忘却のステラ
――数世紀前。
飛行機の発明と共に人類の活動領域が空にまで至り……人は何処までも――それこそ、宇宙までも飛んで行ける。
そう信じられつつあった、その時代。
宇宙はとある福音を、地球へともたらした。
――『種』。
隕石のように世界中へと降り注いだそれは、そうとしか形容できない形をしていた。
『種』には、神秘の力があった。
体内に取り込むことで、病を治し、傷を癒し、そして永遠の寿命を得ることができる、不死の力――。
きっとそれは……進化しつつあった人類への、宇宙からの祝福の品だったのだ。
――だがしかし、その強大な力を扱うには……人はまだ、愚か過ぎた。
ある時、『種』を得た者を殺し、奪おうとする者が現れた。
しかし『種』を持つ者は死なない。故に殺せない。
そこにはただ、苦痛と悲鳴だけがあった。
蘇った者は、当然の報復として自身を殺した人間を殺し返した。
『種』を持たぬ人間たちはその行為に激怒した。
自らは死なぬのに、それだけでは飽き足らず命まで奪うのかと。
持たぬ者共は考えた。
殺しても死なぬ。求めるものは得られもせぬ……ならば。
――より長く、多く殺し、せめて恨みを晴らす。
やがて、そうした怨恨だけが人々の心を埋め尽くし、世界中を巻き込む大戦争が起きた。
『種』を持たぬ多くの人が死に、そして『種』を持つ多くの人もまた、それ以上に死に、蘇った。
そうして世界は、ただ人の愚かさによって滅んでしまった。
滅んだ世界で、人はその愚かさを後悔し、嘆いた。
――こんな哀しみが続くくらいなら。
『種』とは、元来育つものである。
世界を包む哀しみに疲れたその一人の人間は……たまたま手に入れた一粒の『種』を取り込まず、荒れ果てた地に植えることを選択した。
植えられた『種』は瞬く間に雲にまで至る大木へと成長し、その根を宇宙へと伸ばす『天の逆さ木』となった。
そして『天の逆さ木』は宇宙の神秘の力を根から吸い上げ、地に這う枝葉を通じて地球へともたらした。
緑の生い茂る、再び人が人として文明を築くことができる地を蘇らせたのだ。
それどころか、『天の逆さ木』は新たな『種』を産み落とし、人々に与えることまでをした。
その奇蹟は直ちに、逆さ木信仰として世界中に広まった。
『種』を植え、新たな逆さ木を育てる。
そうして徐々に地球は修復され……そして、誰しもが等しく『種』の力により不死となった。
もう誰も争う必要のない、理想の世界。
誰もがただ永遠に、平穏に生き続けられる世界。
長い争いの果てに、ようやく人類は古来からの大望を叶えた……そのはずだった。
◇ ◇ ◇
「――それから数百年が経って……今に至る、というわけさ」
一歩先を歩くシャルは、そんな揚々とした語りで、ボクに今の世界のことを説明してくれた。
あれから二十分ほどは歩いただろうか。
辺りはすっかり暗くなり、満月の月明かりだけがうっすらと足元を照らしている。
元いた林を抜け、少しひらけた河原を歩きながら……そのどうにも実感の湧かない話に、ボクは首を傾げていた。
「話としては分かりますけど……」
「まぁ、信じられないというのも理解できるよ。私だって全部見てきたというわけじゃないから」
「そうなんですか? 今の話からすると、シャルも何百年も生きているんじゃ――」
「……」
どこか鋭い雰囲気の眼差しで遠くを見据えるシャルの姿に、ボクは言葉の途中で口を噤んだ。
そうやって険しい表情をしている彼女は、マスクと背中の大鎌も相まって、すぐにでも襲い掛かって首を刎ねてきそうな恐ろしい印象を受ける。
もっとも、もし今までの話が本当なら、仮にそうされたところでボクは死なない、ということなのだろうけど。
……しかし本当にそんなことがあり得るのだろうか?
