしてるヨ?」


 頭はすっきりしたのに、おかしくなってしまったのだろうか。得体のしれないリスみたいな生き物が喋っているだなんて、とんだファンタジーだ。


 ただ、ファンタジーだったら嬉しいな。

 現実ってきついだけだし。じゃあ、ファンタジーでいっか!


 立ち上がってあたりを見渡すと、ここはなんだか教会っぽい建物だとわかる。

 私は白くて薄いのにゴワゴワした質の悪いワンピースを着ていて、こんな服は持っていないからそれも不思議だった。


 不思議だから、受け入れることにした。


「すごい……。私異世界転生したんだ!」

「状況の理解が早くて助かるヨ。そのとおり! おまえは別の世界にやってきたのだヨ」


「『おまえ』じゃないです。私の名前はアリス」


 ぱっと宣言したのは本名とも源氏名とも関係のないものだった。いままでの私とは違う名前は、不思議の国にやってきた私にぴったりな気がしたから。


「あなたは?」

「僕はマヨルカだヨ」


「マヨルカ! いい名前! ねぇマヨルカ、ここはどこ?」

「ここは並行世界のうちが一つ、スルームーン。国の単位でいえばアルハルツだヨ。ようこそ、アースの民、アリス」


 アース、とは地球を差すのだろう。

 私がどこからきたのかもわかってるだなんて。


「私はいま、どうしてここにいるの?」

「それを決めるのはアリスだヨ。アリスが決めた道こそが、我々の願うことなのだヨ」


 それは、自由にしたらいいってことだろうか。


「アリスは自分自身に発現した新たな力を感じることができるかヨ?」


 新たな力。

 そう言われれば、いまの私は活力に満ちている気がする。

 

