死、記憶、介錯
『ポット、どれが食べたい?』
お母さんの作る、パンの匂いが好きだった。
『ポット、よくできたな』
お父さんの、少し煤で汚れた大きな手が好きだった。
『『ポット』』
そう二人がボクを呼んでくれる、あの温かな家が大好きだった。
だった。
のに。
「――ダメ、ポット! 逃げなさ――うっ……」
あの日、流星を追ったあの夜。
扉を開けたその先で、ボクの大好きだった両親は……殺されていた。
穏やかな記憶は、全て鮮血に塗り替えられて。
お父さんとお母さんは、ボクの目の前で死んだ。
ボクに逃げろとだけ告げて、そして目前に立つ一人の男に、何度も何度も刃物で刺されて、殺された。
「――チッ。こいつらじゃねえか……」
動かなくなった死体を前にそう呟くと、男は血に濡れた顔をボクの方に向けた。
「なぁ、お前が持ってるんだろ?」
「し、しらな……」
「とぼけるんじゃねぇよ。この家の誰かが持ってんのは分かってんだからよ。ほら早く出せ。出せば命は助けてやる」
「分からないよ!!」
蹲って、ボクは叫んだ。
男が何を言っているのか、何一つ分からなかった。
――これは全部、悪い夢だよ。
ボクの世界で起きるようなコトじゃない。
だからボクは関係ない。
目が覚めたら、またお父さんとお母さんが笑っていて。
いつも通りの日常が帰ってくるはずで……。
「現実逃避してんじゃねぇよ」
「う、うぅ……」
髪の毛を掴みあげられて、ボクは前を向かされる。
目の前には、お父さんとお母さんの血で真っ赤に染まったナイフがあった。
吐き気のするような血と内臓の臭いが、鼻下でボクに現実を突きつける。
「まあいいさ。試してみりゃ分かることだ」
「――あ、うあっ……!」
男はそう言うと、ボクの頬に刃を突き立て、ゆっくり裂いていった。
肉が切り分けられる鮮烈な痛みが、鉄の味と共に広がっていく。
「――は、はは。ほらやっぱり、お前が持ってるんじゃねぇか」
男はボクの頬を眺め、嬉々とした表情で言った。
そしてボクはもう、逃げられないのだと……。
これはどうしようもなく現実なのだと、悟った。
……それから、男は机の上にボクを抑え付けて、ナイフで全身を切り刻んでいった。
「――!! ――!!!!」
翻る赤と、銀の輝き。
それが何度も、何度も繰り返される。
地獄というにも生温い、ただただ激烈な痛みと不愉快さを、ボクは絶叫で否定する。
しかしそんなものにさして意味はなく。
麻酔なしの手術でもしたかのように、ボクの内臓が全て外気に晒されるようになってなお……ボクは痛みによる意識の喪失と覚醒を繰り返していた。
幕がかった意識の向こう側から、薄っすらと男の声が聞こえる。
「――んでだよ!! なんで無ぇんだよ……!!」
焦っているような、悲しんでいるような、その声。
男は血みどろになった机を何度も叩く。
「このまま奪われるくらいなら、いっそ……」
そう言うと、男はボクの体を担ぎ上げ、リビングの暖炉の中に押し込んだ。
血を失い冷え切っていた体が、今度は熔かすような熱で燃え上がり始める。
――あぁ、ボク……死ぬんだな……。
炎で揺らめく視界と共に、とろけていく眼球。
丸裸にされた臓器は直ぐに焼け焦げ、新たな火種となってゆく。
逃げようのない死を直前にして、ボクは何処か安心のようなものを感じていた。
――お父さん、お母さん……待っててね。
今から、逢いに行くから。
そうして脳髄すらも炎の熱に熔かされ、崩れ墜ちた後。
ボクの意識は途絶え、そのまま灰と朽ちて行った。
◇ ◇ ◇
「――はっ……!」
小鳥のさえずりと木漏れ日の温かな光。
この感覚を覚えるのは、もう二度目だ。
「――夢……じゃない……」
全て、思い出した。
ボクは種の力を求める人間に、大好きな家を襲われて……そして。
