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予約席

 とある喫茶店で聞いた話。


 そこは、雰囲気の良いジャズ喫茶だった。中に入るとコーヒーのかぐわしい香りが漂い、音楽は耳に心地よい。何時間でも居座れるような空間で、実際店内にはいつも、長居の常連客の姿があった。

 現在切り盛りしている店主は二代目で、初代は戦後の混乱期、小さな定食屋からこの店を始めたそうだ。そして晩年、念願だったジャズ喫茶へ趣旨変更したらしい。

 この店のカウンターの一番奥の席には、いつでも『予約席』のプレートが置かれている。しかし、実際に誰かが座っていることはない。

 その席は、先代店主の戦友専用のものらしい。先代店主は戦時中、出征先で戦友たちと夢を語らった。そして、いつか自分が大好きなコーヒーとジャズの店を開くから、その時はお前たち必ず来いよと約束したそうだ。

 先代店主はなんとか生きて帰ることができたが、戦地で命を散らした者も大勢いた。そんな戦友たちとの約束を守るため、先代店主は彼ら専用の席を作り、他の誰も座らないよう『予約席』のプレートを置いたのだという。

 それは、息子である今の店主にも引き継がれている。雨の日や薄曇りの日には、その席にじっと腰掛ける若い男性の姿が、うっすら見えることもあるのだという。


 ・・・・・・・・・


「なんですか、それは。常連さんたちに担がれたんでしょう」

 店主はコーヒーを淹れながら、わたしの話を豪快に笑い飛ばした。

 知人から聞いた喫茶店の不思議話を、店主ご自身からも伺おうと、店を訪ねたときのことだ。

 呆気にとられる私にコーヒーを出しながら、店主はまだクスクスと笑っていた。

「うちの店の由来は、確かにその通りですけどね。親父は若い頃病弱で、戦争には行かずに済んだんですよ。だから、約束を果たそうにも戦友はいないんです」

「では、あの予約席は……?」

 私が視線をやった先は、カウンターの一番奥の席だった。そこには知人の話の通り『予約席』と書かれた金色のプレートが置かれ、椅子には上等そうなクッションが乗せられていた。

「あぁ、あれはですね」

 店主は途端に渋い顔になる。店内を見渡し、わたしの他にはまだ誰も客がいないことを確認した。

「絶対に他言しないと約束してください。客足に響くと困りますから」

 わたしが頷くのを見届けてから、彼は話しはじめた。

「いや、大した話ではないんですけどね。親父が定食屋を改装してこの喫茶店をはじめてから、なぜだかあんなことになったんです。あの予約席のプレート、いくら片付けても、朝になったら勝手にあそこに置かれてるんですよ。もちろん、誰も触ったりしてませんよ。プレートを捨てても、いつの間にかあそこに戻ってきてるんです。それにあの席、妙にひんやりとして寒気がすると思ったら、別のときは、今しがたまで誰かが座ってたような温もりが残っていることもあって……。正直、気味が悪いんです。一度椅子ごと撤去したこともあったんですがね。次の日私が来たら、店の窓ガラスが全部割れていて、それも内側から。その後も雨漏りやら空調の不調が続いて、結局椅子を戻したんです。そしたら、店内の不具合もピタリと止まって。その後はもう、あそこの席は初めからないものとして、無視することに決めました。放っておけば、特に害はないのでね」

 思いがけない話が聞け、私はますます呆気にとられた。予約席は亡き戦友のもの、という話に勝るとも劣らない、不可思議な話だ。

「お父さまは、なにかご存知だったのでしょうか」

「なにも知らなかったと思いますよ。僕と違って真面目なもんだから、あの席をどうにかしようと、真剣に考えてましたね。ここは俺の店なんだから俺が座ってやる、なんて言って、一日中座ってたこともありましたよ。席がひんやりしてたもんだから次の日風邪を引いて、それが元の肺炎で亡くなりましたけどね」

「それは……それは」

 わたしはかける言葉が見つからなかった。彼の言い方だと、先代の死はまるであの予約席のせいなのだが、店主はあまりにもあっけらかんとしていた。

「その、戦友云々の話がどこからきたかはわかりませんけど、そんないい話になっているんなら、大歓迎ですよ。親父も僕も、そこの席の由来を聞かれたときはいつも適当にはぐらかしてましたから、お客さんの間で憶測が憶測を呼んだ結果なんでしょうけど」

 店主はそう言って笑った。

 わたしはコーヒーを一口含み、この店主にこの味が付いていれば、どんな噂が出回っても客足に影響はないだろうと、心中頷いた。


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