 異世界にやってきて異能、だなんて夢みたいだ。

 物語の中でそういった少女たちは世界を救い、素敵な王子様と苦難を乗り越え愛を深めていく。


 いま、まさに自分がその立場になるだなんて。

 だとすれば、私はこれから王子様に出会うのだろうか。そしてこの世界で居場所をみつけ、幸せを掴むのだろうか。


 そのための、力。

 マヨルカのいう通り、私自身の力を感じる。


「その力は、別の世界にいたころのアリスを表した力だヨ」


 私を表した力、全身を溌剌と巡るそれはこの世の理さえも超えていくように感じた。

 この力さえ、あれば。


「ただし、その力には制約があるヨ。その制約を守る限りにおいて、この世界はきっとアリスに味方するヨ」

「もし、守らなければ?」


「死ぬヨ」


 あまりにもあっさりと言うので、それが大したことのないように思えてしまう。

 ただ、命ってそれくらい軽いものな気もするけれど。


「わかった、守る守る。で、その制約ってなに?」

「2つだよ。ひとつ目は『自分の能力を人に話してはいけない』だヨ」


「えー、残念」

「なんで残念なんだヨ」


「だって、せっかくすごい力があるなら自慢したいじゃん」

「現金なやつだヨ」


 どうせなら自分の素晴らしい能力を披露してチヤホヤされたいって思うじゃん。しかし残念ながら、こっそり使う必要があるらしい。


「で、もう一つは?」

「『ただし能力を行使した相手には、その能力を話さなければならない』だヨ」


 なんだかこんがらがってきた。


「今度は話さなければならないの? さっき話ちゃだめって言ったのに」

「そうだヨ」


 言葉の意味を考えてみる。

 能力を使った相手には能力を話さなければならない、ということは、使えば使うほど私の能力を知っている人が増えていく、ということだ。


 だとすれば、私が片っ端から能力を使いまくってそれで世界が救われればチヤホヤされる未来がやってくるってことじゃん。


「で、肝心の私の能力ってなに?」


 そしてマヨルカが私に教えてくれた能力は、未来への希望を打ち砕くものだったのだ。


「アリスが授かった能力は、『キスをした相手の命を奪う』だヨ」


 頭が真っ白になる私に対し、「どんな気持ちー? どんな気持ちー?」と訊ねてくるマヨルカはきっと、悪魔だ。


 知らない教会で、こちらを煽ってくる悪魔と二人ぼっち。

 私が元気なのは最初だけだった。


 調べると教会のようなこの場所は入り口が一箇所しかない。しかも厄介なのは外から鍵が掛かっており脱出することもできなかったのだ。


「異能は以前の世界のアリスにピッタリのものが発現したはずだヨ」

「だからきっと、アリスはいま嬉しくて仕方ないに違いないヨ」

「これから新しい世界で、アリスの大冒険が始まるんだヨ」


 耳元ではしゃぐマヨルカが鬱陶しい中で、必死に扉を破ろうとしたがそれは一向に開かなかった。

 自分の空腹に気がついたが、しかし食料も水もない。


 正確な時間がわからなくとも、陽が昇って落ちて、また昇るのはわかった。

 元の世界で死んでしまった私は、この世界でもまた死んでしまうのかと思った。


 まあどうせ、私に発現した異能なんて最悪のものだったし。

 だって、キスした相手の命を奪うってそんなの、好きな人とキスできないし、もし使うとしても殺したいほど嫌なやつとキスしなきゃいけないってことでしょ?