全身を細かく刻まれ、炎に巻かれ灰となって……死んだ。
それが数百年前に起きた、ボクの死。
そして……両親の死だ。
「――あ、起きた?」
ぬぅっと視界を遮る、黒い影。
シャルが心配そうに、ボクの顔を覗き込んでいる。
一番最初に聞いたものと、同じ言葉だったけど……その時より少し上擦っていて……でも少し吐息を含んだ、安心したかのような声音だった。
「う、ん……大丈夫……」
ゆっくり上体を起こす。
服にはぽっかりと穴が開いてしまっていたけれど、傷の方はすっかり完治していた。
痛みも全くない。
胸に手を当てると、確かに心臓の音が奥から響いてくるのを感じられる。
――これが……天望人の『蘇り』ってことかぁ……。
「ボク……どのくらい死んでたの?」
「あれから二日だよ……何とか二匹目を追い払えたけれど、そのまま山頂から動けていない。もう襲ってくる様子は無さそうだけれど……」
「二日……」
つまりあの狼に殺された後、ボクは丸一日と半日ほどの時間眠ってしまっていた……ということか。
「そうだ! アダムスさんは……?」
ボクは死の直前の記憶を思い出し、シャルに尋ねた。
彼女は少し離れた木陰を指差す。
その先には、座ったまま木の幹にもたれかかる人影の姿があった。
「彼ならあそこ。処置が間に合ったから、生きてるよ。ただ――」
「そうなんですね! 良かった……!」
直ぐに立ち上がって、アダムスの所まで駆けて行く。
しかし……彼のその姿に、ボクは絶句した。
「――あ……あ、あぁ。ポット君……目覚めたんだね、良かった……」
酷く憔悴した、その表情。
あんなにも頼もしかったその顔は、一転酷いクマに塗れ……青ざめ、やせ細っている。
それもそうだろう……彼の両足は、膝から先がすっぽりと消え失せてしまっていた。
恐らくシャルが施したのであろう処置の上から、薄っすら赤黒い血が滲んでいる。
それは天望人の力を以てしても、この傷を完全には癒せないことを示していた。
「……保ってもう一日、といったところだ」
背中から、シャルの沈んだ声が響く。
「そんな……。何とか村まで運んで……」
「山頂から村まで二人で担いで? ……無謀だよ。それに仮に辿り着けたとしても、その頃には死んでる」
「で、でも何か方法が……!」
ボクは胸に手を当て……一瞬言葉にすることを躊躇ったけど、その可能性を口にする。
「――一度死んでから、蘇れば……両足も治って、また一緒に旅が出来る……そうですよね?」
そう、それこそが天望人という存在の真髄。
生きている間は治りきらない傷でも、一度死にさえすれば完治できる。
それは全身が灰となって死に、それから蘇ったこの身が……誰よりも証明していることだ。
「――確かにそれは事実だ……けれどもね。事はそう単純でもないんだよ、ポット」
しかし依然として明るくない口調のまま……シャルは続ける。
「言っただろう? 蘇りの速度は傷の程度によって大きく変動すると……君の場合は心臓を貫かれただけだったから、傷の修復はシンプルだった――しかし彼の場合は、両足を『食われて』しまっている」
「これがどういうことか分かる?」……その問いかけに、ボクは首を横に振ることしかできなかった。
「『消化された』ということさ……。傷の修復に必要な素材となるパーツがね。となるとそれに関してはゼロから『創り出す』しかない。如何に不死の力が絶対的と言っても……それには途方もない時間がかかるんだよ」
「途方もない時間、って……一体、どれくらいの」
シャルは顎に手を添え、静かに答える。
「少なく見積もって――五十年」
「――」
一瞬、何を言っているのか分からなかった……。
ボクはたった一日半で蘇ることが出来たのに、彼は……アダムスさんは、五十年もの時間がかかる?
