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ソラノーツ  作者: 花の人
第一話 流星を追った少年
8/19

死、記憶、介錯

『ポット、どれが食べたい?』


 お母さんの作る、パンの匂いが好きだった。


『ポット、よくできたな』


 お父さんの、少し煤で汚れた大きな手が好きだった。


『『ポット』』


 そう二人がボクを呼んでくれる、あの温かな家が大好きだった。


 だった。


 のに。


「――ダメ、ポット! 逃げなさ――うっ……」


 あの日、流星を追ったあの夜。

 扉を開けたその先で、ボクの大好きだった両親は……殺されていた。


 穏やかな記憶は、全て鮮血に塗り替えられて。

 お父さんとお母さんは、ボクの目の前で死んだ。

 ボクに逃げろとだけ告げて、そして目前に立つ一人の男に、何度も何度も刃物で刺されて、殺された。


「――チッ。こいつらじゃねえか……」


 動かなくなった死体を前にそう呟くと、男は血に濡れた顔をボクの方に向けた。


「なぁ、お前が持ってるんだろ?」


「し、しらな……」


「とぼけるんじゃねぇよ。この家の誰かが持ってんのは分かってんだからよ。ほら早く出せ。出せば命は助けてやる」


「分からないよ!!」


 蹲って、ボクは叫んだ。

 男が何を言っているのか、何一つ分からなかった。


 ――これは全部、悪い夢だよ。


 ボクの世界で起きるようなコトじゃない。

 だからボクは関係ない。


 目が覚めたら、またお父さんとお母さんが笑っていて。

 いつも通りの日常が帰ってくるはずで……。


「現実逃避してんじゃねぇよ」


「う、うぅ……」


 髪の毛を掴みあげられて、ボクは前を向かされる。


 目の前には、お父さんとお母さんの血で真っ赤に染まったナイフがあった。

 吐き気のするような血と内臓の臭いが、鼻下でボクに現実を突きつける。


「まあいいさ。試してみりゃ分かることだ」


「――あ、うあっ……!」


 男はそう言うと、ボクの頬に刃を突き立て、ゆっくり裂いていった。

 肉が切り分けられる鮮烈な痛みが、鉄の味と共に広がっていく。


「――は、はは。ほらやっぱり、お前が持ってるんじゃねぇか」


 男はボクの頬を眺め、嬉々とした表情で言った。

 そしてボクはもう、逃げられないのだと……。

 これはどうしようもなく現実なのだと、悟った。


 ……それから、男は机の上にボクを抑え付けて、ナイフで全身を切り刻んでいった。


「――!! ――!!!!」


 翻る赤と、銀の輝き。

 それが何度も、何度も繰り返される。

 地獄というにも生温い、ただただ激烈な痛みと不愉快さを、ボクは絶叫で否定する。

 しかしそんなものにさして意味はなく。


 麻酔なしの手術でもしたかのように、ボクの内臓が全て外気に晒されるようになってなお……ボクは痛みによる意識の喪失と覚醒を繰り返していた。


 幕がかった意識の向こう側から、薄っすらと男の声が聞こえる。


「――んでだよ!! なんで無ぇんだよ……!!」


 焦っているような、悲しんでいるような、その声。

 男は血みどろになった机を何度も叩く。


「このまま奪われるくらいなら、いっそ……」


 そう言うと、男はボクの体を担ぎ上げ、リビングの暖炉の中に押し込んだ。

 血を失い冷え切っていた体が、今度は熔かすような熱で燃え上がり始める。


 ――あぁ、ボク……死ぬんだな……。


 炎で揺らめく視界と共に、とろけていく眼球。

 丸裸にされた臓器は直ぐに焼け焦げ、新たな火種となってゆく。


 逃げようのない死を直前にして、ボクは何処か安心のようなものを感じていた。


 ――お父さん、お母さん……待っててね。

 今から、逢いに行くから。


 そうして脳髄すらも炎の熱に熔かされ、崩れ墜ちた後。

 ボクの意識は途絶え、そのまま灰と朽ちて行った。


 ◇ ◇ ◇



「――はっ……!」


 小鳥のさえずりと木漏れ日の温かな光。

 この感覚を覚えるのは、もう二度目だ。