 このまま干からびるのかなぁ、なんて頭ばかり敏感になって体は動かないからうずくまっていた。


 そんなところに、ドアが開いた。

 助かった、のかもしれないけれど、すぐにそちらに顔を向ける元気はなかった。


「……大丈夫?」


 なんとか視線をそちらに向けると、そこにいたのは微かな陽光に輝く真っ白な美少年だった。

 その人は、思いもよらない力で私を担ぎ上げ、どこか別の部屋に運んでくれた。


「大丈夫だよ。きっと元気になるから」


 そんな声を私に絶えずかけてくれて、あろうことかずっと私の手を握ってくれていて、なんだかその温かさで安心した私はまたしても眠ってしまった。


 驚くべきことに、目を覚ますとその人がまだ私の手を握っていた。その人も、すうすうと寝息を立てながら。

 華奢な少年の意外なほど大きい手を、私は撫で返した。

 少年は、パチリと大きな目を開いて、ついで頬をゆるませた。


「ああ、よかった! もう目を覚まさないかと思ったんだ」

「……あの、君は誰?」


「僕のことを……知らないの?」

「うん」


 頷いた後に、私はとても失礼なことを言ったのかもしれないと思った。

 なにせ私は、この世界のことを何も知らない。


「有名な人だった?」

「ああ、いや、いいんだよ。とにかく元気になってよかった。何か食べるものを持ってくるよ」


 少年は部屋から出ていき、そして自分がずいぶんと上質なベッドに寝かされていることに気がついた。目に入る家具はどれも高そうで、化粧台の鏡がすごく大きい。


 ひょっとすると、少年は位の高い人なのかもしれない。

 持ってきてくれた、お粥みたいなスープは優しい香辛料が私の体を底から温めてくれた。


 少年は、私に訊ねた。


「ところで、あんな場所で何をしていたんだい?」


 私は、何をしていたのだろうか。答えを持っていなかった。

 その逡巡を、少年は勝手に解釈した。


「ああ、ごめん。別に無理に聞きたいわけじゃないんだ」


 私は転生し、別の世界からやってきた。

 それはこの世界において、他人に話していいことだろうか。まったくわからないけれど、肝心なときにマヨルカは見当たらない。


「元気になったら帰れるかい?」


 当然、帰る場所などない。

 不安と孤独で泣きそうになったが、少年の前なので歯を食いしばって耐えた。しかし、歯を食いしばっていたから喋ることができなかった。


 そんな私を見て、少年は吹き出した。

 ぷぷぷ、ぷは! なんていかにもおかしそうに。


「——な、何よ!」

「いやごめん、すごく可愛かったから」


「はぁ? バカにしてる!」

「してないよ、本当だよ」


「だいたい可愛いなんて言われるのは心外。私は君より年上だと思うし」

「それって何か関係あるの?」


「あるよ!」


 私の大声に、少年はまた笑った。

 なんだか腑に落ちないけれど、しかしいつの間にか泣きそうな気持ちはどこかに消えていた。


 少年の笑い声に釣られて私も笑ってしまい、あまつさえ楽しくなるだなんて。


「僕はミーシュバルツ。ミーシュでいいよ。君は?」

「私は……アリス」


「そっか、アリス。元気になるまでここにいなよ」

「……いいの?」


「ああ、それが僕の責務だからね」


 このときの私は、彼の立場を知らなかった。

 でも後に彼が王だと知って、そしてその責務を体現する存在だと確信する中で、私は彼を推すことに決めた。


 彼こそが王で、それが続くのであれば私はどうなっても構わないとさえ思った。

 ミーシュは自分の身が危険だったのもあり私を他の有力者に保護させようとしたが、私はそれを拒否して居座った。


 少しずつアルハルツの内情を知り、誰がミーシュを狙っているかの話を仕入れ、自分がなんとかすると立候補し、その相手に色目を使って近づき、こっそりと殺した。


 またミーシュの危機を聞きつけ、その相手に色目を使って近づき、こっそりと殺した。

 

 それを何度か繰り返して、ついにはミーシュバルツ王直属親衛隊ゼロの騎士になった。一よりも手前のゼロ。存在しない騎士は、実際には騎士ではなく卑怯な暗殺者だけれど。


 リッチはミーシュのことをなんの力もない王だと言う。

 そうなのかもしれない。


 だから私は、ミーシュの力になる。


 さて、そんな思い出に耽っていた私を、最後のケーキのひとかけらを食べ終えたリッチは現実に引き戻した。


「ところで、新しい仕事がある」

「相手は?」


「ギリム・ハイエラ・ククルード」


 ククルード。

 アルハルツの王族を表すファミリーネーム。


「ミーシュ様の、兄上だ」 


 リッチの苦悶の表情が物語る。

 それはまた一人、ミーシュの信頼する人が消えてなくなったってことだから。


 ◆  ◆  ◆


 ミーシュに権力はほぼないものの、しかし仲間は残っている。


 その筆頭はもちろんリッチだ。

 彼はミーシュのお目付け役である傍ら、ミーシュバルツ王直属親衛隊の指揮官でもあった。もっとも、親衛隊はもはや30人にも満たない少数ではあるけれど。


 ギリムというターゲットが決まり、リッチが指揮棒を振れば親衛隊はまるで生き物のように有機的に動き始める。

 私がギリムに近づき毒殺することから逆算し、私が誰に扮装して忍び込むのか、それにはどんな衣服の準備が必要なのか、私の経歴はどんなものか、ギリムの館に侵入するためのコネクションはどうするか、あるいは毒殺後の脱出経路をどうするか。


 それぞれが慌ただしく自分の仕事をこなす中、私はまた一人ミーシュの血縁者を失うことに不安を覚えていた。


 私は私室のミーシュを訪ねた。

 何もない時、彼は大抵そこで書類仕事かなんだかわからない書き物をしているから。


「ミーシュさま、本当に進めてもいいのでしょうか?」


 こちらに振り向いたミーシュが、にっこりと笑う。


「それは僕が決めることじゃないからね」

「ミーシュ様は、王なのに、ですか?」


「そうさ」


 ギリムを対象とした作戦が行われるとミーシュは知っているが、しかしそれの理由までは聞かされていないはずだ。

 それでも悲哀も浮かべずに、そう笑えるミーシュのことが私には理解できない。


「ギリム様はミーシュ様のお兄様でしょう。いずれ体制が整った際に、味方になってくれるかもしれないのに」

「リッチがそう言ったんでしょ? じゃあ僕は、それを信じるよ」


「そんなにリッチ様を信頼しているのですか」

「もちろん」


 私は、その断言に少し嫉妬する。

 だってそれは、私よりリッチを信頼してるってことだから。


 私には、リッチのような積み重ねがない。

 本当に悔しい。


 だけど、ミーシュの力強い視線に私は励まされた。

 キミがそう言うのであれば、私は私の役割を全力でまっとうする。


 ◆  ◆  ◆


 オレンジ髪のカツラに、古めかしい化粧。

 そして新しい名前はミラリー・ハイワード。


 新しい私の主人はミーシュの異母兄弟とのことだった。


 私はギリムの住まう屋敷のメイドとして雇われた。

 通常使用人は代々同じ家系の人間が務めるものだが、私は遠縁から養子に入る形で侵入するとのことだ。

 