「――さっきまでの話を証明する方法は二つあるよ。まず一つはこれ」
そんなボクの様子を悟ったのか、シャルは突然そう言って立ち止まると、腰に携えていた鞘から小ぶりのナイフを抜き出した。
急に現れた新たな凶器に、ボクは身を竦ませて動けなくなる……が、彼女がそれをボクに向けることはなかった。
「……っ」
「シャ、シャル!?」
シャルは黒い外套の袖を捲ると、自身の前腕に刃を薄く沿わせていった。
みるみる内に赤い血が傷口からとくとくと溢れ出し、彼女の白い柔肌の上を滑り落ちていく。
――うっ……。
その流れる血を見ていると……何故か凄く頭が痛くなる。
心臓が高鳴って、嫌だ嫌だと目が直視を拒みたがる。
――なんなんだろう、これは。
初め、背中の大鎌を見た時もそうだったけど……。
人の肌を刻むことのできるその銀の輝きと、赤い色をした喪失が。
ボクにはただ、恐ろしくてたまらない。
「――ほら、見て」
いつの間にか目を瞑っていたボクの肩を揺すり、シャルは腕を突き出してくる。
ボクは恐る恐る視線を向け……そこで起きていた現象に、目を見開いた。
「治ってる……」
ものの数十秒しか経っていないのにも関わらず、シャルの腕に付けられていた傷はきれいさっぱり塞がっていた。
流れていた血も、皮膚の上ですっかり乾いている。
いくらなんでも、人の代謝で済ませられる治癒の速度ではない。
「死んだ後でも同じようにして治るよ。まぁ、治る速度は傷の程度にもよるから、一概には言えないのだけれど」
「そうなんですか?」
「うん……そうだな。例えば窒息死とかの外傷のほとんどない死に方なら、半日もあれば蘇れると思う。でも爆弾で全身が吹っ飛んだ……とかになってくると、下手をすると十数年はかかるかもしれない」
「へぇ~、蘇れると言っても万能ではないんですね……あ、でもだから――」
――『酷い死に方』って言ったんだ。
傷の大きさで修復の速度が大きく変わるとすれば、確かによほど大きな傷を負って死んだなら、数百年間をかけて再生する……ということも、あり得るのかもしれない。
――どんな死に方をしたんだろう、ボク……。
気にはなるけど、そんなに酷い死に方なんて……思い出すだけでもう一度死んでしまいそうだ。
「人によってはショックで記憶が混乱することもある。特に脳に受けたダメージが深刻な場合はね」
「じゃあ、ボクは頭が吹っ飛んで死んじゃったのかな……」
そこまでは分からない、とシャルは肩を竦める。
でも実際、大戦争というものが本当にあったとすれば、爆撃なんかに巻き込まれて……というのは、あり得そうな話だ。
ひとまず、傷を癒せる不思議な力が本当に存在しているということを確認して、ボクは自身の置かれた状況にも少しずつ合点がいき始めていた。
――治せるのは多分体だけだから、ボクは裸で寝てたんだろうな……。
「うぅ」
ぶんぶんと頭を振る。
裸のことを思い出すと恥ずかしい記憶もセットでついてくるので、これ以上は考えないようにしよう。
「もう一つの証明は、後ろだ」
「後ろ……?」
シャルの指差すままに、ボクは後ろを振り返った。
今まで歩いてきた河原の道行と、その奥に生い茂る木立。
そして更にその向こうに見える――
「――あれが、『天の逆さ木』」
一目で、あれが話に聞いた木なのだと分かった。
夜の闇の中で、ぼぅっと輝く一本の大きな光の柱。
ここからでははっきりとした距離感は分からないが、幅は恐らく全長百メートル以上はあるだろう。
その巨大な幹は真っすぐに空高くまで伸びていき……遥か天上で幾重にも枝分かれ、何本もの光の筋となって夜空の上に根を張っている。
否応なしに、シャルの言葉を真実と受け入れざるを得ないその絶景に……ボクはしばし言葉を失って、圧巻される。
「光が弱くて、昼は見えないのだけれどね。夜は明るく見えるし、道標にもなる」
シャルは何処か誇らしげに、そう語った。
――でも、あれ?