生き返るなんて、同じことのはずなのに……そんなにも違うなんて。
理不尽だ……と、しかしボクはそう口にすることが出来なかった。
それも当然だ。だってボクはその事実すらもまた、自分の身を以って証明している。
全身を灰と化させて、修復の素材となる物は全て風と地に散ったボクは……事実数百年の時間をかけて、再生した。
今アダムスの身に起きていることも、要はそれと同じことだ。
――じゃあ、じゃあアダムスさんは……。
ここに置いて行くしかない、そういうことになる。
「――少し、いいかな」
ここにきて、静観を保っていたアダムスが、ゆっくりと口を開いた。
酷く覇気のない声……しかし何故か、得も言われぬ圧を感じさせる声だった。
「シャル君……君に、頼みたいことがあるんだ」
「っ……!」
アダムスの虚ろな眼差しを受けた彼女は、小さく声を上げてフードを目深に被った。
まるでその続きの言葉を聞くことを、拒絶するかのように。
しかしアダムスは、それでも一切口を止めず……言った。
「――僕を……『殺して』くれないか」
――どういう、こと?
自然に死ぬのを待たず、早く楽にして……そして遥か五十年後の未来で蘇らせてくれ、ということだろうか。
しかしそれにしては何だか……空気が異様だ。
「……」
隣を見ると、シャルは黙りこくったまま目を伏せていた。
その固く握りしめた手は、酷く震えている。
「すまない、君がポット君に隠しているのは分かっていたんだが……ここで、君の意図しない形で……明かすことになってしまって」
「いや……いずれは、打ち明けなくてはならないことだったから」
シャルはそう言うと、ボクに向き直る。
その瞳は何処か気まずそうに、宙を泳いでいた。
「――ポット。この前話した『天望人の終わり』について……覚えてる?」
「う、うん。永遠に生き続ける中で、精神がすり減って……眠り続ける像のようになる。それが『天望人の終わり』だって……」
「実は、あれは正しくないんだ。天望人を、真に終わらせる……『殺す』ことができる手段が、一つだけある。その手段というのが……」
そう言いながら、シャルは背中の大鎌を抜き放つ。
リリ――と、鈴の音色が辺りに響いた。
「我が家、拝宇の家系に代々伝わる隕石……『鈴音石』によって鍛造された、この特別な刃で以って――彼らの首を刎ねることだ」
日の光を受け、その銀白の刃は淡く輝いている。
『ベル』、そう呼ばれていたそれこそが……この世で唯一、真の意味で命へと届く刃。
確かに何か、普通ではない気がしていた……けれど。
でもまさかそんな、曰くつきのものだったなんて。
「そして私は……その刃と訓練した作法によって、死を求める天望人を救済するために旅をしている……『介錯人』、拝宇シャルだ」
死神の少女は、そう言って悲し気に笑った。
騙していて、すまなかったと……そうとでも言いたげな顔だった。
……今なら全て、納得できる。
源生物との戦いで、何故あんなに強かったのか。
何故自らの出自について隠して、旅の目的もぼかしていたのか……。
全てはその、『拝宇の家』が要因なのだろう。
彼女は……本当の意味で、『人殺し』なのだ。
『人殺し』をするために、生きている。
それこそが『介錯』という行為であり。
『拝宇』という、それを為す家に生まれた、彼女の背負う業だ。
そんな自分を知られたくないと……女の子がそう思うのは、当然のことだった。
「――でも」
ボクはシャルの瞳を見据える。
倦んだ藍色の瞳。
今にも泣き出しそうな、弱々しい瞳を。
「それは今のこの世界に、必要な『仕事』……そうですよね?」
「……うん、そうだよ」
そのくらいのことは、ボクだって分かっているつもりだ。
山頂で見た、あの擦り切れた天望人の末路……。
あんな風に疲弊して、全てを投げ捨てて。
それでも終わることの出来ない結末なんて。
――人の死に方じゃない。
それを否定するための『介錯人』という存在は、確かにこの世界に必要なのだろう。
……人が――
「――人として、正しく死ぬために」
ボクが心の中で思い浮かべた言葉と、シャルの言の葉が繋がる。
……それだけで、充分だった。
正しく、死神そのものであった彼女を受け入れるには、それだけで。
「――けれどもね。正しい死には、理由が必要だ。私は……私が納得しなければ、介錯は行わない」
「……はは、参ったな」
改めてアダムスに向き直り、シャルが告げた言葉に……彼は困ったように笑う。
しかしそれは、ボクも同じ意見だった。
「聞かせてください、アダムスさん……そうじゃないと、このままお別れなんて……ボクも嫌です」
アダムスは観念したように項垂れる。
「――……親友がね……居たんだよ」
そして語り始めた。
彼が死を求める、その理由を。