 ギリムは先王の第二夫人の子で、もしミーシュに何かあった際に権力が集まる有力な候補だ。さらにいえば、リンクス・クタンダールに軍事増強を唆したのもギリムとのこと。屋敷には豪華な調度品が煌びやかに飾られており、それはハーネスクラリア城よりも豪勢に見えた。


 ギリムは、目元がミーシュによく似た大男だった。

 似ているとは言っても彼には色素があり、髪はブラウンの短髪だし肌は良く焼けていた。


 新たな使用人として私がお辞儀をすると、「これからよろしく」とエネルギーのある挨拶が返ってくる。


 さてどうやって近づこうかなと思ったが、しかし彼に近づくチャンスはあまりなかった。

 だとすればまず、メイドとしてこの屋敷に完全に馴染むことからだ。


 私はメイド長の命令通りに、ロボになったつもりで働いた。


「ミラリー、この部屋をお願い」

「廊下は済んだ?」

「水回りはしっかりね!」


 掃除しつつも、私は観察を欠かさない。

 ギリムに近づく機会こそほぼないが、彼が何をしているかについては常に注視していた。彼の深いところは知らないが、印象としてはメイドにも優しい明るくて頼り甲斐のある男、だ。


 そんなことを思いつつでも、仕事で手抜きはしない。


「外の掃除は終わった?」

「こんどはこっちのサポートね」

「あんた、本当によく働くわね」


 必死に働き続けた私は、ついにメイド長に一目置かれ始めた。

 

「ええ、掃除は得意なんです!」


 本当は別に得意ではない。

 ただ、この世界は日本と比べれば圧倒的に細々したものが少ないため掃除は楽だと思った。ものに溢れた現代の弊害がこんなところで役立つとは。


「そう。じゃあ、掃除はあなたにお願いするわ」


 メイドの中で掃除の中心人物になった私は、より柔軟な掃除を開始した。より細かな埃まできっちり拭き取ったし、みんなの動線を意識した家具の配置に置き換え、洗練されて見えるように不必要なものも片付けた。