そんな中で……ボクはある違和感に気付く。
――何か、変だ。
夜空を見上げる。
美しい満月の輝きと、宵闇を走る幾本もの光の筋――逆さ木の根。
でも、そこには……何かが。
――足りない。
その感覚を覚えた瞬間、ボクはその違和感の正体に気付いた。
「――星が……ない」
――ボクの好きだった、あの光が。
……そう、そうだ。ボクは星を眺めるのが好きだった。夜にこっそり家を抜け出して……よく、大好きな星空を眺めていた。
なのに、この空には――そんな星々の輝きが、一切ない。
「……? どうしたんだ、ポット?」
「ほ、星の光がないんですよ! あんなにたくさんあったのに、一つも見えない……」
ボクは多分、ただ説明が欲しかった。
名前以外何一つ覚えていなかったボクが、唯一思い出せた好きなもの。
それが存在しないことに……何か納得のいく理由さえあってくれれば。
しかしシャルは、そんなボクの様子を見て……ただ困惑の表情を浮かべていた。
「――ホシって……なんだ?」
「……え?」
――ど、どういうこと……? この世界に、星はないの……?
先ほどの説明で、シャルは逆さ木が神秘の力を宇宙から吸って、地球を修復したと言った。
もし、その神秘の力というのが……星の力なのだとしたら。
――逆さ木の根が、星の力を吸い上げてしまった……ってこと?
たどり着いた結論に、自分で愕然とする。
逆さ木によって星の光が消え……そして、数百年という長い時間の中で、星があったということすらも次第に人々に忘れられてしまった。
もし、ボクの予想が正しいのだとすれば……もしかすると。
あの輝きを知っているのは……もう、世界にボクだけなのかもしれない。
「……っ」
ボクはその場に座り込み、蹲った。
河原の石の、少し湿ったひんやりとした感覚が臀部から伝わり、全身を冷やしていく。
「ポット……?」
「星は……月みたいに、宇宙に浮かんでいた天体です」
蹲ったまま、答える。
鉛のように体が重たい。
ここに至って、ボクはようやく実感した。
きっとここは、ボクが生きてきた世界とは何もかもが別の世界なんだと。
例え記憶を取り戻せたとしても、ボクが過ごしてきた暮らしは何一つ戻らない。
ボクが大切にしてきたことも、好きだったものも、人も。
何一つ、もう存在しない。
――なら、なんでボクは生きてるんだろう。
そんなことを、思ってしまった。
「ボクが生きてきた時代には、夜空をびっしり埋め尽くすくらいたくさん……本当にたくさんあったんですよ」
「えっ、月みたいなのがそんなに……? 空が真っ黄色になるんじゃないのか、それは」
「いえ、月よりはずっと小さいですよ! 地球から見ると、砂粒みたいな大きさで。でも一つ一つ散らばって、キラキラと輝いていて……物凄く綺麗で。ボクはそんな星空を見るのが、とても好きだったんです」
恐らく二度と見ることの叶わないその景色に、想いを馳せる。
今は思い出せる。その光景を、鮮明に。
――でも、十年後は。
二十年後……百年後は、どうだろう。
ボクはどうやら、永遠に生き続けるらしいから。
いつか忘れてしまうのだろうか。
星という名前そのものが伝わらなくなってしまったように……いつか。
星が好きだったということすらも、ボクは忘れてしまうのだろうか。
多分その時にきっと、本当の意味で……その景色は、存在しなかったことになるのだろう。
ボクはそれがただ、哀しくて堪らなかった。
「……そうか。大事なもの……だったんだな」
シャルはそんなボクを見て、何故だか小さく微笑んだ。
そしてボクの隣に座り込み、肩を並べる。
女の子の柔らかな匂いに、ボクの心拍数が少し上がる。
シャルはそのまま、宇宙を眺めながら言った。
「――『天望人』。不死身になった人々は、いつしかそう呼ばれるようになった」
「てんぼうびと?」
不意に出てきた聞き覚えのない単語に、ボクは思わず問い返した。
「あぁ、天を望む人で、天望人。何故その呼び名なのか、何度か疑問に思ったことがあったけれど……その理由がようやく分かったよ」
シャルは白い指先をこちらに向け、小さく笑う。
「――多分、君みたいに……そのホシゾラってやつを懐かしんだ人が、たくさん居たんだろう」
ボクは顔を上げて、再び天を見上げる。
そしてそこに、ボクの望む星空がないことを嘆く。
――同じ、だったのかな。