「――夢……じゃない……」


 全て、思い出した。

 ボクは種の力を求める人間に、大好きな家を襲われて……そして。

 全身を細かく刻まれ、炎に巻かれ灰となって……死んだ。


 それが数百年前に起きた、ボクの死。


 そして……両親の死だ。


「――あ、起きた?」


 ぬぅっと視界を遮る、黒い影。

 シャルが心配そうに、ボクの顔を覗き込んでいる。

 一番最初に聞いたものと、同じ言葉だったけど……その時より少し上擦っていて……でも少し吐息を含んだ、安心したかのような声音だった。


「う、ん……大丈夫……」


 ゆっくり上体を起こす。

 服にはぽっかりと穴が開いてしまっていたけれど、傷の方はすっかり完治していた。

 痛みも全くない。


 胸に手を当てると、確かに心臓の音が奥から響いてくるのを感じられる。


 ――これが……天望人の『蘇り』ってことかぁ……。


「ボク……どのくらい死んでたの?」


「あれから二日だよ……何とか二匹目を追い払えたけれど、そのまま山頂から動けていない。もう襲ってくる様子は無さそうだけれど……」


「二日……」


 つまりあの狼に殺された後、ボクは丸一日と半日ほどの時間眠ってしまっていた……ということか。


「そうだ! アダムスさんは……?」


 ボクは死の直前の記憶を思い出し、シャルに尋ねた。

 彼女は少し離れた木陰を指差す。

 その先には、座ったまま木の幹にもたれかかる人影の姿があった。


「彼ならあそこ。処置が間に合ったから、生きてるよ。ただ――」


「そうなんですね! 良かった……!」


 直ぐに立ち上がって、アダムスの所まで駆けて行く。

 しかし……彼のその姿に、ボクは絶句した。


「――あ……あ、あぁ。ポット君……目覚めたんだね、良かった……」


 酷く憔悴した、その表情。

 あんなにも頼もしかったその顔は、一転酷いクマに塗れ……青ざめ、やせ細っている。

 それもそうだろう……彼の両足は、膝から先がすっぽりと消え失せてしまっていた。


 恐らくシャルが施したのであろう処置の上から、薄っすら赤黒い血が滲んでいる。

 それは天望人の力を以てしても、この傷を完全には癒せないことを示していた。


「……保ってもう一日、といったところだ」


 背中から、シャルの沈んだ声が響く。


「そんな……。何とか村まで運んで……」


「山頂から村まで二人で担いで? ……無謀だよ。それに仮に辿り着けたとしても、その頃には死んでる」


「で、でも何か方法が……!」


 ボクは胸に手を当て……一瞬言葉にすることを躊躇ったけど、その可能性を口にする。


「――一度死んでから、蘇れば……両足も治って、また一緒に旅が出来る……そうですよね?」


 そう、それこそが天望人という存在の真髄。

 生きている間は治りきらない傷でも、一度死にさえすれば完治できる。


 それは全身が灰となって死に、それから蘇ったこの身が……誰よりも証明していることだ。


「――確かにそれは事実だ……けれどもね。事はそう単純でもないんだよ、ポット」


 しかし依然として明るくない口調のまま……シャルは続ける。


「言っただろう? 蘇りの速度は傷の程度によって大きく変動すると……君の場合は心臓を貫かれただけだったから、傷の修復はシンプルだった――しかし彼の場合は、両足を『食われて』しまっている」


 「これがどういうことか分かる?」……その問いかけに、ボクは首を横に振ることしかできなかった。


「『消化された』ということさ……。傷の修復に必要な素材となるパーツがね。となるとそれに関してはゼロから『創り出す』しかない。如何に不死の力が絶対的と言っても……それには途方もない時間がかかるんだよ」


「途方もない時間、って……一体、どれくらいの」


 シャルは顎に手を添え、静かに答える。


「少なく見積もって――五十年」


「――」


 一瞬、何を言っているのか分からなかった……。

 ボクはたった一日半で蘇ることが出来たのに、彼は……アダムスさんは、五十年もの時間がかかる?


