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叔母の恋人

 とある知人に聞いた話。


 彼女には、絵描きを生業とする叔母がいるそうだ。雑誌や広告のイラスト、本の表紙、油絵の市民講座や高校の美術部の講師など、絵に関する様々な仕事を一手に引き受けていた。

 叔母は、姉である知人の母親とは歳が離れており、姪である知人と十五歳しか違わなかった。そのため叔母としていうよりは、姉のように知人を可愛がってくれていたという。

 叔母は古い小さな借家に一人で暮らしており、家が近いこともあって知人はしょっちゅう遊びに行っていたそうだ。絵描きなので家のあちこちに絵が飾ってあったが、中でも目を引くのは、玄関を入ってすぐのところにある、高さが一メートルを越すような大きな肖像画だった。大きさもさることながら、壁にかけたり床に置いたりするのではなく、一人掛け用のソファの上に丁寧に置かれており、この絵が特別なことは明白だった。

 額縁の中では、男性が背筋を伸ばして椅子に腰掛けていた。堅苦しい印象はなく、遠くから見ると小さく微笑んでいるような、温かみのある絵だった。

 しかし知人は、この絵に疑問を抱いていた。

 初めて絵を見たのは中学生の頃だった。知人は「おじいさんが座っている絵」だと思った。

 しかし高校生になってから改めて見ると、その絵はどう見ても「中年のおじさんが座っている絵」だった。

 大学合格のお祝いをもらいに叔母を訪ねた際、知人は玄関の「叔母と同い年くらいの男性が座っている絵」について、とうとう叔母に訊いた。

「あの絵、若返ってない? 描き直してるの?」

 叔母は少し迷ったが、やがて「ねえちゃんにはナイショだよ」と前置きをして、話してくれた。

「あの絵はね、あたしの恋人なんだ」


 大学時代から、祖母はよく似顔絵描きのボランティアをしていたそうだ。

 八年ほど前、ある老人ホームに行った時、一人の老人が叔母の絵を気に入り、きちんとした額縁に飾れるような肖像画を描いてくれと依頼した。老人は、その辺りでは有名な病院の前院長らしく、病院のホールにその絵を飾りたいのだという。金持ちらしく、ホームの最上階の特室に住んでいた。

 叔母は快く了承し、週に一回二時間の約束でホームに通うようになった。

 老人は九十歳を超えているというが、矍鑠としていた。長話だが話上手で、自分の苦労話や戦時中の出来事なども面白おかしく話してくれたため、叔母はやがて老人を訪れるのが心から楽しみになったという。ゆっくり描いてくれという言葉に甘え、一年近く老人の元へ通った。

 それもようやく完成に近づいた頃、いつになく老人の口数が少ないことがあった。体調でも悪いのか? と叔母が尋ねると、老人はたっぷり時間をかけて逡巡したあと、意を決したように口を開いた。

「その絵なんだが、あんたさんに貰ってもらいたいんだが」

「え? でも、病院のホールに飾るって仰ってたじゃないですか。前金で頂いてるのに、そんなことはできません」

 叔母が驚くと、老人は困ったように眉を下げた。

「あんたに貰ってもらいたいんだ。年寄りの最後の晴れ姿を、ずっと見守ってくれたあんたにな。今度はわしがあんたを見守っていきたいんだよ。こんな老いぼれに言われても、困るだろうがなぁ」

 そう言う老人の赤らんだ頬を見て、叔母は老人の気持ちを察したそうだ。

「でも…」

「これが本当の、最後の我儘だよ。息子たちにもそう言っているから、まぁ、考えておっておくれ」

 老人はそこまで言うと、「今日は疲れたから」と叔母を帰らせた。耳が赤くなっている後ろ姿を見て、叔母は素直に従ったそうだ。

 その晩、老人は心臓発作を起こして亡くなった。

 叔母と老人は単に絵描きと顧客の関係だったため、叔母が老人の死を知ったのは次の週、少し気まずい気持ちで老人ホームを訪れた時だった。部屋は片付き、広い室内にあの絵だけが残っていた。叔母は目を見張った。出来上がるまでもう一手間加える必要があったはずなのに、その絵はどう見ても完成していたのだ。

 部屋の中では老人の親族と思しき中年の男性が、叔母を待っていた。

「生前は、祖父がお世話になりました。この絵なんですが、祖父の遺言で、必ずあなたにお渡しするように、と」

「でも…お金も頂いてるのに」

「いいんです。祖父の言うことを聞かないと、僕たちが叱られてしまう。こんな大きなじいさんの絵、迷惑なだけかもしれませんが」

 叔母が呆然と自分の描いた絵を見つめていると、不思議なことに絵の中の老人がニコリと微笑んだ、ような気がした。

 それを見た途端、何故か叔母は涙が溢れてきて、この絵は自分のものだと強く思ったのだという。


「そんなわけで、あの絵はうちに来たの。見守るってどういうつもりかは知らないけど、なんかだんだん若返ってきてね。今以上若くなるなって、ついこないだ言ったばかりなんだ」

 真面目な顔でそう言った叔母だが、唖然とする知人の顔をしばらく見つめ、こらえきれずに吹き出した。

「あんた、バカねぇ! 絵が勝手に若返るなんて、そんなはずないじゃん」

「えぇ⁈」

「あの絵はお気に入りだから、あたしがいちいち描き変えてるのよ。それこそ、恋人気分でね。絵描きバカって怒られるから、ねえちゃんには内緒にしててよ」

 叔母は目尻の涙をぬぐいながら、「なんでも信じて、騙されないように」と、まだ呆然とする友人に大学合格祝いをくれたという。


 ・・・・・・・・・


「あれからもう何十年と経ちましたが、叔母もあの絵も健在です。あの絵は、叔母に合わせて今度は段々老けてきてますよ。今は、還暦のおじいさんに逆戻りしてます」

 知人は少し呆れたようにそう言った。

「それは、やはり叔母さんが描き直されて?」

「さぁ。詳しいことはわかりません。自分に合わせて絵の顔を描き直すのも、けっこう異常な執着ですよね。顔だけじゃなく、手のシワや、着ているスーツまで年相応に変えていくんだから。まぁ、叔母も絵もなんだか幸せそうなので、どちらでもいいんでしょう」

 わたしは、アトリエでお気に入りの絵に手を加えるご婦人の姿を想像してみた。

 それは、恋人同士が視線を交わす一枚の美しい絵画のように、わたしの頭の中に浮かんできたのだった。

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