ボクと同じように、皆それが悲しかったのかな。
いつかあの星にまで、たどり着く日を願っていた人々が。
そこに星はもうないと解っていながら……それでも、望み続けて。
そしてそんな人々の姿だけが……想いだけが、名前として残った。
「――そうですね……」
なら、『存在しなかったことになる』……なんてコトだけは、あり得ない。
星空が在ったから、『天望人』という名前が残っているのだから。
――うん、そっか。それなら……大丈夫。
ボクが好きだったもの、大切にしてきたものは、消えてしまっても意味がなくなるわけじゃない。
例えこの世界に、もう何一つ存在しなかったとしても……きっと別の形で残っている。
そう思えて、ボクの口許は緩く解けた。
「――ありがとうございます、シャル」
「何が?」
「慰めてくれた……んですよね?」
「いや、別に……」
シャルはそう言って、何故かそっぽを向く。
薄暗い中見えるその頬は、うっすら赤くなっているように見えた。
「――ふ、ふふっ」
可笑しくなって、ボクは吹き出してしまった。
「……な、何で笑うんだ」
「いえ、何でもないです! ふふ……」
焦ったようなシャルの表情が、また面白くて仕方がない。
何だか、目覚めてから初めて……楽しいと思えた気がする。
――でもそういえば、ボクはシャルのこと、まだ全然知らないな。
何故ボクを助けてくれたのか……どこに向かっていて、何をしようとしているのか。
そのどれもボクは知らない。
――シャルって何者なんだろう……。
「シャル――」
――ぐぎゅるるるる!
口に出そうとした言葉は、突然鳴り響いたお腹の音によって中断された。
穏やかな川のせせらぎだけが支配していたこの夜の河原で、その音はあまりにも主張の激しいもので……そしてそれは間違いなく、ボクのお腹から発せられたものだった。
「――お腹、減ったんだ」
「あ、えぇと……はい……」
まるで、「シャル! ボクはお腹が減りましたよ!」と主張したかったかのようなタイミングの悪さだ。
シャルも一転攻勢とばかりの悪戯っぽい笑いを湛えた表情で、ボクはますます小恥ずかしくなる。
「一応、食べるものはあるにはあるけれど……」
そう言いながら、シャルは懐から小包を取り出す。
中には小さな黒い団子のようなものが幾つも詰まっていた。
「それは?」
「特製の兵糧丸だよ。味は苦いけど……水と一緒に食べたらお腹の中で膨らむから、一粒で一日保つんだ――食べる?」
そう言いながら、シャルは一つを取り出してボクに差し出してくる。
多分、これが彼女の旅中の主食なのだろう。
お腹が減っているとはいえ、果たして受け取ってもいいものかとボクは少しの間逡巡する……その時だった。
「――あれ……?」
ふと、鼻孔をくすぐる甘い香りに気付く。
目の前の兵糧丸のものかと思ったけれど……匂いはそれよりもずっと遠くから、風に乗って届いているようだった。
そしてそれは間違いなく、ボクの知っている料理のもので……そう、これは。
「――……カレーの匂い?」
同じタイミングで、シャルも気付いたのだろう。
立ち上がって、辺りをきょろきょろと探り始めた。
ボクもそれに習って、夜の闇の中をじっと目を凝らす。
「あっ! シャル、あそこ……煙が出ていませんか?」
「あれは……焚火だな。人がいるのか?」
じっと目を凝らすと……川の上流、石の段差を上がった先から、暗がりの中を立ち昇る煙が見える。
どうやらこのカレーの匂いは、あの場所から届いてきているようだった。
「行ってみよう」
シャルは手早く荷物を片付けてそう口にすると、今まで側頭部にズラしていたマスクを着用し、歩き始めた。
「は、はい……」
雰囲気の固くなったシャルの様子に息を呑みつつ、ボクも急いで立ち上がる。
――夜になって改めて見ると、凄く怖いなぁ……。
夜の闇よりも深く濃い、漆黒の衣。
素顔を隠し、無機質な恐ろしさを感じさせるペストマスク。
そして何よりも、農作用のそれではあり得ないほどに大きく、禍々しい背中の鎌。
その風貌は、やはり死神としか形容のできないものだった。
――本当に、シャルって何者なんだろ……。
先ほど口には出せなかった言葉……そして今、彼女の姿に恐ろしさを感じ、改めて口に出しづらくなってしまった言葉を思いながら……ボクは彼女の背中を追った。