 生き返るなんて、同じことのはずなのに……そんなにも違うなんて。


 理不尽だ……と、しかしボクはそう口にすることが出来なかった。

 それも当然だ。だってボクはその事実すらもまた、自分の身を以って証明している。


 全身を灰と化させて、修復の素材となる物は全て風と地に散ったボクは……事実数百年の時間をかけて、再生した。


 今アダムスの身に起きていることも、要はそれと同じことだ。


 ――じゃあ、じゃあアダムスさんは……。


 ここに置いて行くしかない、そういうことになる。


「――少し、いいかな」


 ここにきて、静観を保っていたアダムスが、ゆっくりと口を開いた。

 酷く覇気のない声……しかし何故か、得も言われぬ圧を感じさせる声だった。


「シャル君……君に、頼みたいことがあるんだ」


「っ……!」


 アダムスの虚ろな眼差しを受けた彼女は、小さく声を上げてフードを目深に被った。

 まるでその続きの言葉を聞くことを、拒絶するかのように。


 しかしアダムスは、それでも一切口を止めず……言った。


「――僕を……『殺して』くれないか」


 ――どういう、こと?


 自然に死ぬのを待たず、早く楽にして……そして遥か五十年後の未来で蘇らせてくれ、ということだろうか。

 しかしそれにしては何だか……空気が異様だ。


「……」


 隣を見ると、シャルは黙りこくったまま目を伏せていた。

 その固く握りしめた手は、酷く震えている。


「すまない、君がポット君に隠しているのは分かっていたんだが……ここで、君の意図しない形で……明かすことになってしまって」


「いや……いずれは、打ち明けなくてはならないことだったから」


 シャルはそう言うと、ボクに向き直る。

 その瞳は何処か気まずそうに、宙を泳いでいた。


「――ポット。この前話した『天望人の終わり』について……覚えてる?」


「う、うん。永遠に生き続ける中で、精神がすり減って……眠り続ける像のようになる。それが『天望人の終わり』だって……」


「実は、あれは正しくないんだ。天望人を、真に終わらせる……『殺す』ことができる手段が、一つだけある。その手段というのが……」


 そう言いながら、シャルは背中の大鎌を抜き放つ。

 リリ――と、鈴の音色が辺りに響いた。


「我が家、拝宇の家系に代々伝わる隕石……『鈴音石』によって鍛造された、この特別な刃で以って――彼らの首を刎ねることだ」


 日の光を受け、その銀白の刃は淡く輝いている。

 『ベル』、そう呼ばれていたそれこそが……この世で唯一、真の意味で命へと届く刃。


 確かに何か、普通ではない気がしていた……けれど。

 でもまさかそんな、曰くつきのものだったなんて。


「そして私は……その刃と訓練した作法によって、死を求める天望人を救済するために旅をしている……『介錯人』、拝宇シャルだ」


 死神の少女は、そう言って悲し気に笑った。

 騙していて、すまなかったと……そうとでも言いたげな顔だった。


 ……今なら全て、納得できる。


 源生物との戦いで、何故あんなに強かったのか。

 何故自らの出自について隠して、旅の目的もぼかしていたのか……。


 全てはその、『拝宇の家』が要因なのだろう。

 彼女は……本当の意味で、『人殺し』なのだ。


 『人殺し』をするために、生きている。

 それこそが『介錯』という行為であり。

 『拝宇』という、それを為す家に生まれた、彼女の背負う業だ。


 そんな自分を知られたくないと……女の子がそう思うのは、当然のことだった。


「――でも」


 ボクはシャルの瞳を見据える。

 倦んだ藍色の瞳。

 今にも泣き出しそうな、弱々しい瞳を。


「それは今のこの世界に、必要な『仕事』……そうですよね?」


「……うん、そうだよ」


 そのくらいのことは、ボクだって分かっているつもりだ。

 山頂で見た、あの擦り切れた天望人の末路……。

 あんな風に疲弊して、全てを投げ捨てて。

 それでも終わることの出来ない結末なんて。


 ――人の死に方じゃない。


 それを否定するための『介錯人』という存在は、確かにこの世界に必要なのだろう。


 ……人が――


「――人として、正しく死ぬために」


 ボクが心の中で思い浮かべた言葉と、シャルの言の葉が繋がる。

 ……それだけで、充分だった。


 正しく、死神そのものであった彼女を受け入れるには、それだけで。


「――けれどもね。正しい死には、理由が必要だ。私は……私が納得しなければ、介錯は行わない」


「……はは、参ったな」


 改めてアダムスに向き直り、シャルが告げた言葉に……彼は困ったように笑う。

 しかしそれは、ボクも同じ意見だった。


「聞かせてください、アダムスさん……そうじゃないと、このままお別れなんて……ボクも嫌です」


 アダムスは観念したように項垂れる。


「――……親友がね……居たんだよ」


 そして語り始めた。

 彼が死を求める、その理由を。

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