傘を飲み込む魚
とある知人に聞いた話。
彼女が小学三年生の頃だという。
その日は長く続いた雨がようやくあがった日で、やんちゃな知人は周りに人がいないことを確認しながら、傘を大きく振り振り下校していた。
家まであと少しというところで、田んぼの隣の用水路が大きく様変わりしているのに気がついた。大雨のせいで水かさが増し、幅一メートルほどの用水路には濁った水が渦を巻くように激しく流れていた。
どれくらいの速さで流れてるんだろう?
ふとそう思った知人は、近くに生えていた雑草をちぎって投げ入れた。小さな雑草は面白いほどのスピードで流れていき、あっという間に見えなくなった。
面白い!
完全に悪戯心が目を覚ましてしまった知人は、近くにあった小枝や花やビニールのゴミなんかを次々用水路に投げ込み、それらが流れに揉まれてキリキリ舞いする様を眺めて楽しんだ。
そして小さな物では飽き足らず、なにか大きい物はないかと見回したところ、左手に持つ水色の傘に気がついた。
さすがに傘をこんなところに流したら、怒られるだろう。
でも、ちょっと流れに突き刺して、どれくらいの力で流れているのか確かめるくらい、いいよね。
知人はそう自らを納得させると、用水路に垂直に傘を立てた。
しかし、濁流の強さは知人の思っていた以上だった。おまけに、子供用の短い傘では用水路の底まで届かず、傘は完全に流れに身を泳がせた。子供の力では、もうこの流れの中から傘をすくい上げることはできず、あ、と思った時にはもう、傘は手の中からするりと抜けてしまった。
どうしよう!
用水路は彼女のいた場所から五メートルほど先で右に曲がっていた。このままでは、壁に当たって壊れてしまう。知人は反射的に、流れに沿って傘を追いかけた。しかし傘はあっという間に曲がり角にたどり着く。知人が身をすくめた時だった。
大きながま口のようなものが茶色く濁った水中から飛び出し、傘をバクリと一飲みにしてしまった。
それは以前テレビで観た、チョウチンアンコウが獲物を一飲みする様を思わせた。
傘を飲み込んだ大きな口は、そのまますぐに水中に没したが、一瞬だけ、大きな黒っぽい尾びれが翻ったのが見えた。
唖然としながら知人がその場所にたどり着いた時には、水はドウドウと逆巻くばかりで、今しがた起こった一瞬の出来事がなんなのか、さっぱりわからなかった。
先ほどの大きな魚のようなものの姿も、水色の傘も、もうどこにも見当たらなかったという。
・・・・・・・・・
「帰ってから祖母と一緒にもう一度その場所に行ったのですが、結局何もわからず。こっぴどく怒られただけでした」
今でも思い出すと不思議なのだろう、彼女は首を傾げてそう言った。
「その水路に、何かが棲んでいたと?」
「うーん、多分そういうことなんでしょうけど。でも、周りをコンクリートで固めた用水路で、深さも一メートルくらいだし、干上がっていることも多かったんですよね。一体何が、そんな所に棲んでいたんでしょう」
その上、その何かは傘まで飲み込む大食漢だ。
きっと知らない方がいいのだろうと、私と知人は顔を見合わせた。