 そうして続けた結果。


「君がきてから、ずいぶん屋敷が変わったな、ミラリー」


 ついに当主、ギリムに挨拶以外の言葉をかけられた。


「いえ、素敵なお屋敷で働けて、とても嬉しいです」

「それはよかった。君は辛い生い立ちだと聞いている。どうかこの場所が、君にとって安心できる場所になることを祈っているよ」


 ちなみに辛い生い立ちというのは全てミラリーの設定だが、響いている顔をした。


「あ、ありがとうございます。私はギリム様にお仕えできて、幸せです……あ、あの……」


 チャンスだと思った。彼はいったい、この国をどんな風に見ているのだろう。


「私、もっと働けると思います!」

「ほほう。その粋やよしだ。何か気になっていることでも?」


「そ、その、もっとギリム様のお手伝いができればと、思っております。食事の配膳や、お召し物の準備、お湯浴みのお供だって——」

「はは」


 ギリムは私の頭を雑に撫で、からりと笑った。


「気持ちは嬉しいが、その仕事は困っていないよ。でも、なんでもできるっていう気概は買った。メイド長に伝えておこう」


 うーん、ちょっと反応が遠いな。

 この反応では、まだちょっと取り入るには時間がかかりそうだ。


 私は切り替え、日々の仕事を必死でこなした。

 たくさん掃除して、屋敷のレイアウトもより効率的なものへと、動線まで配慮して。


 そして——。


「ちょっと」


 ある日私は、メイド長に肩を叩かれた。


「なんでしょう」

「話があるわ。みんな部屋に集まってるの」


 ああ、こっちが先に釣れたみたい。


 ◆  ◆  ◆


「屋敷のものが次々に無くなっているんです。それは高価なものばかり」


 メイド長がそんな風にいう間、他のメイドやあるいは屋敷の人々も私に厳しい目を向けていた。


「盗んだのでしょう?」


 皆が私に疑いの目を持つのも当然かと思う。

 なにせ私がきてから、あからさまに屋敷がすっきりとしてしまったのだから。


 ギリムはといえば、眉間に皺を作ってはいるもののまだ判断をしかねているようだ。


「まさか! 私にものを盗むような勇ましさはございません! ど、どうか信じてくださいませ!」


「でも明らかにものが減ってるわ」

「こんなのおかしいじゃない!」

「貧乏人はこれだから困るのよ」


 そうなってしまえば、もはや私を信じる人なんていない。


「ミラリー、何か反論はあるかい?」


 ギリムが厳しい視線を私に向けていた。

 私は、涙を流しながら答えた。


「絶対に私はそんなことは致しません。盗んだと言うのであれば、いったい盗んだものをどうしたというのでしょう」


「そんなの、あんたの部屋に隠したに決まってるじゃない!」

「まさか!」


 私は大袈裟に慌てて見せる。


「まぁ、自分たちの目で確かめれば済むことだ」


 ギリムがため息をつくような言葉に皆が頷いた。


 ◆  ◆  ◆


 私は地下牢に閉じ込められた。

 その間に部屋を調べるのだろう。


 異世界にきてから狭い部屋に閉じ込められる機会が増えた……というか日本での生活においてそんな機会はまったくなかったし。


 そして陽が落ちたころ、地下階段を降りてきたのはギリムだった。

 手燭に照らされる堀の深い顔は、やや困惑した視線を私に向けた。


「我が屋敷にあった高価な調度品。それらが君の部屋から見つかることはなかったよ」

「……そうですか」


 もっとも、私は盗みを働いて自分の部屋に隠すようなまねはしていないので当然といえば当然だ。

 

「それで、他のメイドたちの部屋を調べたらあっさりと見つかった」


 つまり彼女たちは、私が調度品を彼女たちの部屋に隠す可能性に思い至らなかったようだ。まぁそんなことをする理由も思いつかないだろうし、仕方ないといえば仕方ないが。


 ギリムは牢の鍵を開け、扉を開いた。

 そして、相変わらず私をまっすぐに見つめた視線を外さず、言った。


「なぜそんなことを?」

「……そんなこと?」


「彼女たちの部屋にものを隠したのは、君だろ」

「まさか! なぜそんな風に思うのですか」


「わかるさ。彼女たちはそんなことをしない」


 この館の主人はきっと良い人だ。

 だって、この館の働き者のメイドたちのことを正しく理解しているから。


「ギリム様の想像通りだとして、私をどうされますか?」

「君の話次第だ」


 ギリムは私の手首を乱暴に掴み、そのまま壁に押し当てた。

 その力強さは私に適当に誤魔化すことを許さない彼なりのコミュニケーション。


 壁ドンよりもよほど強引な彼に見下されながら、私は努めて媚びるような視線を彼に投げかけた。

 さて、それでは最後の質問だ。


「ところでギリム様、ミーシュバルツ王についてどう思われますか?」

「どう……?」


 その瞳に浮かぶ感情の色。

 私は確信した。


「ギリム様、どうか死んで下さいませ」


 ◆  ◆  ◆


 最初は人を殺すことに躊躇があった。

 しかし、一人殺し二人殺し、そんなことをしている間にそんなものは簡単に薄れてゆく。

 まるでダイエットのときのケーキみたいに、一口目はやっとのことで口に運ぶのに気がついたら無くなるみたいに。


 きっと私は、能力を使えば使うほど何かを失っていく。

 それは目に見えないものだけど、将来の私を幸せにする何かを捨てているのだ。


 ハーネスクラリア城の一室で、私が戻ってきて少し経った頃のこと。


「首尾よくやったようだな」

「ええ……」


 リッチが私に呟いた。


「今月にもギリムの葬儀が執り行われるそうだ。これでまた一つ脅威を排除できた」


 リッチは葡萄酒を口に含み、続けた。


「ギリムは危険ではあった。それでも彼は最愛の兄だ。きっと悲しまれる」

「ギリムが虎視眈々とミーシュ様の命を狙っていたこと、はっきりとミーシュ様に伝えるべきだったのでは?」


「母が違うとはいえ、ミーシュ様はギリムを慕っておられる。現実を突きつけるには早いのさ」

「ミーシュ様をずいぶん子供扱いするのですね」


「ミーシュ様は、子供だ」


 その目はミーシュを愚弄するかのようで、お目付け役にはふさわしくない。


「リッチ様は、そんな子供にこの国を任せる気なのですか?」

「ああ、もちろん。ただし……」


 リッチは私の背中に手を回し、言った。


「あの子の役割は、血筋のみで構わない」


 そうだよね。

 本当はリッチがこの国を統治したいんだ。そのために、ミーシュを利用しようとしている。


「もしその血筋が邪魔になったら?」

「そのときにミーシュ様に退場していただいてもなんら問題ない」


 私の背中に回した腕にグッと力を入れると、私とリッチの顔が近づく。


「ククルード家に利益をもたらしているのは、我々だ。そうだろう? アリス」

「……ええ、もちろんです。リッチ様」


 まったくその通りだと思う。

 でもなぜククルード家に利益をもたらしているかの理由がきっと、私とリッチでは違う。


 ミーシュには、ただ輝いてもらいたい。

 本当に、それだけ。


 だって、ミーシュは太陽だから。

 だから彼の笑顔を、優しさを守ることができるのであれば、私は一生日陰で泥水を啜り続けても構わない。


 ◆  ◆  ◆


 墓石の前で、座り込み泣いているミーシュを私は背後から抱きしめる。


「ミーシュ様。大丈夫です」


 小刻みに揺れるミーシュの体。その体温が私に伝わる。


「僕はアルハルツの王だ。だから僕自身が運命に翻弄されることは仕方がないと受け入れている。しかし、どうして……。僕の大切な人は、関係ないじゃないか」


 まるで現実逃避の世迷言を唱えるミーシュ。

 違いますよ。人はそれぞれ、運命に翻弄されながら生きているんです。


 墓石に彫られた名前は『リッチ・クラビィ』。

 ミーシュの後見人、ミーシュの育ての父のような存在だ。


「まったく意味がわからない。ギリム様の葬儀を上げると聞いていたのに、実際に執り行うのはリッチのそれだなんて」


 私はギリムの屋敷に忍び込み、正面から彼に尋ねた。

 ミーシュをどう思っているか、と。


 そのとき、彼の視線に浮かばなかった感情の色。

 その色は、怒り。


 私が弟で王であるミーシュの名前を出したときに、ただただ彼は困惑するばかりだった。それをみて、私は察したのだ。いまだギリムにとって、ミーシュは大切な弟なのだと。


 だから私は、彼に一度死んでもらうことにした。


 ギリム本人に彼が死んだと情報を流してもらい、実際は雲隠れしてもらった。私が現在ミーシュの周囲で起きていることを伝えると、彼はすんなり理解してくれた。


 ギリムはアルハルツを統べる可能性について否定しなかった。何かがあれば自分が王になる、と。しかし、同時にその可能性は低いと彼は言い切った。


『ミーシュはそれほど弱くないさ』


 つまりギリムは正しくて、間違っていたのはこちら側。


 すなわちリッチ。

 私はミーシュに仕えている間も、リッチとの関係を構築していた。


 そしてついに、彼は手中に落ちたのだ。


「ああ、リッチ! 僕は君なしで、どうやって生きていけばいいんだ」


 声をあげて泣くミーシュを、私は背後からぎゅっと抱きしめる。


 ああ、ミーシュ。

 あなたは本当にリッチを慕っておられたのですね。


 だからあなたに真実をお話しすることはできません。まさかリッチが、あなたのお力になるお兄様を殺そうとしただなんて。


 あなたの失脚を望んでいただなんて。


「大丈夫です。ミーシュ様。私がお支えいたします」

 

 ミーシュは振り返り、そして私を強く抱きしめた。

 そして顔を離して、私を見つめる。


 わかる。

 彼はいま、私の唇を求めている。


 ただしそこには、まだリッチのカサついた感触が残っている。


 私はミーシュを両手で引き離した。

 彼は母に見捨てられたような、悲しげな表情を見せた。


 あなたがどんなに悲しくても。

 どれほど私を求めていても。


 キスが君を殺すから、私はヒロインにならない。

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